■ シューベルト歌曲集「Winterreise Op.89 冬の旅」のアナリーゼ ■
09.1.10 中村洋子
★カワイ表参道での、月2回の「アナリーゼ教室」は、
ピアニストだけでなく、管楽器奏者、声楽家などの
皆さまともご一緒に、親密な雰囲気で、
参加者の方の取り組んでいらっしゃる曲を、
中心にして、進めております。
★ことしに入ってからは、シューベルト(1797~1828)の
「Winterreise Op.89 冬の旅」の全曲アナリーゼ、
という「プロジェクト」を、始めました。
毎回、他の曲のアナリーゼに加え、
少しずつ、「冬の旅」を、勉強していきます。
ピアニストの参加者の方が、多いのですが、
「シューベルトのピアノソナタ」に、取り組むには、
「歌曲」と「室内楽」の理解が、不可欠だからです。
★室内楽につきましては、以前、このブログで書きました
「弦楽五重奏曲 Op.163 作曲は1828年(?)」を、
徹底的に勉強しますと、「後期のピアノソナタ」を弾くうえで、
奏法、形式、音楽的色彩などが、大変に勉強になります。
シューベルトピアノ作品の、室内楽的書式(エクリテュール)を、
どう演奏したらよいかが、分かるからです。
★「冬の旅」(1827年作曲)は、あまりに名曲すぎ、
孤立した存在と、みなされ勝ちで、
この曲集が、歴史的にみて、“なにを源流とし”、
“後世にどんな影響を与えたか”、については、
あまり、意識されていないようです。
★私が注目しましたのは、この曲集が、
なぜ、24曲から成っているのか、ということです。
バッハの平均律クラヴィーア曲集は、1巻、2巻とも、
24曲の「前奏曲」と「フーガ」から構成されています。
ショパンの「前奏曲集」も、24曲から成っています。
★ショパンが、バッハとシューベルトに傾倒していたことは、
前回のブログに、書きました。
「冬の旅」も、24曲を束ねるモティーフの展開と、
大きな構想が、あるのではないかと思い、
楽譜を、じっくり読みましたら、
まさに、その通りに作曲されていることに、気付きました。
★私は昨年、ソプラノとギターのための歌曲集
「日本の十二ヶ月」という、12曲から成る曲集を、
CDで発表しました。
この曲を書いたからこそ、
見えてくるもの、読めるものがあります。
★死間際のシューベルトが、最後まで、
推敲の手を止めなかったのが、「冬の旅」です。
そこで、どういうポイントついて、最後まで手を入れていたか、
シューベルトの意図が、分かる気がします。
★Erste Abteilung 第1部 Ⅰ.Gute Nacht おやすみ は、
6小節の前奏から、始まります。
ベートーヴェンのピアノソナタは、前奏がある場合、
その前奏に、その曲のすべてが、凝縮されています。
これは、ショパンの「バラード1番」でも、同じことがいえます。
この「冬の旅」の前奏も、実はそうなのです。
★この6小節をもとに、モティーフの縮小、拡大、
反行、逆行などが、縦横無尽に、詩の内容に呼応して、
見事な、対位法音楽を成しています。
ヨーロッパの往年のマエストロのCDで、「冬の旅」を、
聴きましたら、シューベルトの意図どおりの、
ポリフォニーを構築して、さりげなく演奏されていました。
シューベルト晩年の、一番大きな特徴である
「対位法による作曲」という手法が、駆使されているのです。
★この曲集は、ミュラーの詩に作曲されています。
ミュラーの詩は、4番までありますが、
シューベルトは、前奏の後で、
1番、2番の詩を、同じメロディーと伴奏で、歌わせるため、
「反復記号」を使っています。
しかし、3番と4番は、異なるメロディーと伴奏にしています。
★偶然の一致かもしれませんが、ピアノソナタの提示部を、
反復記号で、2度演奏することと、似ています。
リヒテルが、≪「ピアノソナタ」の提示部の反復は、必ずする≫と、
強調していることにも、通じます。
反復記号とはいえ、「同じことを2回、演奏する」のではないのです。
★また、シューベルト自筆譜の速度表示には、
in gehender Bewegung(歩くような動きで)、も併記されています。
ピアノの8分音符の動きが、詩の主人公であるこの青年の、
歩みを、象徴しています。
私が聴きました、日本人のピアノ伴奏のCDは、立派な演奏ですが、
音の刻み方が重く、お能や日本舞踊の、
「摺り足」のように、聞こえました。
摺り足は、日本の芸能の基本で、重心がおそらく、ヨーロッパの
踊りよりも、低いところにあると思います。
ただし、冬の旅は、ドイツの名もなく、貧しいナイーブな青年の
歩き方ですので、ベタベタと弾きますと、
肥った中年の金満家の歩みのように、聞こえてしまいます。
★さらに、2小節目のアクセントも、
劇的に、演奏されていましたが、
シューベルトのアクセントは、時には、ディミヌエンド
(その音が最も強く、後続の音は弱い)記号と、
よく似ていることがあり、どちらにしても「大切に弾く」、
という意味に捉えることが妥当です。
乱暴に叩きつける、ということでは、決してありません。
この場合は、明らかに、アクセントではあるのですが、
失意の青年をイメージすれば、あまり大袈裟に弾くのは、
考えものです。
★「冬の旅」を、劇的にオペラのように解釈する、
という動きが、あるようです。
シューベルト音楽の、懐の深さを考えれば、
そのような解釈も、可能でしょう。
しかし、バッハの「マタイ受難曲」が、決して、
劇的なオペラではないのと、同様に、
勉強不足な、シューベルトの本質を理解していない、
試みではないでしょうか。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.1.10 中村洋子
★カワイ表参道での、月2回の「アナリーゼ教室」は、
ピアニストだけでなく、管楽器奏者、声楽家などの
皆さまともご一緒に、親密な雰囲気で、
参加者の方の取り組んでいらっしゃる曲を、
中心にして、進めております。
★ことしに入ってからは、シューベルト(1797~1828)の
「Winterreise Op.89 冬の旅」の全曲アナリーゼ、
という「プロジェクト」を、始めました。
毎回、他の曲のアナリーゼに加え、
少しずつ、「冬の旅」を、勉強していきます。
ピアニストの参加者の方が、多いのですが、
「シューベルトのピアノソナタ」に、取り組むには、
「歌曲」と「室内楽」の理解が、不可欠だからです。
★室内楽につきましては、以前、このブログで書きました
「弦楽五重奏曲 Op.163 作曲は1828年(?)」を、
徹底的に勉強しますと、「後期のピアノソナタ」を弾くうえで、
奏法、形式、音楽的色彩などが、大変に勉強になります。
シューベルトピアノ作品の、室内楽的書式(エクリテュール)を、
どう演奏したらよいかが、分かるからです。
★「冬の旅」(1827年作曲)は、あまりに名曲すぎ、
孤立した存在と、みなされ勝ちで、
この曲集が、歴史的にみて、“なにを源流とし”、
“後世にどんな影響を与えたか”、については、
あまり、意識されていないようです。
★私が注目しましたのは、この曲集が、
なぜ、24曲から成っているのか、ということです。
バッハの平均律クラヴィーア曲集は、1巻、2巻とも、
24曲の「前奏曲」と「フーガ」から構成されています。
ショパンの「前奏曲集」も、24曲から成っています。
★ショパンが、バッハとシューベルトに傾倒していたことは、
前回のブログに、書きました。
「冬の旅」も、24曲を束ねるモティーフの展開と、
大きな構想が、あるのではないかと思い、
楽譜を、じっくり読みましたら、
まさに、その通りに作曲されていることに、気付きました。
★私は昨年、ソプラノとギターのための歌曲集
「日本の十二ヶ月」という、12曲から成る曲集を、
CDで発表しました。
この曲を書いたからこそ、
見えてくるもの、読めるものがあります。
★死間際のシューベルトが、最後まで、
推敲の手を止めなかったのが、「冬の旅」です。
そこで、どういうポイントついて、最後まで手を入れていたか、
シューベルトの意図が、分かる気がします。
★Erste Abteilung 第1部 Ⅰ.Gute Nacht おやすみ は、
6小節の前奏から、始まります。
ベートーヴェンのピアノソナタは、前奏がある場合、
その前奏に、その曲のすべてが、凝縮されています。
これは、ショパンの「バラード1番」でも、同じことがいえます。
この「冬の旅」の前奏も、実はそうなのです。
★この6小節をもとに、モティーフの縮小、拡大、
反行、逆行などが、縦横無尽に、詩の内容に呼応して、
見事な、対位法音楽を成しています。
ヨーロッパの往年のマエストロのCDで、「冬の旅」を、
聴きましたら、シューベルトの意図どおりの、
ポリフォニーを構築して、さりげなく演奏されていました。
シューベルト晩年の、一番大きな特徴である
「対位法による作曲」という手法が、駆使されているのです。
★この曲集は、ミュラーの詩に作曲されています。
ミュラーの詩は、4番までありますが、
シューベルトは、前奏の後で、
1番、2番の詩を、同じメロディーと伴奏で、歌わせるため、
「反復記号」を使っています。
しかし、3番と4番は、異なるメロディーと伴奏にしています。
★偶然の一致かもしれませんが、ピアノソナタの提示部を、
反復記号で、2度演奏することと、似ています。
リヒテルが、≪「ピアノソナタ」の提示部の反復は、必ずする≫と、
強調していることにも、通じます。
反復記号とはいえ、「同じことを2回、演奏する」のではないのです。
★また、シューベルト自筆譜の速度表示には、
in gehender Bewegung(歩くような動きで)、も併記されています。
ピアノの8分音符の動きが、詩の主人公であるこの青年の、
歩みを、象徴しています。
私が聴きました、日本人のピアノ伴奏のCDは、立派な演奏ですが、
音の刻み方が重く、お能や日本舞踊の、
「摺り足」のように、聞こえました。
摺り足は、日本の芸能の基本で、重心がおそらく、ヨーロッパの
踊りよりも、低いところにあると思います。
ただし、冬の旅は、ドイツの名もなく、貧しいナイーブな青年の
歩き方ですので、ベタベタと弾きますと、
肥った中年の金満家の歩みのように、聞こえてしまいます。
★さらに、2小節目のアクセントも、
劇的に、演奏されていましたが、
シューベルトのアクセントは、時には、ディミヌエンド
(その音が最も強く、後続の音は弱い)記号と、
よく似ていることがあり、どちらにしても「大切に弾く」、
という意味に捉えることが妥当です。
乱暴に叩きつける、ということでは、決してありません。
この場合は、明らかに、アクセントではあるのですが、
失意の青年をイメージすれば、あまり大袈裟に弾くのは、
考えものです。
★「冬の旅」を、劇的にオペラのように解釈する、
という動きが、あるようです。
シューベルト音楽の、懐の深さを考えれば、
そのような解釈も、可能でしょう。
しかし、バッハの「マタイ受難曲」が、決して、
劇的なオペラではないのと、同様に、
勉強不足な、シューベルトの本質を理解していない、
試みではないでしょうか。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲