■バッハの考えた「教育」とは、きょうは第3回平均律アナリーゼ講座でした■
10.3.30 中村洋子
★今朝は、春とは思えないほど凍てつき、
庭の水鉢に、薄氷が張っているを見つけました。
ほころび始めた桜も、ここで中休み、
満開までゆっくりと、楽しめそうです。
★近ごろの東京は、事故や事件で、
電車が時間通りに動くのは、稀になってしまいました。
講座に、遅れるようなことがあってはいけないと、
少し早めに、家を出ました。
カワイ表参道「 パウゼ 」の近くで、お茶をしようとしましたところ、
参加者のお一人と、偶然にお会いし、少しお話しました。
★最近、ピアノを習うお子さんと保護者の意識が、
以前とは異なっているように、感じる、とおっしゃっていました。
私たちの世代ですと、ピアノを通して、
音楽の美しさ、芸術に触れてもらいたいと、
親が「 多少、無理をしてでも 」ピアノを、購入したものでした。
★その方によりますと、「 ピアノを習う 」という、
心の糧になること、つまり、広い意味での美しさ、芸術を求めること、
そのための「 教育費 」に、お金をかけるという意識が、
急速に、失われつつあるそうです。
★私の考えは、お金で買えるものは、いずれ、消えていきます。
しかし、心に住み着いた「バッハの音楽」は、
どんな状況でも、失われることがなく、永遠の「 宝物 」です。
★バッハの考えていた「 教育 」は、
知識を詰め込む、学校や塾での「 教育 」とは、程遠いものです。
★序文に、1720年の日付がある
「 フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小品集 」 に、
収録されている 「 平均律クラヴィーア曲集 1巻 3番 前奏曲 」 の、
第一稿の 1小節目の上声は、「 ソ ド ミ ド ミ ド 」
( Gis Cis Eis Cis Eis Cis ) から、始まっています。
これは、 1番 ハ長調の 前奏曲 1小節目から、紡ぎだされたものです。
★長男の教育用に作曲された「 3番 前奏曲 」が、2年後の、
1722年の日付をもつ 「 平均律クラヴィーア曲集 」 では、1小節目の上声を、
皆さまご存知のように、「 ミ ド ソ ド ミ ド 」
( Eis Cis Gis Cis Eis Cis ) と、変わっています。
推敲した結果のことです。
★その 2年間、息子への教育を通して、バッハが自分の作品を見つめ、
より深めた結果として、1番前奏曲の「ソドミ」の逆行形が採用されました。
なぜ、そのようにしたのでしょうか?
それについて、きょうの講座では、詳しくお話しました。
★皆様も、是非、「 フリーデマンのための小曲集 」を、
「 平均律 」 と比較し、何ヶ所かあります相違点に目を凝らし、
弾き比べてください。
★「 平均律 」 の素晴らしさを、いまさらながら、
より強く、実感できることでしょう。
バッハの才能、天才がいかに卓越していたか、
如実に、感じることができるでしょう。
★バッハの「 パルティータ 」や「 フランス風序曲 」、
「 イタリア協奏曲 」、「 ゴルトベルク変奏曲 」などの傑作群が、
「 クラヴィーア・ユーブング 」 というタイトルのなかに、含まれています。
「 ユーブング 」 は、英語で「 プラクティス 」、つまり「 練習 」です。
★バッハが、これらの曲を「 教育 」を目的として、
書いていた、ということです。
彼の考えていた 「 教育 」 とは、真剣に音楽に取り組み、美しさと喜びを、
分かち合うこと、であったと、私は思います。
★そんなことを、きょうは考えていましたが、
「 パウゼ 」 は、参加されました皆さまで、満員でした。
そんな私の考えに、皆さまも共感してくださったことでしょう。
★アンケートによりますと、「 バッハの音楽は宝石のようですね 」 という、
「 宝石 」 という言葉を、偶然にも、
何人もの方が、お使いになっていました。
★お金では決して買うことのできない 「 宝石 」 なのです。
★次回、第4回講座は、4月28日(水)、
「 平均律 第4番 前奏曲とフーガ 」 です。
ベートーヴェンの 「 月光ソナタ 」との、
密接な関連についても、お話いたします。
(フキノトウ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
10.3.30 中村洋子
★今朝は、春とは思えないほど凍てつき、
庭の水鉢に、薄氷が張っているを見つけました。
ほころび始めた桜も、ここで中休み、
満開までゆっくりと、楽しめそうです。
★近ごろの東京は、事故や事件で、
電車が時間通りに動くのは、稀になってしまいました。
講座に、遅れるようなことがあってはいけないと、
少し早めに、家を出ました。
カワイ表参道「 パウゼ 」の近くで、お茶をしようとしましたところ、
参加者のお一人と、偶然にお会いし、少しお話しました。
★最近、ピアノを習うお子さんと保護者の意識が、
以前とは異なっているように、感じる、とおっしゃっていました。
私たちの世代ですと、ピアノを通して、
音楽の美しさ、芸術に触れてもらいたいと、
親が「 多少、無理をしてでも 」ピアノを、購入したものでした。
★その方によりますと、「 ピアノを習う 」という、
心の糧になること、つまり、広い意味での美しさ、芸術を求めること、
そのための「 教育費 」に、お金をかけるという意識が、
急速に、失われつつあるそうです。
★私の考えは、お金で買えるものは、いずれ、消えていきます。
しかし、心に住み着いた「バッハの音楽」は、
どんな状況でも、失われることがなく、永遠の「 宝物 」です。
★バッハの考えていた「 教育 」は、
知識を詰め込む、学校や塾での「 教育 」とは、程遠いものです。
★序文に、1720年の日付がある
「 フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小品集 」 に、
収録されている 「 平均律クラヴィーア曲集 1巻 3番 前奏曲 」 の、
第一稿の 1小節目の上声は、「 ソ ド ミ ド ミ ド 」
( Gis Cis Eis Cis Eis Cis ) から、始まっています。
これは、 1番 ハ長調の 前奏曲 1小節目から、紡ぎだされたものです。
★長男の教育用に作曲された「 3番 前奏曲 」が、2年後の、
1722年の日付をもつ 「 平均律クラヴィーア曲集 」 では、1小節目の上声を、
皆さまご存知のように、「 ミ ド ソ ド ミ ド 」
( Eis Cis Gis Cis Eis Cis ) と、変わっています。
推敲した結果のことです。
★その 2年間、息子への教育を通して、バッハが自分の作品を見つめ、
より深めた結果として、1番前奏曲の「ソドミ」の逆行形が採用されました。
なぜ、そのようにしたのでしょうか?
それについて、きょうの講座では、詳しくお話しました。
★皆様も、是非、「 フリーデマンのための小曲集 」を、
「 平均律 」 と比較し、何ヶ所かあります相違点に目を凝らし、
弾き比べてください。
★「 平均律 」 の素晴らしさを、いまさらながら、
より強く、実感できることでしょう。
バッハの才能、天才がいかに卓越していたか、
如実に、感じることができるでしょう。
★バッハの「 パルティータ 」や「 フランス風序曲 」、
「 イタリア協奏曲 」、「 ゴルトベルク変奏曲 」などの傑作群が、
「 クラヴィーア・ユーブング 」 というタイトルのなかに、含まれています。
「 ユーブング 」 は、英語で「 プラクティス 」、つまり「 練習 」です。
★バッハが、これらの曲を「 教育 」を目的として、
書いていた、ということです。
彼の考えていた 「 教育 」 とは、真剣に音楽に取り組み、美しさと喜びを、
分かち合うこと、であったと、私は思います。
★そんなことを、きょうは考えていましたが、
「 パウゼ 」 は、参加されました皆さまで、満員でした。
そんな私の考えに、皆さまも共感してくださったことでしょう。
★アンケートによりますと、「 バッハの音楽は宝石のようですね 」 という、
「 宝石 」 という言葉を、偶然にも、
何人もの方が、お使いになっていました。
★お金では決して買うことのできない 「 宝石 」 なのです。
★次回、第4回講座は、4月28日(水)、
「 平均律 第4番 前奏曲とフーガ 」 です。
ベートーヴェンの 「 月光ソナタ 」との、
密接な関連についても、お話いたします。
(フキノトウ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲