みどりの野原

野原の便り

10月31日 多肉植物買っちゃった & ベランダ

2010年10月31日 | Weblog
用事に出た帰り、車で村の中の道を帰ったら「多肉植物無人販売」と書いた所があった。

停まって見ると、小さい鉢がたくさん並んでいた。どれでも100円 いっぺんに飛びついた。


6個600円 お買い上げ~ 娘に2個あげた。 さて、どこへ置こうか・・

さて、ついでにベランダ紹介
最近はほとんど世話のかからないものばかり。それで多肉植物が増えている。
・・と言ってもたいしたものはない。
その辺に生えているマンネングサも何種かあるが、これも結構きれいで強くて気に入っている。
とにかく水切れに強いもの・・水やりもおろそかになりがちな我が家の必須条件。


               東面

               南面

               北面

屋根の下になっているところ、雨のかかるところもある。
ようするに出入り口と洗濯機周辺を除いてはすべて鉢・鉢・鉢
1階の表・裏の地植え・鉢物も含めると・・わあお! 
世話しきれてない・・なのに又買ってしまった・・

午後からは友達に誘われて「トールペインティングのグループの展示会?」に自転車で行った。

飾り付けもすご~い。ロマンチック・可愛い・乙女チック・おとぎの世界に迷い込んだよう・・
もっとも我が家の雰囲気ではないので買わなかったが、友達は長年打ちこんで人に教えてもいる。
えらいなあ。
私が思っているよりはずっと奥深いことだろう。
お茶・お菓子のふるまいもあって、誘ってくれた友達とも久しぶりにおしゃべりした。

近所の人や知人も何人も来ておられた。
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10月29日 伊勢本街道 暗越奈良街道① 大阪玉造~枚岡 初めての草も

2010年10月29日 | Weblog
奈良から歩き始めた「伊勢本街道」も伊勢へは後1区間残すだけとなり、まだ歩いていない大阪からの道を先に歩くことにした。

大阪から生駒山を超えて奈良への街道は「中垣内越え」「暗越」「十三越え」などがあったらしい。
その内「暗越(くらがりごえ)奈良街道」は大阪・奈良間を八里八町(約34キロ)最短距離で結ぶ。江戸時代には大和郡山藩の参勤交代の道として、伊勢参りの道として賑わったという。

先ずは伊勢街道の大阪の起点「玉造」へ
 
近年のお伊勢参りの起点「玉造稲荷神社」。
神社の屋根の上にビルが重なっているのも都会らしい。
古代には勾玉作りの集団「玉造部」の居住地であったという。
遅まきながら(遅過ぎ!)旅の無事を祈っておみくじを引いた。
私もTさんも「吉」 安心して歩き始める。

・・が、町の中の道標や神社探しはなかなかむつかしい。最初から迷ったり引き返したり。
2軒茶屋跡・八坂神社も探すのも手間取った。
細い道に入ると街道の面影が少し感じられるところもあった。

 
平野川・玉津橋から 都会の川は味気ない。       熊野大神宮     

 
千日前線との合流点にあった石灯籠 説明板によると、この道標は1806年(文化3年)に建てられたらしい。 四角い石柱の上部をくりぬいて火袋にし、上に笠を乗せた珍しい形。
夜には旅人のために灯をつけたという。
元は北八尾街道との分岐点にあったのを、道路拡幅のためここに持って来られたので「行き先表示は正しいものではなくなっている」とのこと。
こんな小さな灯籠も旅人達には頼りになったことだろう。

町歩きで園芸植物・道端にも珍しいものはなかったが、ちょっと見かけない草が家と道路との間に生えていた。コミカンソウやヒメミカンソウとも雰囲気が違うし・・とちょっとちぎって持って歩いた。

調べてみたら ブラジルコミカンソウ(ナガエコミカンソウ)のようだ。
やった~!又初めての草に出会った。

もうお昼なのだが、食事出来る場所がない。飲食店がいっぱいあるのでお弁当はいらなかったかも。 公園も見当たらないし、神社境内も食べれそうではない。
  
深江稲荷神社 ここの大きいクスノキの根元でお弁当を食べた。 
                     右)大きいイチョウにはギンナンがなっていた。
深江は菅笠作りが盛んだったらしく、現在も、伊勢神宮式年遷宮や天皇即位の大嘗祭に使われる菅製品は深江から献納されているそうだ。
本に書いてある標識を探して、近所の人に聞いたり、それでもわからなかったり・・
 
 
長瀬川のたもとの「大坂高麗橋元票」 迷って歩いた所にあった。明治には高麗橋が伊勢参宮の起点だったとか。時代によって起点も違うのか~。     
                       
JRを超え高井田・新喜多(しぎた)へ。
江戸時代の中頃まで河内平野の何本もに分かれて流れていた大和川は、大雨のたびに氾濫。
宝永元年(1704)に柏原市安堂から大阪湾に流れ込む「新川」が掘削され、水かさの激減した旧川筋では川床を埋め立てて新田が開発されたそうで、新喜多新田もその一つ。
開発を請け負った鴻池家の一統の両替商3人の名前をとって「新・喜・多」と名づけられたとも言われるらしい。
南北に長いその中を暗越奈良街道が東西に横切っている。

 
        御厨行者堂            右)新御厨北大橋(第2寝屋川)

 
「枚岡」の地名や「すぐなら・いこま」といった道票が出てきた。
                   右)生駒山もだんだん近づいてきた

  
もちのき地蔵尊・おかげ灯籠 伊勢神宮の遷宮が行われた翌年、伊勢参りの感謝として伊勢講の人達によって建てられた。 右)花園ラグビー場が右手に見える所を左に入った。気がつくとマンホールはラグビーのデザインだ。

昔勤めていた会社のビルが見えた。なつかし~。
花園駅からカメのいる田んぼの用水沿いに歩いて通ったが、そんな田舎の雰囲気は全くない。

松原宿らしい所を通り・・・枚岡駅へは少し登り道。
予定より2時間ぐらい遅れて枚岡駅に無事到着。

山女も町歩きの時間を予想するのはむつかしいらしい。地図を見ながらもよく迷った。
28000歩近く歩いた。
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10月27日~28日 青山

2010年10月28日 | Weblog
青山の友達の別荘へ。
駅からタクシーで向かう途中、気温が11℃と出ていた わ~寒~。

途中で、小鹿が3頭ゆっくりと山の中へ消えた。大人のシカも1頭見た。
この頃シカが増えているそうだ。
昼過ぎに到着。さっきまで晴れていたのに雲が多くなってきた。寒い。

お昼を食べて散策に出た。

 
シロモジが多い。来年の花芽葉芽がちゃんとできていた。   


クロモジの冬芽も


 
「草もきれいに刈ってよく管理されてるね」というと、これもシカの仕業だという。
まるで奈良公園の芝生のよう。どこもここもきれい。
草刈りしてくれるのはいいけれど何もかも食べられて困っているという。
前は草花がもっとあったのに・・。とのこと。
    右)リョウブの幹も下の方は川をかじられて赤裸。でもそれにも負けず元気そうなのは、もともと大きく皮を剥がす木だから?


リスもいるらしい。
マツの木の下にはかじりさしのマツボックリやきれいな「エビフライが」落ちていた。

 
体が毛虫のような虫 ガ? 触られて、毛虫状の体をシャチホコのように反らせて威嚇。
(ピンボケ)

 
左の方に伊勢湾が見える。          山また山

外は冬のように寒い。夜はストーブが気持ちよく、鍋をつついたり飲んだりしゃべったり。快適に過ごす。

あくる日は朝から雨の中を散歩。

 
     雨にけぶった木立        少し黄葉している木もあった。

雨で鳥は見れなかったが、4人で2日間のんびりと遊ばせてもらった。
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10月26日 K大インスト講座 後期②

2010年10月26日 | Weblog
 
アプローチのケヤキ並木も少し色づいてきた。樹形・色づき具合の違い・樹皮など観察。

 
今年もハンカチノキは実をいっぱい付けた。
実のつき方の不思議、何のためにアンバランスな実の付き方をしてるんだろう。
毎年その中に双子の実をつけるものがある。その付き方になにかヒントがあるのかも。

学生さんの1人が「『食べられる木』という本にハンカチノキが載っていました」という。
え~っ!本当? 聞いたことがない。柔らかい果肉もないし、カチカチの実はとっても食べられそうにないけど・・
講師が果肉部分を削ってくれたのでかじってみた。渋~い。やっぱりダメ。 
でもパパイアの青いのと同じようにこれを野菜として食べるのだろうか?

 
アラカシの青いどんぐり スダジイは殻斗がはじけて実が落ちているものもあった。
来年稔るどんぐりの赤ちゃんもあった。
マテバシイは毎年いっぱいどんぐりを落とすのに、今年は少ない。
山のどんぐりもこんな状態ならクマも困っていることだろう。

先週拾ったマテバシイを炒って持っていき学生さんに食べてもらった。
おいしいとの感想が聞けた。アラカシのドングリをかじって見る人もいてびっくり。
興味を持って取り組んでくれているのはいいことだ。


敷地内にある三角点のある雑木林へ。あまりこんなところに来たことはないはず。

さて、家へ帰って早速ハンカチノキが食べられるかどうか調べてみるとこんな記事を見つけた。
「・・あまりにも硬すぎて開けることが出来ませんがやっと開けるとクルミのような細長い胚乳が数個出てきます。それはまさにクルミやブナの実にも似て脂肪があり美味しく食べることが出来ました」とあった。へえ~~~! 驚き。

家へ帰って、持って帰った実を先ず果肉部分を削り、硬い種をカナヅチで叩いた。1回2回3回なかなか割れそうもない。

 
   果肉部の厚さ5㎜程度        果肉部を包丁で削り取る

 
エイヤッと思い切り叩いたら割れた。・・が半分がどこかへ飛んで行って懐中電灯で探したが見つからず。
残った半分を見ると、確かに胚乳らしい白い筋状ものがある。
千枚通しで1つほじりだして見た。そしてもう1回残りを割って見るともうひとつあった。

・・で、それを食べてみた。・・う~んなるほど・・渋くはない。
ちょっとシャキシャキして脂肪分もありそう。   
でも労多くして実は少ない。  食料にするにはあまり適当ではないような・・・

学生さんに教えてもらって面白かった。もっとも、これでお腹?命?が無事ならば・・・
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10月25日 雨の金剛山麓

2010年10月25日 | Weblog
雨模様だったが予定通りに歩くことにする。

 
      ススキが霞む             ヨシノアザミ?も霞む

 
高いところにあったアキグミの実 思ったより渋くなかった。ガマズミ 酸っぱい。 

 
アワコガネギク?シマカンギク?の黄色い花     ヤクシソウ
    
イナカギク?シロヨメナ? キク科の白い花も・・秋のキク科はややこしい。

     
ウリハダカエデ 1本だけ赤く紅葉          ツルウメモドキ


     除草剤はやめて~!
     
天気予報どおり途中で雨が降ってきたので谷へは入らず、弁当を食べて引き返した。
帰りは本降りになり、道が川のようになった。

早く車に戻って時間が余り?? 後は屋内で夕方まで・・こういうこともたまにはいいか。
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10月24日 坂本龍馬ゆかりの史跡めぐり

2010年10月24日 | Weblog
町内会のバスツアーに参加。
霊山歴史館~二条城~寺田屋~月桂冠 大倉記念館と回る。

テーマがはっきりしているのは良い。

幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
幕末~維新の流れの展示を見た。たっぷり時間があると思ったが、すぐに時間が経ってしまった。細かい展示を見るには時間が足りない。龍馬が斬られた刀が展示してあった。

二条城 
国宝二の丸御殿を見学。
 
         唐門                     二の丸御殿

狩野派によるふすま絵は薄暗いので分かりにくかったが、1枚板で出来た欄間の両面の彫刻は見事だった。
数ある大広間はそれぞれに使い道が決まっているらしい。
将軍が上座に座り、事が起こった時にはいつでも飛びだせるように家来の控え室が横にある。
ウグイス張りの廊下も外敵の侵入を知るためのもの。備えは万全だ。

15代将軍徳川慶喜が大政奉還を発表した広間には人形が配置してあり様子がよくわかった。
将軍の私室なども見学出来た。
時間がなくて庭園を見れなかったのは残念だった。

寺田屋
町の中の折れ曲がった細い通りを大型バスが通るのは大変だ。
そばの宇治川は昔大阪と京都を結ぶ三十石船が通り、寺田屋は「寺田浜」という船着き場を持つ大きい船宿で、大繁盛していたという。

薩摩藩の定宿としていたため、薩摩藩急新派と他藩の間の争い、伏見奉行役人に龍馬も危うく殺されそうになるという「寺田屋事件」といわれる2つの事件の舞台となる。

 
2階の部屋の柱に残る弾痕や、刀傷が生々しい。

女主のお登勢さんは学のあるキップのよい人で、龍馬や薩摩藩士に信頼され、名を残したという。

テレビドラマは見ていなかったが、今日の番組では「船中八策」という所をやっていて、見学してきたばかりなのでよくわかった。

月桂冠大倉記念館
 
寺田屋のそばを流れる宇治川派流の美しい川沿いを少し歩くと、川向こうに酒蔵が見えてくる。                 右)ちょうど十石船が通った。
近くに乗り場もあり船に乗って見たいところだが団体行動なので無理。


記念館では酒造りの様子の展示を見学後お楽しみの試飲。 おいしくてワインをおかわりした分、やっぱり土産に買ってしまった。

自治会のメンバーもだいぶ変わっていて顔の知らない人もいる。
ご近所さんでもゆっくりと話をする機会も減っているので、よい交流の機会になった。
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10月23日 音羽山

2010年10月24日 | Weblog
1年ぶりに音羽山へ。
いつものように途中に車を止める。


17丁の内の7丁の丁石から歩き始め。

 
参道の山道の草花も大切にされている、 ナワシログミ シロヨメナ?イナカギク?

参道の坂道は整備されて幅も広がり、コンクリート道になってだいぶ登りやすくなった。それでも坂はきつい。

音羽観音に到着。今日は庵寿さんはお留守のよう。

 
天然記念物のオハツキイチョウ  葉のついたギンナンを見つけた。
少し早いがここでお弁当を食べて、音羽山に向けて出発

 
       ハガクレツリフネ       ミカエリソウはここでも葉脈だけ
    
ヒメアザミらしいもの・アキチョウジの他は、モミジガサやクサヤツデ・カシワバハグマなど地味なものが多い。

前、迷ったことがあった音羽山への登山道には真新しい標識が出来ていてこれなら安心だ。

 
スギヒラタケがたくさんあった。以前は食べていたけれど・・  他にもキノコが。


1時間余りで音羽山山頂に到着(851.7m)ここから音羽3山の経ヶ塚~熊が岳へと道は続く。

私たちはひと休みして下山。

 
 
帰り道。標識は出来たけど登山道はそのままで、水の流れている沢歩きの所。歩きにくい所もある。

 
観音寺からの帰り道で見つけたパンみたいなキノコ。   爆発した?キノコ
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10月22日 元興寺禅室 屋根裏探検 & 平城遷都1300年祭

2010年10月22日 | Weblog
友達が申し込んでくれて元興寺禅室の屋根裏を拝見出来ることに。
来たことはあるが、ゆっくり中を見たことがなかったので楽しみ。
残念ながらカメラを忘れたので写真はなし。

元興寺の前身は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院「法興寺(飛鳥寺)」で、
平城遷都に伴って飛鳥から平城京へ移された寺院の1つ。
(薬師寺 ・厩坂寺→興福寺・ 大官大寺→大安寺・ 法興寺→元興寺)

今はこじんまりしているが、伽藍配置など飛鳥寺を上回る大規模なものだったらしく、建物の1部には飛鳥から運ばれた瓦や部材が残っているという。

禅室の天井裏探検は30分ごとに10人ずつが受付されている。

受付を済ませ入館時間までの待ち時間に総合収蔵庫内を見学。
創建当時の屋根瓦などが展示されていた。
今の均一な瓦と違い、叩いた跡・削った跡・それを均した跡・・手作り感がいっぱい。
分厚く、軒平瓦も幅が奥が狭くなっているのが印象的だった。

さて、11:30からの屋根裏探検では荷物を置き、ライトとヘルメットを借り、狭い階段を上がる。
ライトに屋根裏の木組みが浮かび上がる。
頭を打たないようにかがんで足元にも気をつけながら係の方の説明を聞く。

創建当時の部材・鎌倉時代の改修時に使われた材・昭和の解体修理で使われた新しい材 など「屋根裏には寺の歴史が残っています」と言われた。

「肘木」「蛙股」「巻斗」「間斗」など、普段は聞きなれない部材の名。
部材は改修や解体修理で取りかえられたり再利用されたりしている。
天井板の上には使われなくなった古材も置いてあった。

壁の一部にコテで描かれた(彫られた)ツルの落書きがあった。
梁の裏に飛行機(戦闘機)と富士山らしき山のノミ跡は戦時中から戦後にかけての修理の時に描かれた落書きらしい。
描いた職人さんは、後世に屋根裏に人が入って自分の書いた落書きが見つかるとは思っていなかったことだろう。

また、天井裏の見えないところに本来飾りである蛙股が作ってあるのは、鎌倉時代までは天井板はなく下からも見えていたもので、天井板は後世に作られたものらしい。それを聞けば納得。

めったに入れない良い経験をさせてもらった。

平城遷都1300年祭
お昼の食事をしてから、平城遷都1300年祭がおこなわれている平城宮跡へとシャトルバスに乗る。
4月に始まってまだまだと思っているうちに今になり、ちょうどよい機会に来れた。涼しいし。

平城京歴史館は受付中の最終入館(16:00)の切符を買って、待ち時間に大極殿などをまわる。
ニュースでは聞いていたが、大勢の客が来ている。
近鉄線路を渡って大極殿で高御座などを見、そこからまた近鉄線路を渡って歴史館まで。まるでハイキングのよう。
障がい者・75歳以上の高齢者などのためにはハートフルトラム・ハートフルカートが走る。
車いすの貸し出しもされ高齢の方も多く見かけた。そりゃそうでもしないと無理だ。

やっと入れた歴史館は映像展示・VRシアター・遣唐使シアターでわかりやすい。
平城京の再現映像も良かったし、遣唐使シアターはバーチャルリアリティでちょっと目がくらくらしたけど臨場感にあふれていた。最後に復原展示してある遣唐使船に乗った。全長30mという船は竹で編んだ帆がついていた。この船で嵐に耐えて辿り着くのは奇跡のようなものではないか。
さっき見た映像と合わせ、外国の文化を取り入れるのに命がけで臨んだ遣唐使や当時の人達の様子がよくわかった。
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10月19日 K大インスト講座 後期①

2010年10月19日 | Weblog
後期講座が始まった。

講座生は7人全員女性 2年生 

最初に「あなたにとって自然とは何?」とK講師の最初の問いかけ。
即答で難しく考えずに思ったことを書く。「生き物にとってなくてはならないもの」
「きれい・木がたくさんある」「楽しくて厳しいもの」・・いろんな答えが出た。
よく使う言葉だけど考えればむつかしい。

外へ出る。
早くも落葉してしまったサクラの木。
落葉や枝や幹・・サクラの木1本からでも教えられることは多い。そして不思議が
いっぱい。

 
講師は学生さんに質問して考えさせる。
短時間ではあるが、いろいろ感じてくれたと思う。
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10月17日 多武峰から明日香へ ・・なつかしい道・・

2010年10月17日 | Weblog
多武峰から明日香へ。何回もあるいているけれど・・

元住んでいたところ、先祖の墓・元家の田んぼ・元実家・通学路・元通院した歯医者・母校・・
風景も変わっているけれど、昔に帰ったような明日香の道歩き・・


気都和既神社(きつわきじんじゃ)秋祭りの準備、大鍋の準備中だった。入鹿の怨念に追われた鎌足が「ここまでは『もうこんだろう』」といったというところから「もうこのもり」と言われる。    右)やれやれと腰を下ろした石は今は苔むしていた。
悪者に仕立てられている蘇我入鹿は本当に悪者だったのか?との話に、味方を変えれば単なる政敵だっただけかもと思えてくる。


冬野川沿いのオニグルミ 実が割れて落ちていた。

歩いたことのない田んぼ道に入ると・・

草むらの中にサクラタデ、白花サクラタデが咲いていた。
紫色のアキチョウジ・アキノタムラソウのや黄色のアキノノゲシ・コウゾリナ・ヤクシソウなどが咲いて秋の野原を満喫した。

都塚・坂田寺跡・飛鳥稲渕宮跡から石舞台へ。


赤いソバの咲く石舞台から上がると、竹炭を作っておられる所があった。
                 右)ドラムのような窯 炭の材料も燃料も竹だそうだ。  


岡寺 仁王門 子供の頃は「そんなことをすると仁王さんが・・」と脅かされ、仁王さんはこわい存在だった。

この仁王門は、台風で倒壊し再建途中で放置された三重塔の古材を利用したものらしいことを初めて知った。
旧の岡寺の伽藍の中心は隣の治田神社の辺りにあったらしい。
祭りの太鼓台が収納庫があったり、広場で運動会のリレーの練習や羽根付きなど遊び場所だった。

ここから下ると家の墓やすっかり様子の変わってしまった田んぼがあり、表は昔のままの実家から通学路を通る。


川原寺(かわらでら) 中金堂の跡に建つ現在のお寺 弘福寺(ぐふくじ)には、昔、歯医者があって治療に通ったことがある。    右)境内には大理石の礎石が28個残っているという。

ここから亀石~鬼のまな板・雪隠へ
石棺の底石と蓋と言われる「まな板と雪隠」 東側にもうひとつ同じ規模の石棺があったらしい。それはどこへ?

高松塚~中尾山古墳を通って解散。  よく歩いた。
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