ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

2024年8月5日。ウクライナ侵攻から896日目

2024-08-05 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2024年8月5日。

 2021年の東京五輪期間中に日本でベラルーシからの亡命を求め、パリ五輪には陸上女子200メートルにポーランド代表として出場したクリスツィナ・ツィマノウスカヤが登場しました。
 ツィマノウスカヤ選手はベラルーシ代表として出場した東京五輪では自らの意に反して専門外の1600メートルリレーのメンバーに入れられたとし、コーチ陣を批判。これをインターネット上に流したのがよくなかったようです。ちなみいん政治的な発言をしたわけではありません。彼女は200メートル走の選手で、リレーの練習なんてしていなかったのです。
 コーチ陣は代表チームからの離脱、帰国を強制。同選手は成田空港で飛行機への搭乗を拒否した後、空港職員んい助けを求め、spの後ポーランド大使館で保護されました。そしてポーランドへ亡命しました。

 2023年8月には世界陸連が3年間の待機期間を免除して国籍変更を認め、ツィマノウスカヤ選手はポーランド代表として大会出場が可能になりました。
 片やベラルーシチームは、五輪出場を実質拒否されたので、もし、ポーランドに亡命していなかったら、ベラルーシ人選手としてパリ五輪に出られなかったでしょう。
 それがポーランド選手としてパリに行けたのですから運がいいです。

 しかし、念願の200メートル走は記録が伸びす、今日敗者復活戦に出場しましたが、23秒01というタイムで準決勝進出を逃した。試合後のインタビューで
「(昨年は)何度も体調を崩した。医師はストレスが原因だと言っている。自分が22秒50で走れることは分かっている。でも今年は無理。自分の国、自分の家に帰れないので幸せではない。この3年間は、特に精神的につらかった。両親は今もベラルーシを離れることができておらず、両親に会いたくなることもある。両親は自分を支えてくれる存在。五輪前の重要な時期にはなおさら。でも、私の置かれている状況で会うのは不可能。」
と話しました。
 メダルを取ったら、ポーランドの獲得数としてカウントされますから、亡命を受け入れてくれたポーランドに恩返しもしたいと考えていたでしょう。
 ベラルーシ側は、同選手がメダルを取ったら、悔しがっていたでしょうか。メダルを取れなかったことに安心したでしょうか。分かりません。自国の選手がほとんど五輪出場できず、もう亡命した選手のことなどどうでもよくなっているでしょうか。