■12月14日にも、 Bach の名曲アナリーゼ講座を開催します■
2012.10.12 中村洋子
★果実店や、スーパーのフルーツコーナーでは、
黄色くなり始めた蜜柑や、
紫の巨峰、緑のマスカット、赤の甲斐路など、
鮮やかな色どりの果実が、並んでいます。
棚から、こぼれ落ちんばかりです。
実りの秋ですね。
★10月は、28日 「 横浜:第7回 Bach 平均律・アナリーゼ講座 」、
31日 「 名古屋:第9回インヴェンション・アナリーゼ講座 」 を、
11月は、15日(木)に 「 表参道:クリスマス・アナリーゼ講座 」 を、
開催いたします。
★11月の 「 表参道:クリスマス・アナリーゼ講座 」 では、
3曲を、取り上げます。
・≪ Jesu , Joy of Man's Desiring from Cantata BWV147
主よ、人の望みの喜びよ ≫
・≪ Klavier Konzert Nr.5 f-Moll BWV 1056
クラヴィーア協奏曲 ヘ短調 ≫ の有名な 2楽章「 Largo 」
・≪ Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ
イエスよ、私は主の名を呼ぶ ≫
★12月は、11月講座と同じ方向で、 Bach の名曲講座を、
さらにもう1回、開くことになりました。
Bach の名曲を、どなたでもピアノで深く楽しめる方法を、
お話する予定です。
★詳細は後ほど、当ブログでお知らせいたしますが、
12月14日(金)午前 10時~12時 30分、カワイ表参道 「 パウゼ 」 です。
≪ Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV140 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ ≫、
≪ Siciliano from Flute Sonata No.2 in Es-dur BWV 1031 シチリアーノ ≫
などの、名曲です。
ピアノで演奏する場合、どのように取り組んだらいいのか、という
内容となる予定です。
★11月講座での、「 Ich ruf zu dir, Herr Jesus Christ
私は主の名を呼ぶ、イエス・キリストよ 」は、
そのまま英語に、一語一語直しますと、
I call to you, Lord Jesus Christ です。
ことさら、難しい言葉もない日常の言葉が、使われています。
★ドイツ語は英語と異なり、あなたを示す二人称に2種類あり、
dir( du )は、家族や親しい身近な人に使う言葉で、
フランス語の「 tu 」に、相当します。
★しかし、日本で発売されています CD の訳は、少々変です。
Samson François サンソン・フランソワ(1924~1970) の、
名演奏が入っている CD では、
「 主イエスキリストよ、われ汝を呼ばわる 」
(EMI classics toce-8820)と、なっています。
★大時代がかった、権威主義的な言葉遣いの印象を受けます。
とても、親しい人に呼びかけるような言葉使いではありません。
「 汝 」の語源は、親しい人や目下の人に対する二人称だそうですが、
それは、大昔の話であり、現代では、違和感を感じます。
★これは、単なる言葉遣いの問題ではなく、
このような「 いかめしい題名 」が、 Bach のイメージについて、
誤った誤解を招きかねないと、懸念します。
“ Bach は、重々しく、宗教的で近寄りがたい ”、
“ Bach は、勉強の対象であって、楽しむものではない ”
などの迷妄へと、誘導されがちです。
その結果、“ Bach の食わず嫌い ”を引き起こしている、
のではないか、とも思います。
★「 Ihc ruf zu dir, Herr Jesus Christ
私は主の名を呼ぶ、イエス・キリストよ 」 は、
≪ Orgelbüchlein オルゲルビュッヒライン ≫ に、
収録されており、 ≪ オルガン小曲集 ≫ と訳されています。
leinは、小さいもの、可愛いというニュアンスがあります。
büchは、books で、「 小さなorgan books 」 という意味です。
★Orgelbüchlein は、BWV 599~644まで、ほぼ 50近い曲数。
私の所有する、原寸大自筆譜ファクシミリ版を、測ってみますと、
縦 15センチ強、横は 19センチ弱という、横長の、
とても小さな可愛らしい本です。
オルガンの譜面立てに、すっぽりと収まります。
★この「 Ihc ruf zu dir, Herr Jesus Christ 」は、
BWV 639 で、最後に近い曲です。
見かけの小節数は 15ですが、反復記号があり、
実際は、18小節です。
いずれにしましても、≪ 極小といえる短さ ≫ です。
★しかし、≪ Inventionen und Sinfonien
インヴェンションとシンフォニア ≫ が、そうでありますように、
この ≪ 極小の音空間に、宇宙のような広がり ≫ があるのです。
★≪ Orgelbüchlein オルゲルビュッヒライン ≫ は、
五線紙が 6段、それを二段使う 「 2段譜 」で、
記譜されています。
つまり、各ページは 3段です。
★このBWV 639は、13小節までが左のページ、
残り 2小節は、右ページの上段の半分までです。
このレイアウトにも、意味があり、講座でお話します。
オルガンの楽譜は、一般的に、
大譜表で右手と左手を記譜し、その下に、
足鍵盤の楽譜を追加し、計 3段で、書かれていると、
思われています。
★事実、≪ Orgelbüchlein ≫ の実用譜も、そのように、
記譜されています。
しかし、 Bach の自筆譜は、上段はソプラノ記号、
下段がバス記号で、その 2段の中に、
すべてが、書き込まれています。
★これは、インヴェンションや、
平均律クラヴィーア曲集と、同じ譜表なのです。
★このため、これをマエストロたちの編曲に頼ることなく、
Bach の自筆譜どおり、そのままピアノで演奏することが、
可能なのです。
右手、左手、足鍵盤という、3段譜の実用譜のみを眺めていますと、
このような発想は、生まれてこないでしょう。
Bach の自筆譜を見て、インヴェンションや平均律の自筆譜に、
親しんでいるからこそ、自然に出てくる発想なのです。
★ケンプやブゾーニの編曲は、大変に素晴らしいものですが、
彼らマエストロならではの技量を、演奏で要求されます。
難しい曲である、ともいえます。
Bach の自筆譜のまま、ピアノで弾く試みがあっても
いいのではないか、と思います。
★ Bach が、この曲に付したたくさんの、
うっとりするような、甘美な、legato を意味するslur を、
眺めていますと、いまだに、
「 Bach をレガートで弾いてもいいのですか? 」、
「 Bach の音は、一つずつ切り、
ノンレガートで弾かなくてはいけないのですか? 」
という質問や、
「 Bach は、無味乾燥で、堅苦しい 」、という発想が、
どこから出てくるのか、全く、理解できません。
★11月 15日は、この自筆譜から読み取れる、
あまりに多くのメッセージを、
一つ一つずつ、ご説明します。
Dinu Lipatti ディヌ・リパッティ(1917~1950)や、
Samson François サンソン・フランソワ が、
この曲に、どれだけ深く、心を動かされ、何を発見し、
名演を録音として残そうとしたか、それが、
浮かび上がってきます。
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