音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ソクーロフ監督 ヴィシネフスカヤ主演の映画「チェチェンへ」を見る■

2009-01-15 13:15:22 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ソクーロフ監督 ヴィシネフスカヤ主演の映画「チェチェンへ」を見る■
                        09.1.15 中村洋子


★毎日、寒い日が続いております、いかがお過ごしでしょうか。

「東京で初雪が降りました」と、

ベルリンのベッチャー先生に、お伝えしましたところ、

先生から「ベルリンはreal strong winter マイナス15度の日が続き、

近郊にある、ヴァンゼー Wannseeという大きな湖が、

数年ぶりに凍結した」というお便りが、来ました。

先生は、いま、ダルベール Eugen D'Albert(1864~1932)と、

コルンゴルト Erich Wolfgang Korngold(1897~1957)の

チェロ協奏曲や、C.P.E.Bach のガンバソナタの演奏を控え、

練習で、お忙しい毎日だそうです。


★日本では、チェロコンチェルトが演奏されるのは、あまりなく、

あっても、ごく少数の有名な曲に、限られています。

ダルベールやコルンゴルトなど、20世紀前後の作品を絶えず、

取り上げ、真摯に取り組まれている、

ベッチャー先生の姿勢に、敬服いたします。


★私は、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の

最新作「チェチェンへ アレクサンドラの旅」(原題は、Alexandra)

という映画を見ました。

主演は、有名なソプラノのガリーナ・ヴィシネフスカヤです。

彼女は1926年 レニングラード生まれで、現在、80歳を越えています。


★ストーリーは、とても単純です。

老女Alexandra(ガリーナ・ヴィシネフスカヤ)の旅です。

チェチェンの独立を巡る、ロシアとの戦争で、

チェチェンに駐屯中の、ロシア兵である孫を訪れる、祖母の旅。

Alexandraの眼に写る光景を、静かにカメラが追う、

そういう映画です。

チェチェンの首都グロズヌイ郊外の、砂漠のような荒地に

孫が駐屯している、野営地があります。


★そこに辿り着くには、おぞましく、気分が悪くなるような、

疲れる旅を、経なければならない。

若い兵士の群れと一緒に、まともな座席もない貨車に詰め込まれます。

前線帰りなのか、兵士たちは、若さ、溌剌さの片鱗もうかがえず、

精気がなく、押し黙り、くたびれ果てています。

一人の兵士が「両親に電話して欲しいのだが・・・」と、

Alexandraに近づくが、上官に睨まれ、黙り込む。

観客も、一緒に貨車の旅を体験させられ、重苦しい気分に陥ります。


★7年ぶりに会う孫は、27歳。

職業軍人として、ずっと戦場での日々だった様子。

Alexandraは、野営地を歩き回り、そのすべてを見ます。

鉄柵で囲まれた陣地、その周りはほとんど砂漠、わずかな草しかない。

泊まる所は、掘っ立て小屋のようなバラック、壁も満足にない。

バラックのほかは、巨大な車輪の装甲車の群れ。

異様な図体を誇っています。

油で黒々と光る銃を、毎日毎日、徹底的に手入れするよう、

命令され、それに励む兵士たち。

まだ幼い、子どものような顔付きです。

あるのは、兵器のみ。


★野営地の近くには、チェチェン人の集落がありますが、

建物は、爆撃により半壊したものばかり。

そこに闇市があり、ロシアの兵隊が、軍服まで売りに来る、という。

Alexandraがタバコを買おうと、チェチェン人の若い男に

「いくら?」と何度尋ねても、無言、無視で押し通す。

ロシア人の彼女に、冷ややかな敵意で応対するチェチェン人。


★孫との会話、いや、会話でなく、Alexandraの一方的な質問。

窒息しそうに狭い戦車の中へ、孫と一緒に潜り込み、

孫から誇らしげに小銃の撃ち方を、教えられた彼女は、

自分で、空砲の引き金を引く。

カチャンという、軽い音。

「単純なのね」と、一言。

「毎日、壊すことばかりで、いつ建設することを学ぶの?」

「きょうも、誰か殺してきたの?」

返事のしようがない孫。

この会話が、この映画のすべてともいえます。

でも、翌朝からまた、戦場に繰り出す孫。

出発前の顔には、職業軍人としての誇りのようなものも、

漂っています。


★派手な戦闘場面は、まったくありません。

救いは、物売りのチェチェン人老女との交流です。

老女は、疲れ切ったAlexandraを自室に招き、粗茶を振舞います。

「女同士は戦争しないのよ」


★画面は、初めから終わりまで黄土色一色、砂の色。

口のなかにザラザラとした砂が、入っているような

感じを覚えました。

自分がいま、東京に、平和な東京に居ないような、錯覚にも。

黄色い映像が強く強く、心に焼き付きついています。

見終わって、館外に出ましたら、

成人の日の渋谷の街は、ネオンが輝き、外国のようでした。


★以前、他の映画の開演前の予告編で、

この「チェチェンへ」の一場面を見て、

この祖母役の女性の、圧倒的な存在感に驚き、

この映画を是非見なければ、と思っていました。

それが、あのヴィシネフスカヤだったとは。


★彼女のポーズ、どの仕草について、

どんな角度から見ても、寸分の隙を感じさせません。

女優の杉村春子さんも、そうでした。

1952年から1974年まで、ボリショイ劇場のソリストだった

舞台人・ヴィシネフスカヤの、おそらく、人生最後に近い仕事を、

見ることができ、とても感動しました。


★映画の内容とは、直接関係ありませんが、

映画ロケの際、休憩時間に、ヴィシネフスカヤは、

ほかの人とお喋りをすることもなく、

イヤホンの音楽に、聴き入っていたそうです。

「役に成り切っていたので、そのままで居たかったようだ」と、

ソクーロフ監督の話。

目に浮かぶようなシーンです。


★ヴィシネフスカヤの、本業としましては、

夫ロストロポーヴィチの、ピアノ伴奏による、

「ラフマニノフ&グリンカ:歌曲集」のCDを、お薦めします。

有名なラフマニノフ作曲「ヴォカリーズ」の、名演奏も入っています。

ヴォカリーズは、チェロやさまざまな楽器に編曲され、

親しまれています。

私は、NAXOSから出ていますCD「協奏曲&アンコール集」

(グレート・チェリスト・シリーズ/ピアティゴルスキー NAXOS 8.111069)

に収録されている、ピアティゴルスキーの「ヴォカリーズ」を、

愛聴しております。

そういえば、彼もロシア人です。


★この「ヴォカリーズ」を演奏しようとする、どんな楽器の演奏家でも、

一度は、彼女の演奏を聴いて、勉強されることをお薦めいたします。


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