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ディズニーにスター・ウォーズは売却された。
そしてディズニー主導によるスピンオフ作品がガンガン作られていく。
そのガンガンスピンオフの第1弾。
正直言うと「もうどうでもいいや」という気分だった。
これ以上スター・ウォーズをレイプされてもなぁ〜という気持ちだった。
一応1回ぐらい映画館で観てみるかぐらいの気持ち。
その感想。
いかーん!
激アツじゃないかっ!
これは激アツとしか言いようがないっ!
一般の観客がどう思うかはまーーーったく分からない(笑)。
だが僕のようなエピソード456こそ神映画(逆に言えば456以外は全部クソ)として崇めている生粋のオールド&ディープなスター・ウォーズファンにしてみると、今回の映画はあまりにもアツイ!
映画としては星3つ。★★★
前半があまりにも退屈だし、ストーリーには中身なんて何もないから。
だがクライマックスの戦いだけを切り取って、そこへのファン目線だけで採点すれば、もう星5つ。★★★★★
激アツだっ!
久々に映画館で「おおおっ!」と身を乗り出したぞ。
「うおおおぉぉぉっっ!こう来たかぁ〜!」となり、「うぉぉぉぉっ、この監督良くわかってんなぁスター・ウォーズがっ!」と大興奮だ。
とにかく20年ぶりにちゃんとしたスター・ウォーズを観た気がする。
最高だ。
ファンとしてだ。
ファンのための激アツムービーだ!
ふと冷静になる。
これ一般の観客は大丈夫なのだろうか?
軽く昔スター・ウォーズを見たことがあるぐらいの観客は、ポカーンではないのか?
ましてやスター・ウォーズは今回が初めてという観客がこれをどう思うのかは全くわからない。
少なくとも、エピソード4「新たなる希望」だけでも観ていないと、分からないことだらけだろう。
いやそんなこと言ったらエピソード6「ジェダイの帰還」も観ておかないとダメだ。
いや待て、と言うことはエピソード5「帝国の逆襲」も観ないと意味が分からない。
というわけで、観に行くならエピソード456を観賞してからのほうがいいのだが、そんな映画もキツイ。
今回初めてスター・ウォーズを観たという観客の皆さんに感想を聞きたい。
ありなのかコレは?
なしだろうな(笑)。
そこそこ楽しめる普通のSF娯楽映画だろう。
まぁそれでいいと言えばいいのだが。
ディープファンの間にも賛否はあると思う。
これがスター・ウォーズだという人と、こんなのスター・ウォーズじゃないという人がいる。
実は僕にも不満なところはたくさんある。
でもクライマックスのバトルがそれらの不満を全て吹き飛ばしてしまうのだ。
これはつまり、僕があまりにも熱烈な旧三部作ファンだからだろう。
逆に冷静なファンは「何じゃコリャ」とさめた目で見てしまうかも知れない。
以下ネタバレ。
モフ・ターキン。
素晴らしかった。
ターキンが出てきたところで「おおっ」という興奮が静かに始まる。
そしてクライマックスの宇宙戦。
反乱軍大艦隊がやってきたところで完全にスイッチが入った。
昔「ジェダイの復讐」(当時の邦題)で観たエンドア上空の宇宙戦と同じような興奮が、今の最新CGで甦った。
しかもこのギャレス・エドワーズ監督は相当なスター・ウォーズオタクなのか、戦闘機の飛ぶスピード、カメラワーク、攻撃方法など、いちいちスター・ウォーズしているのだ。
「エピソード7」のXウイングは飛ぶスピードが速すぎてペラペラの紙飛行機にしか見えなかったが、今回のXウイングはまさに昔見たスター・ウォーズのXウイングにしか見えない。
そしてゴールド・リーダー、レッド・リーダーの昔の映像をコックピットにはめ込むファンサービス。
一般の観客には絶対分からないだろう。
あれは1977年の映画に登場した人物を合成しているのだ。
さらに宇宙戦と平行して描かれる地上戦のあの感じ。
カットバックのテンポも「ジェダイの復讐」を忠実になぞっている。
いやもう素晴らしすぎて前のめりだったよ。
「これこれ、コレが観たかったんだー〜〜〜〜っ」と心の中で叫んでたわ。
そのぐらい激アツだ。
個人的な不満点は、3点。
まずは音楽。
もう少し印象に残るような音楽を作ってくれ。
今回作曲された曲はなにひとつ印象的なものがない。
悲壮、かつメロディアスな泣けるテーマ曲をローグ・ワンのメンバーたちに捧げて欲しかった。
ジョン・ウイリアムズを継ぐものは現れないのか?
スター・ウォーズは音楽が5割ぐらい占めている。
ジョン・ウイリアムズ級の天才作曲家が出て来ないと、この先も期待出来ない。
2点目は、人が順序よく死にすぎなところ。
個人的に「順に1人ずつ死んでいく感じ」は好きじゃない。
なぜなら「死」が軽くなっていくから。
1人1人の死が軽すぎてどんどん泣けなくなっていくから。
ギャレス・エドワーズ監督は「七人の侍」に影響を受けたとインタビューに答えていたが、「七人の侍」に習うなら、最後男女2人だけで海岸で抱き合って死ぬのは違う。
満身創痍の20人ぐらいのローグ・ワンの仲間たちが覚悟を決めて死んだ方が僕は泣けた。
あるいはジンが一人ぼっちで死んだ方が僕は泣けた。
どうしてもハリウッド映画は最後の最後に男女の話をやりたがる。
「かの国は……」と「シン・ゴジラ」の大杉漣みたいにため息つきたくなるわ(笑)。
そして最後の不満はなんと言っても「レイア問題」。
最後に出てくるレイアだが、まず第一に、あんな戦闘のさなかに反乱軍旗艦の下部ドックにブロッケードランナー(船の愛称)を停泊させてデス・スターの設計図を受け取るだなんて、あまりに危険すぎる作戦で現実味なさ過ぎ。
というか馬鹿すぎ。
実際ヴェイダーがギリギリまで迫っていたわけで、脱出出来たのはただ運が良かったとしか思えないあの描写は根本的にダメ。
さらに言うなら、レイアはあのあと「エピソード4」冒頭でヴェイダーの船にブロッケードランナーを拿捕され、ヴェイダーに対して「これは外国使節団の船であり、私は大使としてオルデラーンに向かっている」としらを切るが、今回の映画のラストであそこまでヴェイダーにバッチリ船影を目撃されていてはレイアのウソが白々しすぎてバカのようである。
逆に言えば、ヴェイダーの追求も弱腰に見えてしまう。
「私はお前の船を見た」ぐらいの台詞が欲しくなってしまうので、キツイ。
つまり、レイア(と彼女を乗せたブロッケードランナー)はあの戦闘域ではなく、遠く離れた場所で待機していて、旗艦からのデータ送信を受けてオビ=ワンの待つタトゥイーンに向かうべきだったのだ。
最後の最後で今回の映画は、辻褄が合わないレイアの描写をしでかしてしまった。
実にもったいない。
まぁ他にもいろいろ不満点だらけなのだが、Blu-rayを買っても一度も観ていないエピソード123&7と違い、これに関しては最後の宇宙戦だけは何度もBlu-rayを観ることだろう。
それだけで僕にとっては十分嬉しいことなのだ。
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