また病気の話である。自分でも、うんざり。
お読みいただいている人も、うんざり、でしょ~ね。
この「のん日記」は、闘病日記じゃないんだもんね。
もともと「のほほん日記」とでも題したい、おちゃらけブログなんである。
でも最近は、話題は病気のことに偏る一方だ。高校野球たけなわで北京五輪もあと数日に迫るという熱気を孕んだ日々だというのに、この辛気くさい話題は、はなはだ時勢に合わない。だけど、それでも昨日病院へ行ったことを書かなければ日記にならないのでは…と思うので、やっぱり書くのだ。他にネタもないし…(笑)。
んで、今日も病気の話題なのです。
「あれ、ヘンだな…」と思ったのは、8月1日の金曜日の午後。
不整脈が起こったのだ。しかもその不整脈は、これまでの不整脈とは違っていた。
急に心拍が乱れ脈が飛んで動悸がする、という不整脈は、数年前からの僕の持病だったが、最近は、予防として飲んでいる薬が効いてくれていて、不整脈の発作の起きることはたまにしかなかった。そんなとき、久しぶりに、その日の午後、「ご無沙汰で~す」と不整脈が、わが心臓を訪れてきたのだ。招かざる客、ってやつだ。
その不整脈が、従来のそれと違っていたことは明白だった。脈の乱れ方や動悸による息苦しさが、初めて経験する感覚なのだ。ずっと効いてきた薬も、異種の不整脈だから効かなかったのだろう。そのあと何日も続いているのだから、これまでにはまったくなかったことである。…といっても、症状は、従来よりもひどい、ということではない。これまで発作が起こると1分間で100以上に脈拍数が上がる「頻脈性」の不整脈であったのが、今回は普通の脈拍数でありながら心拍だけが乱れるという感じだったので、苦痛度からいえば、今回はまだまだマシだった。
様子を見るため、2日の土曜日は一日中寝ていた。
安静にしていると、不整脈はおとなしくなる。
起きて動いたり、話したり、食事をしたりすると、脈が乱れてくる。
ドッキン、ドキドキドキ、ドッキンドッキン、グルグル、ドキドキドキ…。
フーっと、血の気が引くような、めまいに近い不快感が頭にのぼってくる
3日の日曜日も、午前中は横になっていた。
午後から、そろりと、普通の生活を再開した。
不整脈は、出たり引っ込んだりとせわしない。
出たときは、息をとめて、ぐっと全身に力を入れると、す~っと消えていく。
そして、数秒後、数分後、数時間後とまちまちだが、また出る。
4日の月曜日に至っても、不整脈は断続的に起きた。
これはもう、医者に診てもらうほかはない。
昨日の火曜日。
僕が勤務する市内にある徳○会という、循環器系では定評のある病院へ行った。
去年6月にきつい不整脈が出たとき、かかりつけ医へ行って点滴を受けても収まらなかったので徳○会病院を紹介され、夜間に救急で診てもらったことがある。どうしても収まらなかった不整脈が、その夜、徳○会病院の当直だった○○医師の、懇切丁寧な検査と治療で、数時間後にピタリと止まった感激は今も忘れ得ない。昨日、僕はその時の○○医師を頼って、1年2ヶ月ぶりにその病院へ出向いたのだ。
診察に先立って、検査があった。
心臓のエコー検査。心電図と血液の検査。それと、なぜか、鼻の粘液の検査。
そのあと、順番が来て、○○医師の診察室に入った。
「お久しぶりですねぇ…」と先生は、にこやかに僕を迎え入れてくれた。
う~ん。たった一度なのに、覚えてくれていたんだ。うれしい。
僕も、もちろん1年2ヶ月前のことは、忘れていない。
「その節はお世話になりました」と、心からお礼を言い、再会を喜んだ。
あのあと、8月にK大病院で不整脈のカテーテル手術をして、思いも寄らぬアクシデントに見舞われたことなどを、かいつまんで話したら、○○医師は、「え~っ、カテーテルをして…? ふ~ん…、そうだったんですか」と驚いた様子だった。
ひとしきり、会話を終えた後、○○医師はペーパーを見ながら、
「検査の結果は、すべて異常なし、でしたよ」
そう言って、涼しげな眼で僕を見た。
しかし、僕にとって「新種」の不整脈は、いまも間歇的に続いている。
「従来の不整脈ほど苦しくはないのですが、もう4,5日続いているのが心配です。フ~っと気分が悪くなったりしますので、このままではちょっと…」
○○医師は、僕の話にうなづいて、
「ご心配なようですので、ホルター心電図をつけてみますか?」と言ってくれた。
胸に装着する24時間の心電図の記録を取ることによって、僕の不整脈がどういう種類のものかを特定し、それに見合う治療法を考えてもらう、ということである。
一口に不整脈といっても、その種類は、命に関わるものから放っておいても全然問題ないものまで、ピンからキリまで、数え切れないほど多い。
そんな具合で今日これからまた朝9時に病院に行き、ホルター心電図を装着する。
そして、明日の9時に、それを外してもらいに行く。
昨日、今日、明日と、3日連続の病院だ。
病院が終わり次第、職場に行くが、もう仕事も何もあったものじゃない。
しゃ~ないですね。健康が何よりも一番だもん。
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ここまでお読みいただいた皆さま。
これは、コメントのしようのない記事だと思います。
読み捨てて置いてくださいね~。
明日もまた、この続きを書こうとしている「のん」より。
その機械で、一日の心臓の動きをみるらしいですね。
私の母は完全に心臓病という診断ですが、父も軽い不整脈を持っていました。
その為か、現在姉と弟・妹も不整脈で通院しています。
姉は2度ほど入院しています。
「いつかは私も・・・」という不安はいつもかかえています。
昨年帰郷したおり、母の主治医の方に言われました。
「そうやって気に病んでいるとなるよ。一年に一度、心電図を必ずとって、自分でおかしいと思うことがあったらすぐに診察を受けなさい。」
う~んざりなんて思いませんよ!
病気のことでもどんどん書いてくださいね。
同じ病気を持っている人達の励みになるんじゃないかしら。
それよりもなによりも、ここはのんさんが自由に書き綴る場なんですから。
でもくれぐれも無理は禁物ですよ~~~~!
結果がすべてですね。
あまり心配せず、ブログ、バンバンやって下さい。
やれるくらいのほうがいいですよ。
ただ、油断せず、無理せずで-----。
亡くなった母がよく言ってましたわ。
不整脈が出た、不整脈が出た---と。ただ他の病気で死にましたけれども。
今のところ異常なしで、よかったですね。
うんざりなんかしてないですよ!
のこたんさんもおっしゃってるとおりで、
のんさんが自由に書き綴る場なんですし、
同じ病の方への参考にもきっとなると思います。
そのホルター心電図とやらで、特定はできたのでしょうか。
よさそうな先生ですし、きっとまた適切な処置をなさってくださいますね。
続きは書いていただかなくちゃ困ります。
気になりますもん…。心配ですし。
まぁ、やっぱりお祈りすることしかできないんですけども…。
もちろん、ご無理はなさらないでくださいね!
あれって、遺伝とかあるのですか?
よくわかりませんが、のこたんさんのご両親、ご兄弟(ご姉妹)ともども不整脈というのは、単なる偶然とも思いにくいですねぇ。
まあ遺伝かどうかはわかりませんが、精神的な要素は大きいと思われます。
お母さんの主治医の先生が言われたように、不安を抱えて気に病むと、その弱みにつけ込んでくるのがこういう種類の症状ですよね。あまり気にしてはいけません。
僕も、去年6月、仕事で強いストレスが重なった時に、薬を飲んでも止まらない激しい不整脈の発作に見舞われました。神経と不整脈の因果関係はかなり強いものがあると思います。ホルターをつけて、「さあ、不整脈よ、出なさい」と思ったとたんに出ないんですから、どこか心の部分とつながっているとしか思えませんよね。
気にしちゃ、ダメなんですよね~。
不整脈というのは、加齢に伴っても増えてくるらしいですね。
たいてい、不整脈が出ても気がつかなかったり、その場ですぐに収まったりするのですが、僕の従来の不整脈は「発作性の心房細動」と言って、脈拍が速くなり、心臓の中で血がぐるぐる回るらしいのです。そこで血栓ができて、脳血管を詰まらせたりすることはありますが、不整脈そのもので死ぬことはありません、とよく医師から言われています。
同じ不整脈でも、「心室細動」のほうは、急死する危険性があります。
高円宮さまが亡くなられたのは、心室細動という不整脈だったそうです。
なんだか、ヘンな話題になってしまいました。
「ライ麦」の主人公のように、あ~でもない、こ~でもないと、くよくよ考えているのは良くないですね。
あれこれ心配せずにブログをバンバンやっていきたいと思います。
耳鳴りも不整脈も、僕の人生に付随するもののひとつだから、ブログ上ではあくまでもネタですよ、ネタ。ぜんぜん気にしていただくことはありません。
「耳鳴りくらいで、めそめそすんなよ」ってくらいのコメント、ください(笑)。
先日の医師は、若い方ですが、相性が合う、っていうのですか、そういうのってありますよね。いくらいい先生という評判でも、自分とはイマイチ相性が合わない、っていうのもありますしね。
その方は、去年6月に、数時間診ていただいた…、それだけだったのですが、その時から「不整脈が高じてきたら、いつかあの先生に診てもらおう」と思い続けていました。
で、先日、その病院に電話して、「去年の6月○日の夜に診察を受けたものですが、その夜の当直の先生のお名前を教えてください」と尋ねたのです。お名前を聞いて、診察日を確認し、先日の火曜日にでかけたというわけ。久しぶりに会っても、やはり「相性の良さ」を感じました。こういう、医師に対する信頼感って、案外大事だと思います。
いつも祈ってくださってありがとう。
僕も、のすけクンのすこやかな成長を、いつも祈っています。