みどりの野原

野原の便り

5月31日 多田神社 満願寺 最明寺滝 

2017年05月31日 | Weblog
てっきり多田銀山に行くものと勘違いしていたハイキング。
多田銀山はだいぶ前に友達に連れて行ってもらったことがあるが、今日は初めてのコースのようだ。

能勢電鉄、多田駅の駅前
 
「多田御社道」の道標があった。思ったより距離があり、町中をしばらく歩いた。
                 右)病院前の生垣のアメリカザイフリボク

多田神社に到着。
「祭神は源氏の5公(56代清和天皇の曽孫 源満仲・頼光・頼信・頼義・義家)
源氏の祖廟であり、源氏発祥の地。源氏の同族会なるものもあるらしい。

『天禄元年(970)源満仲によって建立され、鎌倉時代に僧・忍性によって再建された多田院というのが起源で、現在の社殿は寛文年間に徳川家綱が再建した』


多田神社 左手から登った方が緩やかなので・・と今日のお世話役さんの配慮。

 
多田神社の摂社 六所宮 6神を祀る。   右)随神門 2人の随神が守っておられる。

 
随神門をくぐると多田神社拝殿 後ろの本殿と共に重文指定されている。
   右)拝殿の垂れ幕?にある神紋は「笹竜胆」 丸い紋は徳川の「三つ葉葵」らしい。

「清和源氏の系図」が掲げられていた。
清和源氏・・ということは清和源氏以外にもあるのか?という疑問が湧いてきた。
ネットで調べかけたが・・
河内源氏・摂津源氏・多田源氏といった清和源氏系?と宇多天皇の宇多源氏・村上天皇の村上源氏・仁明天皇の仁明源氏・・などあるらしく、むつかしい。手に負えない・・

 
境内にはオガタマノキ・ムクロジなどの大木があり、どちらも郷土記念物となっている。

南大門から出る。

「正一位多田大権現」の額がかかる南大門。 仁王様はお留守。
「ここにあった仁王様(金剛力士像)は明治の神仏分離の折、満願寺に移転された」とのこと。

 
南大門から降り、前に見える御神橋(猪名川)を渡る。 
                   右)橋を渡ったところにある門からみた多田神社。
今日は横方から入り、南大門から出てしまったが・・
本来はこの門をくぐり、御神橋を渡り、階段を登って南大門から入るのがルートだろう。

ここからは住宅地を歩き・・万願寺の道しるべを右折。


      すぐ山道になる。

そしてゴルフ場の横の車道へ出たかと思うと又山道。
宝塚市のマンホールがあった。川西市から宝塚市に入ったのか~。

そこから5・6分で満願寺に着いた。
神秀山・満願寺の所在地は川西市。あれっ?? 
後で調べたら満願寺のある満願寺町は飛び地で、周りは宝塚市とのこと。
いきさつをネットで調べたが・・いろいろ・・満願寺の所領のみが川西市になった。

 
   階段を上がったところは金堂           右)観音堂

『寺伝によると奈良時代聖武天皇の勅願により勝道上人が創建』
満願寺のホームページにも同様なのに、境内の石標には『後醍醐天皇の勅願所』とある・・ 
寺伝の勝道上人の生存と寺の開基年とは矛盾があるらしい。伝承は必ずしも正しくはないが・・


満願寺山門・大悲門 元多田神社を守っていた仁王さま(金剛力士像)がはここにおわすのか・・

 
いらっしゃいました。明治の神仏分離で移されたという仁王様 いろいろ大変でしたねえ。
鎌倉時代末期の作で兵庫県の有形文化財に指定されている。

 
満願寺を出てすぐに最明滝への道しるべを入るとまたすぐに山道になる。


    コツクバネウツギが満開

途中で私有地と書かれた道を入る。いいの?
聞くと、サンヨー電気社長の別荘があり、山も私有地らしい。・・が問題はないらしい。

 
横の谷川(最明寺川)は大岩ごろごろ。しばらく歩くとしめ縄の架かった岩があり滝はもうすぐのよう。

 
川向うの切り立った岩山に白い花が見えた。ツツジ? 双眼鏡で見るとセッコクのようだ。すご~い。
岩山の何個所かにあり満開だ。岩山の頂上付近にはピンク色のも見えた。

 
最明寺滝 落差10m。 岩山の隙間に挟みこまれたように不動明王を祀るお堂がある。
その手前にも地蔵尊? 滝の横にも祠があり滝一帯は神聖な空気に満ちていた。 
最明寺という寺はないそうだ。
信仰が篤いらしいのはその一つ一つに新鮮な花が供えられ、途中の山道にも箒など清掃道具が置かれているのを見てもわかる。

最明寺滝を出発。

 
途中でやり過ごした赤い橋・辰巳橋を渡り「大聖不動尊」と書いた門を出る。
本来の参道はこちらなのかな?


    川沿いに山道を下る。


右に宝教寺への赤い橋。韓国語の架かれた提灯が並んでいた。(立ち寄らず)
そして、えっ?えっ? もう下界。さっきの岩山との落差に面食らう。
住宅地から山へ。山から住宅地へ。今日はその急展開に驚かされた。

住宅地を抜けて車道をしばらく行くと阪急山本駅。

卵を温めているらしいツバメ

近くにあるという温泉へ行く予定は遅くなるので取りやめ、途中の駅で反省会をして帰る。
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5月30日 金剛山麓 ウツギ・ウツギ・ウツギ・・カメノコテントウ産卵

2017年05月30日 | Weblog
久しぶりの金剛山麓 奈良県側
いつも気になりながら、2年も行ってないようだ。

途中、様子の変わった所もあったが、のんびりと歩く。

ちょうど「うつぎ」が花盛り。

 
ウツギ 咲きはじめ。まだつぼみも多い。 マルバウツギ 少し奥にあった満開の株。

 
   コゴメウツギ ちょっと地味目     ヤブウツギが今盛り。


 コツクバネウツギ? キバナツクバネウツギ? ややこしくなった・・

こんなにたくさんの「うつぎ」がいっぺんに見られるなんて幸せ。

「うつぎ」と言ってもアジサイ科・バラ科・スイカズラ科・・などに分かれて、茎も「空木」ばかりではない。

 
   ネザサ?の開花も目立った。           サワギク


ナガバモミジイチゴの実が成り時で、登山の人の口安めになっている。
残っている実を降りてきた人とつまんで食べた。さわやか~。

花や実ははなかったが横にある木がハシバミの仲間のような気がして枝を引っ張ろうとしたら・・
枝の上にヘビが寝ていてびっくり。何ヘビかはわからない。  画像は省略。

小さい虫も見た。

  
おとなしく撮影させてくれた コミスジ   何バッタの幼虫だろうか。何匹もいた。


キブシの葉の上にいたオトシブミ ウスモンオトシブミじゃないかな?
今から揺籃を作ろうとしていたのかも。

 
大型のテントウムシ カメノコテントウ 
しばらくケースに入れておいたら卵を産んだ。 きれいなオレンジ色の宝石のようだ。
・・困った・・
ばらばらに落とすとよくなさそうに思って、連れて帰って蓋を取ったケースをベランダの草の間に置いたが、うまく孵るのかどうか。気の毒な事をした。
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5月29日 高安山 昆虫 

2017年05月29日 | Weblog
高安山 昆虫部会に参加

 
  アサマイチモンジ 左は表翅 右は裏翅  
イチモンジチョウとの違いは翅裏の模様で。捕まえてよく見ないとわからない。

 
カミキリモドキの仲間らしい。ネットで見るとカンタリジンという毒を持つらしい。直接触ってないので大丈夫。
                 右)ヒカゲチョウ クロヒカゲより色が薄く、裏の模様が違う。


  ムシクソハムシ 極小。
ヘクソカウラに負けない悪名を付けられたが、ルーペで見るとごつごつした体は足を縮めるとまさに「鳥の糞」
ハムシの仲間は小さくて私の手にも目にもおえないが、小さくてもよく見るとそれぞれの色形がある。


セイタカアワダチソウアブラムシ 有翅のも見える。テントウムシにとってはご馳走。

トンボも多かった。他もいっぱいいっぱい見たが・・省略。


登ってくると見晴らしが良い。風もさわやか。

 
玉祖神社 そばにクスノキの巨樹     右)コケコッコ~~~とときを作っていたのはこの黒い鳥(長鳴鶏)。
山口県の玉祖神社本社から来たものらしい。

これは黒鶏(くろがしわ)という日本鶏で数が少なく天然記念物に指定されているそうだ。
天岩戸に隠れてしまった天照大御神をおびき出そうとして、この黒鶏を鳴かせたとの伝説がある。
小屋に入っているものも自由に歩き回っているものもいる。

 
途中で見た田んぼの縁 在来のカワヂシャばかりだった。 ミドリハカタカラクサ山陰に一面に咲いていた。

 
           キキョウソウの種の出る窓を見たり・・

 
ノビル ムカゴの間からたくさん花が出ていた。     これは何かな? 

虫を見ながら草花も見て・・道草も楽しみ。
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5月27日 熱海・東京② 小石川植物園―② 見た主な植物いろいろ

2017年05月27日 | Weblog
小石川植物園 続き

お世話役さん発案のひと筆書きコースで回る。(以下の植物は順不同です)

入口近くで咲いていた細かい花。何だろうと近寄ると・・


フシノハアワブキ え~っこれがアワブキの仲間? アワブキの葉とは全く違う複葉だった。

一度よく見て見たかったチャボトウジュロ
 
チャボトウジュロ 低い所にも実や葉があり、葉柄の刺を確認できた。

 
   満開だったハナキササゲ           アメリカキササゲ

 
     カルミアも満開         マルバチシャノキ 花

 
ドクウツギ 初めて見た。トリカブト・ドクゼリと共に日本3大有毒植物らしい。
          右)ドクウツギの葉 羽状複葉かと思ったが単葉で対生だとか。

 
   シロアザミゲシ これも初めて。      果実が変わった形

 
セッコウガキ 赤い雄花?がズラリと並ぶ。       シセントキワガキ

 
ガビハナミズキ 果実はヤマボウシのような集合果 白いガク片もハナミズキというよりヤマボウシのよう。
                      右)アメリカアサガラ 果実。 
アサガラってこんな実だっけ。遠くに花を見ても実までは見ていない。
図鑑で見るとアサガラやオオバアサガラと稜があるのは共通しているが、アメリカ・・は稜もはっきりし、果実も大きい。


見たことはあるナギイカダだが、赤い実がちょこんと葉の上に載っているのが可愛い。

 
    初めて見る カナウツギ     葉の端がほぐれて糸状の繊維がでることから「イトラン」

 
これは又珍しい「ハゼノキ」と「イロハモミジ」の連理。
               右)1本なのに小山のようなモッコク 

 
 シセンテンノウメ           シセンテンノウメ 花
花が残っていたが、先日宮古島の海岸の岩場の窪みに生えていたのと同じ仲間とは思えない立ち上がった姿。
 
 
  オオトウワタ ガガイモ科とわかる花  
       右)オオハンゲ 果実ができかけのもあったが、仏炎苞から付属体のヒモがでているのもあった。 


フェンスに絡まっていたツルギキョウ 花が見たかった。
植えてあるのでもなく自然生えのようだった。

園内の道端に生えていた見慣れない雑草が気になって、帰りに受付で教えてもらった。
 
     左)セリバヒエンソウ          右)キクノハアオイ 
どちらも丈の低い小さい草で外来種らしい。、名前がわかってスッキリ。
勝手に生えているらしい。家のちかくでは見かけない。セリバヒエンソウは毒草ということだ。

小石川植物園で1つ探そうと思っていたのがある。「コゴメイヌノフグリ」
京都植物園で1・2本勝手生え?のを見た。小石川には広がっているというのでこの機会に探したいと思っていた。
(3月30日のブログに記載)

どこにあるのか尋ねたら、
「植えているというより、その辺に生えてます」とのことだったが、家のイヌノフグリも花や実の時期も終わってほとんど消えているぐらいで、時期的に良くなくて見つけられなかったのが残念。
もう少し早い時期なら見つかると思う。

ひと筆書きは名案で、みんな一緒に回ったのでたくさんの物が見れた。


園内の遊歩道は山登りのような階段や坂道があり、アップダウンが結構あった。6キロ近く歩いたらしい。

3時間は長いようであっという間、やはり1回では回り切れないが、たくさんの植物を見れてうれしかった。

前日、登山して参加された方、解散後、銀座など町歩きを楽しんで遅い電車で帰る方、もう1泊してどこかに行かれる方、東京にいる孫さんの家に泊まるという方・・東京駅で別れて、それぞれの所へ。
私は、予定通りに帰るという方と共に新幹線に乗った。


東京駅の建物は素晴らしかった。  帰りの新幹線から富士山がきれいに見えた。登ったのはもう20年ぐらい前になる。
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5月27日 熱海・東京② 小石川植物園-①

2017年05月27日 | Weblog
朝、ゆっくり起きて朝食。そして出発。

 
熱海駅まではずっと下り。坂やら階段やら・・

熱海駅から「こだま」で東京駅へ。


丸の内北口から出たが、外は人は少なく静かだったのが意外だった。空は青空

歩いて大手町駅から地下鉄で白山駅へ。


お昼は大学の学食利用。

小石川植物園まで歩く。
駅から大学へ・・植物園へ・・東京も起伏に富んだ地形だ。

 

この下ってきた坂は「御殿坂(大坂 富士見坂)
説明版によると、
『この坂の上に白山御殿があって大坂と言い、富士が良く見えたので富士見坂とも言った』
『白山神社の跡に御殿があり、小石川御殿とも言われた』
『綱吉の将軍就任後、御殿跡は幕府の薬園となり、享保7年(1722)小石川養生所が設けられた。
明治になってから東京大学の植物園になった』


小石川植物園入口 意外とこじんまりしていた。

12:30~3時間ほどの予定で、世話役さんが設定してくださったひと筆書きコースで回った。
ずいぶん前にちょこっと立ち寄ったことがあるが、ニュートンのリンゴぐらいしか覚えていない。

『今から300年前、貞享元年(1684)に徳川幕府が当地に設けた小石川薬園に源を発している』という日本最古の植物園の1つで、数多くの由緒ある植物や遺構がある。面積は161,588㎡(48,880坪)』パンフより。

京都や宇治や長居など身近な植物園のことを思うとずいぶん起伏があり、地形の変化に富んでいるのに驚いた。
そして、植物園の中は野山を歩いている感じがして気持ちがよかった。

 
    精子発見のソテツ           精子発見のイチョウ

 
ニュートンのリンゴ 万有引力を発見したリンゴの接木苗が科学に関係ある施設に配られ、柴田博士に贈られた木から接木したもの。 右)甘藷試作跡の碑 青木昆陽が幕府に進言し、サツマイモの試作をし、やがて全国で栽培されるようになった。

 
柴田記念館 『大正7年,当時植物園内にあった東京大学植物学教室の柴田桂太教授が植物生理化学の研究業績に対して授与された学士院恩賜賞の賞金を寄付し,それをもとに翌大正8年に建設された,植物園に残っている最も古い建物』
  右)「大正2年ベルリンの植物学者エングラー来日の時の写真」
あの分類学者のエングラーさんを真ん中に、若き日の牧野富太郎さんも写っていた。

 
池の向こうに東京医学学校(重要文化財)    右)大正15年・関東大震災の記念碑。非難所になったらしい、

他にも見逃したのもあるが、歴史を物語る遺構がたくさんあった。

小石川植物園②へ続く。
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5月26日 熱海・東京① 熱海 MOA美術館

2017年05月26日 | Weblog
各自の切符で、熱海駅で全員合流。
関東に縁のない私は熱海や東京は中学?の修学旅行以来。みなさんと合流出来てホッとする。

あいにくの小雨だが、熱海駅からバスで移動。熱海がこんな山だとは知らなかった。
ぐんぐん坂道を登り今日の目的地「MOA美術館」に到着。

 
入口を入ると長いエスカレータ― それをまた乗り継ぎ・・   右)ホール天上の万華鏡
建物の構造がどうなっているのやら今もはっきりしないが・・・
山の斜面に建っているため本館までの高低差が60mもあるらしい。

夢の世界に行くみたいな気分。このエスカレータは印象に残る。
途中のホールの天井には巨大な万華鏡が刻々と変わる絵模様を映し出している。

前に来たことがあるという方も何人かいらっしゃるが、私、恥ずかしいが美術館の名前も知らなかった。
パンフレットを読むと「国宝3点、重要文化財66点、重要美術品46点を含む薬3500点を所蔵している」とのこと。

今は「琳派の美と光琳茶会の軌跡」展開催中。

展示室を回ってみると、仏像や屏風 陶芸・工芸作品・書画などなど・・
有名なものはさすがに聞いたり、どこかで見たりしているものもある。

尾形光琳の屋敷を昔の資料を基に復元し、これを機に茶の湯文化の普及振興などを願い、昭和61年から光琳茶会を毎年開催されるようになり、今も続いているらしい。

毎年趣向を変えて開催される茶会に出店された茶道具や美術品などが多数展示されていて、見ごたえがあった。
黄金の茶室や能舞台もあった。

山の上に立つ美術館からは天気が良ければすごく見晴らしがいいらしい。


残念ながら今日は左前に大島、右に初島がうっすらと見えただけだった。

後で、庭にでて復元された光琳屋敷や庭などを見学。置き傘があるのがありがたい。

 
  唐門(元神奈川県大磯町にあった三井家別邸城山荘内にあった)   光琳屋敷へ。

台所を通り抜けて庭へ。
 
  丸太の濡れ縁がいい感じ。              奥居間


軒下に飾られていたのは何だろうと帰ってから調べたら、「新蕎麦」が出来たことを知らせる「蕎麦玉」らしい。


       「片桐門」 
『賤ケ岳7本槍の1人片桐宗旦が、奈良薬師寺の普請奉行を務めた時の宿舎の門で、奈良慈光院に移された後、神奈川県大磯町の三井家別邸城山荘内に移築されていたもの』

 
低く寄せ植えにされたマツ タギョウショウかと思った。何本もが一山になっていた。

 
階段を降りて「ムアスクエア」へ。    ヘンリームーア作「王と王女」

 
 
  帰りもまた長いエスカレーターで・・      帰りの万華鏡


外へ出ても建物の全容は見えない。山の上まで続いているはずだが。

帰りは坂道や下り階段で今夜の宿まで歩く。雨は止んだ。

 
      ブリジストン熱海海幸荘       順番にお風呂に入り夕食。
今日はメンバーのお1人の卒寿祝いの宴でもある。
植物のことも超詳しく、いつもみんなと行動を共にされるお元気さは皆のお手本になっている大先輩である。
これからもお元気で。

さて、部屋へ引き上げて・・まもなくバタンキュー。
いつでもどこでも眠れるのが我が得意芸。他の部屋の方も来たらしいか・・夢の中。
こんな時しか早寝できない。   ②へ次へ続く。
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5月24日 家の庭 サラサウツギ満開 ヒルザキツキミソウ

2017年05月24日 | Weblog
 
サラサウツギ満開 2階ベランダから。       1階の庭から。


裏庭 ヒメリュウキンカやシラユキゲシやニリンソウやエビネやスパラキシスやチョウジソウなどの咲いていたところを覆って、今はドクダミの世界。 引いてドクダミ茶にでもしようかな。


ヒルザキツキミソウ 毎年出て賑やかに咲く。

 
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5月20日 花やら虫やら・・コバンノキ キバナツクバネウツギ ケヤキ揺籃

2017年05月20日 | Weblog
 
       アオハコベ         キクバドコロ まだツルは小さい。

 
見上げるとコバンノキ ちょうど花が咲いていた。先の方は果実?

 
       ミズタビラコ         キバナツクバネウツギ? 高い。


最後に出会ったウラジロウツギ

昆虫など
 
       キマワリ            ジョウカイボン

 
ルイスアシナガオトシブミ 写真がうまく撮れた。  これがケヤキに作ったオトシブミの揺籃
うまく作るものだ。見つけたオトシブミも今から揺籃を作ろうとしていたのかもしれない。葉に切れ目が入っている。
なかなかお付き合いはできないなあ。


このケヤキ、オトシブミに揺籃は作られるわ、虫こぶはい~~っぱい作られるわ、虫の標的にされているみたいでお気の毒。


エダナナフシ まだ赤ちゃん虫。頑張って大きくなりや~。
ナナフシの仲間は植物食らしい。植物は食べられる分も見込んで葉を作らないとね。
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5月19日 唐招提寺 うちわまき 瓊花 カナメモチ

2017年05月19日 | Weblog
「うちわまき」と言ってるのは正式には「中興忌梵網会(ぼんもうえ)」という中興の高僧、覚盛の高徳をしのぶ法要。

『鎌倉時代の中興の高僧 覚盛上人が座禅中に蚊に刺されているのを見かねて叩こうとしたところ「不殺生を守りなさい。自分の血を与えるのも菩薩行である」と言ったと伝えられる』
『戒律を厳格に守られた師の遺徳を偲んで僧侶がうちわを御前に奉献したのがうちわまきの始まり』 ネット

境内を軽く回る。

 
         金堂             講堂 五色の旗と幡

 
鼓楼 うちわまきはこの上からされるらしい。
              右)奉納されたたくさんのうちわが飾られていた。有名人の名が見えた。


唐招提寺を創建された鑑真和上の御廟

 
御廟の前に瓊花が咲き残ってラッキー。 池のこちら側や向こう側にカナメモチが咲き誇っていた。
 
 
     カキツバタの咲く池        落ち葉1つ落ちていない苔庭

 
いよいよ舞楽の奉納が始まるようだ。金堂と講堂の間に舞台が作られている。
          右)しばらく待つうち、金堂の軒下の楽師さんの演奏が始まった。
この間に法要が営まれているよう。

ちょっと待ちくたびれかけた頃、舞楽の奉納が始まった。
今年からは金堂の軒下部分に入ってもよいといわれたのでグループの人ほとんど移動。上からなのでよく見える。
端に座り足を垂らしたので楽だったが、前に出た分日当たりが良くて、膝が焼け付くようだった。


目の前に並ぶ「幡」はきれい。

 
      振鉾(えんぶ)       陪ロ(ばいろ)演者は女性のように見えた。

 
      蘭陵王(らんりょうおう)       蘭陵王の面      

 
         納曽利(なそり)        納曽利の面
演目もわからず、舞には意味があるのだろうがわからない。お面はおもしろい顔。何を表しているのかな。

3時、やっと「うちわまき」が始まった。
順番に50人ずつロープの中へ入り、鼓楼の上からまかれたうちわを拾えるのは早朝から並んで整理券をもらった人。

 
人が多くてまく人は見えるが、下の様子は全く見えない。
「必ず1人1枚もらえますのであわてずゆっくり拾ってください。」「拾った方は速やかにロープの外へ出てください」
混雑して怪我を避けるためか50人ずつ何回かに分けて入れる。

そして私たちのように並んで整理券をもらってない人は受付で色のカードをもらっている(くじ引き)。
並んだ人のうちわまきが終わってから当選の色が発表にるという。

私は「赤カード」。グループでは赤の人が多いが、緑や紫の人もいる。
「抽選の時、箱の中に赤カードがたくさん見えたので、違う色にした」という人もいた。
「あ~そ~かそこまで気がまわらなかったなあ」多数派の赤は外れか~。

そして、発表。「今年の当たりは赤です」「え~っ。やった~」
1枚1000円で買うこともできるが、当たるというのはうれしいものだ。(車は困ります)

 
そして受付でうちわを1枚ゲットしたのだった。 裏にはさんだ小さい紙きれは何かな? まだ開けていない。

「厄除けなので玄関に飾ってください」と言われたので玄関に飾っている。
コメント (2)
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5月18日 円成寺から柳生街道滝坂の道 ツクバネウツギ 

2017年05月18日 | Weblog
円成寺までバス。


     円成寺ではモチツツジや カキツバタが見ごろ。若葉がまぶしい。


東海自然歩道になっている山道へ。この辺りに来るのは久しぶりでまったく覚えてない。
                 右) こんな抉れたところもあったが、総じて歩きやすい。


       田んぼへ出た。

 
     八柱神社(八王子) 静かな境内でお弁当。涼しくて気持ちが良い。


しばらく歩くと「峠の茶屋」
昔は行き交う旅人でにぎわったのだろうが、今は閉ざされて寂しい。

分岐から地獄谷への道を下る。

    細い尾根道の下り。下り・・

 
地獄谷 石窟仏 暗い石窟の中を凝視すると石仏が3体見えた。 朱の色が残っている。
風化防止のため屋根も架けられ、さらにこれは人間除けか?頑丈な柵が張り巡らせてあった。


    空は一点の曇りもない青空。


 地獄谷新池 能登川の源流。


 首切り地蔵 荒木又右衛門が試し斬りしたと伝えられる。

この道は滝坂の道といわれ、江戸時代に奈良奉行が切り開いた。
柳生から奈良へ。奈良から柳生へ。牛に乗せて荷を運んだらしい。歩きやすいように石畳が敷かれている。
平安時代から鎌倉時代にかけて南都七大寺の僧たちの修行の場でもあった。

さらに下って夕日観音・・あれっ足元ばかり見ていて朝日観音を見逃した。戻る。登りはしんどい。


朝日観音 道のそばにあったのに何で見逃したのか? 

夕日地蔵 看板が出ていたが、どれ?


     見えたのは三体地蔵

 
夕日観音はわかりにくいだいぶ奥の上の岩、少し望遠にすると丸い光背と仏様が見えた。


さらに下って

寝仏様 どちらを向いていらっしゃるのか・・よくよく見れば、頭を左下に・・
この岩、どこから転げ落ちたのか?

後はダラダラ下り・・バス停へ。

今日見た花や虫
 
     カワトンボの仲間        サナエトンボ科 コオニヤンマ? 

 
       ツクバネウツギ       タンナサワフタギ?満開。

 
バライチゴ?花はもう終わり近い。   マルミノヤマゴボウ?ツボミはまだ固い。


   ナチシダ 芽が伸びていた。
花はなかったがネジキやウラジロノキ・ウスノキ・ガンピらしい木などがあった。      
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