■バッハ・インヴェンション1番の「3連符」と、平均律1巻1番との関係。
ベーレンライター版は正しいのか?■
10.1.21 中村洋子
★前回のブログで書きました、「インヴェンション 1番」の、
「 3連符」につきまして、
「べーレンライター版(新バッハ全集からの抜き取り)」の 15小節目、
下声の 4拍目に、臨時記号の「誤記」があります。
★「 シ ド レ ド レ ミ 」 「シ ド レ」が、最初の3連符、
「 ドレミ 」が、次の 3連符です。
「 ド 」が2回現れますが、バッハの自筆譜では、
最初の「 ド 」については「 C 」、
2回目の「ド」については、「Cis ド♯」 に、しています。
★「ヴィーン原典版(Wiener Urtext Edition)」は,
現在、2種類が発売中で、一つは、音楽之友社がライセンス出版している
「エルヴィン・ラッツ&カール・ハインツ・フュッスル校訂」の旧版。
他は、「Schott/Universal Edition」の、ライジンガー校訂の新版です。
この二つとも、バッハの自筆譜通りに、3連符を記しています。
★ところが、べーレンライター版は、両方の 「ド」 に 「♯」 を記して、
「 Cis 」と、わざわざ、変えています。
その結果、その二つの3連符は「 H Cis D 、 Cis D E 」となっています。
このべーレンライター版が “創作” した和声進行を、分析しますと、
「 Cis 」は、ニ短調( d moll )のドミナント(属和音)の第 3音、
即ち、「導音」に当たり、一般的にみて、
単純に分かりやすい、理解しやすい和声へと、変わっています。
つまり、≪ 15小節4拍目全部を、「ニ短調」に変えている ≫のです。
★しかし、天才バッハが、はたして最初の「 ド 」に、
「 ♯ 」を、「付け忘れる」ようなことを、したのでしょうか?
★15小節目の 1拍目は、イ短調( a moll )の、主和音です。
2拍目、3拍目を、大胆に分析しますと、
≪ハ長調( C dur )の主和音≫ と、考えることができます。
さて、問題の「4拍目前半」は、
右手(上声)で、「ソ」の音が 2分音符で長く、伸びています。
左手(下声) 3連符のうち、ドを除きますと、
「 シ 」と「 レ 」になります。
この上声「ソ」と、下声「シ レ」の三音を、和音に組み立てますと、
「 ソ シ レ 」となり、「ハ長調の属和音」 となります。
つまり、バッハは、「4拍目前半」を、≪ ハ長調 ≫ で、作っています。
★それが、「 4拍目後半」で、どうして≪ニ短調( d moll )≫ に、
いきなり転調することができるのか、考えてみましょう。
そのために、このハ長調の属和音「ソシレ」を、
今度は、「ニ短調」の側から見てみます。
ニ短調のどんな和音と、等しいのでしょうか。
結論から申し上げますと、このハ長調の属和音「ソシレ」は、
「ニ短調」の「ドリアのⅣ」 という、「下属和音 Ⅳ」の変形です。
★「ドリアのⅣ」を、説明いたします。
本来の「短調のⅣ」は、「短三和音」であるのに対し、
「ドリアのⅣ」は、「長三和音」であるため、
短調のなかに、独特な明るい響きを醸しだす和音となっています。
ニ短調( d moll )の、下属和音(Ⅳ)は、「 ソ シ♭ レ 」で、
属和音(Ⅴ)は、「 ラ ド♯ ミ 」です。
是非、ピアノで、この二つの3和音「 ソ シ♭ レ 」と、
「 ラ ド♯ ミ 」を、順に、弾いてみてください。
一番下の音(根音)は、ソ~ラへと、スムーズに流れます。
一番上の音(第5音)は、レ~ミへときれいに、つながります。
しかし、真ん中の音(第3音)だけは、
「 シ♭ 」が「 ド♯ 」になり、「増 2度」 ができます。
★この「増 2度」 の音程は、皆さまが、ハノンなどで、
和声的短音階を弾く際、必ず出てくる、大変に特徴的な音程で、
決して、滑らかな感じはいたしません。
そのため、「 シ♭ 」(第 3音)を半音上げた「 シ・ナチュラル 」とし、
「 ソ シ レ 」としたものが、「 ドリアのⅣ 」といわれています。
この半音上げることで、増 2度が、滑らかな長 2度音程になります。
ハノンの練習曲などで、「旋律的短音階」と呼ばれる
短音階の上行形には、実は、「ドリアのⅣ」が、内包されているのです。
それゆえ、増 2度を含まない、スムーズな旋律線が、できるのです。
★結論として、4拍目前半は、≪ハ長調の属和音≫ です。
べーレンライター版は、ここを ≪ニ短調≫ と分析して、
あえて、「 ド 」に「 ♯ 」(ニ短調の導音)を、
付け加えてしまいました。
しかし、バッハの意図は、この 4拍目前半では、まだ ≪ハ長調≫ でした。
「ド」に「♯」を加えると、「ハ長調」 を感じられなくなってしまいます。
4拍目前半で、「ハ長調の属和音」を、「ニ短調のドリアのⅣ」と、
読み替えますと、すっきりと、≪ニ短調への転調≫ が、理解できます。
これが、≪バッハの作曲の妙技≫ ともいえます。
バッハが天才たることを証明する、最も肝心なところを、
曇った常識の目で、書き換えたのでしょう。
★バッハの自筆譜どおりの「ヴィーン原典版」が正しく、
小奇麗に改竄した「べーレンライター版」は、明らかに間違いです。
(私が所有しています 「ヘンレ版」 には、そもそも、この3連符の
ヴァージョンが、プリントされていません。)
★ちなみに、12小節目 1拍目の後半は、
イ短調( a moll )の「ドリアのⅣ」 の和音、「 D Fis A 」 です。
上声にファ♯(Fis)、下声にレ( D )が奏され、
2拍目 前半は、ドミナント「 E Gis H 」で、
上声に「 ソ♯ 」( Gis )、下声に「 シ 」( H )、が奏されます。
先ほどの例と同様に、ピアノで「 D Fis A 」、
「 E Gis H 」の3和音を、弾いて、確かめてください。
★第 3音「 Fis Gis 」 が、なだらかにつながっています。
その後、導音である「 Gis 」 が、主音の「 A 」を導き、
「 Fis Gis A 」という、上声旋律線になっているのが分かります。
★このように、3連符の細かいところに、かくも注目したのは、
実は、「インヴェンション 1番」と、「平均律 1巻 1番」が、
コインの両面のような関係に、あるからです。
平均律が成立したのが1722年、インヴェンションが1723年であることが、
バッハのサインから、分かります。
以前からの曲を集大成したことは、間違いないのですが、
「平均律 1巻」を書き終えた後に、その要約、エッセンスとして、
「インヴェンション」を編んだ、と見た場合、この双方の、
曲の共通点を、注意深く観察する必要があります。
「インヴェンション 1番」の 3連符と、
「シンフォニア 1番」の 32分音符の
モティーフとの関係については、前回のブログで書きました。
★平均律 1巻 1番のフーガの、有名なテーマ
「 ド レ ミ ファ ソ ファミ 」 のなかの、
1小節目 3拍目の「 ソ ファ 」が、「 32分音符 」になっています。
「 ソ ファ 」に続く、「 ミ 」まで含めた「 ソ ファ ミ 」の、
モティーフは、「 3度の順次進行下行形 」 ではありませんか!
★バッハは、当初、この 32分音符を、
普通の 16分音符で、書いてました。
最終稿で、現在のすばやい動きに、変えています。
「インヴェンション 1番」と「シンフォニア 1番」、それに、
「平均律 1巻 1番フーガ」とが、
同一モティーフを使って、ガッチリと、手をつなぎ、
大きな輪を作っているのが、分かります。
★この点については、 26日の「平均律第 1回アナリーゼ講座」で、
詳しく、お話いたします。
「インヴェンション」を、弾くことが出来る方でしたら、
躊躇することなく、「平均律」に入ることが出来る、という
お話も、いたします。
「ぶらあぼ」 2月号、 142ページに、
アナリーゼ講座の案内が出ております。
どうぞ、お読みください。
(冬空 と 欅と 瓦屋根)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
ベーレンライター版は正しいのか?■
10.1.21 中村洋子
★前回のブログで書きました、「インヴェンション 1番」の、
「 3連符」につきまして、
「べーレンライター版(新バッハ全集からの抜き取り)」の 15小節目、
下声の 4拍目に、臨時記号の「誤記」があります。
★「 シ ド レ ド レ ミ 」 「シ ド レ」が、最初の3連符、
「 ドレミ 」が、次の 3連符です。
「 ド 」が2回現れますが、バッハの自筆譜では、
最初の「 ド 」については「 C 」、
2回目の「ド」については、「Cis ド♯」 に、しています。
★「ヴィーン原典版(Wiener Urtext Edition)」は,
現在、2種類が発売中で、一つは、音楽之友社がライセンス出版している
「エルヴィン・ラッツ&カール・ハインツ・フュッスル校訂」の旧版。
他は、「Schott/Universal Edition」の、ライジンガー校訂の新版です。
この二つとも、バッハの自筆譜通りに、3連符を記しています。
★ところが、べーレンライター版は、両方の 「ド」 に 「♯」 を記して、
「 Cis 」と、わざわざ、変えています。
その結果、その二つの3連符は「 H Cis D 、 Cis D E 」となっています。
このべーレンライター版が “創作” した和声進行を、分析しますと、
「 Cis 」は、ニ短調( d moll )のドミナント(属和音)の第 3音、
即ち、「導音」に当たり、一般的にみて、
単純に分かりやすい、理解しやすい和声へと、変わっています。
つまり、≪ 15小節4拍目全部を、「ニ短調」に変えている ≫のです。
★しかし、天才バッハが、はたして最初の「 ド 」に、
「 ♯ 」を、「付け忘れる」ようなことを、したのでしょうか?
★15小節目の 1拍目は、イ短調( a moll )の、主和音です。
2拍目、3拍目を、大胆に分析しますと、
≪ハ長調( C dur )の主和音≫ と、考えることができます。
さて、問題の「4拍目前半」は、
右手(上声)で、「ソ」の音が 2分音符で長く、伸びています。
左手(下声) 3連符のうち、ドを除きますと、
「 シ 」と「 レ 」になります。
この上声「ソ」と、下声「シ レ」の三音を、和音に組み立てますと、
「 ソ シ レ 」となり、「ハ長調の属和音」 となります。
つまり、バッハは、「4拍目前半」を、≪ ハ長調 ≫ で、作っています。
★それが、「 4拍目後半」で、どうして≪ニ短調( d moll )≫ に、
いきなり転調することができるのか、考えてみましょう。
そのために、このハ長調の属和音「ソシレ」を、
今度は、「ニ短調」の側から見てみます。
ニ短調のどんな和音と、等しいのでしょうか。
結論から申し上げますと、このハ長調の属和音「ソシレ」は、
「ニ短調」の「ドリアのⅣ」 という、「下属和音 Ⅳ」の変形です。
★「ドリアのⅣ」を、説明いたします。
本来の「短調のⅣ」は、「短三和音」であるのに対し、
「ドリアのⅣ」は、「長三和音」であるため、
短調のなかに、独特な明るい響きを醸しだす和音となっています。
ニ短調( d moll )の、下属和音(Ⅳ)は、「 ソ シ♭ レ 」で、
属和音(Ⅴ)は、「 ラ ド♯ ミ 」です。
是非、ピアノで、この二つの3和音「 ソ シ♭ レ 」と、
「 ラ ド♯ ミ 」を、順に、弾いてみてください。
一番下の音(根音)は、ソ~ラへと、スムーズに流れます。
一番上の音(第5音)は、レ~ミへときれいに、つながります。
しかし、真ん中の音(第3音)だけは、
「 シ♭ 」が「 ド♯ 」になり、「増 2度」 ができます。
★この「増 2度」 の音程は、皆さまが、ハノンなどで、
和声的短音階を弾く際、必ず出てくる、大変に特徴的な音程で、
決して、滑らかな感じはいたしません。
そのため、「 シ♭ 」(第 3音)を半音上げた「 シ・ナチュラル 」とし、
「 ソ シ レ 」としたものが、「 ドリアのⅣ 」といわれています。
この半音上げることで、増 2度が、滑らかな長 2度音程になります。
ハノンの練習曲などで、「旋律的短音階」と呼ばれる
短音階の上行形には、実は、「ドリアのⅣ」が、内包されているのです。
それゆえ、増 2度を含まない、スムーズな旋律線が、できるのです。
★結論として、4拍目前半は、≪ハ長調の属和音≫ です。
べーレンライター版は、ここを ≪ニ短調≫ と分析して、
あえて、「 ド 」に「 ♯ 」(ニ短調の導音)を、
付け加えてしまいました。
しかし、バッハの意図は、この 4拍目前半では、まだ ≪ハ長調≫ でした。
「ド」に「♯」を加えると、「ハ長調」 を感じられなくなってしまいます。
4拍目前半で、「ハ長調の属和音」を、「ニ短調のドリアのⅣ」と、
読み替えますと、すっきりと、≪ニ短調への転調≫ が、理解できます。
これが、≪バッハの作曲の妙技≫ ともいえます。
バッハが天才たることを証明する、最も肝心なところを、
曇った常識の目で、書き換えたのでしょう。
★バッハの自筆譜どおりの「ヴィーン原典版」が正しく、
小奇麗に改竄した「べーレンライター版」は、明らかに間違いです。
(私が所有しています 「ヘンレ版」 には、そもそも、この3連符の
ヴァージョンが、プリントされていません。)
★ちなみに、12小節目 1拍目の後半は、
イ短調( a moll )の「ドリアのⅣ」 の和音、「 D Fis A 」 です。
上声にファ♯(Fis)、下声にレ( D )が奏され、
2拍目 前半は、ドミナント「 E Gis H 」で、
上声に「 ソ♯ 」( Gis )、下声に「 シ 」( H )、が奏されます。
先ほどの例と同様に、ピアノで「 D Fis A 」、
「 E Gis H 」の3和音を、弾いて、確かめてください。
★第 3音「 Fis Gis 」 が、なだらかにつながっています。
その後、導音である「 Gis 」 が、主音の「 A 」を導き、
「 Fis Gis A 」という、上声旋律線になっているのが分かります。
★このように、3連符の細かいところに、かくも注目したのは、
実は、「インヴェンション 1番」と、「平均律 1巻 1番」が、
コインの両面のような関係に、あるからです。
平均律が成立したのが1722年、インヴェンションが1723年であることが、
バッハのサインから、分かります。
以前からの曲を集大成したことは、間違いないのですが、
「平均律 1巻」を書き終えた後に、その要約、エッセンスとして、
「インヴェンション」を編んだ、と見た場合、この双方の、
曲の共通点を、注意深く観察する必要があります。
「インヴェンション 1番」の 3連符と、
「シンフォニア 1番」の 32分音符の
モティーフとの関係については、前回のブログで書きました。
★平均律 1巻 1番のフーガの、有名なテーマ
「 ド レ ミ ファ ソ ファミ 」 のなかの、
1小節目 3拍目の「 ソ ファ 」が、「 32分音符 」になっています。
「 ソ ファ 」に続く、「 ミ 」まで含めた「 ソ ファ ミ 」の、
モティーフは、「 3度の順次進行下行形 」 ではありませんか!
★バッハは、当初、この 32分音符を、
普通の 16分音符で、書いてました。
最終稿で、現在のすばやい動きに、変えています。
「インヴェンション 1番」と「シンフォニア 1番」、それに、
「平均律 1巻 1番フーガ」とが、
同一モティーフを使って、ガッチリと、手をつなぎ、
大きな輪を作っているのが、分かります。
★この点については、 26日の「平均律第 1回アナリーゼ講座」で、
詳しく、お話いたします。
「インヴェンション」を、弾くことが出来る方でしたら、
躊躇することなく、「平均律」に入ることが出来る、という
お話も、いたします。
「ぶらあぼ」 2月号、 142ページに、
アナリーゼ講座の案内が出ております。
どうぞ、お読みください。
(冬空 と 欅と 瓦屋根)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲