音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 新春 能狂言 山本東次郎 能 バッハ ■

2009-01-02 23:58:25 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ 新春 能狂言 山本東次郎 能 バッハ ■
       09.1.2  中村洋子


★新年の2日は、早起きをして、午前7時からNHK教育テレビで、

「新春 能狂言」 狂言・大蔵流「煎物」山本東次郎 を見ました。

東次郎さんの演技は、いつもながらの至芸でした。

能狂言界に、東次郎さんが存在されていることは、

私たちの誇りです。


★能狂言界の、至宝といいますと、昨年亡くなられた

お笛の一噌流・藤田大五郎さんが、いらっしゃいました。

私は、能楽堂で何度か、拝聴したことがあります。

その音といい、リズム感といい、群を抜いていました。

いま人気がある、囃子のスタープレーヤーたちによる、

どぎつく、迫力を見せつけるだけのエンターテインメント的な

演奏とは懸け離れた、本当の芸術家でした。


★これは、クラシック界でも同じ現象が見受けられます。

藤田大五郎さんの、芸術への取り組み方と、

人気を博している演奏家のそれとが、どう違うか、なぜ違うのか、

手にとるように、分かります。


★クラシックの例でいいますと、経験も少なく、

和声や対位法の理解も、あやふやな弦楽器奏者が、

素敵なファッションに身を包み、

弓をアクロバティックに、かっこよく、大袈裟に操って、

バッハの大曲を、臆面もなく演奏し、

それに、聴衆が喝采を送るのと、似ています。


★昨年は、加藤周一さんといい、藤田大五郎さんといい、

“日本の巨星墜つ”という、出来事がありながら、

テレビが、大々的に追悼したのは、演歌の作曲家でした。


★藤田大五郎さんの名演は、いくつかのCDで聴くことができます。

「観世流 舞囃子(四)」NC-55020 制作(有)能楽名盤会、
 
定価 3500円、入手がかなり難しいCDですので、

檜書店=千代田区神田小川町2-1 電話03・3291・2488 または、

国立能楽堂での観世流、金剛流の公演で、ロビー出店にて購入可能です。


★12月の「ショパン・バラード1番アナリーゼ講座」で、

ショパンが、バッハから受けた影響について、具体的に、

いくつか、お話いたしました。

バッハの音楽には、キリストが十字架を背負って、

よろめきながら、歩いていく情景を模したような

特定なモティーフ(音型)が、あります。


★その音型を、実はシューベルトも、「即興曲」で、

悲しみの表現として、使っています。

さらに、バッハとシューベルトを尊敬し、

終生、研究をしていたショパンは、

バラードの1番で、「嘆き、悲しみ」の表現として、

この音型を、使っています。


★随分前になりますが、私は平成16年(2004年)、

月刊誌「観世」7月号の、巻頭随筆として

「シテとワキとの照応は、フーガにも似る」を書きました。


★能「井筒」のシテとワキの関係を、

フーガの主題と対主題に、なぞらえ、

主題と対主題が、シテとワキと同様に、

お互いに補完し合う関係にあることを、書きました。


★「平均律クラヴィーア曲集第1巻」最後の

「24番フーガ」のテーマ(主題)は、

重い十字架を背負ったイエスが、ゴルゴダの丘を、

よろめき、つまずき、喘ぎながら上っていく様、

その動きを、表現しています。

バッハは、平均律で唯一、24番だけ演奏速度を指定しています。

フーガは、「ラルゴ」つまり、「ごくゆっくり」です。

キリストの歩みと、重なります。


★対主題は、静かに寄り添うように、目立たず、

順次進行していきます。

しかし、対主題の出現により、主題の全体像、つまり、

構成和音、調性などが明らかになり、

リズムが、補完されていくのです。


★「井筒」は、観世寿夫さんがシテを演じた

名演のビデオ(1977年)を、見ました。

能面「増女」の、やわらかい眼差し。

最愛の人への、絶ゆることなき追憶、

それにひたる幸福感、

人間のもつ、最も美しい一面を、

これほどやさしく讃えるお顔はない、と思われます。


★「暁毎の閼伽の水・・・」

聴く者の全霊を、まだ見ぬ深淵へと引き込み、

その魂をあらゆる桎梏から、解き放ち、

救済してくれるかのような、寿夫さんの謡。

一瞬、一瞬に永遠の均衡、力、美が宿る寿夫さんの動き・・・。

見終わるたびに、ぐったりとしている自分に気付きます。

シテとともに、歩み、謡い、舞ったかのような高揚感。

まさに、芸の極致です。


★しかし、その名演が、歴史的名演たり得るのは、

ワキの宝生閑さんの、存在があってこそなのです。

「井筒」で、シテの正体が「有常の娘」であることを、

暴くのは、「旅の僧」のワキです。

つまり、補完する対主題です。


★人類永遠の芸術である「バッハ」と「能」。

尽きぬ感動を呼ぶのは、ともに普遍的な様式を、

根底に持つからでしょう。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする