父の遺した写真 14 丹那トンネル
14-1 丹那トンネル熱海側 1958.5.27
難工事だったことで知られる丹那トンネルは1934年開通。この写真は熱海側であるが、どう見ても上下線の中間から撮られていて、父は線路へ立ち入ったことになる。現在では考えられない。坑門の上に手すりがあってその中央が石積みで高くなっているが、その向こう側に慰霊碑がある。
14-2 丹那トンネル慰霊碑 1958.5.27
丹那トンネル建設の全殉職者67名の慰霊のため建てられたもの。写真はないが、反対側の函南口に、函南口側の殉職者36名の慰霊碑がある。
14-3 富士山 沼津市から? 1960.3.22
富士山は東海道本線で最も印象的な車窓風景だから写真はたくさんあるが、きれいなのは少ない。ここに示したものは、「沼津市」となっていて下り列車の右後方に宝永火口の出っ張りのある稜線が写っているが、沼津市内ではこのような位置に写りそうにない。富士山の大きさと後方の角度を考えると、由比辺りからの写真だろうか。
写真の転載はご遠慮いただきたい。
14-1 丹那トンネル熱海側 1958.5.27
難工事だったことで知られる丹那トンネルは1934年開通。この写真は熱海側であるが、どう見ても上下線の中間から撮られていて、父は線路へ立ち入ったことになる。現在では考えられない。坑門の上に手すりがあってその中央が石積みで高くなっているが、その向こう側に慰霊碑がある。
14-2 丹那トンネル慰霊碑 1958.5.27
丹那トンネル建設の全殉職者67名の慰霊のため建てられたもの。写真はないが、反対側の函南口に、函南口側の殉職者36名の慰霊碑がある。
14-3 富士山 沼津市から? 1960.3.22
富士山は東海道本線で最も印象的な車窓風景だから写真はたくさんあるが、きれいなのは少ない。ここに示したものは、「沼津市」となっていて下り列車の右後方に宝永火口の出っ張りのある稜線が写っているが、沼津市内ではこのような位置に写りそうにない。富士山の大きさと後方の角度を考えると、由比辺りからの写真だろうか。
写真の転載はご遠慮いただきたい。
私株式会社YELLOWというテレビ制作会社の
滝澤と申します。
お一つご相談がありまして
コメントさせていただきました。
私どもの会社では、現在BSテレビ東京系列で4月17日(金)に放送される
「発見!ニッポンの100年 企業のマル秘映像」という番組を制作しておりまして
そちらの番組で、鹿島建設が建設した
新丹那トンネルの実際の建設風景を特集させていただいてまして、その中で丹那トンネルのお写真も、イメージとして探しております。
画像を探している際、
こちらのブログを見つけまして
連絡させていただきました。
記事内の丹那トンネルの
白黒写真をお借しいただければありがたいです。
急なお願いで大変申し訳ございませんが
ご協力いただければ幸いです。
私のブログは、教委の了解をとって投稿しました。
ありがとうございます
では愛知県清須市教育委員会に
連絡させていただきます。
ご協力感謝致します。
L8-012 から 015 まで うち2枚はブログ掲載。
M4-138 函南 殉職者碑