22日、プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズで、巨人が中日に3連敗の劣勢を跳ね返して日本シリーズ進出を決めたことは、子どもの頃からの巨人ファンであった僕としては大いに喜ばしい出来事だった。
翌日の新聞の見出しに、「高木監督10・8の雪辱ならず」 とあったので、えっ? と思ってその記事を読んだ。
中日の高木監督は17年ぶりの監督復帰だという。
そ~か。 高木監督は昔にも采配を振るったことがあったのか…
そして高木監督が 「あの時」 も中日の監督だったとは…
すっかり忘れてしまっていたことである。
「あの時」とは、新聞見出しに書かれていた「10・8」、
今から18年前の、1994年10月8日のことである。
巨人と中日が、勝率が同率首位で並び、しかも両チームが偶然にも最終戦で対戦する日程となっており、勝った方がリーグ優勝…という史上初の劇的状況が出来上がったことを覚えておられる人も多いだろう。 当時、巨人は長島監督だったが、中日は誰が監督をしていたのか忘れてしまっていた。 それが高木監督だったと、先日の新聞記事で知ったわけだ。
僕にとって忘れがたいのは、この 「世紀の一戦」 が行われる日が、ヨーロッパへの海外研修に出発する日だったことだ。 当時は今よりもっともっと巨人に熱中していた僕は、このことがどれほど残念だったか!
1ヶ月前に開港したばかりの関西国際空港を午前11時半に飛び立ち、到着地であるロンドンのヒースロー空港まで約12時間のフライトであった。 初めてヨーロッパへ行くということで胸が躍ったことは確かだけれど、それ以上に気になった巨人・中日戦は、まさにその機内で過ごしているときに行われたのである。
夕方6時からナゴヤ球場で行われるこの試合を、ぜひテレビの実況中継で見たかった。
けれど、よりによってこの海外研修とぶつかってしまったのだ。 たとえどんな状況でも、せめて携帯ラジオで中継を聴くくらいのことはできたはずだったけれど、飛行機だけは例外である。 機内ではラジオを聴くことさえできない。 運の悪さをつくづく嘆くしかなかった。
しかし、思いも寄らぬことで試合経過を知ることができた。
機長が機内放送で、逐一試合の様子を報告してくれたのである。
「皆さん、いま、プロ野球、巨人・中日戦が始まりました」
その放送に、乗客の話し声はピタリと止み、みんな耳を傾けた。
むろん僕も、固唾を呑みながら、意識を耳に集中した。
機長の 「経過報告」 は、次のようなものだった。
まず、最初に、
「巨人の先発は槙原、中日の先発は今中です」
そして次の放送で、
「巨人が落合の本塁打などで2点を先制しました」 と機長。
それを聞いて僕は 「わ~い」 と快哉を叫んだことは言うまでもない。
しかし、次の放送では、
「その裏、中日が同点に追いつきました」 であった。 ありゃ~。
早く時間が経ってほしい。
早く次の機内放送を聞きたい…
すると次は、
「巨人が落合のタイムリーで1点をリードしました」
との報告。
後に中日の監督となった落合が、この時は巨人の4番打者として大活躍だ。
ちなみに、3番打者が松井秀喜で、5番打者が原辰徳であった。
その後も機長は、その都度、試合経過を放送してくれた。
巨人は外国人選手の本塁打、松井の本塁打などでどんどん加点した。
たまらない。 しびれるぅ~
そして最後に機長は試合が終わったことを告げ、
「中日ファンの方にはまことに残念ですが…」 と声を抑えて、
「6対3で巨人が勝ち、セ・リーグの優勝を決めました」 と言った。
僕は心の中で「バンザーイ」と叫んだ。
あぁ…。
思い出すなあ、あの時のことを。
あの時の中日の監督が、今の高木監督だったんだ。
きっと 「今回こそ」 と意気込んでいたに違いない。
なのにまた今回も惜しい負けてしまって、ちょっと気の毒な気もするけれど…
18年前のことが、つい昨日の出来事のように、よみがえる。
そして今日から、巨人対日ハムの日本シリーズの開幕だ。
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