■ラフマニノフ 「 鐘 」 の源泉は、何処から来ているのか?■
10.3.12 中村洋子 Yoko Nakamura
★フィギュアの浅田真央さんの演技について、
私の感想を書きましたところ、思いもかけない大勢の皆さまが、
このブログを、訪問されました。
★音楽を、本当に愛していらっしゃる方も、
たくさん、いらっしゃるようです。
ラフマニノフの、「 鐘 」 という曲について、
興味を、お持ちのようですので、
「 鐘 」 について、少しご説明いたします。
★セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)は、
ロシアに生まれ、米国・ロサンゼルスで没しました。
「 鐘 」 は、ラフマニノフ、19歳の作品。
自分で、「 鐘 」 と命名したのではありません。
「 Morceaux de fantasie 」Op.3 ( 幻想小曲集、1892作曲 )の、
二番目の曲「 Prelude( 前奏曲 )」が、この「 鐘 」 です。
一曲目は、「 Elegie( 哀歌 ) 」、
三曲目は「 Polichinelle( 道化の )」・・・です。
★「 鐘 」 というニックネームがつくのは、
それだけ、人口に膾炙した曲である、といえます。
しかし、ショパンの「 練習曲集 」 Op.10 につけられた、
「 革命 」 や 「 黒鍵 」、「 別れの曲 」 などの愛称も、
ショパンの音楽的内容とは、ほとんど、無関係であるのと同様、
この、ラフマニノフ Op.3 No.2の 「 前奏曲 」 を、
ことさら 「 鐘 」 という言葉のイメージと、
関連させて聴く必要は、全くありません。
「 幻想小品集 」 の名のとおり、聴く人は、
ご自分の幻想を羽ばたかせて、自由に聴くべきです。
★ラフマニノフ自身、求められるままに、
この曲を、幾度となく演奏したがために、
嫌悪感を憶えるほどだった、と伝えられています。
ごく初期の作品ですが、後年の様式や、モティーフのすべてが、
含まれおり、典型的な“ ラフマニノフ・トーン ”によって、
作曲されてはいますが、
ロシア半音階を含む、主要モティーフ
( 主題とまでは成長していない )に、こだわりすぎ、
単調さは、否めません。
★つまり、何度も何度も、同じモティーフが出てきます。
逆に、それが、一般的には憶えやすく、親しみやすい曲となり、
その “ しつこさ ” が、“ ある雰囲気 ” を醸しだすことに、
成功している、ともいえます。
その “ ある雰囲気 ” については、“ 鐘 ” であったり、
“ 警鐘を鳴らしてる ”、“ 運命を宣告する ” など、
文学的に、いろいろに表現されています。
★この「 鐘 」 を聴いた時、誰もが “ ロシア的 ” と感じるのは、
≪ ロシアの半音階 ≫ と呼ばれる、半音階が使われているためです。
★≪ ロシアの半音階 ≫ とは、
≪ 保続音と、同時に奏される半音階 ≫ のことですが、
それを、説明するため、
まず、この「 鐘 」 の構造を、分析することから、始めます。
★冒頭 1、2小節 「 ラ、ソ♯、ド♯ 」 の、3つの音は、
ff( フォオルティッシモ )に、さらにアクセント記号まで
付けられた、強烈な音です。
ソ♯が、「 嬰ハ短調 」 の属音、ド♯が 「 嬰ハ短調 」 主音で、
まずは、 ≪ 短調 ≫ という調性を、強く、聴く人に植え付けます。
同時に、それ以降に出現する
≪ ロシアの半音階 ≫ との、違いを、
際立たせる効果も、もっています。
★そして、3小節目で、急に、ppp ( ピアニシッシモ ) となり、
ソプラノの「 ド♯、ミ、レ♯、レ、シ♯ 」 の、動きのなかに、
「 ミ、レ♯、レ 」 の、≪ ロシアの半音階 ≫ が、
はっきりと、聴き分けられます。
一方、バスについては、2小節目の全音符 「 ド♯ 」 が、
3小節目前半まで、タイで、結ばれています。
★3小節目の、上声は、バスの 「 ド♯ 」 を、無視した和声進行です。
「 無視 」 というのは、ド♯を和声音に含まない和声が、
置かれている、ということです。
このような持続音を、「 保続音=オルガン・ポイント
( オルゲル・プンクト )」 と、いいます。
パイプオルガンで、右手と左手で奏される鍵盤の音を、無視し、
足鍵盤で、特定の音が長く奏されている、というイメージです。
★このように、≪ 保続音と同時に奏される半音階 ≫ を、
≪ ロシアの半音階 ≫ と、称することが、あります。
その保続音に、ロシアの鐘の印象を重ね合わせたのが、
この 「 前奏曲 」 です。
★人々のさまざまな生活を、さまざまな和音に譬えますと、
その生活( 和音 ) に、覆いかぶさる一つの持続音、
つまり、「 保続音 」 を、“鐘の音”に、譬えることも可能でしょう。
このニックネーム 「 鐘 」 は、そのような連想から来たのかもしれません。
★このド♯の保続音は、4、5、6 小節、そして、引き続き、
10、11、12、13 小節でも奏され、第一部 14 小節の中、
なんと10 小節にわたって、重苦しくたち込めています。
★第二部 Agitato アジタート では、
冒頭15 小節目の低音部 ( バス ) に、
ド♯の全音符が、保続音として置かれています
その上のテノール部分に、「 ラ♯、ラ、ソ♯ 」 の半音階が、
流れています。
これも、≪ ロシアの半音階 ≫ と、いえるでしょう。
★次の16小節では、テノール部分が、「 シ、ラ♯、ラ、ソ♯ 」
と、さらに ≪ 長い半音階 ≫ となり、性格が強められていきます。
この16 小節目の、バスとテノールのパターンは、
19、20、28、29、32、33 小節でも使用され、
駆り立てられるような効果を、上げています。
楽譜をお持ちの方は、この部分のみを、ピアノで弾き、
ロシアの半音階を、味わってみてください。
★≪ ロシアの半音階 ≫ は、
ロシア人の作品に、よく見られる半音階ですが、
このような使い方を始めたのは、ロシア人ではなく、
実は、ドイツの大作曲家ブラームス( 1833~1897 ) です。
彼は、若い頃から、これを好んで使いました。
ブラームス50代の作品、ヴァイオリンソナタ第3 番( 1886~88 )の、
第一楽章でも、分かりやすく、見つけることができます。
★ラフマニノフが、「 鐘 」 を作曲したのが、1892 年。
案外、ブラームスを研究していたのかもしれません。
★3 月30 日に、カワイ表参道で開催します、
第3 回「 バッハ平均律クラヴィーア曲集アナリーゼ講座 」 は、
「 第1 巻 3番 嬰ハ長調 」の「 前奏曲 」 を、
詳しく見たうえで、ショパンが、それを、どう吸収、咀嚼し、
彼の前奏曲 「 雨だれ 」 を、作曲したか、詳しくご説明いたします。
バッハ、ショパンを勉強いたしませんと、
本当のラフマニノフを、弾くことができず、
素人受けする効果だけを、狙った演奏になり勝ちです。
ブラームスが生涯にわたって、研究し、
滋養としたのも、もちろんバッハでした。
私の著書です、バッハ、ショパン、ラフマニノフなど大作曲家を一層、
深く、理解できるようになると思います。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20160203
(サンシュユの花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
興味深く読ませていただきました。
この曲は、CDで聞いた時ピアノの曲でしたけど好きだったので真央ちゃんが、この曲で演技をすると聞いた時はどんなふうになるのだろうとワクワクしていました。でも、実際生で見た時演技よりも「鐘」の重い音楽にショックを受けました。この曲ってこんなに重い曲なのかと。
真央ちゃんも言っていましたがじわじわくる曲でしたし、私は恐ろしさも感じました。(なにかが迫ってくるような)
表現するのがすごく難しい曲だと思います。
でも、真央ちゃんを通してですがオーケストラの曲もいいものですね。普通に好きだったのが大好きになりました。
それに作曲家のことを知るとまた違った曲に聞こえるから不思議です。
はじめまして。
「 Morceaux de fantasie 」Op.3、Preludeについてのご高説頂き心からお礼申し上げます。私も他聞に洩れず、浅田真央選手がフリープログラムで使用しなければ、この曲の奥の深さを感じないまま人生を送っていたように思います。また、こちらで知り得るまでは、ラフマニノフのこの曲を『鐘』、『当時のロシアの社会的背景』などを想い描きながら浅田選手の演技を見ておりました。コスチュームにしても炎に焼き尽くされた灰色の町を想像しながら演技に没頭しておりました。ですが、来週末にある世界選手権では、固定観念を除き、少し違った見方で浅田選手の演技の本質を観ることができそうです。浅田選手本人が、この曲で表現している本質つ的な部分(コアな部分)を、新たに感じ、新たな感動を得られるかもしれません。心から感謝致します。
曲の技法に関しても、『保続音と、同時に奏される半音階』という事は意識せずに聞いておりましたが、この曲は、繰返し聴く度に新たな発見がある作品のように思っております。浅田選手が使用しているのはオーケストラですが、以前、NHKでピアノ曲を聴く機会があったのですが、強い衝撃がありました。恐らく、中村先生が仰る『強烈なff』であり、『急にppp』となる部分の満ち引きがより明確に打ち出されていたからかもしれません。
私は音楽にとても疎いですが、浅田選手を通じて音楽に触れる事ができる楽しみを同時に得ており、中村先生がこのように、詳細に解釈して下さる事がとても嬉しく、未知であった知識を得られる事を有難く感じた次第です。また、中村先生の記事を拝読するにつけ、浅田選手が演じる音楽のみならず、音楽に関して『知識を得た上で、また違った角度から聴いてみる』音楽に触れる楽しさを知った次第です。幅が広がりました事も、合せてお礼申し上げます。
>ソプラノの「 ド♯、ミ、レ♯、レ、シ♯ 」 の、動きのなかに、「 ミ、レ♯、レ 」 の、≪ ロシアの半音階 ≫ が、はっきりと、聴き分けられます。
「ロシアやブラームスの半音階」については不勉強なので知りませんでしたが、ロックの世界でも半音階下降は使われましたよ。例えば、これ↓です。
http://www.youtube.com/watch?v=auDv6cf2PBM&feature=related
これからもフィギュアスケートで使われている音楽についていろいろ教えてくださいね。
今、フィギュアは、本物の音楽を求める人たちの格好の入門扉にもなっているようですから。