「ならぬものはならぬものです」
藤原正彦著『国家の品格』でも触れられている、江戸時代の会津藩、日新館という藩校で教えられていた武士の教えだ。
訳せば「いけないことはいけない」
やってはいけないことは問答無用でやってはいけない。
そこに理由はない。
明確な論理はない。
ただ「やっちゃダメ」なのだ。
具体的には、弱い者イジメ、卑怯なこと、嘘をつくこと、年長者に背くこと……それらを問答無用に会津藩では「やっちゃダメ」と教えていた。
法律とかしがらみとかそんなこと関係なく、人としてとにかく「やっちゃダメ」なものは「やっちゃダメ」なのだ。
今の内閣に武士道があれば、ね。
そう思う。
……というのは、タイムリーな前置きとして。
「ならぬものはならぬ」にはもうひとつの意味が考えられる。
「ダメなものはダメ」
「無理なものは無理」
僕は最近この「ダメなものはダメ」「無理なものは無理」に悩んでいる。
不可能なことは絶対にどこまでいっても不可能なのか?
世の中に可能性が全くないなんてことがあるのだろうか?
自分の力で打ち破ることは出来ないのか?
達成することは、手に入れることは、絶対に出来ないのか?
夢に向かって人は精一杯努力する。
手に入れる夢、手に入れられない夢、当然ある。
むしろ「夢はかなわないからこそ夢だ」という人もいる。
ただわずかな希望があるから、それは夢であるはずだ。
希望がなかったら、それは夢にさえなり得ない。
希望はないよ、とはっきり宣告されたとき、その夢をあきらめるには時間がかかる。
そして、そこには喪失感と痛みが伴う。
それが怖いから人は夢にすがりつく。
すがりつくことは醜いことなのだろうか?
……分からない。
短い人生で何を手に入れ、何を手に入れられないのか?
本当に欲しいものは何なのか?
本当に欲しかったものをどれだけ手に入れられるのか?
考えると、明日が怖くなる。
なんてことを書いてみた。
すまん。
少し酒を飲んでいるのだ。
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