みどりの野原

野原の便り

10月31日 史跡巡り 御所町(江戸時代の検地絵図そのままの町並み) 

2019年10月31日 | Weblog

先ずは鴨都波神社(かもつばじんじゃ)へ。

 
式内社 鴨都波神社 葛城氏・鴨氏によって祀られた。天保12年の建立
 右)明治の狛犬の台石には奉納者「初嵐」の名 明治の相撲取りで勢力を持った侠客だった。
もう一方の狛犬には「京亀」の名が彫ってある。初嵐の夫人らしい。

第5代孝昭天皇の御陵にも立ち寄り・・ 

江戸時代の町並みが残る御所町へ

午前中は、円照寺を中心とした寺内町の東御所町の町並みを巡る。

 
      環濠もよく残る        町の4隅にあるという四地蔵のひとつ

 
黒壁・親子格子・うだつのある町屋。       三段の立派なうだつ 


 
    蔵の窓をよく見れば・・・ 鍾馗さまがしっかり蔵を守ってくださってます。

 
 元大和絣の問屋だったというお家 虫籠窓 うだつのある立派なつくり。

 
円照寺 天保15年開基 大和五ヶ所御坊のひとつと言われる。御所町は円照寺の寺内町として発展した。文政~天保の伽藍改築の後、平成16年にも修理が行われた。  
 右)上層の屋根の棟端に乗っていた「獅子口」と言われる鬼瓦 平成の修理で降ろされたもの。 間近で見ると大きい。

御所市原産の完全甘柿「御所柿」も境内に植えられ、実をつけていた。
江戸時代には宮中や将軍家に献上されていたという御所柿。小玉で収穫量が少ないため次第に栽培されなくなったという。
安位寺の丁石などを見て葛城川を渡る。

午後は西御所町を歩く。
江戸時代、木綿の大和絣・菜種油・運送・醸造・寺院・旅籠などで栄えた町。
栄えていた時代をうかがわせる町並みが残る。

 
衝波除け(しょうはよけ)入ってきた邪気を受け止める。魔除けの意味
石の右側面には「文政3年創業より百六十年間ここに営む。昭和54年・・建立」
左側面には「うおのたな 表具屋跡」の文字が刻まれていた。
                    右)旧御所郵便局の建物。

 
「中井家住宅」
寛政4年の棟札があるという、江戸時代に町庄屋を務められた商家。
江戸時代の歴史的建造物として国の登録有形文化財に指定されている。
昔の公文書をたくさん所蔵しておられるらしい。
ご主人が案内してくださった。

 
瓦の「型」の上に粘土を置き、たたいて瓦の形に成形するという。
「昔の瓦は角があります」とのこと。        右)角とはこのことかな?

良い粘土が取れる瓦の産地が近くにあり、作った瓦にはそれぞれの業者の刻印があるらしい。
刻印は見つけられなかった。

 
玄関を入ると正面に2つの高札が掲げられていた。
1つは「徒党札」もう1枚は「火つけ札」と読めた。最後に「奉行」と書かれていた。
高札には重要な規則が掲示される。
板の部分は痩せて、墨で書いた所だけが残り、浮き上がって見える。
 右)所蔵しておられた「1742年(寛保2年)の御所町の検地地図」の写しを見せてくださった。
江戸時代最後の検地の時のものらしい。

通りの名・道幅・持ち主・面積・地番など、細かい記載がある。

道幅も濠や背割り下水なども、御所町の町並みは「江戸時代の昔の絵図そのまま残っている」というから驚く。御所藩を治めていた桑山氏が町を作ったという。
検地絵図の中に、家などの記載のない空白部分がある。それは川の氾濫から町を守る請堤。
いろいろ考えて町づくりをしたんだなあ。
その請堤があったところも今は住宅地になって人がすんでいるらしい。

 
お金を計る天秤 銀貨は1個の重さが決まっていなかったのだとか。そこで秤が必要だったそうだ年貢も銀貨で納めたらしい。

 
「平入り」の町屋が並ぶ中、1軒だけ「妻入り」の町屋がある。
  カーブがきれいな「むくり屋根」の町屋。雨水の水切れがよい。


  平成20年に復元された高札場
ここで史跡巡りは解散となる。

まだまだ見足りないところがある。娘や息子の興味もありそう。ゆっくりと見に来たい。

       

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10月27日 家の庭 ワタリコウガイビル

2019年10月27日 | Weblog

夜、娘婿が「これ何ですか?」と容器に入れたものを持ってきた。
玄関の中にいたらしい。 家でも変なものは私のところに回ってくる。

紙の上に出して見てみた。
コウガイビルのような感じもするが、銀杏型の頭ではないような・・。
田や山のヒルでもなさそうな・・。調べたがギブアップ。

メールでしかるべきところにお尋ねしたところ「ワタリコウガイビルのように思います。
外来種で三角頭(イチョウ型)はあまり目立たない。近年大阪でも増えてきたように思う」とのこと。

カタツムリやミミズなど小生物を食べるらしい。
弱っていたのか、しばらくすると動かなくなった。

誰が連れてきたのやら・・ころちゃん(犬)か? 私か?他の誰かか? 

写真はきれいに撮れなかったのと、あまり気持ちのいいものではないので、記録だけにして、写真はなし。

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10月27日 尼崎市農業公園~猪名川堤防・河川敷~田能資料館 シャクチリソバ クロコノマチョウ ツマグロキチョウ? ノビタキ 特別展「どぐうちゃん」

2019年10月27日 | Weblog

阪急園田駅から田能西までバスに乗ってまずは農業公園へ。
先日田能資料館へ行く途中に通った所。

尼崎市農業公園 
花ごよみのパネルには「サクラ バラ ハナショウブ ボタン ウメ」が書かれていた。

 
   バラが咲いていた。       シバフタケ? 芝生にフェアリーリングができていた。

 
     枝を広げたケヤキ          熟した果実もあったムクノキ


  ムクノキ 大木
木の植栽が多いので野鳥も多いらしい。
色々見ながら猪名川の堤防へ。

 
セイタカアワダチソウが真っ盛り。チョウはこの花が好きらしい。
               右)シャクチリソバが群生しているところもあった。
川辺にはオギ・セイタカヨシ・ヤナギの仲間・シナサワグルミや。すっかり枯れたヒメクマツヅラがたくさんあった。

河川敷では教えてもらってノビタキがよく見えてうれしかった。写真は撮れず。
他はセグロセキレイ・シジュウカラ・モズぐらいしか見れず。
昨日下見をしてくれたメンバーのすばらしい鳥の写真を見せてもらった。ノゴマやクロツグミ他・・

 
   木蔭で クロコノマチョウ          ホソヘリカメムシ

 
     ツマグロキチョウ? もう少し良く撮りたかったが逃げられた。

10月3日に来たばかりの尼崎市田能資料館

 
復元された竪穴式住居や高床倉庫や、木棺墓・甕棺墓など弥生時代の墓が展示されている史跡公園でお弁当。   先日、石包丁で稲刈り体験をしたミニ田んぼはすっかり刈り取られていた。

資料館では特別展「どぐうちゃん」をやっていた。

説明を聞いた。
「土偶」とは縄文時代から作られ始めた土の人形
妊娠や出産を表したものが多く、妊娠安産を祈ったものではないかとのこと。
大きいお腹をした土偶。お腹に妊娠線のある土偶もある。
レントゲン撮影で口からお尻まで管が通っている(穴があいている)土偶もあるそうだ。

そして、祈る時?祈り終わってから?壊すのか、バラバラで出土することが多いのだとか。

土偶は主に関東から出土していて、交流があったのか近畿でも似たものが出土しているという。

東日本のいろんなタイプ、頭の形が山形をしている所から名付けられた山形土偶
太った体形の今朝平土偶、髪をくくっている結髪土偶、目が遮光器(サングラス)に似る遮光器土偶など。

近畿の兵庫県・東大阪・京都・奈良でもいろんなタイプの土偶が出土している。
実物展示や写真展示があった。

奈良県の橿原遺跡は「土偶出土数西日本一」なのだそうだ。
知らなかった。機会があれば近くの土偶も見てみたい。

先日来たばかりの資料館だったが、今日は今日で、又知らないことが分かった。

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10月26日 談山神社周辺 トリカブト ツチアケビ マタタビ ミヤマシキミ

2019年10月26日 | Weblog

雨も上がったので、談山神社周辺を歩いてきた。

この時期の植物は地味です。

そんな中、思いがけずに出会った花

 
このあたりにトリカブトがあるのは知っていたが、ちょうど花盛りだった。
ちょっと遠いなと1枚目の写真を撮って、その後、折れた花付き枝が落ちていて・・どアップで撮れた。
草むらの中だが植えられたものかもしれない。


突然目の前に現れたツチアケビ インパクトがある。


  黄色く熟したマタタビの果実
これも目の前にぶら下がっていてびっくり。


ミヤマシキミはまだつぼみ。雌株だといいけど。


手ざわりからケシロヨメナかと思うが・・
イナカギクかなあと思うものもあった。秋の白い菊はむつかしい。

今日はカメムシデーだった。

チャバネアオカメムシ この子ばっかり。
クジャクシダにもヤブニッケイでも・・6・7匹見た。

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10月24日 特別公開「角屋(すみや)」江戸時代の揚屋建築  (不正確な部分があるかも・・お許しを)

2019年10月24日 | Weblog

京都市下京区にある「角屋」は通称島原と呼ばれる花街にあり、江戸時代に栄えた「揚屋」 
保存財団の30周年記念として「角屋名品展」が開催中で、見学の企画に参加した。 

通称島原と呼ばれる花街は遊宴の場「揚屋」と太夫や芸妓を抱え揚屋に派遣する「置屋」の分業制をとっていた。

「揚屋」とは料理を提供し、必要に応じて置屋から太夫芸妓を派遣してもらいお客様をもてなす所。今の料亭に当たる。

客を2階へ上げた所から「揚屋」と言われた。
お茶会や句会なども行われる文化サロン的な役割もあり、和歌や俳諧などの文化人の集いの場となっていたそうだ。
『お客様をもてなす太夫・芸妓だけでなく、揚屋や置屋の亭主たちも和歌や俳諧のたしなみが求められた』
揚屋の大座敷に面した広い庭には必ず茶室が設けられ、料理のための広い台所を備えていた。

「角屋」
江戸時代の大規模な揚屋で、明治5年まで揚屋として営業し、その後はお茶屋として昭和60年まで宴会業務をやっておられた。
「江戸時代の饗宴・もてなしの文化である揚屋建築の唯一の遺構」として昭和27年(1952)国の重文に指定された。
今は保存会で保存活用が行われている』


 
      角屋 入口              外観 格子づくり

写真撮影に気を使ったため、本当は撮ってもいい所もあまり写真が撮れていない。

1階から2階へ案内していただく。

1階

 
広い台所 調理場 かまど その後ろには広い配膳室がある。板の間と畳はバリアフリー。
                       右)火の神「三宝荒神」を祀る。
広い部屋は54㎝角の大黒柱と小黒柱3本で支えられているという。
小黒柱って初めて聞いた。          

 
冷蔵所 江戸時代の冷蔵庫 掘り込んで、中に何段かの階段があった。氷を入れていたのか? 
                           右)中庭

 
来客用の玄関 ここはベンガラ壁 手前左右には台風で伐られた樹齢200年のエンジュ
                   右)角屋の暖簾 家紋「蔓三つ蔦」
帳場や来客から預かった刀を入れる「刀掛け」「刀箪笥」は珍しかった。

1階の大座敷「松の間」 臥龍松のある広い庭が前に広がる。

 
「松の間」は小火により焼け、翌年にすぐ再建された。
上左の写真のふすまの上の「額」と、 右)布袋の絵の「衝立」は火災の難を逃れたそうだ。
43畳ある松の間では新選組の宴会なども行われたそうだ。(部屋全体撮り忘れ)

玄関近くに新選組が暴れて付けたという刀傷が残っていた。

 
1階の大広間「松の間」の前に広がる庭と臥龍松  広い庭には3つの茶室がある。
元は臥龍松という樹齢300年の1本の松の枝が伸びていたが、今は2代目の3本の松が広がっている。

1階 大広間 網代の間

 
   28畳  網代天井が美しい。     「宝尽し」の釘隠し(Mさんの写真借用)


        中庭 

2階 (予約制)
趣向を凝らした客間が並ぶ。(2階は撮影禁止で残念!)
各部屋とも建物保存に配慮して「置き行燈」なので暗く、よく見たい釘隠しなどが見えにくく残念。

印象的だった「扇の間」天井1面に絵を描いた58枚の扇面 欄間や障子の桟・・
いたるところ扇づくし。でもちっともうるさくない。燭台の台も扇面型だった。
お客様に出すお膳や食器や小鉢も扇の形だったとか。

「桧垣の間」
障子の桟は曲線を描く。これは曲げものではなく1枚の板から波型に切り出して作った縦桟というらしい。ひえ~~!

「青貝の間」壁や建具にはめ込まれた螺鈿。
壁はススで黒ずんでいたが、元は浅黄色だったらしい。きれいだっただろうな。
天井はガマむしろ 中国風に作られているとか。

各部屋には与謝蕪村・丸山応挙など有名人の書画や工芸品が随所に公開展示されていた。

襖の引手や釘隠しなど・・もっと時間をかけて見たい所だった。

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10月20日 ①香久山 埴安伝承地 ②ツルドクダミ果実 ③タコノアシ

2019年10月20日 | Weblog

気になる所を何か所か廻る。

①香久山近く。
気になるものは見つけられず。天香山埴安伝承地の碑を巡る。(埴安とは土の神)
日本書紀に「・・神武天皇が天香山の埴土(粘土)で、八十八枚の平瓮(吉凶を占う神事に用いられた薄い土器のお皿)を作って祭り・・大和を平定することができた」との記述があるそうだ。
香久山には良い赤土粘土があったらしい。また、白埴もあったという。

 
   奈文研の横を入って小橋を渡る。   「☞天香山埴安伝承地道」の指差し石碑
竹藪をクモの巣を払いながら登る。

 
奥に「天香山埴安伝承地」の大きい碑があった。ここまで来たのは初めてだ。
この丘は赤埴山(後に行く畝尾ザ健土安神社の説明板)
 右)反対側に下る途中にも「伝承地」の碑の方向を指し示す「天香山埴安伝承地道」の碑があった。

 
山を下りた池のところにも「天香山埴安伝承地道」の碑 
 右)八釣山地蔵尊の石碑の横にも「天香山埴安伝承地道」の碑(小さい方の碑)
他にも天香山神社にも、あったように思う。

これらの石碑は昭和15年(皇紀2600年)に建てられたもののようだ。(石碑の横に記載)

 
畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)
健土安比売命と天児屋根を祀る。

 
「天香山 埴焼奉製会」の幟が立ち、埴土に因んだイベントをやっているようで、参加者手作りの器が並んでいた。

 
   興福寺(八釣山地蔵尊)             地蔵堂

 
         地蔵堂には2体のお地蔵様が祭られている。
物部守屋が橘寺を焼いた時、金堂に安置してあった地蔵尊が香久山頂上に逃げたそうな。
それを知った聖徳太子が香久山の麓に寺を建立して地蔵を祀ったのがここだとか。

小さなお寺やお堂にも古い伝承やいわれがあるのがおもしろい。

ここから飛んで・・いや車で走って・・
②先日のツルドクダミはもう果実になっているだろうと見に行く。

 
来る時期が遅かったのか?雌花が少なかったのか?・・果実はショボショボとまばら。

又飛んで、走って・・
③タコノアシはどうなっているか?
1ヶ所は全くなし。もう1ヶ所もよくよく探して5・6本。

 
草陰にわずかばかり残っていた。左)今頃つぼみを付けている。
               右)果実はできているが「歪んだタコの足」
本来なら今頃は、果実がタコの吸盤のごとく充実して、ぼちぼち赤くなって「茹でだこ」状態になる頃なのに・・心もとない状況だった。

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10月18日 南紀の植物観察1泊2日 2日目 雨 ①水田の植物(シソクサ キクモ ミズマツバ ゴマシオホシクサ)②暖地性着生植物(ボウラン ムカデラン) ③亜熱帯シダ(リュウビンタイ)

2019年10月19日 | Weblog

いつも早起きという同室の方と共に、明るくなるのを待って外出。

近くにある徐福公園へ。残念ながら今日は雨。よく降っている。

先ずは「徐福公園」へ。
徐福は、秦の始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めて渡来。
熊野川の近くの蓬莱山で「天台烏薬」という霊薬となる植物を発見。
結局帰国せず、各地に農業や漁業やいろいろな技術を伝えたという。

和歌山で見つけた霊薬は「テンダイウヤク」私もそう思っていたが、同行した方(読書家です)によると、佐賀で見つけた不老不死の植物は「カンアオイ」なのだという。初めて知った。和歌山以外にも各地に伝説が残っているのだ。

 
徐福公園 徐福の墓などがあるそうだ。開園時間の前で入ることができなかった。立派な楼門は平成6年に建てられたもの。     右)他の場所で生垣になっていたテンダイウヤク

次に「浮島の森」へ。

 
浮島の森の正式名は「新宮蘭沢(いのさわ)浮島植物群落」国の天然記念物に指定されている。泥炭でできた島全体が沼の上に浮かんでいて、寒暖両性の130種類の植物の群落がみられるらしい。周遊路が浮島の中も通っているようで、見たいところだが、ここも開園時間には早すぎて、外から眺めるのみ。 
右)外の道路の端にに小さな実を付けたカキノキ。
葉は無毛 長い葉柄・・リュウキュウマメガキ? 

朝食後、出発。

観察地① 水田の植物  約1時間

雨は本降り。雨具上下と家から履いてきた長靴が役に立った。
この辺りは田植えは早く、8月の中旬には稲刈りされるとのことで、株から出たひこばえには稲穂が付いていた。

目を凝らすと、コナギやイボクサやヒナガヤツリなどの他、見慣れない植物がたくさんある。
傘をさして、説明を聞きながらメモを取るが、メモ帳は濡れてページが外れかけボロボロに、小さい植物は写真も撮りづらく・・大変。

少しマシな写真でピンボケをコントラストでごまかしたりしながらアップする。

 
シソクサ 葉を揉むとシソ(ゆかりのような)香り。シソ科ではなくオオバコ科。ピンクの花があったが見にくい。
              右)キクモ(オオバコ科)

キクモって金魚鉢に入れるものでは?と思ったが、葉が全然違う。
これは水上に出た葉の形で、
水中では細い糸状の葉になるらしい。

 
ミズマツバ(ミソハギ科)小さい。節に花が付いているようだ。      
                 右)ヌメリグサ 先日見たなあ。


 
押し葉にしたクロテンツキ 小穂は黒っぽく見えて大きい。
 右)ゴマシオホシクサ(ホシクサ科) 頭花は球形で大きい。初めて見た。
ミズネコノオというのも初めて見た。

自然度の高い、環境の良い水田に生える植物たちだった。その他いろいろ。

 
   雨の中の水田観察      水の溜まった田んぼ。長靴大活躍。
第三者から見たら・・変な人たちに見えるだろうな~。

移動して観察地② 暖地性着生植物
 
ムカデラン 岩場や樹上に着生するラン 互生した葉はムカデに見える。
  右)ボウラン 棒のような葉 ムカデランと同じような環境に生える。


移動して観察地③ 亜熱帯の森

森への入り口車道そばではメリケンムグラやキンゴジカ(どちらも帰化植物)


     奥へ入っていく。
ヒメイタビ・オカダイコン・キミズモドキ(初めて見た)・カンザブロウノキ(初めて見た)など珍しい植物。
(薄暗いのと、雨なのと、腕が悪いのとで・・ほとんどピンボケ)

 
リュウビンタイ 熱帯~亜熱帯に生育する大型のシダ。葉の裏のソーラス

そして、森の奥には「3m級のリュウビンタイ」が群生していた。
南の島で、リュウビンタイは見たことがあるが、群生しているのは初めて見た。
お世話になった先生とは駅でお別れする。
雨はますますひどくなり、帰りの国道の閉鎖などが心配され、予定を早めに切り上げて帰路に付く。
無事に地元駅に到着した。

2日目は一日雨の中で大変でもあったが、お世話役さんと現地講師の先生の熱心なご指導で、有意義な旅となった。
雨の中、酷使したカメラ。しばらく休ませよう。

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10月17日 南紀の植物観察1泊2日 1日目 古座一枚岩 周辺2ヶ所 キイジョウロウホトトギス ルリミノキ ヤナギイチゴ クルマギク

2019年10月17日 | Weblog

温暖な気候・海に近いなど、住んでいるあたりとはだいぶ違うだろう植生を観察できるので楽しみだ。

熊野市駅で今日案内していただく講師の方と合流。


道の駅「花の窟(はなのいわや)」で昼食を各自調達。サンマ寿司を購入した。
時間がなくて、駆け足で近くの「花の窟神社」へ。

 
参道を進むと奥にそそり立つ大岩が目の前に現れた。この岩がご神体で前に拝所があった。
『神々の母であるイザナミノミコトが火の神カグツチノミコトを産み、亡くなった後に葬られた御陵』だそうだ。岩が大き過ぎて全体が見えない。(高さ18m)
『日本書紀にも記されている日本最古の神社と言われ、古来からの聖地』『古来の昔より花を供えて祭るので「花の窟」といわれる』との説明板。

バスの中で弁当を食べる。
熊野川を渡り、三重県から和歌山県に入る。
車内でクマノザクラの説明があったが、今回は見学を割愛。

観察地①は「古座の一枚岩周辺」 小雨がショボショボ・・

 
バスを降りたとたんに「咲いてる!満開だ!」とキイジョウロウホトトギスの元に駆け寄る。
1枚岩の向かい側の岩璧に何本も垂れ下がって咲いていて見事だ。
近頃は栽培されているのを見かけるが、この辺りが自生地だ。

昔(30年ぐらいになるか?)、初めて来た時は、どこか民家の裏庭の崖のようなところで見せていただいた記憶がある。

キイイトラッキョウ コボタンヅル オオフユイチゴ アリマウマノスズクサ キハギなどを観察。

 
 キイイトラッキョウ つぼみか?果実?   
  右)オオフユイチゴ 実が1つ。茎や葉に黄褐色の毛密生 茎や葉裏の主脈には短毛と刺あり。

植物を見るのに必死で肝心の「古座の1枚岩」を見るのを忘れそうだった。 
約1500万年~1400万年前に熊野に巨大火山があり、火砕流を噴出した後、地表が落ち込み巨大カルデラができ、その後の風化浸食を経て、カルデラの地形はとどめていないが、その痕跡が所々に残っているとのことで、古座川弧状岩脈として熊野カルデラの南端の地下部分が地表に表れたもので、那智の滝やゴトビキ岩や、虫喰い岩などもそうらしい。カルデラの規模は推定、南北径41㎞ 東西径約23㎞とのこと。


古座の一枚岩 大岩壁の高さは100m・幅500m これが古座川弧状岩脈の南端の一部とは!

バスで少し移動して観察地②へ。
谷川沿いの道

キイセンニンソウ・マルバノホロシ(果実)・フユザンショウ・ヌリトラノオ(シダ)・・

 
ルリミノキ ちょうど瑠璃色の果実があり、きれいな写真が撮りたい・・がんばったがピンボケばかり。

 
  キノクニスズカケ 果穂あり。 ヤナギイチゴとのこと。初めて見た。
イラクサ科じゃなくてバラ科なの?
ヤナギイチゴは葉がヤナギのように細く、キイチゴに似た集合果を付けるそうで、イラクサ科だった。 
果実を見てみたい~。おいしくはないらしいが、一度食べてみたい~。

 
クルマギク 紀伊半島南部だけに分布するという野菊。 初めて見た。
谷向こうの岩壁に垂れさがってたくさん花を付けていた。葉は細い。

 
花時にはロゼットはなく、根元に見えるのは、次年度のためのロゼット。
   右)同じ岸壁についていたヘリトリゴケ(地衣類)どちらも望遠拡大

 
     イブキシダ      奈良公園でも見るナチシダ ここが故郷

ハスノハカズラやフウトウカズラなど亜熱帯性の植物も南紀ならでは。

 
少し歩いて・・トンネルの向こう出口の上にはキイジョウロウホトトギスがたくさん咲いていた。
高い所でのびのびと生育している。

初めて見たイワヒトデ(シダ)はヒトデには見えなかった。

もう1ヶ所予定されていたキイジョウロウホトトギスの観察地は省略された。
満開のキイジョウロウホトトギス、今日は堪能した。

ホテルに帰着。
風呂・夕食を済ませてから約2時間、自己紹介やら勉強会やら・・
講師の先生は植物・とりわけシダに造詣が深い方。三重県から南紀一帯~奈良県南部まで調べておられる。
「教えてもらって、自分で見つけて、正確な名前を早く知る」ことが大切と言われた。
高校生の時には100種類のシダを見分けたという先生の学生時代からの取り組みを聞いて感心するばかり。
申し訳ないけど、知りたいとは思うのだがシダ音痴の私。

ツインルームで、いつもより早く就寝。

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10月15日 甘樫丘 ガマズミ ゴンズイ ヤマハゼ ヒメユズリハ 白アリ

2019年10月15日 | Weblog

久しぶりにさわやかな秋空
この同じ空の下に台風被害で大変な思いをしておられる方がおられると思うとつらい。

 
      ガマズミ                ゴンズイ

 
  古い切り株の上の木切れをひっくり返してみたら・・そこは「シロアリ天国」だった。
家にいたら困るシロアリだが、ここで切り株を分解して土に戻してくれるのはいいこと。
そっと木切れを戻しておいた。

 
ヒメユスリハが果実をつけていてうれしい。 上を向けばヤマハゼの紅葉 果実もあった。

 
エゴノキの葉についた虫こぶ よく見るネコアシの他にも虫こぶができるようです。
                   右)ヒメアザミ この辺の自生だそうです。

 
甘樫展望台のナナミノキ 果実が少し色づいてきた。 
                  右)ここから見る景色は一番飛鳥らしいと思う。

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10月14日 昆虫 チャタテムシ クスベニヒラタカスミカメ ハネナガイナゴ

2019年10月14日 | Weblog

橿原神宮周辺で。

今日も面白いものが見れた。
 
クスノキの害虫 クスベニヒラタカスミカメ 成虫 
        右)幼虫はまるでベッコウ飴?ビー玉? 初めて幼虫の姿を見た。きれい!

 
チャタテムシの仲間・・家の中の害虫のイメージだが、チャタテムシにも屋外にいるものも。
これは翅のあるチャタテムシの仲間 トイレの外側のモルタルの壁にびっしり。
                    右)拡大すると触覚が長く、翅がある。

 
    キマワリの仲間 成虫   幼虫は硬い筒状 尾の先がスプーンのようにえぐれている。

 
アカハネオンブバッタ 去年も見た。普通のオンブバッタもいた。
                    右)ハラビロカマキリとハリガネムシ 
どうしたことか?こんなコンクリートの上で腹から出てきて干からびたハリガネムシ
想像するに・・先日来の雨、昨日も雨が降ったので、水辺と間違えて腹から出たが、水はすぐに乾いてしまったということではなかろうか?お気の毒。

 
アリに擬態した小さいクモ アリグモ 脚は8本ある。ノートの線は7ミリ 
小さいアリグモの仲間も拡大してみると・・黒く見えるのは大顎 ♂は上顎が発達するらしい。
 

   
ヨメナの花にルリマルノミハムシ  蚤葉虫というだけに、後脚は太い(腹側から見た所)
この太い足で蚤のようにジャンプするらしい。

 
ヤママユガの繭 抜けた後で色あせている。  クスサンの繭 透かし俵 抜けた後
ヤママユガはクヌギやコナラなど広葉樹を幼虫の食草とする野に住む蚕で、天蚕という。
薄緑色の上質の絹糸が採れる。
クスサンも糸を持つが、幼虫の体内の絹糸腺から硬くてしなやかなテグス(天蚕糸)が採れるそうだ。
それにはクスサンの幼虫を解剖?する必要があるらしい。
蚕は釜茹で。クスサンは切腹・・人の役には立つが、気の毒な運命。

 
オオスズメバチ 木の下で何匹か死んでいた。役目が終わって寿命なのか? 木の上にはまだ生きているハチがいたので、けんかに敗れたのか?  おかげで生きているときにはゆっくり見られない顔もしっかり見れた。

 
  朽木の中にいたカブトムシの幼虫   こちらはずっと小さいコガネムシの仲間の幼虫。
見かけはつるんとしているように見える幼虫は、よく見ると毛がいっぱい生えている。
コガネムシの幼虫は、背中を上にしようとするのに、背中を下に毛でもぞもぞと這う。

 
ハネナガイナゴ よく見るコバネイナゴに比べ翅が長い。でもコバネイナゴの翅長タイプもいるのでややこしい。    右)最後にアサギマダラが見れた。

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