電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

メンデルスゾーンの悩みの根源

2010年10月15日 06時02分36秒 | クラシック音楽
メンデルスゾーンの音楽は、ロマン派を代表するものの一つとして、その甘美な輝きを愛されてきていると思います。子供向けの伝記などには、裕福な銀行家の息子として英才教育を受け、何一つ不自由のない少年時代をおくったと説明されていることが多いようです。また、音楽のほうも、才能豊かなお金持ちの御曹司による幸福な音楽、という形容がほぼ定着しているかのようです。

ところが、メンデルスゾーンの音楽には、嵐のような激しさやメランコリー、苦悩の影などを感じさせるものが少なくなく、20歳で蘇演したバッハの劇的な「マタイ受難曲」への傾倒など、悲劇的な事件に対する共感の強さを示すものとして理解することができます。

メンデルスゾーンの苦悩の原因は、改宗ユダヤ人としての出自にあることはすぐ想像できますが、現代の私たちは、19世紀前半のドイツにおけるユダヤ人の社会的地位について、ほとんど手がかりを持ちません。多少の偏見はあったかもしれないが、ちゃんと市民権を持ち、普通に生活できたと考えがちです。

ところが、たまたまユダヤ人の法的地位について Google 検索しているうちに、興味深い論文(*1)を読むことができました。ドイツ都市部ではもう少し進歩的であったろうとは思いますが、市民権を付与すべきかどうか、州議会が長年議論するような時代であったということがよくわかります。若く才能豊かなメンデルスゾーンに対し、おそらく風当たりは相当に強く、腹立たしい思いにかられることも少なくなかったことでしょう。なるほど、オラトリオ「エリア」の作曲などは、そういう前提で考えると、よく理解できるように思います。

(*):割田聖史「ポーゼン州のユダヤ教徒の法的地位(一八一五-一八四五)に関する一考察 ポーゼン州議会における議論と一八三三年の暫定規定から」~国立情報学研究所論文ナビゲータ~「プレビュー」から全文を読むことができる

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