音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■変化に乏しく単純そうな2番Preludeは、複雑で絢爛たる対位法の曲■

2016-02-22 00:00:07 | ■私のアナリーゼ講座■

■変化に乏しく単純そうな2番Preludeは、複雑で絢爛たる対位法の曲■
   ~ KAWAI 名古屋平均律第1巻2番アナリーゼ講座~
             2016.2 . 22     中村洋子

 

 

KAWAI 名古屋で2月24日(水)、「Wohltemperirte Clavier Ⅰ

平均律クラヴィーア曲集 第1巻」 2番のアナリーゼ講座を開きます。

これまで、東京と横浜で平均律第1巻全曲のアナリーゼ講座を終えましたが、

東京での開催は、Bach の 「Manuscript Autograph  自筆譜 」を

わくわくしながら手で書き写しました。


★横浜では、 Chopinが所蔵していました平均律の楽譜も参考にしました。

この楽譜には、 Chopinの手になる貴重な書き込みが記されています。

さらに、Bartók Béla バルトーク(1881-1945)校訂版も、参照しました。

これにより、 Bachの申し子であるChopinとBartókが、

Bachをどう分析していたかが、分かり、

平均律に新しい光を、当てることができました。


名古屋の講座では、平均律の各曲が全48曲の中で、

どういうポジションにあるのか、具体的にご説明いします。

さらに、Bachは何故、平均律第1巻を書き終えた後、第2巻を書いたか?

人類の宝であるこの曲集を、Bachがどういう意図で編んでいったのか?

についても、触れてまいります。


大切なのは、それらを知ることにより、平均律を弾く楽しみ、

聴いて味わう楽しみ、つまり、音楽の喜びを探求していくことにあるのです。

その為には、一にも二にも、

Bachの自筆譜を、丹念に学んでいくしかないでしょう。


★今回、「平均律第1巻2番ハ短調 c-Moll」 を学ぶに当たり、

“先達”は、 Julius Röntgen ユリウス・レントゲン(1855-1932)

先生に、“お願い”いたします。


Röntgen版のフィンガリングを読み解きながら、

Bach自筆譜を見ますと、発見に次ぐ発見の、連続です。

今まで、私の目にはなんと多くのウロコがくっついていたのか・・・

という気がします。

そのため、もう一度、Bach自筆譜を書き写しました。

 

 


★既に講座案内でお知らせしていますように、

平均律1巻は基本的に、1ページ6段、左右見開きの紙に記されています。

2番Preludeは、1番Fugaが書き終わった後直ぐ、そのまま書き始めています。

具体的には、右ページの4段目から、始まっています。

これは変則的です。


★しかし、陳腐な学者が毎度書いていますように、

“Bachは紙を惜しんだ”、のではありません。

この Preludeは次の紙の右ページ4段目初めで、終わっているのです。

そして、その後をBachは余白として放置、何も書いていません。

この物理的側面からでも、“Bachは紙を惜しんだ”説は不成立でしょう。


★さらに、2番 Preludeは、最初のページが10小節目で終わりますが、

その下の小さな余白に、Bachは≪Volti Presto すぐにページをめくる≫

と、手で書いています。

 

 

ごく普通に、この Preludeを左ページ冒頭から書いていますと、

見開き左右2ページ分に、ほぼすっぽり収まる長さです。

つまり、わざわざ≪Volti Presto≫と書く必要もないでしょう。


★演奏者にとって、譜めくりがないことは大変に有り難いことです。

通常は、それを優先させて書くものです。


★では、Bachはなぜあえて通常の書き方を無視し、

1
番 Fuga のすぐ後から、書き始めたのでしょうか。

そのレイアウトにより、作曲の意図を知って欲しいということを、

演奏者の便利さよりも、優先させたのです。

親切なBach先生は、噛んで含めるように

≪2番 Preludeは、1番 Fugaが発展して生まれたんだよ≫と、

演奏者に知らせているのです。


★Bachがお弟子さんや息子たちに、二言三言指示しますと、

彼らはきっと直ちに、作曲の意図を譜面のレイアウトからどう読み取るか、

分かったことでしょう。

それが、演奏法にも直結していると言えるのです。


★講座では、この読み取り方をお話し、ご自分で“Bachの宝”を

発掘できるようご説明いたします。

 

 


★さらに、Röntgen 版の素晴らしい Fingering により、

一見すると、短く変化に乏しい単純な曲に見えるこの2番 Preludeが、

複雑で絢爛たる counterpoint 対位法で構築されていることが、

分かってきます。

例えば、1小節目上声に以下のようなFingeringが付けられています。

 

 


★大方のピアノの先生方は、Fingeringがなくてもこれに近い指使いで

無意識に、弾かれると思います。

1拍目の「c² es¹ d¹ es¹」にある二つの「es¹」に対し、Röntgenは、

最初の「es¹」に「2」、二つ目の「es¹」に「3」の指を指定しています。


★わざわざ敢えて書く必要のない、当たり前の指使いを

書くということは、それにより、

二つの「es¹」が非常に重要な音であることを、示しています。

3拍目も、1拍目の反復ですから、これまた、書く必要のないのに、

丁寧に、最初の「es¹」に「2」、次の「es¹」に「3」指を記しています。


★これにより分かることは、

 

 


切なく追い立てられ、何かが差し迫ってくるような気持にさせる旋律、

それが、内声に浮かび上がってくるのです。


★Röntgen はさらに、2拍目の「c¹ es¹ d¹ es¹」の3、4番目の音に、

「1」と「2」の指を指定しています。

4拍目も同様に「c¹ es¹ d¹ es¹」ですが、

ここも「1」、「2」と書いています。


★「d¹ es¹」の motif がどれだけ重要か、よく覚えておいて欲しい、

というRöntgenの“指令”なのです。

このメロディーはどこかで聴き覚えがありませんか?

そうです、Mozart の「第40番ト短調シンフォニー」の冒頭に出現する

「es² d² d²」に、つながっていくのです。

 

 


★さらに、1小節目の左手下声に応用して弾きますと、

この1小節目がどれだけ複雑華麗で、

Bachのオーケストラ曲すら想像させる曲であるかが、

分かってきます。

あたかも、湖の底に沈んでいだ宝物が、少しずつ湖面に浮上し、

その美しさを目の当たりにして、息を呑むような感動です。


この偉大な曲を “指使いの練習曲” としか、

理解できない方もいらっしゃるようです。

和声や counterpoint 対位法 の能力欠如を指摘するのみならず、

その美しさを感じ取れない、心の貧しさに憐みすら感じます。

 

平均律での和声、対位法につきましては、私の著書

≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫で、

詳しく説明しています。

 

 

 

 

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