地元住民の人たち。
そしてマスコミ。
そもそも「ダムが要るのか要らないのか」という観点で考えて欲しいのだが。
報道して欲しいのだが。
造ると決めたから、とか、一度やると言ったから、とか、途中まで出来ているから、とか、今から壊すほうが金がかかるから、とか、もう引っ越しちゃったから、とか、そういう理由はないんじゃないかと思う。
報道するマスコミも、地元住民寄りすぎる。
その方がエモーショナルだから、そうしているんだろうけど。
感情論に偏ると、問題の本質を見失ってしまいがちだ。
そのダムって、そのダム自体って、本当に要るの?
必要、不要、どっち?
今までどうだったとかは置いておいて、ダム自体は本当に必要なの、それとも本当は不要なの?
必要なら、造る。
不要なら、やめる。
簡単なことだ。
なのに、その観点がごっそり抜け落ちている。
地元住民の主張に、客観性があまりにもなさ過ぎる。
なにしろ、ダムは一度造ってしまったら終わりだ。
川をつぶして、渓谷をつぶして、そこに住む動植物を死滅させて、生態系と景観をボロボロにして、それでも皆さんの地元に、故郷に、本当にあのダムを造る必要があるというなら、そう主張すればいい。
ただし、造ると決めたから、とか、一度やると言ったから、とか、途中まで出来ているから、とか、今から壊すほうが金がかかるから、とか、もう引っ越しちゃったから、とか、そういうのはやめようよ。
なにしろ、一度造ってしまったら引き返せないのだ。
ダムは造らなくなるが、その分失われた生活については、きちんと保障すると言っている。
ダムを造らなくなった分、もっと金をかけて、もとあった温泉街を復活させたり、家を建てたり、田畑を整備すると言っているのだ。
話し合いの席にもつかないって、どうだろう?
そもそも、怒りの矛先は、今まで50年に渡って必要のないダム事業を押しつけ、地域を愚弄してきた自民党政権と国交省の官僚に向けるべきでは?
ここで地元住民がダム中止受け入れの英断をすれば、あの地域は未来永劫、国と官僚主導の無駄なダム建設事業にストップをかけた歴史の転換地点として人々の記憶に残り、むしろ観光客が増えたりするかも知れない。
住民たちは地元に誇りが持てるかも知れない。
いや、絶対に誇りに思うはずだ。
きっといつか「ああ、ダムを造らなくて良かった」と思う日がやって来る。
逆に「ああ、ダムを造って良かった」なんて思う日は来ない。
……少なくとも、僕はそう思う。
故郷の山や川。
美しい自然の景色。
嫌いなのかな?
そんなに失いたいのかな?
僕は川で釣りをするし、高校時代山岳部に入っていたぐらい自然が好きだ。
なので、ダムに関しては、断固反対。
全国のダム事業、すべて止まって欲しい。
基本的に自然は自然のまま、これ以上人間が手を入れない方がいいと思うのだ。
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