音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Schumann「若い人のためのアルバム」、物凄い推敲の跡■

2018-02-17 22:14:21 | ■私の作品について■

■Schumann「若い人のためのアルバム」、物凄い推敲の跡■
~私のCello&Piano二重奏がマンハイムで4月初演、蕪村の"うづみ火"~

       2018.2.17 中村洋子 Yoko Nakamura

 

 


★各地で大雪が続き、厳しい寒さが続いています。

≪うづみ火や 終(つい)には煮(にゆ)る 鍋のもの≫蕪村(1716-1784)

火鉢の灰にうずめた炭。

火力は弱いのですが、長持ちします。

貧しい蕪村は、埋み火のわずかな火で暖をとり、

煮物にも使ったのでしょうか。


★煮物は蕪でしょうか、お芋でしょうか。

うっすらと白い灰がかぶさった弱弱しい炭火、

やっとのことで煮上がった野菜を、

背を丸めて、ふうふうと召しあがっている蕪村先生。

世におもねず、芸術を誠実に追及しますと、

富貴とは、縁が遠のくようです。

 

 


★≪愚に耐えよと 窓を暗くす 竹の雪≫

温厚篤実な蕪村先生にして、この句有りです。

蕪村の晩年、天明時代は卑俗な俳句が流行し、

「蕉風回帰」の蕪村は、孤立していました。


★2017.12.16の当ブログで、http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/6fce011491cea5ad12ca908d80ae14d1

ご紹介しました、私の作品 『チェロ四重奏 

Zehn Phantasien  für Celloquartette』の、

ピアノとチェロ二重奏版が、ことし2018年4月、

ドイツの Mannheim マンハイムで、初演されます。


★この曲は、2017.12.16ブログでも書きましたように、

「für junge Cellisten フュア ユンゲ チェリステン

若いチェリスト達の為に」としていますが、

Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)の

顰に倣って、実は、成熟した音楽家のための曲でもあります。


初演は、Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生

のチェロ、お姉様のUrsula Trede-Boettcher

ウルズラ・トレーデ・ベッチャー先生のピアノです。

お二人のリサイタルです。

ウルズラ先生は、ADRコンクール(ミュンヘン音楽コンクール)の

審査員を務められたこともある、ピアニスト(オルガニスト)です。

 

 


★さて、その Schumannの「Album für die Jugend Op.68

若い人のためのアルバム」についてです。

「こどものためのアルバム」と訳されることも多いのですが、

「Jugend」は、英語の「young」ですから、

「若い人のためのアルバム」としたほうがより、Schumannの気持ちに

沿っているともいえましょう。


★「Album für die Jugend」は一見、シンプルです。

完成稿の楽譜を見ますと、Schumannが推敲を重ねた末の結果が、

簡素に、書かれています。

一方、その自筆譜を見ますと、推敲に推敲を重ねていたその過程を、

詳しく、辿ることができます。

(自筆譜
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000030258/

 

★例えば、18番 「Schnitterliedchen 刈入れの小さな歌」を見ますと、

21小節目から最終36小節目までは、すべて初稿に「×」を入れ、

すべて、書き直しています。

特に、21小節目から30小節目の10小節間は、

大幅に書き直されています。


★21、22小節目は、完成稿ではこのようになっています。

 

 

「これしかない!」という完成度の高さ。

Schumannのペンが、すらすらと流麗に書き進んだかのように

見えますが、そうではありません。


自筆譜は、一見しただけでは、ほとんど何も分からないほど、

何度も書いては、消されています。

正確には書き写せませんが、大体、このようになっています。

 

 


★「F」と大きく書かれていますので、

「F-Dur」に転調し、

調号も新しくするつもりであったようですが、

それを断念し、主調の「C-Dur」のまま、あくまで簡潔さを

目指しています。

 Mozart モーツァルトの音楽もそうですが、「簡潔」ほど難しい

ことはありません。

 

 

 

★作曲家としましても、複雑怪奇に書くことはいとも簡単です。

しかし、お米を磨いて磨きぬいて清酒を造るように、

この磨く過程にこそ、作曲家の仕事があると思います。

ちなみに、私はお酒が飲めませんので、人生の楽しみの、

幾ばくかを知らないことは、残念です。


★Schumannの最初のアイデアは、これに近かったように、

思われます。

 

 


★完成稿では、1、2小節目と同様に整然とした四声体になっています。

 

 


しかし、完成稿でソプラノ声部で歌われる旋律を、

Schumannは当初、アルト声部に配置していたことが分かります。

この旋律を、アルト声部の1オクターブ上のソプラノ声部に

配置することにより、冒頭1、2小節目のソプラノの旋律を、

 

 


初稿では、完全5度下で再現しますが、

 

 

完成稿では、完全4度上で再現することになります。

 

 

1小節目の旋律を、完全5度下ではなく、

完全4度上に移調して、再現することにより、

「収穫の喜び」を、より高らかに歌い上げたかったのでしょう。

 


★25、26小節目につきましても、同様に、当初とその推敲過程、

そして、完成稿を比べることにより、Schumannのメッセージを

たくさん受け取ることができます。

 

 


★それこそが、Schumannを勉強することであり、さらに、

Schumannを演奏することに、直結することは、

言うまでもないことでしょう。


その勉強の後に、Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ

(1845-1924)が校訂した版の Fingering フィンガリングを、

研究してみましょう。


(フォーレ校訂版
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000146830/


Schumannの作品への「扉」を、きっと、

いとも易々と、開くことができようになることでしょう。

 

 

 


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