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ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ベラルーシの幼稚園 その4 「準備する物」

2009-05-15 | ベラルーシ生活
 入園前に先生からそろえて持ってくる物を教えてもらいました。
 まず上履き。
 ベラルーシの幼稚園の場合、各教室ごとに更衣室があります。そこにロッカーがあるので、上着や靴を片付けます。そこまでは保護者も入れるのですが、そこから先の教室には上履きでないと入れません。
 上履きはサンダルやビーチぞうりなどさまざま。

 うっかりおもらしをしてしまった場合のことを考えて、替えの下着(パンツ、シャツ、タイツ、靴下)を用意しておきます。
 体操用のTシャツ、短パン、短い靴下、運動靴もいります。
 これも園児全員が同じ格好をするのではなく、シャツと靴下は白、短パンは黒か紺などの暗い色だったら、どんなものでもかまいません。
 適当に店で買います。ちなみにシャツは模様がない白、と言われていたのですが、かえって売ってなくて困りました。
 他の子どももみんな模様が入っていたTシャツを着ていたので、特に厳しいわけではありません。
 短パンではなくジャージのズボンをはいている子どももたくさんいました。

 4歳の年中組はこれだけです。
 しかし、5歳児(年長組)になると、幼稚園で勉強するので、必要なものが増えます。なぜなら、ベラルーシでは幼稚園は小学校入学のための予科(言い方が古いですが)と位置づけられており、年中組から数字やアルファベットの読み方を練習します。
 年長組になると、小学校入学準備コース、ということになり算数の授業もあるので大変です。
 年長組が準備するものはこんなにあります。

・数え棒
・数字扇子(0から20まで)
・丸や三角などいろいろな形がかける穴あき定規
・絵本2冊(ベラルーシ語で書かれているもの。国語の勉強で使う。)
・文字金庫
・お絵かき帳 2冊
・筆2本、1本はお絵かき用、1本は糊つけ用
・水彩絵の具
・ぬりえ 2冊
・色鉛筆
・ペン
・はさみ
・盤ゲームかそれに似たゲーム(放課後にみんなで遊ぶ。)
・20枚の紙が入れられるファイル(お絵かきの作品を入れる。卒園するときに作品ごと返してもらえる。)
・チョーク(先生が使う。)

 この数字扇子というのは何かというと、プラスチック製の扇子状に広げられる教材で、数字が裏と表に書いてあります。
 文字金庫というのは、ファイルになっていて、それを開くとビニール製のポケットがたくさんついており、その中に文字(1文字だったり子音と母音の2文字だったりする)が書かれた紙のカードを入れておくものです。
 しかし買った時点では、文字がぎっしり印刷された紙が入っているだけで、線に沿って親がきれいに切ってカードにしないといけない。しかもその文字数が多くて、切り離し作業はけっこう大変でした。
 こういった教材は文房具屋でたくさん売られています。

画像は更衣室のようすです。
 それぞれのロッカーに使う子どもの顔写真が貼り付けられている。写真の撮影は幼稚園側がしてくれるので、持参しなくてよい。ロッカーの下からは板が出てきて、腰掛けになる。使わないときはしまえる仕組み。

 ちなみに更衣室の棚の上には子どもたちのお絵かきの作品などが飾ってあります。
 また「保護者の心得」といったアドバイス集が置いてあって、閲覧できます。
 (言うことをきかない子どもへの接し方や、休日の正しい過ごし方、土日のメニュー例までありました。)
 さらには週に2回、火曜日午前と木曜日午後に、希望すれば心理カウンセラーに子どもの発達や、親の子育ての相談についてカウンセリング(無料)を受けられるので、希望者は事前に申し出ること、という案内も入っていました。

 更衣室にはお遊戯会などのお知らせが貼り出されます。各保護者にプリントして配布する、ということはなかったので、要チェックです。

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その5」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その3 「幼稚園の給食」

2009-05-14 | ベラルーシ生活
 幼稚園の給食の話が出たところで、詳しくご紹介します。
 ベラルーシの公立幼稚園では、朝食、昼食、おやつの3回の給食が出ます。
 朝食は朝8時、昼食は12時半ごろ、おやつは午後4時半ごろに出ます。
 
 幼稚園に支払う月謝のうち、ほとんどがこの給食代、と保育代ということになるのですが、日本円に直して1000円ほどでした。
 この金額はベラルーシ人でも「安い」と言っています。これは国から補助がたくさん出ているからです。
 さらに多子家庭(18歳以下の子どもが3人、あるいはそれ以上いる家庭。)だったり両親がともに身体障害者だったりすると、50%の割引きとなります。
 ちなみに月謝は銀行振り込みでした。 

 さて、給食の内容についてです。
 朝食は簡単なもので、バターが塗ってあるパンにチーズをのせたオープンサンド、2切れに飲み物(紅茶、ココア、果物のコンポート、子ども向けコーヒー飲料!)が日替わりでつきます。
 オープンサンドではなく、クッキーにバターを塗ったものであるときもあります。(このクッキーがまた大きい。そしてバターの塗り方も厚さ5ミリぐらい。)

 昼食はスープ、サラダ、黒パン、おかず、マッシュポテト、日替わりの飲み物、とリッチです。
(ああ、今自分が幼稚園に通っていたときに食べていた昼ごはんを思い出してしまいました。週に3日は母の手作り弁当で、残りの3日は卵サンドイッチと三角牛乳でした。)

 スープはボルシチ、マメのスープ、キャベツのスープ、と日替わり。
 サラダはキュウリ、トマトなどの生野菜をカットして作る野菜サラダ。ただ冬場は生野菜は高くなるので、酢漬けキュウリやキャベツ、ゆでた根菜(ビーツなど)と缶詰のグリーンピースなどをあえたものになることが多かったです。
 黒パンは一人2切れずつ配られますが、おかわり自由。
 マッシュポテトは主食のようにほぼ毎日出ていましたが、ときどき米やキビ、そばのおかゆが出るときもありました。
 おかずは、ハンバーグ、白身魚のフライ、たまねぎやにんじんと蒸し煮したお肉など、柔らかいものが出ていました。
 これもおかわり自由。

 おやつはほとんど毎回、マンナヤ・カーシャでした。
 これは小麦粉のでんぷんから作ったおかゆで、牛乳で炊き、砂糖やジャムで甘く味付けし、バターを一かけ入れた、子どもが大好きなおかゆです。
 ときどきスィルニキも出ました。(スィルニキについて詳しくはこちら。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/cook/menu.html


 朝、幼稚園へ子どもを連れて行くと、1回の入り口のそばに、このような掲示板があり、「今日のメニュー」が貼り出されています。(画像参照。)
 これで今日、自分の子どもが何を幼稚園で食べるのかすぐわかるようになっています。

 ちなみに幼稚園の中に厨房があり、調理師さんが1日3回の食事を作っています。
 食事は毎回、1グループに3人いる先生のうち「衛生担当」の先生が厨房に取りに行きます。
 食器は人数分が教室のほうにそろえてあり、食事が終わると衛生担当の先生が洗っています。 

 さて、このように充実した食生活ですが、好き嫌いをする子どもや食の細い子どもはどこにでもいます。
 ベラルーシでは子どもにおやつを持たせる親がいます。「おやつ袋」にりんごや菓子パンを入れて持たせます。
 私は1回も持たせたことがありませんが・・・。何しろ1日に給食が3回も出るのでおやつなんかあげなくてもお腹がいっぱいの状態だからです。
 好き嫌いがあって給食を食べない子どもに限って、
「給食を食べないからお腹がすくとかわいそうだ。」
とおやつを持たせる親がいます。
 とうとう保護者会で先生から
「おやつの食べすぎで、給食を残す子どもがいますから、おやつを持たせないでください。」
というお達しがありました。
 せっかくベラルーシの給食は食事のバランスを考えたメニューにしてあるのに、その代わりにおやつを食べてたら、もったいないですよね。  

(続きは 「ベラルーシの幼稚園 その4」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その2 「入園」

2009-05-14 | ベラルーシ生活
 目指す幼稚園にY子を連れて行き、
「どうしたら入園できますか?」
といきなり尋ねたわけなのですが、すると最初は「え、もう4歳?」という反応が返ってきましたが、入園に必要な書類を教えてくれました。
 親の身分証明書(パスポート)、子どもの出生証明書、入園願い届け、アンケート用紙(緊急連絡先や、親の職業、兄弟の有無、健康についての留意点や習い事などを記入する。)、健康診断書です。
 この健康診断書をもらうのが大変で、診療所内のあらゆる科を巡って診察してもらわないといけないのです。(何と言っても行列待ちが長くて大変。1週間はかあかります。)

 ようやく書類をそろえて、幼稚園に持っていくと、
「4歳児のグループは2つある。1つはロシア語グループで、もう一つはベラルーシ語グループ。ロシア語グループには空席が一つ。しかしベラルーシ語グループの子どもが一人、ちょうど4月1日からロシア語グループに移ることを希望しているため、ベラルーシ語グループに空席ができる。だからベラルーシ語グループに入ることになるけど、いいですか?」
ときかれました。
 そう、ベラルーシはロシア語とベラルーシ語の2ヶ国語が公用語なのです。
「うちの子は家では私と日本語で、父親とはロシア語で会話しているので、ベラルーシ語ができないんですけど・・・大丈夫でしょうか?」
と相談すると
「小さい子どもだから、すぐにベラルーシ語もできるようになりますよ。」
とあっさり言われ、そのままベラルーシ語グループに入園することになったのです。

 ちなみに
「この幼稚園で外国人の子どもが入園するのは初めてです。」
と言われました。
 
 第1日目は慣れるため、ということで、2時間ほどで迎えに来てください、と言われました。
 さてベラルーシの幼稚園では園児が先生にお花を贈ることになっています。
 なので、前の日からお花を買っておきました。と言うのもベラルーシの幼稚園は朝7時から登園できるのです。
 ベラルーシの花屋も朝7時から夜の10時まで開いている店がたくさんありますが、間に合わなかったら大変なので、前日に買っておきました。

 あと制服や制帽、おそろいのカバンなどもベラルーシの幼稚園はありません。
 みんな好きな格好で来ています。カバンは持ってない子がほとんどです。
 Y子には最初のうちはハンカチだのいれたカバンを持たせましたが、だんだん手ぶらで行くようになってしまいました。

 それから日本の幼稚園につきもののかわいい組の名前もベラルーシにはありません。(「ひまわり組」とか「さくら組」とかいう名前です。)
 順番に「1組」「2組」・・・で少々味気ないです。

 初登園当日は幼稚園の1階で先生が待っていてくれました。
 2階の教室に入ると、他の子どもたちが
「新しい子が来た!」
と騒いでいました。
 幼稚園入園前から新体操教室には通っていたり、月に1回はSOS子ども村の子どもたちと遊んでいたので、幼稚園初日とは言え、Y子はあまり緊張する感じではなく、他の子どもに興味津々の様子・・・。
(親のほうが心配している。)

 2時間後、迎えに行くと
「え、もう家に帰るの? 早いよー。どうして私だけ?」
とY子に文句を言われました。
 先生は
「何も問題はなかったけれど、朝ご飯を全く食べなかった。お宅では米しかたべないんですか?」
ときかれました。
 どうも興奮しすぎて、食欲が出なかったらしいです。

 こうして第1日が過ぎ、持ってこないといけないものを先生から教えてもらいました。
 第2日目はもう少し滞在時間を延ばし、昼ごはんが終わった後、迎えに来るように言われました。
 そのとおりに幼稚園に行くと、
「今日はちゃんとご飯を食べた。」
と先生が証言。
「じゃ、帰ろう。」
と言うと「帰りたくない。」
と駄々をこねるので、じゃあ、昼寝の後にまた迎えに来ます、ということになりで、再度迎えに行くと
「まだ帰りたくない。」
と言う。よっぽど幼稚園がお気に召したようで・・・。
 しかし、おやつの時間になっておかゆが配られ始めるのを見てY子は
「えー、また食べるの? Yちゃん、お腹いっぱいよ・・・。」
とつぶやいていました。

 そう、ベラルーシの幼稚園では1日3回食事が出るのです。
 
(続きは「ベラルーシの幼稚園 その3」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その1 「入園準備」

2009-05-13 | ベラルーシ生活
 はっと気がついたら、うちのY子ももうすぐ小学校1年生修了。
 ぼうっとしているといつまで経っても更新できそうにないので、今頃(遅)になってあわてて、幼稚園時代の画像の整理をしています。
 と言うわけで、今まで多くの人に予告しておきながら、すっかり遅くなってしまいましたが、ベラルーシの幼稚園についてご紹介いたします。

 ベラルーシの首都、ミンスクには約500の幼稚園、保育園があります。 
 最近は幼稚園の中に保育園が併設されている例がほとんどです。
 身体障害児童や健康に問題がある(持病を持っているため、特別な注意が必要である、など)子どもが通う特別な幼稚園もあります。
 知的障害児童の場合、義務教育期間を学校ではなく、特別な幼稚園で過ごすケースもあります。
 夜勤で働く親のために10時間保育、12時間保育、24時間保育を行っている幼稚園もあります。

 幼稚園も保育園もほとんどが国公立です。私立の幼稚園もありますが、数は非常に少なく、少人数制教育を謳っているので、私立幼稚園児数そのものが少ないです。
 保護者の一人から聞いた話では、1グループ5人、英語や算数の授業があり、さらには「お行儀」という科目まであるそうです。そして専属心理カウンセラーが園児一人ひとりの精神状態をチェック・・・。
 もちろん幼稚園に支払う金額はとても多いです。
 このような私立の幼稚園は90年代から現れ始めました。

 ソ連時代は幼稚園の増設が子ども数の増加に追いつかず、入園待ちが当たり前で「順番が来た頃にはもう小学生になっていた。」
というのも当たり前だったそうです。
 ちなみに50年代後半から60年代前半に幼児だったS夫とその兄弟は、誰も幼稚園に通っていません。
 幼稚園に通っていない子どもがたくさんいたそうです。

 しかし、80年代から少子化が進み、現在は順番待ちはなくなり、希望すれば誰でも幼稚園に入ることができるようになりました。
 さらには幼稚園が閉鎖されて、児童館や夜間学校など、別の教育施設として利用されたりしているケースも増えていました。
 ところが5年ほどはベラルーシの出生率は微増しています。また首都への人口流入も止まらないため、若い夫婦の多いベッドタウンなどでは、希望の幼稚園に入園できないケースも出てきています。
 もっとも、そのようなベッドタウンでは計画的に街づくりが行われているので、幼稚園も最初から計画的に建てられます。
 
 さて、そういう我が家もそのようなベッドタウンの一角に住んでいるのですが・・・
 幼稚園探しを始めるまでもなく、自宅の前を横切る道路を渡ったところに3つ、道路を渡らず、歩いて5分ぐらいのところにも一つ幼稚園があります。
 ただし一つは国立の障害児が通う専門の幼稚園であるため、Y子は入園できません。
 とは言うものの、徒歩5分内に3つも幼稚園があって、どれにしようか迷うぐらいです。
 ちなみに我が町内には15の幼稚園があります。(公立の学校は11校あります。)

 当時その家の前の道路には横断歩道があったものの、信号がまだ取り付けられておらず、子どもの手を引いて道を渡るのが少々怖かったので、道路を横断しなくても行ける、3つの中では一番遠い(と言っても徒歩5分。)幼稚園に決めました。
 ちなみにこの幼稚園は約30年前に建てられた幼稚園で、ミンスクでは約300番目の公立幼稚園です。
 各年齢ごとに2グループごとがあり、1グループの定員は25人。各グループに3人の保育士さん、幼稚園の先生がついています。
 また医師から慢性病を持っているわけではないが、体が弱い体質、と診断された子どもだけが集められた年齢の関係ないグループが一つあります。(このグループには7人しかおらず、教室の場所は1階の入り口と保健室のすぐ横にありました。)
 ちなみに保健室には2人の医師が1日交代で勤務しており、1年に1回身体検査をしていました。

 法律上はベラルーシの保育園は子どもが生後2ヶ月から通えることになっていますが、実際にはそんなことを実行する親はいません。
 また保育園や幼稚園によって「自分で靴が履けること」などを独自の入園の条件にしているところもあります。
 そのため何歳から入園する、とはきっちり決まっておらず、また何月から通うのかも親の自由です。
 でも大体は遅くとも3歳までに幼稚園に入園させます。
 ベラルーシは出産後3年の育児休暇を取ることができるので、子どもが3歳になったら職場復帰するため、幼稚園に入ることになります。
 しかし、ベラルーシの経済事情が慢性的によくならないため、3年の育児休暇を取らず、出産後1年や2年で職場復帰し、子どもを保育園に預ける母親が多いです。

 そういう私はしっかり3年分の育児休暇を取ってから職場復帰し、子どもが4歳になっても幼稚園に入園させませんでした。
 どうしてかと言うと、日本語を教えたかったからです。日本語もロシア語もうまくできなうちに幼稚園へ通わせると、ロシア語は上達するけれど、日本語は上達しなくなるからです。
 そのためわざと幼稚園に通わせず、家で私とは日本語の会話をしていました。
 4歳も過ぎると、語彙も増え、日本語の発音もしっかりし、自分の言いたいこと(「お腹がすいた。」「何々がしたい。」など)も日本語で話せるようになったので、日本語の基礎はできたと思いました。
 それから幼稚園に入園させることにしました。

(その間、私は仕事をどうしていたかと言うと、夫と時間をやり繰りしていました。幸い図書館勤務なので、日曜日が一番忙しいため、一日中働き、平日は勤務時間が減るように調節したのです。日曜日はその日が休みの夫が子守りをしていました。
 平日の昼間は私が子守り。昼寝をしたら出勤。そして昼寝から目が覚める前に夫が帰宅するようにしていたのです。どうしても2人とも無理な場合は月に1回ぐらいでしたが、夫の親戚に預けていました。)
 
 こうして他の子どもより入学が遅かったうえ、しかも暖かくなってからのほうがいいだろうと考え、4月1日の入園を希望して、幼稚園の門を叩いたのは、2006年3月10日・・・。

 
(続きは「ベラルーシの幼稚園 その2」をご覧ください。)

後ろ方向のつま先立ち

2009-05-02 | ベラルーシ生活
 つま先が後ろに向いたつま先立ち、足の部分の拡大画像です。
 うう・・・本当に痛くないのか?
 しかし小さい子ども(小学校低学年ぐらいまで)なら、練習すればできるようになります。
 Y子は3歳のときに
「S夫が子どものときにできていたから。」
ということで、試しにやらしてみたら、すぐにこの足の状態で歩き始めた。(初めて見たときはびっくりした。)
 それからは走ったり、ジャンプ(着地のときもつま先が後ろを向いている。)ができるようになりました。
 そのまま7歳になった今でもできている状態です。

 ちなみに4歳のときに新体操を始めてしばらくしたときにもトレーナーが、これを生徒にさせていた。
 10人ほどのグループ(にわとりチーム)で、言われてすぐにできたのはY子とあと1人の2人だけ・・・。
 しかし、しばらく練習していたらグループ全員できるようになったそうです。
 なので、幼児のいる皆さん、試しに教えてみてはいかがでしょうか?
 でもけっして無理しないでね! (私は責任負いません。)
 それと、こんなことができるからって、人生得することも別にないし・・・(^^;)
(新体操選手やバレリーナを目指している場合は得ですが。)
  

飲みすぎに注意。飲みすぎた人にも注意

2009-04-25 | ベラルーシ生活
 ベラルーシはウオッカの国ですから、アルコール中毒だの、飲酒が原因の事件や事故などしょっちゅうです。
 夜中の公園で服を脱ぐぐらい、まだかわいいものです。

 これはおととい、4月23日にベラルーシ東部の街、オルシャで起こった事件です。
「ペットをいじめられたという理由でカップルを殺害」

http://news.livedoor.com/article/detail/4126253/


 ロシア語ニュースサイトによると、もう少し詳しく報道されていました。それによると・・・
 20歳の男性が飼い犬を森の中で散歩させていました。
(ベラルーシは森がいっぱいなので、住宅地のすぐそばに森が広がっていることが多く、犬と散歩している人もたくさんいます。)
 すると酔っ払ったカップルが通りかかり、犬をからかったり、いじめたりし始めました。
 飼い主は怒って、本人曰く「犬を守るため」近くにあった丸太をつかみ、まず男性の頭部を殴って、撲殺。
 その後女性のほうも体中をやはり丸太で叩き続け、撲殺。
 飼い主は逮捕され、拘留中。しかもこの飼い主自身が散歩をしていたときにやはり酔っ払っていたそうです。人を殺した理由を
「四つ足の友への愛がこうさせた。」
と警察で供述したそうです。(この犬しか友達がいない、という孤独な人なのかもしれないけど、だからって人を殺さなくても・・・)
 
 しかもこの飼い主、犯罪の前科があるらしい。前科のほうは飲酒がからんでいたのかどうか、ニュースでは報道されていませんでしたが、今回の殺人事件では、とにかく加害者か被害者かどちらかが酔っ払っていなかったら、こんなことにはならなかったのは間違いありません。
 酔っ払ってなかったら、このカップルも犬をからかったりしなかっただろうし。

 そうそう。ベラルーシでは酔いを冷ますためにどうするかと言うと、散歩する人が多いです。
 冬、寒くても「散歩するのがいい。」と言って、歩き回る人がいます。
 効き目はあると思いますが、泥酔状態でこれを冬にやって、雪の中に倒れたりすると、すごく危ないです。
 やめておきましょう・・・と言っても日本人でこんなことをする人はいないと思いますが。
 私が言いたいのは、ベラルーシには酔っ払いが大勢散歩しているので、注意が必要、ということです。
 もっともからんできたとしても、相手が泥酔状態なら、こっちは走って逃げれば、相手は千鳥足なので、追いつくことができないから大丈夫です。

 それからベラルーシでは酔っ払って、路上で寝込んでいる人をときどき見かけます。(土日や祝祭日の翌日に多い。)
 夏の場合、通行人は完全無視しています。
 しかし病気で発作が起こって意識を失っている人もいないとは限らないと思うんですが、そういう病気で救急処置が必要な人が倒れていても
「また酔っ払って寝てる。」
とほったらかしにされてしまうんだろうな、と思うと怖いですね。

 一方で、こんな話もあります。
 S夫の知り合い(20代・男性)はあるとき友達の誕生日に呼ばれ、楽しく飲んだ後、酔いを冷ますため、友人2人と連れ立って、夜遅くに散歩をしていました。
 するとバス停のベンチで、酔っ払って寝ている女性がいる。
 若い女性だったので、危ない(強姦被害に遭う可能性がある。またベラルーシで強姦被害者女性の3分の2が、当時酔っ払っていた、あるいは飲酒させられていたという統計があります。)ので、その人は親切にも
「大丈夫ですか? 迎えに来るよう家の人に電話してあげましょうか?」
と声をかけたそうです。
 ところがその女の人は「うっさいわね、ほっといてよ。」と言ったので、そのまま、散歩を続けていたら、突然警察が追いかけてきた。
 警官の傍らには先ほどの女性が・・・
 何でもベンチで寝ている間に、ハンドバッグを盗まれた、と女性が警察に訴えたのです。
 しかもその女性は
「その男! 声に聞き覚えがあるわ! こいつが犯人よ!」
と指差したため、窃盗容疑でそのかわいそうなS夫の知人は身柄拘束。
「盗んでいない!」
と主張し続けたものの、留置所で1泊2日し、その後証拠不十分で解放。
 それはよかったものの、恐ろしいのはその2日間、食事が与えられず、大きいコップにいれられた紅茶2杯しかもらえなかった・・・ということです。(@_@)
 怖いよ、ベラルーシの警察。日本だったら食事を与えなかった、ということで警察を訴えることができますが、もちろんその知人は訴えなど起こしていません。無駄だからです。

 ちなみにロシアでは廃止されたけど、ベラルーシは死刑が残っております。死刑の方法は銃殺です。
 死刑を廃止しようという運動もあるけど、弱い。(日本と同じですかね・・・。)

 必要以上に怖がるのも精神上よくないですが、やはり君子危うきに近寄らず・・・ということになるのでしょうか。
 とにかく飲酒が原因で、殺されたり逮捕されたりなんて避けたいですね。

 ちなみにベラルーシでは夏、飲酒をして酔っ払い、「暑いから。」(日本人と比べると、かなり暑さに弱いベラルーシ人。)と、これまた国内にいっぱいある湖に飛び込み、心臓発作を起こしたり、溺死する人が大勢います。毎年500人から600人が飲酒後の水死で亡くなっているそうです。
 ベラルーシの人口は日本の10分の1以下なので、この数字は大きいですよ。

 さらに殺人事件の被害に遭い、死亡する人は1年に800人から1000人。日本は約1500人でしたね。
 人口比で考えると、ベラルーシは日本より殺人事件が頻発していることになります。

 日本人の皆さん、ベラルーシに来て、ウオッカを勧められても、断りたかったら、きっぱり断りましょう。
(まあ、勧めてくるベラルーシ人がすでに酔っ払っていて、こっちの言っていることに耳を貸さない場合も多いけど・・・。)(^^;)

3月8日コンサートで「さくら」が歌われました。 

2009-03-10 | ベラルーシ生活
 毎年恒例のトーダル「国際婦人デー(3月8日)コンサート」で、日本の歌「さくら」がベラルーシ語で歌われました。今回は「さくら」を歌っているクセニヤさんが着物を着ました。(ちょっと変な感じですが・・・「着物」ではなく「舞台衣装」と思っていただければ・・・。)(^^;)
 コンサートについて詳しくは「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ」でご紹介しています。

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa


 ベラルーシ語で歌う日本の歌「月と日」についてはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


ソ連撤退20年

2009-02-18 | ベラルーシ生活
 2009年2月15日、ソ連がアフガニスタンから完全撤退して20年となりました。日本での報道はこちらです。
「米は教訓学べ」 元ソ連兵 アフガン戦争誤り ソ連撤退20年(産経新聞) - goo ニュース


【モスクワ=佐藤貴生】ソ連がアフガニスタンから完全撤退して20年となった。約10年に及ぶ駐留で総兵力60万人以上を投入、多大な出費を強いられたアフガン侵攻はソ連社会に断絶と国力の衰退をもたらし、結果としてソ連崩壊を早める役割を果たした。かつてのアフガンを知る元兵士の間では、かの地で復活したイスラム原理主義勢力タリバンの掃討作戦を進める米国に対し、「米国はアフガンで勝利することはできない。ソ連の教訓を学ぶべきだ」といった声も聞かれる。

 アフガン撤退から20周年にあたる15日には、ロシア国内のほかウクライナ、ベラルーシなど旧ソ連各地で記念式典が行われた。戦闘ではソ連軍兵士1万5000人以上が死亡したとされ、メドべージェフ露大統領は「母国の目的に命をささげた人々すべてのことを忘れない」などと弔意を述べた。

 ロシアの主要紙はこのニュースに関し、論評などはほとんど掲載していない。有力週刊誌ブラスチ最新号は、祖国に戻っても社会に適応できなかった「アフガンツィ」(アフガン帰還兵)と呼ばれる元兵士らの戦後を伝える特集記事を掲載。現地でイスラム教に改宗、結婚して家族を持った者もいるなど、「ソ連のベトナム戦争」として社会に大きな混乱をもたらした侵攻の実像を伝えている。

 「全ロシア世論調査センター」が最近行った世論調査結果によると、国民の47%が「侵攻は無責任な指導陣による政治的冒険」だったと回答した。また、58%は「侵攻する理由はなかった」と考えている。

 当時ソ連軍中将だったルスラン・アウシェフ元イングーシ共和国大統領はロイター通信に、「私たちの戦略はおそらく間違っていた。アフガンに兵を送るべきではなかった。安定を願うのなら、彼ら自身が国を作る機会を与えるべきだ」とコメントした。

 国土の大半が山岳地帯で、熱暑と酷寒から逃れる場所もないアフガンで、ソ連軍は地の利を熟知するゲリラに苦しめられた。そのアフガンでの「テロとの戦い」を、オバマ米政権は最重要課題のひとつに挙げ、夏までに約1万人を増派する方針とされる。

 こうした米国の姿勢に、フランス通信(AFP)は、「彼ら(米軍)は決して勝つことはできない。遅くなる前に行動すべきだ。(米軍はソ連軍の最大の教訓として)敗北を受け入れるべきだ」とするロシアの退役軍人の見方を伝えている。


・・・・・・・

 2月15日、ベラルーシでも記念式典がミンスク市内のアフガニスタン戦死者慰霊の島で行われました。
 アフガニスタン戦死者慰霊の島についてはHP「ベラルーシの部屋」内でご紹介しています。こちらをどうぞ。
http://belapakoi.s1.xrea.com/gh/city/minsk/menu.html

 2月15日には雪が降りしきる中、大勢の関係者が式典に参加しました。島にかけられている橋から人が落っこちそうなほど、ぎゅうぎゅう詰めになっていました。

 ベラルーシのジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの著作「アフガン帰還兵の証言 」などについてはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9cf3f3f7eeb4ff96754527f70ff3c690


 ここから先はS夫の双子のお兄さんの話になります。お兄さんはアフガン帰還兵です。この間二人そろって50歳の誕生日を迎えました。
 2月15日、お兄さんは アフガニスタン戦死者慰霊の島での記念式典には行きませんでしたが、記念メダルの授与式には出席しました。
 何でも町ことに「うちの町内にはこれだけのアフガン帰還兵がいる。」という名簿があるそうです。
 数日前にはお兄さんの家に記念メダル授与式への案内が郵便で届いていたので、15日当日、役所に行ったそうです。
 すると18人ばかりの帰還兵が集まっていました。(私、お兄さんとは同じ町内に住んでいるのですが、18人というのは少なすぎますね。呼ばれても来なかった人のほうが多かったのかも。)
 すると、役所のお偉いさんが、「皆さんの勇気ある行動に敬意を表し・・・」とかおったお決まりの祝辞を述べ、(お兄さんは半分寝ながら聞いていたそうですが。)記念メダルがそれぞれに授与されました。それで散会。

 その後、お兄さんからその記念メダルを見せてもらいました。表にアフガニスタン戦死者慰霊の島の鐘楼がデザインされており、「撤退20周年記念」の文字がありました。
 しかしお兄さんが言うには
「表のデザインはだめだ。裏のほうだよ、裏。」
 メダルの裏側にはアフガニスタンの家並み、そしてその上空にはヘリコプター、道路には戦車がデザインされていました。

 お兄さんは高校卒業後、兵役義務についていました。S夫も双子なので、全く同じ時期に同じ経歴を歩んでいます。
 その後職業軍人となり、軍用飛行機の整備士をしていました。
 その頃お兄さんは結婚し、子どもも生まれたのですが、当時のベラルーシは慢性的な住宅不足が続いており、お兄さんの両親と同居していました。
 しかしよくある話ですが、姑と嫁の折り合いが悪い。別居したいと考えましたが、家がない・・・という状況でした。

 ちょうどその頃、
「アフガンに行けば、3DKのアパートがもらえる。」
という話が軍の中で持ち上がり、お兄さんはそれに飛びついてしまったのです。
 アフガンに行きたくなかったのに行かされた若い兵士もたくさんいますが、こういう甘い話に心動かされて、自らアフガンに行くことを希望した人もいっぱいいたのです。
 またこのお兄さんの世代の父親は戦中派なので、(しかも戦勝国。)親から勇ましい話を子どものときから聞いていて、戦争に行くのにもあまり抵抗がない人もたくさんいたのではないでしょうか。
 一方で、お兄さんのお母さんは、日本で言うところのお百度参りのようなことをしていたそうです。

 アフガンではお兄さんがいた部隊(軍用機の整備)にいた半分の人が死んでしまいました。
 お兄さんはマラリアにかかり、重症となったので、ミンスクの病院に送られました。
 知らせを受けて妻であるお義姉さんが病院へ行くと、マラリアにかかって帰還した兵士がずらっと並んだベッドに寝かされている。お兄さんはと言えば高熱で意識不明の状態でした。
 そのお兄さんの口元に何やら白い粉がふりかけてある・・・。これは熱冷ましの薬だったのです。定期的に看護師が病室にやってきて、意識不明の患者の口元に粉薬をパラパラふりかけて、はい、投薬完了。
 それを見たお義姉さんはぶち切れて、粉薬を水といっしょに飲ませないとは、何事か、いや重症で意識もないような患者に粉薬、というのがめちゃくちゃで、これでは治療をしているとは言えず、死ねと言っているようなものだ、と看護師や医者に言って回ったそうです。

 お兄さんは幸い、マラリアからは回復しましたが、後遺症で手が震えたり、病気がちになったり、アルコール依存症になったり、治ったり、を繰り返しています。
 お約束の3DKアパートはちゃんと支給され、現在でも家族で暮らしています。今では結婚した娘夫婦が同居していて「狭い。」とか文句を言っているんですが・・・。
 アフガン帰還兵に対する差別が存在すると、よく言われますが、少なくともお兄さんの周りにはありません。 
 記念メダルを見せるお兄さんにS夫は
「でも、行かされたわけじゃなくて、自分で志願したんだろ? 親戚全員が反対したのにさ・・・。」
と冷たいです。
 しかし、アフガニスタンから還ってきたお兄さんにそこで何を見たのか、親戚の誰もが、「怖くてきけない・・・。」と言っています。
 お兄さんもいまだに、アフガニスタンでの自分の体験談を、自分から話したことはほとんどありません。自分の父親は第2次世界大戦中の話を、今でも自慢していますが・・・。この世代のギャップ、ベラルーシ中になるのだろうな、と思います。


「欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶」のニュース 2

2009-01-12 | ベラルーシ生活
零下10度のガス停止 凍える東欧、まき求め長い列(朝日新聞) - goo ニュース

 早く解決しないですかねえ・・・この問題。
 昔(いや、今でもそうですが。)ロシアからのエネルギー輸入に頼っているベラルーシは、ロシアからエネルギーが供給されなくなると、特に冬場は死活問題となるため、薪を用意しておくほうがいいよ、とベラルーシ人に言われたことがあります。
 冗談でしょ! と言ったら、冗談じゃない、とちょっと笑った顔で言われたんですが・・・
 実際に暖房のため薪を求める、という事態が起こってしまいました。ただし、ベラルーシではなく、他の東欧諸国ですが。

 前の投稿にも書きましたが、ベラルーシは暖房がきいていて、室内はとても暖かいです。
 ロシアからベラルーシにパイプラインが伸びているからですが、これはそのままヨーロッパの国につながっています。(ポーランドやドイツなど。)

 ウクライナを通るパイプラインでこんな問題が起こるのなら、ベラルーシを十手いるパイプラインのほうで、何とか「下流」の国々を助けられないのか・・・
と思いますが、ベラルーシのパイプラインはウクライナのパイプラインより、細くてとても必要な供給量をまかなえないのだそうです。うーん。


・・・・・・・

 この騒動、1月20日になってようやく決着が着き、ガスの供給も再開されました。しかし騒動の火種が完全に消えたわけではありません。
 同じようなことが繰り返される可能性が大いにあります。
 それから3年後にウクライナやベラルーシを仲介しなくても天然ガスをロシアからヨーロッパへ供給できる新しいパイプラインが完成するそうですね。詳しくは以下のサイトをどうぞ。これが完成したら、ウクライナだけではなくベラルーシの対ロシア外交が大きく変化するかもしれません。

欧州も震えた「ガス大騒動」の顛末
ロシア vs ウクライナの熾烈な綱引き  

http://diamond.jp/series/closeup/09_01_31_001/


欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶

2009-01-08 | ベラルーシ生活
 新年早々飛び込んできたニュース。

欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶(共同通信) - gooニュース


 いやはや。ウクライナはどうしてこんなことをしているんでしょうね?
 いや、ウクライナ側は「ガスを止めたのはロシアのほうだ。」と主張しています。
 隣国ベラルーシでは、このようなガスが止まるといった事態は起こっていません。ロシアから直接天然ガスを輸入していますからね。
 それよりウクライナの「下流」に当たる国々が大変ですよ。この寒い時期に・・・。
 ベラルーシはお正月が明けてから、急に寒くなり、マイナス15度ぐらいの気温になっています。
 寒いです。
 家から一歩外に出るとダイヤモンドダストが見られます。
 我が家の車は凍りました。動いていません。S夫君、かわいそうに。(でも障害者だからバス代無料です。)
 昨日のクリスマスも終わって、今日から新学期です。祝日気分も終わって通常の生活が始まりました。
 ベラルーシは室内はどこも暖房、お湯が供給されており、暖かいですので、日本に住む皆様、ご心配なさらぬよう・・・

 

第17回世界パズル選手権がミンスクで開催されました

2008-11-10 | ベラルーシ生活
 10月27 日~11月1日にベラルーシ・ミンスクにて「第17回世界パズル選手権(17th World Puzzle Championship)」が開催されました。
 もちろんベラルーシでは初開催です。
 実はこういうパズルの世界選手権というものがある、ということすら私は全然知りませんでした。でももうすでに17回目の開催なんですねえ。
 参加した日本チームは22か国中、2年連続の団体準優勝をおさめました。すごいですねえ。
 (このパズルの問題、どれも私は全然できないと思います。)(^^;)
 
 画像満載の詳細レポートは日本チームの代表者を決定する「日本パズル選手権」を主催している出版社「世界文化社」のHPから見ることができます。ぜひご覧ください。

http://jpc.puzzler.ne.jp/

(話はそれるのですが、日本チームを引率し、このレポートを書いた世界文化社のHさんは、宿泊先のホテルのロビーで財布を落としたそうです。最悪。ホテルの従業員は「このホテルには物を盗むような人間は働いていません。」とホテルの従業員が拾って懐に入れたことは否定。そりゃそうですよね。しかし、ホテルには不特定多数の人間が出入りできます。明らかに泥酔状態の人間は入り口で追い返されますが。だから、悪者がいないわけではないので、ホテルと言えど、ベラルーシでは落とした財布は見つからない、と考えて注意してください。)

 「世界パズル選手権」の公式サイト(英語)からは成績の結果一覧が見られます。開催国のベラルーシの選手ももちろん参加しています。ベラルーシでもこんなパズル選手がいるとは・・・全く知りませんでした。

http://wpc2008.org/results


 9月のクレー射撃ワールドカップ(詳細はこちら。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/e2ff1b7a797dc9b88c6f7eb35afe9d30


といい、今回の世界パズル選手権といい、国際大会がミンスクで開催されると、
「ああ、ミンスクも一国の首都らしく、知名度が上がってきたか・・・。」
と感慨深いものがありますねえ。(^^;)
 この間もサッカーでベラルーシとイギリスがミンスクのスタジアムで試合をして、イギリス人サポーターがどっとやってきて、警察が走り回っておりました。
 ミンスクでこんなに大勢のイギリス人がまとめてやってくること自体が、初めてですからねえ。

 この調子で、ベラルーシも世界的に知名度を上げて、
「ベラルーシ? ミンスク? どこそれ?」
と言われなくなる日が早く来てほしいものです。
 ちなみに日本人だけではなく、他のヨーロッパの国の人でも、ベラルーシのことを知らない人がいっぱいいます。隣の隣のドイツでも知名度が低くて、ロシアのどこかだと思っている人が多いそうです。

 しかし、このようなパズル選手権に出場した多くの国の選手のみなさんは一生、ミンスクに行ったことを忘れないでしょうね。
 

今年もまたぶどう酒作り

2008-11-08 | ベラルーシ生活
 昨年2007年11月21日の記事「ぶどう酒作り」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/08e16ee689642ef98bd332427c99859d


 今年もまたぶどう酒作りに挑戦しています! 
 ぶどうを栽培しているというベラルーシ人の多くから
「今年はうまく熟さなかった。」「熟す前に腐ってしまった。」
という話をきいたのですが、なぜかS夫の両親のダーチャではぶどうが大豊作!
 それをもらって自宅でぶどう酒を作っています。今年は去年の3倍ぐらいの収穫量でたくさんぶどう酒ができそうです。
 (瓶を割らないように注意しなくては・・・)(^^;)

 完成したらブログでご報告します。
 新年はこのぶどう酒で乾杯したいものですねえ。
 親戚からも「上手にできたら一瓶分けて。」と言われているので、責任重大です。
 画像でご覧のように、「皆さん」幸い
「はーい、うまく熟成進んでます!」
という手の上げ具合なので、大丈夫でしょう。(^^)
(2名ほど手を上げていない人がいますが、これは手を上げている人の中身と混ぜ合わせたところ、その後は手を上げてくれました。)(^^;)

 

射撃クラブ スポーティング・クラブの紹介 その24

2008-10-15 | ベラルーシ生活
アーチェリーのトレーナーとして手本を見せるS夫です。
 ちなみにアーチェリーのトレーニング代は1時間で、約4000円です。(弓の貸し出しもこの料金の中に入っています。)
 トレーニングができるのは、スポーティング・クラブの会員と、同伴したその家族、あるいは知人に限られます。
 スポーティング・クラブでは会員希望者が参加できるアーチェリーの試合も行われています。
 
 ちなみにテニスコートの使料は1時間約1500円です。
(ただしこの値段にラケットなど用具は自分持ち。インストラクターはつきません。)

 このほかにも、スポーティング・クラブでは会員向けのイベントをクラブ敷地内で開催しています。
 べラルーシの春のお祭「バター祭」や「火祭り」(火を使ったサーカス)などが今までに、開催されました。

 それではみなさん、ぜひスポーティング・クラブのVIP会員になってください。(^^)
 

射撃クラブ スポーティング・クラブの紹介 その23

2008-10-15 | ベラルーシ生活
 せっかくなので、もう1枚中庭の画像をアップします。
 日本(風)庭園に心がなごみますね。
 築山や白砂が和風ですが、背景に広がるのはベラルーシの白樺林。
 何だか美しくて不思議な光景です・・・。  

射撃クラブ スポーティング・クラブの紹介 その22

2008-10-15 | ベラルーシ生活
 サウナが入っている建物から見た中庭のようす。
 サウナで温まった後、飛び込む(^^;)ための小さいプールが外にあります。
その後、再びサウナに戻ります。
 これを繰り返して、体を温めたり冷やしたりして、新陳代謝を促します。
 夏はともかく、冬にベラルーシでこれをすると、サウナと外気の温度差が60度ぐらいになって、とても効果があります。(が、心臓の弱い人はしないほうがいいでしょう・・・。)(^^;)
でもこれで射撃の練習の疲れを取ることができるでしょうね・・・