■「ソプラノとギターのための12のヴォカリーズ」が完成■
08. 4. 11
★5月に、ソプラノ・五十嵐郁子さん、ギター・斎藤明子さんが
録音してくださいます「12のヴォカリーズ」の作曲が、完成しました。
題名の続きです。
11月は「初霜」、12月「ゆずり葉」です。
いよいよ、来週から練習に入ります。
この曲集は、ギター版のほか、「ソプラノとピアノ版」、
歌を伴わない「弦楽五重奏」版と、
3種類のヴァージョンを作る予定です。
★ゲヴァントハウス交響楽団の奏者の方に、
「1月」から「3月」をお見せしましたところ、
「フルートとピアノ、ヴァイオリンとピアノにも最適」
という感想を、いただきました。
いろいろな、演奏形態で、楽しんでいただきたいです。
★この5月には、ドイツ北部の「ハイデ」という町で、
私の「TRANSIENT NIGHT IN SUMMER」という曲が、
ベッチャー先生を交え、12人のチェリストにより、初演されます。
★ハイデは、ブラームスのお父さんの出身地で、
三代にわたって、そこに居住していました。
ブラームス自身は、ハンブルクで生まれましたが、
ブラームス一族は、ハイデ周辺に散らばっていました。
日本人のよく知っている軍港「キール」にも近くです。
★キール大学でかつて、自然人類学をお教えになっていた
日本人の先生に、お伺いしましたところ、
「ハイデは静かな街ですが、ゲーテもそこに旅し、
詩人ハイネも、近くを訪れています。詩情豊かな街です」
と、教えてくださいました。
ハイデは、ドイツ語で「荒地」という意味です。
ドイツの「荒地」が、「ブラームス」という、
なんという「豊穣な音楽」を、華咲かせたのでしょう。
そんな訳で、ブログは途切れがちです・・・。
★最近、作曲の合い間に聴きましたCDは、
チャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」。
フルトヴェングラー指揮のベルリンフィルハーモニー。
1938年の録音。( NAXOS HISTORICAL 8.110865 )
この曲は名曲でありながら、めったにいい演奏に巡り会えません。
フルトヴェングラーの演奏は、まさに、
“チャイコフスキーが欲していた演奏”と、表現するしかありません。
この演奏を聴いて初めて、曲の真価が理解できる、ともいえます。
★このCDのリマスタリングは、Mark Obert-Thorn。
音質面で、彼に負うところは多大なものがあります。
彼は、one of the world's most respected trasfer artist/engineers と
解説に書かれています。
(この添付の解説も日本のCDのそれと異なり、素晴らしい)
なぜ、この指揮が卓越しているか詳しい分析は、録音終了後。
★4月13日(日)には、ベッチャー先生が、ドイツ・マンハイムで、
私の「チェロ組曲第1番」を、全曲初演していただきます。
★久しぶりに、「チェロ組曲第1番」の楽譜を眺めて見ました。
大きな発見がありました。
≪楽譜のなかに、先生の演奏されたすべてが書かれていた≫。
逆に表現しますと、
≪私の意図したこと以外は、なにも、加えられていなかった≫
ということでもあります。
あのマエストロが、楽譜から汲み取ったもの以外は
なにも、演奏に付け加えていない、ということです。
★これは、フルトヴェングラーの「悲愴」にもいえます。
作曲家が意図した以外の音や、表現をたくさん加えた
恣意的な演奏が、現代は蔓延しています。
★しかし、シューマンやドビュッシーの評論を読みますと、
これはいつの時代も、作曲家が憤っていることなのです。
口幅ったいようですが、いつの時代も、
素晴らしい演奏は、ごくわずかしか存在せず、
多くの聴衆は、そうでない演奏に喝采を送るのです。
しかし、芸術として残っていくものは、
そういう演奏ではないでしょう。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
08. 4. 11
★5月に、ソプラノ・五十嵐郁子さん、ギター・斎藤明子さんが
録音してくださいます「12のヴォカリーズ」の作曲が、完成しました。
題名の続きです。
11月は「初霜」、12月「ゆずり葉」です。
いよいよ、来週から練習に入ります。
この曲集は、ギター版のほか、「ソプラノとピアノ版」、
歌を伴わない「弦楽五重奏」版と、
3種類のヴァージョンを作る予定です。
★ゲヴァントハウス交響楽団の奏者の方に、
「1月」から「3月」をお見せしましたところ、
「フルートとピアノ、ヴァイオリンとピアノにも最適」
という感想を、いただきました。
いろいろな、演奏形態で、楽しんでいただきたいです。
★この5月には、ドイツ北部の「ハイデ」という町で、
私の「TRANSIENT NIGHT IN SUMMER」という曲が、
ベッチャー先生を交え、12人のチェリストにより、初演されます。
★ハイデは、ブラームスのお父さんの出身地で、
三代にわたって、そこに居住していました。
ブラームス自身は、ハンブルクで生まれましたが、
ブラームス一族は、ハイデ周辺に散らばっていました。
日本人のよく知っている軍港「キール」にも近くです。
★キール大学でかつて、自然人類学をお教えになっていた
日本人の先生に、お伺いしましたところ、
「ハイデは静かな街ですが、ゲーテもそこに旅し、
詩人ハイネも、近くを訪れています。詩情豊かな街です」
と、教えてくださいました。
ハイデは、ドイツ語で「荒地」という意味です。
ドイツの「荒地」が、「ブラームス」という、
なんという「豊穣な音楽」を、華咲かせたのでしょう。
そんな訳で、ブログは途切れがちです・・・。
★最近、作曲の合い間に聴きましたCDは、
チャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」。
フルトヴェングラー指揮のベルリンフィルハーモニー。
1938年の録音。( NAXOS HISTORICAL 8.110865 )
この曲は名曲でありながら、めったにいい演奏に巡り会えません。
フルトヴェングラーの演奏は、まさに、
“チャイコフスキーが欲していた演奏”と、表現するしかありません。
この演奏を聴いて初めて、曲の真価が理解できる、ともいえます。
★このCDのリマスタリングは、Mark Obert-Thorn。
音質面で、彼に負うところは多大なものがあります。
彼は、one of the world's most respected trasfer artist/engineers と
解説に書かれています。
(この添付の解説も日本のCDのそれと異なり、素晴らしい)
なぜ、この指揮が卓越しているか詳しい分析は、録音終了後。
★4月13日(日)には、ベッチャー先生が、ドイツ・マンハイムで、
私の「チェロ組曲第1番」を、全曲初演していただきます。
★久しぶりに、「チェロ組曲第1番」の楽譜を眺めて見ました。
大きな発見がありました。
≪楽譜のなかに、先生の演奏されたすべてが書かれていた≫。
逆に表現しますと、
≪私の意図したこと以外は、なにも、加えられていなかった≫
ということでもあります。
あのマエストロが、楽譜から汲み取ったもの以外は
なにも、演奏に付け加えていない、ということです。
★これは、フルトヴェングラーの「悲愴」にもいえます。
作曲家が意図した以外の音や、表現をたくさん加えた
恣意的な演奏が、現代は蔓延しています。
★しかし、シューマンやドビュッシーの評論を読みますと、
これはいつの時代も、作曲家が憤っていることなのです。
口幅ったいようですが、いつの時代も、
素晴らしい演奏は、ごくわずかしか存在せず、
多くの聴衆は、そうでない演奏に喝采を送るのです。
しかし、芸術として残っていくものは、
そういう演奏ではないでしょう。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲