みどりの野原

野原の便り

1月21日 ①ろうあ者Mさん&②百樹会&③瑞光寺くじら橋

2007年01月21日 | Weblog
① 電車に乗ったら、
久~しぶりにろうあ者の男性Mさんと一緒になった。2,3年ぶりか?
なつかしく生活の話・健康の話・食べ物の話・仕事の話・手話サークルの共通の知り
合いの消息・・・いろんな話に花が咲いた。

仕事を辞めてからは、ろうあ者と会うこともなく、手話を使うこともなくなっていたが、
話は出来るもんだ。
仕事も順調で、食事にも気を遣い、運動もして健康管理もしておられ元気で安心した。
私も最近の炭焼き釜つくりの話など、身振り手振りも交え聞いて(見て)もらった。

携帯電話の話になる。ろうあ者は昔は通信手段は手紙かFAXだった。
その後、携帯電話が出来、通話は出来ないがメールが出来、パソコンも普及して、
昔に比べるとるのでずいぶん便利になっている。
先日、別のろうあ者からアドレス変更通知が来たんだけど、アドレスと090・・・の
電話番号が書いてあり、「あれっ電話番号?」と思った話をしたら、なんと電話番号と
ちょっとした操作でテレビ電話が出来るらしい。
「うわーっ進んでる~」思わず手話で叫んでしまった。
「ほしくなった?」まあそれほどでもないけど・・
「でも携帯片手に手話できないやないの?」というと、机の上に携帯を立てる仕草。
そうかあ~。世の中進歩してますね。

そんなこんなで豊中まで行くというMさんが梅田で乗り換えるまで、退屈しないで
おしゃべりを楽しんだのでした。


② さて今日の目的は、百樹会。
モノレールの千里中央駅に行くと、「久しぶり」「遠いとこからよく来たねー」
「だいぶ時間かかるやろ」と声がかかる。
今日の案内役Nさん、古くからの知り合いOさん、お父さん的存在のHさん・・
他にも知っている方も何人かいらっしゃる。

今日は吹田市在住の仲良しHちゃんを誘って参加した。9ヶ月ぶりだ。

豊中市の千里東町公園での観察。
都市の公園なので、珍しいものはないが、他の季節にはない木の姿もみられ、漠然と
見ていた木の姿を改めて見たり、説明を聞くのはすごく勉強になる。
講師や会員の深い知識にいつも感心する。

前出のHさんはかなり高齢にも関わらず、学名やカタカナ名がすぐに出てくるし、
よく研究されていて尊敬している。

昼過ぎ、会終了後、今日のおまけ。
珍しい「コイカル」という鳥が見られるというので、みんなについて行った。
そして「イカル」と、「コイカル」のきれいな姿を見ることが出来た。


③ そのあと、同行のHちゃんが「お楽しみ」のところへ連れて行ってくれるという。
そこはモノレールで南茨木、そこから阪急に乗り換え上新庄駅で降り、10分?ぐらい歩
いた所だった。

「臨済宗 瑞光寺」そこの橋の欄干や飾りは何で出来ているでしょうか?

答えは「クジラの骨」でした。「くじら橋」又「雪鯨橋」といわれています。

こんな橋は初めて。太鼓橋の欄干はクジラの骨や肩甲骨で組み立てられているのです。


      
イワシクジラの下あごの骨とクロミンククジラの脊椎  扇型のはイワシクジラの扇骨です

昔、太地へ行脚された時不漁に泣く漁師から豊漁祈願を頼まれ、5戒の1つ 殺生には協力
できないと断ったが、たっての頼みに祈願したところ大漁となり、喜んだ漁師からお礼に
金30両とクジラの供養に鯨骨16本が納められた。
そこで、すべての命を大切にという願いを込めて、その骨で橋を架けた、という。


今の橋は6代目だそうです。(平成18年11月5日架け替え)

街中に面白いものがあるものです。こんな面白いところに案内してくれたHちゃんに感謝!

そんなこんなで今日も1日、機嫌よく遊びました。


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1月20日 勾玉作りイベント

2007年01月21日 | Weblog
飛鳥のイベントで「勾玉作り」にスタッフとして参加

原料はろう石。滑石とも言うそうです。
昔、道路にお絵描きやけんけんの輪など書いて遊んだものです。ちょっと懐かしいですね。
参加した子供に聞いたら知らないと言ってましたが。


手順は
鉛筆で勾玉の輪郭を書いておき、紐通しの穴をキリであける。
次にヤスリで線に沿って削り、後は角を削って丸みを出していく。
大体出来た所で粗いペーパーをかけ、最後に水をつけながら細かいペーパーで磨くと
ツヤツヤのガラスのような光沢がでる。
紐に通して出来上がり。
   

たまたま飛鳥に遊びに来た若いカップルや、通りかかった観光客も、空きがあったので
飛び入り参加。
子供たちも一生懸命。ひたすら削ってエプロンも服も粉だらけになりながら、
みなさん世界に一つしかない「マイ勾玉」を作って帰られました。

物を作るってほんとに楽しいことですよね。特に単純な作業は無心になれます。
最初はなかなか形が出来てこないので不安がっていた人も、
「こんな楽しいとはおもわなかった!」「面白かった!」とすごく喜んでくだ
さって、私たちもうれしくなります。

終わった後は白い削りカスが大量にでます。
成分はベビーパウダーにも使われるものらしいですが、なにかに使えたらいいのにね。

おじいちゃんと孫さん。友達同士。お父さんとまたお母さんと子供、若い夫婦、
ここに参加して一緒に楽しまれるような方たちはきっと日頃のコミュニケーションも
うまくいくことでしょう。

午前、午後2回の勾玉作り、温かな気持ちでお手伝いできました。

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1月19日 ②炭焼き釜その後、

2007年01月21日 | Weblog
飛鳥めぐりの後、気になる炭焼き釜を見に行った。
だいぶ様子が変わっている。
 
   19日火を止めた炭焼き釜全景


      木酢液用竹筒

以下は見たこと・聞いたこと

先ず、見た目は、入口に羽目板のような板が5枚はめられている。
トタン屋根の後ろの方には半分に割られた長い竹が合わせて取り
付けてあるのが見える。



(以下は最初から最後まで関わられたKさんの炭焼き日記を参考
にさせていただきました)

(1月14日)炭焼きの火入れが行われた。
火入れの前にほうらく(焼き固めた土の天井のこと)の上の灰を取
り除き、煙突を取り付ける。

焚き口から火を焚くと、滝口の上部に積んだ燃料用薪が燃え、奥の
太い原木の上に乗せた柴(バイタ)に燃え移り原木の方へと火が移る。
そのころ天井の天穴・耳穴(奥に天穴1箇所・手前に耳穴2箇所があけ
てある)も塞ぎ、焚き口も土管をさして入口を狭くし、煙突も半分蓋
をしたりして空気の量を減らす。

水抜き穴からは盛んに水が流れ出る。

そのまま一晩おき、
(1月15日)燃えすぎないように煙の色を見ながら空気量を微調整しな
がら焚く。
火入れから30時間ぐらい経った頃、煙の色が薄くなり、そのまま一晩
置く。

次の朝、(16日8時)煙の色を見て火を止めた。
このタイミングが難しく「親の死に目にも会えない」といわれるゆえん
だ。

釜は土で密封し、このまま冷ます。
(入口に羽目板を取り付け、入口との隙間には土を入れ、撞き固めた
という)

煙を樋を通った煙は、冷えて木酢液となって流れ落ちたものを下で受け、
バケツに何杯もの木酢液が採れたそうだ。

炭の取り出しの日は未定。どんな炭が出来ているか楽しみ。

もう1つ大きい変化、炭焼き釜に立派な屋根を付け、釜のそばには立派
な小屋?が出来るとかで、ごっつい基礎がしてある。

今のままの方がずっと素朴でいいと思うけど。

立派な=無粋な施設にならないように願う。
コメント (3)
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