昭和44年のチラシです。
(岩手県 玉山村観光協会発行)
八戸市のTさんのことを書いたブログに、仲間の方たちから、いろいろと温かいコメントをいただきました。ご本人のTさんも、ブログを読んでくださっていますが、コメントを寄せることについては、Tさんは…
「東北人ゆえの恥ずかしがり(笑)ゆえか、今、ブログに『くだんの○○と申します』と再登場する勇気はありませんが、また一段落したあたりで書き込みにおじゃましたいと思います」
とメールで書いてこられた。
この文章を見て、僕はとっさに「含羞」という言葉を思い出した。
この言葉を聞くと、青森生まれの太宰治を思う。
「含羞」という言葉がぴったりの作家太宰に心酔していた頃、この「含羞」という言葉に僕も酔っていた一時期があった。
Tさんも「含羞の人」なのかもしれない…などと勝手な想像をめぐらせる。
さて、そのTさんが、6月初旬に、写真つきのメールを送ってくださった。写真は、岩手県の渋民にある石川啄木の歌碑の写真であった。
奥様と北上市のホテルに行かれたとき、途中で啄木の歌碑に寄り道し、写真を撮って僕のところに送ってくださったのだ。
↑ この2枚の写真をTさんから送っていただいた。
これは、昭和44年の旅行での写真
Tさんが、啄木の歌碑の写真を僕に送ってくださったのには、理由があった。僕にとってこの歌碑は、格別の思い出のある場所だったことを、ブログを読んで、承知されたうえで送ってくださったのであろう。
僕は旅行中、この歌碑の前で、寝袋にくるまって一夜を過ごした。
それだけなら、どうということはなかったのだが、ここで僕は、一人の年配の自転車旅行の男性と知り合うことになる。
啄木の碑に向う途中の道で、この男性の自転車を抜いたのだが、この人は、ごく普通の格好で、自転車も実用自転車であった。上り坂になると、僕は自転車の変速ができるのでスイスイ上がるが、この男性は、よいしょよいしょと自転車をこぐ。サイクリングというよりも、ひょいと隣村に用事に出かけるといった雰囲気でもあった。年の頃は、60歳近いだろうか。
ちょっと話がしたくなったので、僕は速度を緩めてその人に並び、
「どこから来られたのですか?」と自転車をこぎながら聞いた。
「青森の、十和田でございます」
「どこまで走られるのですか」
「東北を一周しようと思っております」
「はぁ…、東北一周…ですか?」ひょいと隣村へ…ではないのだ。
「昨年は関西と四国をまわりました。一昨年は北海道でございました」
「はぁぁ…。で、来年は、九州かどこかに?」
「はい。そのとおり、九州を考えております」
「いや、すごいです。ほとんど日本一周じゃないですか」
「はい。さようで…」
僕の父親よりも年が上であろうこの人は、淡々と、丁寧な言葉づかいで僕の質問に答えてくれた。
また、急な上り坂になった。
おじさんの自転車は急にペースが落ちる。
「坂道は大変でしょう?」と僕。
「いやぁ、坂なんて大したことありません。いくらでも越えますよ。
あたしゃぁ、すでに60(歳)の坂も越えちゃってるんですから」
…な~んてことは、言わなかった。 黙々と走っておられる。
そんなことで、お先に~と、僕は啄木の歌碑に到着した。
しばらくして、そのおじさんが到着し、まわりをきょろきょろ見回し、「あ~、今日も写真屋さんはいないんだね~」と、悲しそうな顔をした。
「私がこの歌碑を訪れるのは、この30年間で今日が4度目です。訪れるたびに歌碑の向きが変わっているのですよ。それにしても、写真屋はいつ来ても、いないのです。だから、私はここでまだ写真を撮ったことがないのです」
「あ、それじゃ、僕のカメラで撮りましょう。白黒ですけど…」
僕がそう言うと、おじさんはパッと顔を輝かせて、
「本当ですか? いやぁ、ありがたいです。ぜひお願いします」
「じゃぁ、そこに立ってください。 行きま~す」
…と、撮った写真がこの写真です。
写真を何枚か撮り終えて、おじさんと住所を交換した。
その人は、羽入さん、と言った。
住所は十和田だったが、勤務しているのは青森県の六ヶ所村というところで、学校の先生をしておられるという。
「大阪に帰ってからになりますが、写真は必ず送らせてもらいますね」
「ははっ。よろしくお願いいたします」
そう言って、羽入さんは深々とお辞儀をして、自転車にまたがった。
「では、気をつけて行ってくださいね」
「はい。あなたも、ご無事で故郷へ帰られますように」
僕はここで野宿するので、羽入さんの後姿を見送った。
大阪に帰り、数枚の写真を羽入さんのご自宅に郵送した。
すると、折り返し、礼状が届いた。
筆で書かれた、まるで時代劇で見るような手紙である。
↓
拝啓 いつの間にか秋がやって参りました。
去る十六日急用のため夕方から夜にかけて十和田の実家に帰りましたところ○○さんからの写真が届いておりました。
三十年前から夢にまで見ていたあの場所での写真は全く偶然に知り合った大兄から頂くことになりました。厳に謹んでお礼を申し上げます。カラーでなくても、あの山、あの川、あの場所が好きなのです。本当に有難うございました。
唯、もっと若かったつもりの私が、変に年取った姿で、思わず苦笑しました。九州一周は、四国より更に慎重に計画を進めなければならぬと思い…(後略)
↑
そして冬には青森のリンゴを段ボール箱いっぱいに送ってくださった。
さらに、後日談がある。
それから10年以上経った。
僕も30何歳かになり、結婚して小学生の息子が2人いた。
ある日曜日の午後、チャイムが鳴った。
妻が外出中だったので僕が玄関に出た。
玄関先に立っていた人は、僕を見て、
「あっ。あの…あの…、○○さん…ですね?」
と言ったあと、声を詰まらせた。
誰かと思ってよ~く見たら、なんと羽入さんであった。
リュックを担ぎ、ジャージを着ていた。
頭髪が薄くなったが、精悍な風貌は変わっていない。
「は、は、羽入さん、ですか? うっそ~……」
しかし僕が驚いた以上に、羽入さんはもっともっと驚いていた。
なんでやのん…?
「あ、あ、あなたは…、あのときと全然変わっておられない。あれから10数年も経っているのに、あなたがどれだけお変わりになったか…私はいろいろ想像していたのですが…あなたはなんと…あの時のままです。あまりのことに、驚いたのです」
いろんな驚きようがあるものだ。
羽入さんは兵庫県の「壮年マラソン」に出場してきたとのことだった。
もう70歳にはなっておられるはずだが、マラソンとは…元気である。
大阪府内に知人がいて、今夜はそこに泊まることになっているが、住所を見ると、僕の住む町が近くなので寄ってみた、と羽入さんはおっしゃった。
1時間ほど談笑したあと、
「どうも、突然お邪魔いたしまして…。青森にもお越しくださいませ」
そう言って、羽入さんは、細い身体をぺこりと折り曲げた。
最寄のバス停まで羽入さんを案内した。
バスの中から窓越しに、羽入さんは、何度も頭を下げておられた。
僕は、バスが見えなくなるまで手を振った。
たぶん、羽入さんは、バスの最後部の窓からまだお辞儀しておられるはずだったから…。
…………………………………………………………………………
昨日のことのように鮮やかに目に浮かぶ光景である。
それも、今から30年近く前のことになる。
石川啄木の碑をこよなく愛された羽入さん。
そこで、僕が撮った写真を、終生大切にされていたようで、うれしい。
啄木の歌碑には、
やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
という歌が刻まれている。
ここから、美しい岩手山が見える。
反対側にも、姫神山という美しい山が見える。
そして、近くに北上川が流れている。
こういうところが近くにあればなぁ…と、ため息が出る。
八戸のTさんも、
「あそこは私も大好きな場所です。国道4号を通る時は、よほど急ぐ時でない限り啄木公園に寄ってきます」
と、書いておられる。
こんな歌碑のある場所で、彼女と恋を語り合う…というのも、いいよなぁ…。と、当時、歌碑の前で野宿をした僕はつくづく思った。
あのときは、歌碑の前に、男ばかりが何人か集まってきて、それぞれ寝袋で野宿していたので、色気のかけらもなかったのがくやしい(笑)。
ここはあらゆる状況が完璧に整った格好のデートスポットである。
これほど美しい光景は、日本中探しても、めったにない、と僕は今でも思っている。いいなぁ~近くに住んでいる人たちは。
…とここまで長々と書いてきましたが、最後に「秘話」を披露します。
Tさんは、実は、この場所で、奥さまにプロポーズされたそうです。
春分の日。
真っ白に雪をかぶった岩手山を望み、
歌碑の前のベンチに腰かけて…というシチュエーションでした。
なんとまぁ…
うぅぅぅぅぅ~ 素晴らしい~。
啄木の歌碑の前でプロポーズとは…。
Tさんも、なかなかやりますね~。
Tさんは現在、高校の先生をしておられます。
その奥さまとの結婚披露宴に、生徒が50人も駆けつけたというのですから、Tさんの教師としての人気ぶりが伺えます。そしてキャンドルサービスのときには、感極まって涙を流している女子生徒たちもいたということで、まだまだ東北には、素直で素朴な高校生たちがたくさんおられるのだなぁ、という印象が持てますね。
このように、石川啄木の歌碑のある場所は、僕にとっても忘れられない思い出の場所だったのですが、Tさんにとっては、それ以上に思い出深い場所であったわけですね~。
そのことをどうしても皆さんにお伝えしたかったので、Tさんのプライベートなお話も、ご了承を得て、ここに書かせていただきました。
Tさんには、改めてお礼を申し上げたいと思います。
昔の話ばかりで恐縮です。
最近は、身の回りでドラマチックが展開がないもんで…。
新婚旅行で行かれたのでしたね~。
岩手山を見ながら、
「♪ 新婚旅行の汽車の中 ツンツン ふれ合うおテテの恥ずかしさ ~♪ 」
というような感じだったんでしょうね~
一人旅は寂しいから、人恋しくなっているんでしょうね。
でも今はあきません。
なるべく、一人でそっと生きていたい…な~んて思ったりしてます。
ありがとうございました。^^
私も渋民村にも行きましたし、岩手山も見ましたが、東北はロマン溢れた所なのでしょうか?
人との出会いそして別れ、そして又会って----。
人間の織り成すドラマほど不思議なものはないと思います。言葉にはなりませんね。
ほんとに、旅ってすごいなぁ、色んな出会いがあるんですね。
含羞の人・良い事場やな~ぴったりの雰囲気です。
大阪人には似合わぬ言葉ですけどね(^^;)
しかも、ほえ~~!たたた、達筆!さすが教師をしておられるだけのお方ですね。
このような素敵な方にめぐり合えると言うのものんさんのお人柄のような気がします。
それにしても岩木山は綺麗です。。。
ついにタイムマシーン探偵Tさんの、ヴェールがはがされてきましたね(^^)また素敵なエピソードです。いずれ、のんさんとTさんのご対面の日がくるでしょうね。楽しみです