リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

発想

2007年12月13日 10時26分29秒 | 日々のこと
先日ワープロ変換発明対価2億6000万、という記事が出ていました。ワープロの漢字変換の仕組みを発明した東芝の元社員の方が、東芝に訴訟で請求した金額です。ずっと昔、確か日本語でワードプロセッサを作るのは言語の特質上不可能だと言われていたことがありました。でも、それから間もなく東芝がワープロを発売、確か100万くらいでしたか。私の記憶では、50万円を切ったワープロが発売、なんて記事を覚えています。

その後日本語ワープロ専用機が出てきて、それもいつの間にかパソコンのソフトのワープロに駆逐され、今ではワープロソフト自体も、バージョンアップの必要がなくなるくらい完成されてしまいました。もう当たり前すぎて空気みたいになってますね。(笑)

でもその東芝社員さんが発明した漢字変換の仕組みは、日本語処理システムのベースになっているようでして、その意味ではすごい大きな意味がある発明です。でもその方は東芝から何十万程度の報奨金をもらっただけ。

こういう例っていくつかありますよね。古くは泳げたい焼き君。歌手や作曲家作詞家はなんでも買い取りだったので、ン万円程度しか貰わなかったとか。でも400万枚以上売り上げたこの曲でボロもうけした人がいるんですよね。売り方が上手だったから400万枚も売れた、だからそれは当然だという考えもあるでしょうけど、でもそれはやはりクリエイターの才能があってのこと。その才能に対価が支払われない仕組み自体がおかしすぎます。

最近では彦根市のイメージキャラクタ、ひこにゃん。これは対価の問題とはちょっと違うのですが、詳しいいきさつは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%AB%E3%82%83%E3%82%93あたりを見てください。これもクリエーター無視の一例でしょう。弁護士でもある彦根市の市長が法律を駆使して、制作者側に対して論陣を張ってますが、その中にはひこにゃんをデザインしたクリエーターの発想があったからこそ人気が出たという事実がすっぽり抜け落ちています。カスみたいなデザインだったらひこにゃん人気は出なかったわけで、いくら法律の知識があるからといって、法律でがんじがらめにしてクリエーターの主張を封じ込めようとするなんて可哀想すぎます。

これら三点の例は、いずれも社会や会社でそれなりの地位についている人の中に「発想」とか「創造」に対して鈍感な人がいるということを現しているのではないかと思います。クリエーターの中には法律などに疎い人も多いし。そこをついてボロもうけする人も出てくるわけです。でもこういう状態を放っておくといずれは創造的行為が衰退していくような気がします。