年齢を重ねると体力も気力も衰えてくるというのは避けられないことですけど、僕もここ数年、そのことを身に沁みて感じています。そんなとき、いつも思い浮かぶのが、80歳で自転車の日本一周に挑戦した原野亀三郎さんという方です。
今から10年以上も前のことになりますが…
自転車で長野県を出発した原野さんは、日本海側の道路に出て北上、北海道を巡った後、本州の太平洋側を南下、東北、関東、東海、近畿と走り、そのあと四国へわたり、さらに九州から沖縄まで足を延ばして、再び九州に戻ると、今度は日本海側を東へ走って出発地点の長野までペダルを漕ぎ続けたのです。
そして出発から1年2ヵ月が経った時、原野さんは長野県に入り、ついに自宅のゴールまであと20キロというところまで迫ってきた。
ところが、そこで信じられないことが起きたのです。
原野さんは、そこまで帰って来たところで、トンネル内でダンプカーに追突されて命を絶たれたのです。1万キロ近く走ってきたはずの原野さんが、自宅まであとわずか20キロというところで…。なんという悲惨な出来事。
僕は事故があった翌日の新聞記事で、このことを知りました。読んで愕然としました。こんな形で自転車旅行が終わるとは、あまりといえばあまりです。残酷過ぎる!
その後、NHK総合テレビ「クローズアップ現代」で原野さんのドキュメンタリーが放送されました。僕はそれを見て、原野さんの旅行の詳細を知ったわけですが、番組は原野さんの旅行中の日記を紹介しながら、旅行の跡をたどって行く形で進められました。
出発の時、テントや食料で40キロも重さのある荷物を自転車に載せ、「よろめくようにスタート」した原野さんは、日本海の糸魚川に出た時、後部キャリアのビスが重みで外れ、荷物がずり落ち、難渋する。
風雨にさらされたテントでの宿泊。
1週間で疲労がピークに達する。
「身体がバリバリだ。重い」と日記に記した。
山形県内の国道でバランスを崩して転倒し、近くの診療所に駆け込む。
手首を2箇所骨折して、そのまま1週間の入院。
北海道をまわり、本州を南下しているとき、福島県内で大雨に遭う。
旅館に泊まって、原野さんはそこの女将さんと話す。
その女将さんが、テレビで原野さんの印象をこう語っていました。
「自転車でご旅行を楽しんでおられるんですね、と私が申し上げましたら、原野さんは『楽しくないですよ』と言われました。『楽しくない?』と私が聞き返しますと『足は痛いし腰は痛いし。今は苦しいだけです。あとから、楽しかったなぁ、と思い返せるから、一生懸命走っているのですよ』とおっしゃいました。その言葉が、胸に響きました」
まさにそのとおりだろうなぁ、と思います。
この言葉はそのまま僕自身の思いでもあります。自転車旅行の時、今はどれだけ苦しくても、家に帰ったら楽しい思い出になる、という一心で走り続けたし、それと同様、マラソンでも、走っている時は苦しいばかりで、走り終えた後に楽しい思い出となる…ということだけが力になっていたように思います。
それにしても、80歳で自転車日本一周旅行をしようという心身の逞しさは、どこから生まれてくるのでしょうか。
最近は、コロナ禍もあって僕も行動力が減退気味です。心身ともに活力が失われていくような気がしているので、今一度、原野さんの「踏み出す力」に思いを寄せようと、自分を刺激したくてこの話を書きました。
自転車旅行でもマラソンでもその真っ只中では楽しさより苦しさが勝るというはそうだろうなと思います。きついだろうと思うのです。。
80歳で日本一周はものすごい活力ですね。やってやろうという気持ちが湧くだけでも偉いです。のんさんもいかがでしょうか。まだまだやれますよ
ホントに自転車もマラソンも、その時は苦しいです。
なんだか「青春時代」という歌を思い出しますね。
「♪青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの~
青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり~」
この「青春時代」のところを「自転車旅行」に替えて、
「♪自転車旅行が夢なんて あとからほのぼの思うもの~
自転車旅行の真ん中は 脚や腰が痛むだけ~」
なんちゃって。
では80歳での自転車日本一周を計画するとしましょうか(笑)