■私の作品が、ドイツで近く出版 & Wagner の素晴らしい CD■
2012.10.4 中村洋子
★ドイツで、近く私の作品が出版されます。
出版は、これで四回目となりますが、
最後の校訂作業のため、ドイツと頻繁にやり取りをしており、
ここ数日は、特に忙しく、慌しかったのですが、
それもヤマを超え、少しほっとしたところです。
★私の 「 アナリーゼ講座 」 では、いつも、
作曲家の自筆譜ファクシミリを、入手できる場合は、
それを用います。
Bach の「 Concerto nach Italienischem Gusto イタリア協奏曲 」
のように、自筆譜が行方不明でも、
Bach が、生前に眼を通した初版譜がありますと、それを使い、
可能な限り、作曲者の意図に近づくことを、原則としています。
★楽譜出版と申しますと、ドイツの出版社は、日本と比べ、
音楽への理解力、洞察力が格段に深いと、実感します。
そして、その編集者が優秀で、楽譜を読み込む力があればあるほど、
“ 良い楽譜を作ろう ” という “ 親切心 ” を働かせ過ぎることが、
往々にして、あるようです。
★今回、その “ 親切心 ” に対し、何度も何度も議論を重ね、
最後には、大変に満足のいく結果となりました。
★しかし、これは 「 実用譜 」 であることには相違ありません。
どういうことか、といいますと、
演奏するためには、譜めくりをしやすくしたり、
演奏しやすいような工夫をするなど、一種の妥協が必要なのです。
作曲の意図を損なわず、そのうえ、演奏上必要な配慮を、
どこまで織り込むべきか、というせめぎ合いを経て、
はじめて生まれるのが、 「 実用譜 」 なのです。
★ Bach の ≪ イタリア協奏曲 初版譜 ≫ は、
「 実用譜 」 の装いを見せながらも、実は、
「 自筆譜 」 に限りなく近い、究極の ≪ 実用譜 ≫ と、いえます。
Bach 本人と、その初版譜を担当した彫り師 engraver との、
それは見事な合作と、いえます。
★例えば、2楽章は、左右見開きのページ( 1ページ 8段 )の、
左ページ全部と右側ページの 7段目で、終わっています。
そして、3楽章は、その下、最後の 8段目から、始まっているのです。
常識的に考えますと、その 1段を空白とし、
次のページ冒頭から、3楽章を始めたほうが、すっきりとし、
途中で、譜めくりをする必要がなく、
とても弾き易いと、誰しも、思うことでしょう。
★しかし、 Bach はあえて、
≪ 極めて、変則的な記譜 ≫ を、選びました。
それは、作品の構造や骨格を、演奏者に理解してもらいたい、
という Bach 先生の親切な配慮から、なのです。
それについては、講座で、徹底的にご説明しました。
★ところで、イタリア協奏曲 3楽章は、
どのように、終わっているのでしょうか。
見開き左右の右ページの4段目で、終了しています。
その下 4段( 大譜表 )は、五線譜のままで、
なにも、書かれていません。
このことからも、 Bach が紙を節約するため、
3楽章を、2楽章の終わりからすぐに始めた、
という考え方は、否定されます。
★しかし、現代の実用譜には、このような配慮は、
あまり、見受けられません。
今回の私の出版は、アンサンブルですので、
譜めくりを少なくし、弾きやすさを第一にして、作成しました。
しかも、作曲の意図は損なわれず、大満足の結果となりました。
★この 「 校訂 」 という作業は、大変に手間と根気の要る作業です。
その間に、一曲ぐらいは作曲出来てしまうと、感じるほどです。
Beethoven が、弟子の Ries リースに、
Chopin が同様に、Fontana フォンタナなどに、
細々とした出版作業の手助けを、頼んでいたのが、
よく、分かります。
★このような作業を通して、
作曲家が本当に言おうとしていることを、
楽譜から、読み取る作業の難しさを、つくづく実感しました。
同時に、このような作業の実体験がありませんと、
自筆譜と実用譜との間の、齟齬を、
確信をもって読み取ることは、かなり困難ではないのか、
とすら、思います。
★そんな作業の息抜きに、来年が Richard Wagner
リヒャルト・ワーグナー(1813~1883) の生誕 200年、
ということもあり、最近入手しました、
Wagner の素晴らしい CDを、聴いております。
「 息抜き 」 と書きましたのは、聴いていて、
とても、楽しいからです。
★この CDは、Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
(1886~1954) が、死の前年の 1953年に録音した
Richard Wagner 作曲の 「 Der Ring des Nibelungen
ニーベルングの指環 」、
Orchestra Sinfonica e Coro della Radio Italiana
★私の学生時代、 Wagner ワーグナーの作品が、
年末のFM放送で、連日流されていたため、それを聴いたり、
あるいは、LPや CDで聴いてきましたが、
いつも 「 勉強 」 という意識が、先に立ち、
さらに、演奏があまりよくなかったせいもあり、
とても、楽しめたものではありませんでした。
★しかし、この Furtwängler の 「 Der Ring des Nibelungen
ニーベルングの指環 」 は、刺激に、満ち満ちています。
ワグナーは嫌い、苦手と思っていらっしゃる方は、
この演奏をお聴きになりますと、実は、
“ 苦手と思わされていた ” だけであったことに、気づき、
これまでは、“ ワグナーもどき ” を聴いていたと、
つくづく、実感されるでしょう。
★ Wagner ワグナー(1813~1883) の音楽とは、どのようなものであるか、
Furtwängler の明晰な分析に基づく指揮が、それを解きほぐし、
同時に、心から楽しませてくれます。
聴いていますと、おやおや、
Berlioz ベルリオーズ(1803~1869)、
Verdi ヴェルディ(1813~1901)、
César Franck セザール・フランク(1822~1890)、
Anton Bruckner アントン・ブルックナー (1824~1896)、
Gustav Mahler グスタフ・マーラー(1860~1911)、
Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862~1918)、
Richard Strauss リヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)、
Sibelius シベリウス(1865~1957)、
Arnold Schönberg アルノルト・シェーンベルク (1874~1951)
など、
少し前や同時代、その後の世代の作曲家たちが、
頻繁に、顔を覗かせてきます。
彼らは、“ ワーグナーの森 ” に棲み付いているのです。
ワーグナーが源泉であったり、あるいはその逆であったり、
にぎやかです。
しかし、さらにその源流を辿っていきますと、
“ Bach という大海 ” に行き着くことは、いうまでもありません。
★19世紀のワグナー音楽が、20世紀音楽の源泉の一つとなり、
さらには、アメリカのハリウッドが、映画音楽として、
ワグナーを、表現は悪いのですが、“ 食い潰し ”、
クラシック音楽を、いわば “ 張子の虎 ” にしていった流れすら、
読み取れます。
★そして、日本でワグナーに熱狂する人たちも、
そのどこに、熱狂しているのでしょうか?
あの奥深いドイツ音楽の、果実としてのワグナーを、
理解しているのか、どうも、疑わしいようです。
★この素晴らしい CDは 13枚組で、驚くべき価格、
信じられないほどの安価で、売られていました。
人類の宝であるような、永遠の命のある芸術には、
それにふさわしい敬意が、必要です。
悲しいことです。
★一方、宣伝文句とポスターだけは立派、一過性の人気に頼り、
浮かんでは消え、消えては浮かぶ、
タレントクラシック音楽家の CDは、たった 一枚で、
この Furtwängler の 13枚組に匹敵するような、法外な値段。
それらの CDに、一体、どれだけの命があることでしょう。
★前回ブログで、お知らせいたしましたように、
「 11月 15日のアナリーゼ講座 」 は、少し肩の荷を降ろし、
Bach の本当に美しい旋律が、どこから来るのかを考えるため、
Bach の作品を編曲した名曲を、取り上げる予定です。
★Myra Hess マイラ・へス ( 1890~1965 )、
Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895~1991)、
Ferruccio Busoni フェルッチィオ・ブゾーニ(1866~1924)、
Alfred Cortot アルフレッド・コルトー(1877~1962)という、
超一流の音楽家は、作曲の訓練をし、
作曲の能力も十分にあった演奏家です。
★ Bach を ピアノ用に編曲することは、このような人たちにしか、
資格がない、といえるかもしれません。
彼らの中の、作曲家としての能力が、 Bach を ピアノで弾きたいという、
欲求と結びつき、その結果として、生み出されたのでしょう。
★講座では、 Bach の有名な「 Clavier Concerto No.5 f-Moll
BWV 1056 ヘ短調 」の、誰もが “ あの曲 ” と分かる、
有名な 2楽章 「 Largo ラルゴ 」 も、扱います。
これは、 Bachの オーボエ協奏曲( 原曲は喪失 )を、
Bach が自分で、Clavier 用に編曲したものです。
Bach が、 Alessandro Marcello (1669~1747) の、
オーボエ協奏曲 Concerto d-Moll für Oboe を、
独奏鍵盤作品に編曲したのと、似ています。
★Bach がオーボエで、非和声音をどのように扱ったか、
それを、どのようにチェンバロに移したのか・・・、
という考察が、必要となります。
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