■Bach の自筆譜 ( London写本 ) から、ひしひしと伝わる作曲意図■
~5月21日に第 1回 「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻・アナリーゼ講座 」~
2013・5・18 中村洋子
(忍冬蔓)
★Bach 「 Wohltemperirte Clavier Ⅰ平均律クラヴィーア曲集第 1巻 」
全 24曲を、約 2年半かけて、皆さまと一緒に、勉強いたしました。
その後、
「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」、
「 Französische Suite フランス組曲 」、
「 Choral コラール 」 などの、アナリーゼ講座を経て、
いよいよ、5月21日に、Bach 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ
平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」 の、
Analyze アナリーゼ講座を始めます。
第1回は、1番 C-Dur prelude & fugue です。
★平均律クラヴィーア曲集 1巻は、
決定稿といえる、Bach の自筆譜が存在します。
しかし、平均律クラヴィーア曲集第 2巻の最終稿は、
残っていません。
自筆譜として唯一、現存するのが ≪ ロンドン写本 ≫
( London original manuscript 1739~1742
The British Library 所蔵 ) です。
現在、広く流布している平均律 2巻は、
Bach の女婿 Johann Christoph Altnickol
ヨハン・クリストフ・アルトニコル (1719~1759) が、1744年に、
Bach のオリジナルを写したものです。
≪ London写本 ≫ には、アンナ・マグダレーナAnna Magdalena Bach
(1701~ 1760) の写本も、含まれています。
(鈴蘭)
★年代的には、 ≪ Altnickol アルトニコル版 ≫ が、
Bach の最終的な考えに、近いかもしれませんが、
Bach 自身の手による ≪ London 写本 ≫ を見ますと、
圧倒的な迫力、即ち、
Bach が、力をどこに込めて作曲したか、それが如実に分かるような、
音符の大小、レイアウトなど、
作曲した時点での意図が、ひしひしと伝わってきます。
★第 2巻 1番 prelude の ≪ London 写本 ≫ と、
≪ Altnickol 版 ≫ とを比較しますと、
≪ London 写本 ≫ は、 ≪ Altnickol 版 ≫ の、
いわば “ 骨格 ” のようなものであることが、よく分かります。
このため、 ≪ London 写本 ≫ を勉強した後、
≪ Altnickol 版 ≫ で弾きますと、
大変に、分かりやすく、弾き易く感じることでしょう。
★ ≪ London 写本 ≫ では、12小節目 2拍目~19小節目まで、
完成されていた楽譜を、大きなバツ印で末梢し、
それを、そのまま残しています。
1番 prelude は、見開き 2ページ 7段で書かれており、
上記の末梢した部分は、1ページの 「 6、 7段目 」 にあります。
Bach は、書き直した後の新しい「 6、 7段目 」 を、
右の 2ページ目の 6、 7段目に書き込こみ、
prelude は、きれいに 2ページで収まっています。
(忍冬蔓)
★推敲前と推敲後の原稿を、これほど、明確に見ることができるのは、
珍しいことで、
後世の私たちにとって僥倖である、ともいえます。
その推敲前と推敲後の両者を、詳しく比較分析しますと、
≪ Bach が何故、平均律クラヴィーア曲集を 2巻まで書いたか ≫、
≪ どういう意図で、全体を作曲したのか ≫ という、
平均律クラヴィーア曲集全体の謎解きが、できるほど、
深い内容を、蔵しています。
興味が尽きません。
講座では、両者を弾き比べながら、詳しくご説明いたします。
(苧環)
★さらに、平均律クラヴィーア曲集 1巻、 2巻とも、
現存している Bach の自筆譜は、
上段が 「 ソプラノ記号 」 、下段が 「 バス記号 ( へ音記号 ) 」 で、
記譜されていますが、
この第 2巻 1番に限り、
上段が 「 ト音記号 」 、下段が 「 バス記号 ( へ音記号 ) 」 の、
いわゆる ≪ 大譜表 ≫ で、記譜されています。
★これも、おおいなる謎ではあるのですが、
やはり、この第 2巻 1番が、この 1巻、 2巻の全 48曲の曲集の中でも、
実に、特別な地位を与えられた曲である、
ということが、分かってくるのです。
(八重桜&柳)
★このような解説を、私は決して、衒学的な知識として、
お話するつもりは、ございません。
ただただ、Bach の音楽を、作曲の意図通りに演奏し、
楽しむためには、どのように、勉強したらいいのか、
それを、お伝えしたいだけです。
★さも深遠で意味ありげ、それを知っていないと、
“ 自分は Bach の門外漢ではないか ” と、思わせるような、
枝葉末節な知識に、惑わされる必要はありません。
そのような、これ見よがしの知識もどきや、
人を煙に巻く衒学的な、修辞学のような解説もどきは、
実は、Bach の音楽からは、最も遠く、
人々を、Bach の音楽から、最も遠ざけるものである、
といえます。
堂々と、無視すべきです。
(躑躅)
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