■独・ヴィッテンで、私の「 チェロ組曲第 3番 」が、初演されました■
10.4.2 中村洋子
★ 3月 22日、ドイツ西部、ルール地方にあります
「 ヴィッテン 」市の Emmaus-Kirche 教会で、
私の作品 「 無伴奏チェロ組曲第 3番 」 と、小品「 冬の庭 」が、
ヴォルフガング・ベッチャー先生により、初演されました。
★コンサートの翌日、ベッチャー先生から、Fax が入りました。
「 会場は超満員で、コンサートは大成功でした。
ポスターを、郵送します。
6月 12日、あなたの作品 ≪ ピアノとチェロのための 二重奏曲 ≫ を、
ベルリンで、姉と初演します 」
★届きましたポスターは、オレンジの地色に、
曲目、演奏家、作曲家などが、黒々と書かれています。
伝えたい情報のみです。
センスが良く、簡素です。
芸能人と見まごうような、けばけばしい写真を載せた、
日本の豪華なポスターとは、大違いです。
★演奏会での曲目は、
バッハ「 無伴奏チェロ組曲 」第 5番 ハ短調、
私の 「 無伴奏チェロ組曲 」第 3番と「 冬の庭 」、最後に、
バッハ「 無伴奏チェロ組曲 」第 3番 ハ長調 、という順でした。
★バッハは、6曲のチェロ組曲を書いていますが、
私は、5番が、その頂点であり、1番から 5番に向け、
上りつめていくと、思います。
この考え方は、私自身がチェロ組曲を 3曲書いたことと、
インヴェンションや、平均律のアナリーゼ講座を、
続けているからこそ、言えることです。
バッハがチェロ組曲全 6曲を、一つの作品として構想して、
作曲したことは、間違いないと思います。
★先生が、「 5番 」 からコンサートを始められたことに、
驚きましたが、私の組曲 3番が、C音から始まり、C音で終わりますので、
コンサート全体を、 “ Cの調 ” で束ねたいという、
先生の意図が、強く、迫ってきます。
私の作品の後、明るく喜ばしいバッハの 「 組曲 3番 ハ長調 」で、
プログラムが、閉じられました。
★3月21日は、バッハのお誕生日でした。
その翌日に、バッハと私の作品でコンサートを開いていただく、
これほどの喜びは、ありません。
その2日前には、チューリヒで、室内楽作品が初演され、うれしい1週間でした。
★ヴィッテンでのこの演奏会を、ドルトムントの楽譜出版社の方が、
聴きに、行かれました。
ヴィッテンまでは、10キロ足らずだそうです。
★彼からのメールによりますと、
「 補助椅子を出すほど、たくさんの聴衆でした。
バッハの組曲は、『繰り返し』 のところが、信じられないほど
創造的なファンタジーに、満ちていました。
聴衆は、あなたの曲を、大変に気に入り、
ベッチャー先生は、アンコールをせざると得ませんでした。
それは、中村さんの 「 第 1チェロ組曲 」 の最終楽章でした。
いい音楽でした、本当に! 」
★彼は、休憩時間に、ベッチャー先生とほんの少しお会いし、
彼が近く出版する、私の ≪ チェロトリオ ≫ のテスト印刷楽譜を、
お見せしたそうです。
★私の推測ですが、バッハの 「 繰り返し 」 のところで、
先生は、ピッチカートを使われたのだと、思います。
先生の研究によりますと、バッハの時代も、ピッチカートは、
現在考えられている以上に、多用されていた、ということです。
ご自身の勉強、研究に基づいて演奏される、
その信念に敬意を表したいと、思います。
★先日の「 第 3回平均律アナリーゼ講座 」 で、
参加者の方と、お話したのですが、
ご自身で勉強して、自分なりの表現で、バッハを 演奏したとき、
「 その弾き方は、おかしい。どの楽譜にそう書いてあるの!!!」 と、
「 先生 」 から、批判されたそうです。
「 “ 権威 ” のある楽譜に書いてあること以外は、してはいけない 」
という考え方は、本当の意味で ≪ 権威 ≫ であるバッハとその音楽、
その世界 から、最もほど遠く、バッハを否定してしまうものです。
★演奏者が、真摯に追求した表現であれば、そのすべてが、
第一級の芸術作品、演奏になりうる、というのが、
バッハの音楽の真髄です。
それほどバッハの音楽は、豊穣で、おおらかな世界なのです。
★この 「 チェロ組曲 3番 」と「 冬の庭 」などを含む、
私の新しい CDが、4月末に発表予定です。
皆さまに、先生の芸術を是非、聴いていただきたいと思います。
( 演奏会のプログラム )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
10.4.2 中村洋子
★ 3月 22日、ドイツ西部、ルール地方にあります
「 ヴィッテン 」市の Emmaus-Kirche 教会で、
私の作品 「 無伴奏チェロ組曲第 3番 」 と、小品「 冬の庭 」が、
ヴォルフガング・ベッチャー先生により、初演されました。
★コンサートの翌日、ベッチャー先生から、Fax が入りました。
「 会場は超満員で、コンサートは大成功でした。
ポスターを、郵送します。
6月 12日、あなたの作品 ≪ ピアノとチェロのための 二重奏曲 ≫ を、
ベルリンで、姉と初演します 」
★届きましたポスターは、オレンジの地色に、
曲目、演奏家、作曲家などが、黒々と書かれています。
伝えたい情報のみです。
センスが良く、簡素です。
芸能人と見まごうような、けばけばしい写真を載せた、
日本の豪華なポスターとは、大違いです。
★演奏会での曲目は、
バッハ「 無伴奏チェロ組曲 」第 5番 ハ短調、
私の 「 無伴奏チェロ組曲 」第 3番と「 冬の庭 」、最後に、
バッハ「 無伴奏チェロ組曲 」第 3番 ハ長調 、という順でした。
★バッハは、6曲のチェロ組曲を書いていますが、
私は、5番が、その頂点であり、1番から 5番に向け、
上りつめていくと、思います。
この考え方は、私自身がチェロ組曲を 3曲書いたことと、
インヴェンションや、平均律のアナリーゼ講座を、
続けているからこそ、言えることです。
バッハがチェロ組曲全 6曲を、一つの作品として構想して、
作曲したことは、間違いないと思います。
★先生が、「 5番 」 からコンサートを始められたことに、
驚きましたが、私の組曲 3番が、C音から始まり、C音で終わりますので、
コンサート全体を、 “ Cの調 ” で束ねたいという、
先生の意図が、強く、迫ってきます。
私の作品の後、明るく喜ばしいバッハの 「 組曲 3番 ハ長調 」で、
プログラムが、閉じられました。
★3月21日は、バッハのお誕生日でした。
その翌日に、バッハと私の作品でコンサートを開いていただく、
これほどの喜びは、ありません。
その2日前には、チューリヒで、室内楽作品が初演され、うれしい1週間でした。
★ヴィッテンでのこの演奏会を、ドルトムントの楽譜出版社の方が、
聴きに、行かれました。
ヴィッテンまでは、10キロ足らずだそうです。
★彼からのメールによりますと、
「 補助椅子を出すほど、たくさんの聴衆でした。
バッハの組曲は、『繰り返し』 のところが、信じられないほど
創造的なファンタジーに、満ちていました。
聴衆は、あなたの曲を、大変に気に入り、
ベッチャー先生は、アンコールをせざると得ませんでした。
それは、中村さんの 「 第 1チェロ組曲 」 の最終楽章でした。
いい音楽でした、本当に! 」
★彼は、休憩時間に、ベッチャー先生とほんの少しお会いし、
彼が近く出版する、私の ≪ チェロトリオ ≫ のテスト印刷楽譜を、
お見せしたそうです。
★私の推測ですが、バッハの 「 繰り返し 」 のところで、
先生は、ピッチカートを使われたのだと、思います。
先生の研究によりますと、バッハの時代も、ピッチカートは、
現在考えられている以上に、多用されていた、ということです。
ご自身の勉強、研究に基づいて演奏される、
その信念に敬意を表したいと、思います。
★先日の「 第 3回平均律アナリーゼ講座 」 で、
参加者の方と、お話したのですが、
ご自身で勉強して、自分なりの表現で、バッハを 演奏したとき、
「 その弾き方は、おかしい。どの楽譜にそう書いてあるの!!!」 と、
「 先生 」 から、批判されたそうです。
「 “ 権威 ” のある楽譜に書いてあること以外は、してはいけない 」
という考え方は、本当の意味で ≪ 権威 ≫ であるバッハとその音楽、
その世界 から、最もほど遠く、バッハを否定してしまうものです。
★演奏者が、真摯に追求した表現であれば、そのすべてが、
第一級の芸術作品、演奏になりうる、というのが、
バッハの音楽の真髄です。
それほどバッハの音楽は、豊穣で、おおらかな世界なのです。
★この 「 チェロ組曲 3番 」と「 冬の庭 」などを含む、
私の新しい CDが、4月末に発表予定です。
皆さまに、先生の芸術を是非、聴いていただきたいと思います。
( 演奏会のプログラム )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲