僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

衣笠さん死去と「江夏の21球」

2018年04月25日 | スポーツの話題

元プロ野球選手の衣笠祥雄さんが亡くなったというニュースがメディアで大きく報じられています。2215試合連続出場という驚くべき記録を持つ「鉄人」ですが、それだけの鉄人なのに、まだ71歳という惜しい命でした。

最近、テレビの解説で衣笠さんが出ていたけれど、ひどく声がかすれていたのが気になっていました。あれも体調不良からきていたのでしょうか?

その衣笠選手にまつわる有名な話として、「江夏の21球」というのがあります。これはノンフィクション作家・山際淳司さんの作品の題名で、僕も昔この本を買って読みました。昨日のテレビなどでも紹介されていましたのでご存知の方も多いと思いますが、1979年(昭和54年)のプロ野球日本シリーズでのこと。僕自身にとってもさまざまな思い出が刻まれています。

少し長くなりそうですが、今日はその時のことを。

この1979年は僕が30歳の時で、息子たちは小学生の低学年でした。僕たちはその当時から、大阪府の藤井寺市に住んでいたので、当然、息子たちは藤井寺球場を本拠地とする近鉄バファローズのファンで、僕も休日になると彼らを球場へ連れて行って一塁側スタンドで近鉄を応援していたものです。

そんな折。
プロ野球の歴史が始まって以来、まだ一度も優勝のなかった近鉄球団が、阪急ブレーブスとプレイオフを戦ったのがこの年の秋だったのです。

その年のある日の午後。僕は職場の仲間たちと作っていた野球チームの試合で、外野を守っていました。そこへ大きな打球が飛んで来て、僕は球を追って背走したのですが、雨上がりで地面が湿っていたこともあり、ズルっと滑って転倒。左足首に激痛が走りました。
「いててててて~」
立ち上がっても歩くことができず、そのまま友達に車に乗せてもらい、わが家の近くの医院まで連れて行ってもらいました。検査の結果は、骨折でした。

痛みをこらえながら、ふと、その医院でかかっていたテレビを見ると、まさにその時、近鉄が阪急を破ってパ・リーグ優勝を決め、西本監督が胴上げされているシーンが映っていました。近鉄が球団史上初めてのリーグ優勝を果たした瞬間でした。

それからしばらく、僕は仕事も休み、片脚だけで家の中を移動する生活が続きました。どこへも行けないので、仕方なくテレビばっかり見ていました。プロ野球は、近鉄と広島との日本シリーズが行われていました。

試合は本来なら近鉄の本拠地・藤井寺球場で行われるはずでしたが、この球場にはナイター設備がなかったため、当時の南海ホークスの本拠地である大阪球場が日本シリーズの舞台となりました。

第1戦、第2戦が大阪球場で行われ、近鉄が連勝。しかし、場所が広島球場に移った第3戦から5戦までは広島が3連勝。そしてまた大阪球場に戻り、第6戦は近鉄が勝ち、とうとう3勝3敗で、最後の試合を迎えることになりました。

これまで全部本拠地チームが勝っているので、この大阪での最終戦も近鉄が勝つとみんな思っていたことでしょう。

その試合で例の「江夏の21球」のシーンが生まれるわけですが、この日は日曜日だったので、2人の息子たちと一緒に最終戦をテレビ観戦していました。

試合は息詰まる展開の中、4対3で広島がリードし、いよいよ9回裏、近鉄最後の攻撃を迎えました。ピッチャーは7回から出てきた江夏。その江夏を近鉄が最後の執念をみせて攻め立てました。ヒットと盗塁、四球、四球でノーアウト満塁のチャンスを迎えたのです。逆転サヨナラ勝ちで日本一! と、近鉄ファンなら誰もが思った瞬間です。むろん、わが家のテレビの前でも、息子たちは息を飲むようにして「その瞬間」を信じ、じ~っとテレビを睨んでいました。

江夏がピンチを招いたことで、広島ベンチは次の投手を準備するため、ブルペンで他の投手を投げさせます。それを見た江夏が、「なにしとんねん。ここはオレに任せんかい!」ということでムッとした表情になったようです。その表情から江夏の心境を察知したのが一塁手の衣笠選手だったそうで、さっとマウンドに駆け寄りました。テレビを見ていた僕は、江夏の表情には気がつきませんでしたが、衣笠が江夏のところへ行って何か話したシーンはよく覚えています。

その時、衣笠は江夏に、「お前がやめるなら、俺もいっしょにやめてやる」と言った、とのことです。それによって江夏は平常心を取り戻した、ということなんだそうです。な~るほど。江夏が後続を0点に押さえ広島が日本一になったのは、衣笠選手の一言があったから、というのが今や伝説となっているんですね。

近鉄ファンとしてはそれよりとにかく「無死満塁から逆転サヨナラ勝ち」しか頭になく、次のバッター佐々木恭介が三塁ベース上を抜ける打球を放った瞬間に「やった~逆転サヨナラ!」と息子たちと万歳をしたものです。しかし惜しいことに、わずかにファールでした。あれがもう少し中に入っていたらなぁ、と今でも思ってしまうシーンでしたね。結局佐々木はそのあと三振に終わりました。これで一死満塁です。

そして次に打席に立った石渡がスクイズをした。が、江夏に外されてスクイズは空振りに終わり、飛び出した三塁ランナーは痛恨のタッチアウト。あぁ、一死満塁から二死2、3塁になってしまった。しかしまだヒット1本で逆転サヨナラのチャンスは残っていた。なのに、その石渡は空振りの三振に終わってしまい、試合は終了したのでした。江夏は飛び上がって喜び、広島が日本一になったというわけです。

と、球史に残る試合でしたが、近鉄ファンには残念無念な試合でした。

衣笠さんの訃報に接し、「江夏の21球」という懐かしい言葉を聞いて、今からもう39年も昔の話を、昨日のことのように鮮明に思い出した次第です。

 

 

★その時の映像はこれです。 

 https://www.youtube.com/watch?v=m1E4dTGyECM

 

 

 

 

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