みどりの野原

野原の便り

1月30日 読者がいた

2007年01月31日 | Weblog
今日はかつての友人5人と久しぶりに会い、食事しながらおしゃべりを
楽しみました。
在職中の人、お仕事を辞めている人、それぞれ頑張っておられる。
いろんな人と話をすると、いい刺激になります。

「ブログ見てるよ」とその中の1人Nさん。続いて「よく出かけてるねー」
というので、つい「感想はそれか?」なんて突っ込んでしまいましたが、
読んでくれる人がいるのは張り合いがあります。
Nさんありがとう。 これからもよろしくね。

そういえば、昨日も夕方帰ってきた時、近所のご主人が「こないだから
どこかへいったはりましたんか」といわれるので、「いいえ、毎日夕方
には帰ってますよ」というと、
「又、小笠原へでも行ってはるんかと思いましたわ」
つづいて「ようご主人をしこみましたなー」「??」 
留守に慣らされているということ?? 
外面のいい人だから、また私を悪者にしてるな。と思ったけど
「はいはい。おかげさまで」と言っといた。
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1月29日 蘇武のエノキ

2007年01月31日 | Weblog
今日は大失敗。
知り合いのHさんが習っている日本画の会の展覧会があるというので、出かけたら、
今日は最終日で2時まで。 せっかく来たのに残念。

なぜ遅れたか? 途中でちょっと今井の「蘇武のエノキ」を見に行ってたからです。

「蘇武のエノキ」
この前はしょっちゅう通っているけど、車を止めて見たのは初めてです。
貫禄充分です。
南側には大きい空洞がありますが、弱っているようには見えません。
調べてみると、幹周り4,2m 樹高11メートル で奈良巨樹リストにもちゃんと載っ
ていました。
太子道の道しるべとなっていたのかもね。
エノキの根元にくっつくように小さなたこ焼きの店が建っていて、夜になるとチョウ
チンをつけて営業しています。 
エノキは寛容に見守っているようです。



「蘇武橋」
すぐそばには飛鳥川にかかる蘇武橋という橋があります。地元では蘇武のことを
「そんぼ」といったりします。
聖徳太子が斑鳩から太子道を通って飛鳥へと通われた時に通られた橋だそうです。
今は立派に架け替えられて赤い塗装が鮮やかです。


「蘇武之井」
橋のたもとには、聖徳太子が馬を止めて水を飲ませたという「蘇武之井」も残っています。
それも聞いてはいましたが、今回初めて見ました。


「知っている」というのと「見る」というのは違いますね。
蘇武橋、大エノキ、蘇武之井 近くのものをもっと見たくなりました。

展覧会には遅れたけれど、エノキを見れ、書道で頑張っている同級生にも出会い、
元気をもらいました。

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1月28日 ガラス玉作り

2007年01月28日 | Weblog
飛鳥のイベント「ガラス玉作り」お手伝い。

午前・午後約20名ぐらいの参加者があった。

ガラス玉は飛鳥時代にも盛んに作られていたようだ。
万葉文化館のあたりにあった飛鳥池遺跡からはたくさんのガラス玉と坩
堝や道具なども出土したとか。
そのころにはすでに、溶かしたガラスを型に入れて作る方法、2本の鉄の
棒に溶かしたガラスをつけて延ばして作る方法、今回のように鉄の棒に
溶かしたガラスを巻きつけて作る方法などがあったようだ。


     ガラス玉の原料のガラス棒      ガスバーナーと離型材

説明と注意事項を聞いて、鉄棒に離型材(リムーバー)をつけ、ガスの
炎で乾かす。
次に、ガラス棒をだんだんとバーナーの高温部へ入れて熱する。
同時に鉄棒もバーナーの火で熱くしておく。 こうしないとガラスが
鉄棒に付きにくい。

ガラスが高温になり、とろっと溶けてきたら、鉄棒のリムーバーの付いた
部分に乗せ、ゆっくりと回しながらガラスを巻き取っていく。

これがなかなかむつかしい。見るとやるとでは大違い。
なかなかきれいな玉にはならない。右手と左手の連携プレーが大切だ。
程よく巻けたら、ガスの中でゆっくりガラス棒を離す。
ガスの炎の中でくるくる回しガラスを丸くする。
火がら出してしばらく回した後ゆっくり冷ます。

よく冷めたら鉄棒からガラス玉を外す。
離型材が取れているところにガラス玉をつくると・・・せっかくいい
のが出来たのに外れない。割って外す羽目になるので注意。

「丸くならないわー」「むつかしいー」といいながら、頑張ってる皆さん。
スタッフも時々アドバイスをしながら、見てまわり声かけします。

こんなに上手に作られました。

子供さんとお母さんも失敗しながらも共同作業で大小の玉が出来てきました。
ちょっと慣れてきたら、2色を混ぜたのを挑戦している人、大きいのを作ろう
と頑張っている人。せっかくうまく作れてもどうしても外れなくてがっかり。
だんだん要領がわかってきた頃には終わり時間。私もそうだったなー。

でもみなさん「自分だけの宝物」を持って喜んで帰っていかれました。
よかったよかった。


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1月27日 こも開き

2007年01月28日 | Weblog
奈良市大渕公園の昆虫観察会で行われた「こも開き」に参加した。

ここを拠点として昆虫の観察をやっている「昆虫かんさつの学校」・
「こども昆虫塾」の子供たちが大勢参加している。
午後は子供たちの発表もあるらしい。


「こも巻き」って?
成虫・幼虫で冬を越す虫は樹皮や落葉の中など、温かい場所で冬を越す。
そんな性質を利用して、もともとはマツなどに付く「マツカレハ」を
駆除するために始まった。
寒くなる前に木の幹に「こも」(ムシロのようなもの)を巻きつけ、
暖かくなる前(2月ごろ)に外して焼き捨てる。
害虫以外の虫も入ったりするので、その効果は疑問視されている。

調査のためには労力が少なく、便利な方法だそうだ。

大渕公園では虫の調査観察のために去年の11月1日に「こも巻き」
をやってある。

今日は指導を受けながら「こも」外して、中の虫を1匹残らず捕まえて、
どんな虫が隠れているかを調べる催しだ。

やり方
①こもを巻いた木には番号が記されたプレートがつけられている。
番号・木の種類を記録する。


②こもをそっと外し、広げたシートの上に白い布をひろげそこに置く。
ピンセットで虫を残らず捕まえて、アルコールを入れたビンに入れる。
目にやっと見えるような小さい虫、クモは逃げ足が早い。
1匹1匹捕まえるのは根気のいる作業だ。

③こもをのけた後の木でも虫を残らず捕まえる。
木の皮に潜り込もうとする。落ちたものも逃がさない。

名前がわかるものは記録し、わからないものは持ち帰り調べる。

子供たちが大活躍だ。中には「電動吸収管」なる便利なもので
虫を吸い込んでいる子供もいた。


私のグループではコナラ・アカマツの2本の木の「こも」を外した。

樹種によっても入っている虫は違う。
周りの環境によっても虫の種類が違う。
思っていたよりは種類が少ない。大型のものはごく少なかった。
どの木にもクモの種類が多かった。
カタツムリの子供も結構いた。

ヒメクロゴキブリ・フユシャクモドキ(成)・ムカデ(幼)・
ゴミムシダマシ・カメムシの仲間・カネタタキ・カメムシの仲間・
チャタテムシetc.

午後からは公民館の中で発表会、司会も子供。
発表は子供(小学生)が次々と「ヤゴの飼育」「ニイニイゼミの幼虫
と羽化」「セミの抜け殻調べ」「昆虫の口の形と食べもの」など
絵や図も利用して説明。
堂々としたものだ。大人の人の発表も2件あった。
その後先生方お2人のお話。

大人の人が「スーパーキッズ」と言われていたが、この子たちが大きく
なったらどんなになるのだろうと頼もしい限り。
こんな小さい頃から専門的な勉強が出来てうらやましくもあった。
すごい!のひとこと。







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1月26日 八木界隈

2007年01月26日 | Weblog
どうも近代建築通の娘に感化されたか、町がちょっと気になる時がある。
今日は、出かけたついでに、八木の元銀行の建物の写真を撮りに行った。

①「旧六十八銀行八木支店」(読み方不明 誰かに聞いておきます)
昭和3年(1928)に建てられ、南都銀行の前身である国立銀行として、
その後、六十八銀行八木支店として、又その後は和歌山銀行八木支店として、
平成18年(2006)紀陽銀行に統合し消滅するまで使われていたらしい。

JR畝傍駅の西側、国道165号線沿いにあるのでいつも見ていたが、
アーチ型の窓その両側の柱や装飾などルネサンス調のどっしりと風格ある
建物だ。
平成18年10月に橿原市で第1号の登録有形文化財となった。
「登録文化財」は、建築後50年以上経っていて、デザインなどがすぐれた
建物などを積極的に活用しながら保存していこうとしているらしい。

今は結婚式に利用する試みがなされているらしく、「La・BANK」の
案内板と、玄関の前にはウェディングドレスを着た人形がちょっと居心地
悪げにに立っていた。

②そして、古い建物なら「JR畝傍駅」もついでに、と写真を撮った。
昭和15年建築の木造平屋建てのこの駅は、かつては交通の要所であった
ことは間違いない。天皇陛下が畝傍御陵へおいでになる時もお召し列車で
畝傍駅を利用され、お休みになった部屋もあると聞いている。
今は無人駅となってひっそりとして、昼でも薄暗い建物内やホームにも
昼の蛍光灯がわびしくついていた。
 

旧六十八銀行・畝傍駅ともに、私の高校の通学路にあり日常風景の中にあった。
旧六十八銀行のホームページを開いてみると近代建築のページになっていて、
我が母校もリストに上がっていた。すぐ近くだけど又次回にしよう。
旧六十八銀行はホームページに詳しく載っている。

③畝傍駅前の「春日神社」に行ってみた。
人気のない境内には幹周り3メートルはあろう
かと思われるクスとケヤキの大木がどっしりと歴史を物語っているようだ。
神仏混交? 隣の「延命院八木寺」とはいけいけ(境界がない)で、そこに
「略縁記」の額がかかっていた。それによると、洪水により近江の国より流れでた
クスの大木が、漂泊した末に八木に流れ着き、聖武天皇の勅命で長谷寺のご本尊が
作られた。同じ木で同じ姿(同木・同躰)の延命11面観音菩薩が作られ八木寺に祀
られる。とある。
参詣した人はことごとく長寿安楽を受けることができるというので、もちろん
お願いしておいた。

       春日神社
 
     ケヤキ大木              クス大木

春日神社の横の路地にも行ってみた。お風呂屋さんがあったはずだがわから
なかった。

 
 国鉄の表示がのこる電柱
④そして、ふと見上げた電柱には・・・「国鉄駅前・・」の表示が。
帰り、八木西口の南都銀行前の交差点で信号待ちをしている時も、やっぱり電柱に
「国鉄駅前」と書かれていた。
昭和62年民営化によってJRに変わって20年、ここではまだ「国鉄」が健在だった。


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1月24日~25日 コウノトリ&カニ

2007年01月26日 | Weblog
24日 
コウノトリの郷
豊岡駅からタクシーで到着した私たちをコウノトリが1羽迎えてくれた。
飼育されているとはいえ、初めて見るホンモノ。
大きい。羽を広げると2メートルほどもあるという。
約2時間コウノトリ文化館と公園内を見学する。

「松にツル」と取り合わされたものはコウノトリだそうだ。
(ツルは木の上には巣を作らない)
   

剥製を見ると、足は赤く、目の周りも赤い隈取がある。くちばしは黒い。
展示してある巣は両手を広げたぐらい大きい。
かなり太い木が使われているのに驚いた。
その上に小枝や葉、内側には枯れ草が敷かれていた。
コウノトリは虫や魚・カエル・ヘビ等を食べる。
コウノトリの郷公園は、周りを山に囲まれた田んぼのビオトープとなってる。
水田は減農薬でコウノトリブランドとなるイネが栽培され、
冬季は水が張られ、魚や生きものが棲む場所になる。


湿田の中がオオアカウキクサで真っ赤に染まっているところもあった。
ウキクサと言っても小さなシダ類で、以前はどこにでもある水田雑草であった
が、農薬や除草剤で激減しているとのこと。
繁殖力が強く、雑草の発生を抑える。又窒素固定作用があり、中干しで枯死すると
窒素肥料となる。
この湿原には、近年少なくなっているミズオオバコやトキソウもあるという。
環境の良さを示している。

公開ゾーンの棚田の周りを歩いた。
フェンスで囲われた公開ゲージには遠目ながらコウノトリが
たくさんいる。アオサギもちゃっかり混じっている。湿田にはコガモもたくさん
来ていた。そりゃここにいれば楽だわ。えさは楽に採れるし。
  
コウノトリは鳴かないので、あたりは靜か。
ゆっくり歩き回ったり、水の中にくちばしを突っ込んでいるのは、餌を採っているのか?
たらいの中にはえさを入れてあるらしい。至れり尽くせり。

平成17年からは試験的に放鳥もされているが、ほとんどが園に戻ってくるという。
こんな棲みやすい所から離れられるのかな?

飛んでる姿を見たいものだ。飛んでくれたらいいのになー。
あっ飛んでる!だれかの声にいっせに双眼鏡を向ける。
コウノトリか~? アオサギ違うの? 詐欺やー。??

先ほどはいなかった公開ゲージの中に何羽かいた。
どこからか飛んできたんだろう。見たかったなーといっていると、
「飛んだー!」確かにコウノトリ。わりに近くで飛んでくれた。
みんな満足。

昔はどこにでもいたというコウノトリ。絶滅してしまったコウノトリ。
同じことが他の生物にも起こらないように、どうしたらいいのだろうか?

②網野
豊岡から北丹後鉄道に乗り、網野着。送迎バスで早い目の宿入り。
今日は曇っているので夕日は無理なよう。
海岸に散歩に出た。波は荒い。
浜には貝殻がいっぱい落ちている。よく見ると小さな巻貝やタカラガイもある。
       しばらく貝拾いに夢中になり、タカラガイもたくさん拾った。
   

夜はカニをお腹いっぱい食べて、贅沢贅沢。もうカニはいらん。
(ついこの前も言ったっけ)

25日
朝飯前にカニでいっぱいのお腹を減らしに散歩に出た。南の方へ歩くと
砂方漁港を望む岩山があったので登ってみたらきっと漁の神様か小さな社があった。
松の木の生えた岩山でそこからはすごくいい景色。

9時10分帰りは「カニちゃん網野特急便」(だったかな?)というかにバスで
大阪まで帰った。とちゅうの休憩の時、温室の横の土手を歩いてみたら、
ツクシ!よく見るとまわりにはツクシの赤ちゃんがたくさん出ていた。

例年だと雪の中のはずが今年は雪が全くなく、暖かい日が続いている。
とはいえ、このあたりはまだまだ寒いのに、春を感じて出てきたのね。
私には、ツクシが頭を出してみてびっくりしているように見えた。
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1月23日 1月の花 フッキソウ

2007年01月23日 | Weblog
久しぶりのお休み。あっという間に1日が過ぎてしまいました。

実は、去年4月から里山クラブの会員向けの冊子に表紙絵を描か
せてもらっています。
草花が好き。というだけの素人の絵ですが、季節の草花の絵を
楽しんで描いています。(白黒です)

別便でお知らせしている方には、ダブって申し訳ないですが、
ここでも紹介していきたいと思います。簡単なコメントもつけて
いますので、そのまま紹介します。合わせて見てくださいね。



1月の花
フッキソウ(ツゲ科)

 草のように見えて常緑の低木で、年中青々と葉がよく繁り繁栄を意味するのか、
「富貴草」の字があてられています。
キチジソウ(吉祥草)ともいい、縁起のよい名前の植物です。
(吉祥草キチジョウソウというユリ科の植物もありややこしいですが)
日陰に耐え、虫も付かずよく殖えて管理もしやすいため、花壇の縁取りに、
グランドカバーなど植栽に利用され、斑入りの園芸種も出ています。
花時は春ですが、家のは実とともに去年の雄花がまだ少し残っているのもあります。
花のように見えるのは主に太いオシベで、茶色い葯(やく=オシベの先の花粉の
ついているところ)が目立ちます。左の花の絵は春の姿です。
花軸の上方に雄花、下方に少し雌花があり、花の後に丸くてとんがりのある白い実
ができます。中を割って見るとみずみずしい果肉の中に小さな粒の種が6個ほどあり
ました。もっと大きい種を想像していたので以外でした。右は現在の実の様子です。
フッキソウにあやかって、今年も飛鳥里山クラブ・会員の皆様方のますますのご繁栄
をお祈り申し上げます。

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1月22日 明神山

2007年01月22日 | Weblog
Tさんと私の妹と3人で王寺駅を出発し達磨寺経由で明神山へ行った。

達磨寺は創建は古いらしいが、本堂は新しくあまりありがたみがない。
むしろ達磨寺古墳群の1号墳2号墳が境内にありそちらの方が興味あり。
 

地図を片手に30分ほど行くと赤い鳥居があり、明神山参道とある。広い舗装道を登る。
 

両側は自然林で気持ちよさそう。右手にちょっと入ってみるとなんとなく道になってい
て、そのまま行って左へとれば進む道にでそう、と思ってだいぶ歩く。

明るい林の中は気持ちよい。なんだか甘い匂いがしてきた。
   
これは・・やっぱりタカノツメ。落葉がいっぱいある。メープルシロップみたいな匂い。

道はなくなっていたが、もうそろそろ元の道が見えてもいいはずなのに、
左へ降りれるようなところがない。おかしいな。ちょっとヤバい? 
引き返すほうがいいんじゃないのということになって、勇気ある撤退となり、やっと元の
道に戻る。
やっぱりあれは頂上へ続く山ではなかったよう。新聞沙汰にならずにすんでよかった。

明神山は奈良と大阪の府県境にある標高273.7メートルの山
晴れると明石大橋まで見えるという。頂上付近は小さい社が建ち、公園のように整備され
ていてトイレも完備。ウォーキングの人が時々歩いて来られる。
見晴らしよくわかくさ山から大和三山もよく見えた。

低くても山だから三角点があるはず。人に聞いても知らないと言われたが、探し回って
やっと見つけた。
石柱ではなく、会所?のフタにちゃんと「三等三角点」と書いてあった。 
                 

帰りは尼寺廃寺の塔の礎石を見、白山姫神社に立ち寄る。
階段を登ると拝殿があった。
ここは加賀白山と関係があり、五穀豊穣を祈願する神が祭られているとらしい。
    
横の古ぼけた倉庫のような建物を覗いてみると古い絵馬がたくさん掲げてあった。

畠田簡易郵便局の近くには乳垂地蔵が祀られていた。
「ちちたれ」ではなくて「ままたれじぞう」と読むらしい。
お乳がよく出るように祈れば霊験あらたかとか。 もはや遅かりし・・

帰りは畠田の駅へと出た。


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1月21日 ①ろうあ者Mさん&②百樹会&③瑞光寺くじら橋

2007年01月21日 | Weblog
① 電車に乗ったら、
久~しぶりにろうあ者の男性Mさんと一緒になった。2,3年ぶりか?
なつかしく生活の話・健康の話・食べ物の話・仕事の話・手話サークルの共通の知り
合いの消息・・・いろんな話に花が咲いた。

仕事を辞めてからは、ろうあ者と会うこともなく、手話を使うこともなくなっていたが、
話は出来るもんだ。
仕事も順調で、食事にも気を遣い、運動もして健康管理もしておられ元気で安心した。
私も最近の炭焼き釜つくりの話など、身振り手振りも交え聞いて(見て)もらった。

携帯電話の話になる。ろうあ者は昔は通信手段は手紙かFAXだった。
その後、携帯電話が出来、通話は出来ないがメールが出来、パソコンも普及して、
昔に比べるとるのでずいぶん便利になっている。
先日、別のろうあ者からアドレス変更通知が来たんだけど、アドレスと090・・・の
電話番号が書いてあり、「あれっ電話番号?」と思った話をしたら、なんと電話番号と
ちょっとした操作でテレビ電話が出来るらしい。
「うわーっ進んでる~」思わず手話で叫んでしまった。
「ほしくなった?」まあそれほどでもないけど・・
「でも携帯片手に手話できないやないの?」というと、机の上に携帯を立てる仕草。
そうかあ~。世の中進歩してますね。

そんなこんなで豊中まで行くというMさんが梅田で乗り換えるまで、退屈しないで
おしゃべりを楽しんだのでした。


② さて今日の目的は、百樹会。
モノレールの千里中央駅に行くと、「久しぶり」「遠いとこからよく来たねー」
「だいぶ時間かかるやろ」と声がかかる。
今日の案内役Nさん、古くからの知り合いOさん、お父さん的存在のHさん・・
他にも知っている方も何人かいらっしゃる。

今日は吹田市在住の仲良しHちゃんを誘って参加した。9ヶ月ぶりだ。

豊中市の千里東町公園での観察。
都市の公園なので、珍しいものはないが、他の季節にはない木の姿もみられ、漠然と
見ていた木の姿を改めて見たり、説明を聞くのはすごく勉強になる。
講師や会員の深い知識にいつも感心する。

前出のHさんはかなり高齢にも関わらず、学名やカタカナ名がすぐに出てくるし、
よく研究されていて尊敬している。

昼過ぎ、会終了後、今日のおまけ。
珍しい「コイカル」という鳥が見られるというので、みんなについて行った。
そして「イカル」と、「コイカル」のきれいな姿を見ることが出来た。


③ そのあと、同行のHちゃんが「お楽しみ」のところへ連れて行ってくれるという。
そこはモノレールで南茨木、そこから阪急に乗り換え上新庄駅で降り、10分?ぐらい歩
いた所だった。

「臨済宗 瑞光寺」そこの橋の欄干や飾りは何で出来ているでしょうか?

答えは「クジラの骨」でした。「くじら橋」又「雪鯨橋」といわれています。

こんな橋は初めて。太鼓橋の欄干はクジラの骨や肩甲骨で組み立てられているのです。


      
イワシクジラの下あごの骨とクロミンククジラの脊椎  扇型のはイワシクジラの扇骨です

昔、太地へ行脚された時不漁に泣く漁師から豊漁祈願を頼まれ、5戒の1つ 殺生には協力
できないと断ったが、たっての頼みに祈願したところ大漁となり、喜んだ漁師からお礼に
金30両とクジラの供養に鯨骨16本が納められた。
そこで、すべての命を大切にという願いを込めて、その骨で橋を架けた、という。


今の橋は6代目だそうです。(平成18年11月5日架け替え)

街中に面白いものがあるものです。こんな面白いところに案内してくれたHちゃんに感謝!

そんなこんなで今日も1日、機嫌よく遊びました。


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1月20日 勾玉作りイベント

2007年01月21日 | Weblog
飛鳥のイベントで「勾玉作り」にスタッフとして参加

原料はろう石。滑石とも言うそうです。
昔、道路にお絵描きやけんけんの輪など書いて遊んだものです。ちょっと懐かしいですね。
参加した子供に聞いたら知らないと言ってましたが。


手順は
鉛筆で勾玉の輪郭を書いておき、紐通しの穴をキリであける。
次にヤスリで線に沿って削り、後は角を削って丸みを出していく。
大体出来た所で粗いペーパーをかけ、最後に水をつけながら細かいペーパーで磨くと
ツヤツヤのガラスのような光沢がでる。
紐に通して出来上がり。
   

たまたま飛鳥に遊びに来た若いカップルや、通りかかった観光客も、空きがあったので
飛び入り参加。
子供たちも一生懸命。ひたすら削ってエプロンも服も粉だらけになりながら、
みなさん世界に一つしかない「マイ勾玉」を作って帰られました。

物を作るってほんとに楽しいことですよね。特に単純な作業は無心になれます。
最初はなかなか形が出来てこないので不安がっていた人も、
「こんな楽しいとはおもわなかった!」「面白かった!」とすごく喜んでくだ
さって、私たちもうれしくなります。

終わった後は白い削りカスが大量にでます。
成分はベビーパウダーにも使われるものらしいですが、なにかに使えたらいいのにね。

おじいちゃんと孫さん。友達同士。お父さんとまたお母さんと子供、若い夫婦、
ここに参加して一緒に楽しまれるような方たちはきっと日頃のコミュニケーションも
うまくいくことでしょう。

午前、午後2回の勾玉作り、温かな気持ちでお手伝いできました。

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