~ フルマラソンで初めて4時間を切った日 ~
タイガーマスクといえば、忘れられない思い出がある。
それはタイガーマスクの全盛時、僕が30代だった頃の話である。
僕はその頃、マラソンに熱を上げていた。
それまでフルマラソンに3回出場したが、タイムはいずれも4時間台だった。
なんとかして4時間の壁を破りたいと練習に精を出し、よ~しこんどこそ、と挑んだ4度目のフルマラソンのことである。
「大阪・高槻フルマラソン」 というような名称の大会であった。
大会といってもきわめてローカルなもので、参加者数は100人前後。 淀川の堤防コースを何度も行ったり来たりするコースで、周辺に選手と係員以外はほとんど人影もない、まあ、かなりアット・ホームなレースであった。
ほんの2ヶ月前に1万人以上が参加したニューヨークシティマラソンを走ったばかりだったので、そのギャップの大きさに戸惑いながらも、ひたすら4時間の壁を破るため、他のランナーたちとともに、黙々と堤防コースを走り続けたのである。
そこに、この地味な空気とはかけ離れたランナーが一人いた。
その人は、すっぽりとタイガーマスクの仮面をかぶって走っていたのである。
42キロを走るのに、そんなマスクなんぞ付けていたら大いに邪魔になるだろう…と他人事ながら心配したけれど、彼は堅実な足取りで、走り続けていた。
「あの人はね…」
と、僕の横を走っていた知らない男の人が話しかけてきた。
「この界隈では有名なサブスリーランナーなんですよ。 時々ああいう扮装をして、レースに出ているんです」
と、説明してくれたのだった。
えっ…? サブ・スリーだって。
サブ・スリーとは、3時間を切るタイムで走ることを言い、サブフォー (つまり4時間を切るランナー) にすらなっていない僕などとは、月とスッポンほどの大きな実力差がある。
へぇ~、そうだったんだ。 すごいランナーなんだ。 そういう実力者だからパフォーマンスを楽しむ余裕があるのだろう。 今日はタイガーマスクの姿で、楽しみながらお遊びで走っているに違いない。 なぜなら、彼の走るペースは、僕とほとんど同じだったから。
さて、黙々と走っているうちに、疲労が重く脚にのしかかってきた。
刻々と時が過ぎ、僕は時間との戦いを強いられていた。
いま、タイムは何時間何分…?
残りは何キロ…?
果たして4時間を切ってゴールできるのか…?
なんてことを考えながら、消耗しきった体にさらにムチ打って走っていた。
そんなとき、近くで突然 「ワンワン!」 と犬の鳴き声がした。
…ん? なんだ…?
どこからか野良犬が1匹堤防のコースに紛れ込んできて、タイガーマスクに向かって吠えはじめたのである。
その犬は、他の選手には見向きもせず、タイガーマスクに歩調を合わせて走りながら、吠え続けている。 犬にしてみれば、走っている人間たちには吠える気はなかったのだろうけど、タイガーマスクは、まあ、ちょっと異様である。 怪しいモノを見たら吠える…というのは、犬として真っ当な行為に違いない。
「 ワンワン! ワンワン! 」
「 こら、シーッ、シーッ。あっちへ行け 」
タイガーマスクは威嚇して犬を追い払おうとする。
それでも、犬は彼から離れようとしない。
僕は、ゼイゼイ言いながら、すぐ前方のその光景を眺めて走っている。
「 ワンワン! ワンワン! 」
「やめろ、オレは怪しいモンじゃない」
「ウ~ゥ、ワンワンワンワン!」
「むーっ。 こいつ。 オレを怒らせるなよ」
ついにタイガーマスクは立ち止まった。
「そうか、やるのか。 いいんだな…。 いくぞ! う~ぅ、おりゃぁ! 」
と、彼は吠える犬の前足をつかんで羽交い絞めにして抱え上げ、得意技のタイガー・スープレックス・ホールドでうしろにびゅ~んと投げ飛ばした。
…というのは冗談ですけど。
犬に吠えられているタイガー・マスクを眺めながら、僕は僕で重大な局面を迎えていた。
もう、ゴールが目前に迫っていたのである。
そして、僕はヨレヨレになり、欲も得もなく、へなへなとゴールへたどり着いた。
「は~い、お疲れさまでした。ゴールで~す」
とボランティアの女子高生が飲み物を僕にくれ、正式なゴールタイムを教えてくれた。
「タイムは、3時間59分2秒で~す」
念願達成。 僕にとって記念すべき瞬間であった。
マラソン4回目にして、初めて4時間が切れたのだ。
ゴールのすぐ横にへたり込み、しばらく動けなかったが、胸は高鳴った。
ふと、コースの方を見ると、タイガーマスクがゴールに近づいてきた。
しかし、まだ犬がピョンピョンと跳ね回りながら、吠え続けている。
「ワンワンワンワン!」
「しつこい奴だな。 あっちへ行けったら。 シーッ、シーッ」
初めて 「サブフォー」 になった日の、なつかしい思い出であり、
タイガーマスクの名を聞くたびに浮かぶ、楽しい回想でもある。
1983年 (昭和58年) 12月のことだった。
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