みどりの野原

野原の便り

10月30日 鵜殿 ヨシ原

2009年10月30日 | Weblog
1年ぶりの鵜殿ヨシ原 
やっぱり広い! 甲子園球場の18倍もあるそうな。
入り口で白く見えるのはオギ・茶色く見えるのはヨシと説明があった。

 
          ヨシ原                  ヨシ


左オギ・右セイタカヨシ

昔から淀川の川岸にはいくつものヨシ原が拡がり、動植物をはぐくむ
豊かな生態系をなし、ヨシは「よしず」「ヨシ舟」などに利用され、
葦刈り・野焼きなど人の手も入って生活と密接に関わってきた。

鵜殿のヨシは雅楽器ヒチリキの「ろ舌」の材料として1級品だそうだ。
ずっと水に浸かりっぱなしでは太く肉厚の質の良いヨシはできないら
しい。

そんな淀川は1970年代に洪水対策として川幅を広げ川底を切り下げる
改修工事がされ水位が6mも低くなり、ヨシの根に水が届かなくなり、
乾燥に強いツル植物の繁殖でヨシ原は減少。

その後、環境問題に関心がもたれるようになり、ヨシ原の効用もわかり、
ヨシ原保全が叫ばれるようになった。

鵜殿ではヨシ原の回復のために「ヨシに水を近づける」ために導水路を
作り、揚水ポンプでくみ上げた水を流したり、「ヨシを水に近づける」
ためにヨシ原を切り下げたりといろんな試みがされている。
実験としてヨシ焼きの後、芽生えてきたツル草カナムグラの芽を1週間
ごとに抜いて抜いてヨシを育てている場所もある。


      イヌタデのお花畑
ヤナギタデやオオイヌタデ・シロザの草紅葉は鮮やかだった。

迷路のようなヨシ原を案内していただいたが、中には絶滅危惧種になって
いる小さな草花も何種類も見られた。
水に完全に浸かってしまうとそれらも生育できなくなり、水がないとツル
草に覆われて日陰になって育たない。

年に何度かは冠水し、普段は乾いているような環境が一番いいらしいが
むつかしいことだ。

ヨシを焼くことによって、害虫の駆除にもなり、春に芽生える植物も
生育できる。立ち枯れになってしまうと、地面に光が届かず芽生える
こともできない。
今はボランティアによりヨシ焼きや保全を続けておられるそうだ。

ツル草の勢いはすごい。乾いているところではカナムグラ・水に浸かる
ところではゴキヅルがヨシを覆い枯らす。
今年は去年より少し日が遅いので、ゴキヅルやツルマメはすっかり枯れ
ていた。

今日は端から端まで歩いた。
1人では迷子になりそうなほど広く、日陰もなく暑い一日だった。
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10月28日 お食事&おしゃべり会

2009年10月29日 | Weblog
長年のお付き合いの5人が、そのうちの1人のお宅へ集まった。

私は久しぶりの参加で、日常としている野外とは違い、話題も家庭のこ
と孫のことから政治のことなど、もっぱら聞き役だが、しっかり生活して
いる彼女たちを見て感心することが多い。

なかなかまねはできないけど、そんな話を聞くこともあまりないので
声がかかるのを楽しみにしている。

昼前から夕方まで、お料理上手の友の盛りだくさんのごちそうを食べ続
け。そして今日の万歩計は1037歩だった。これは身につきそう・・
明日からダイエット? 

重なったもうひとつの約束に行けなかったのが残念だった。
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10月27日 天川村 ブナの森

2009年10月27日 | Weblog
昨日一日降り続いた雨も今日は止んだ。とはいうもののどんよりとした
空。途中の山も霧でかすんでいた。

林道出会いで小型バスで降りる。寒い! 
 
     霧の中へ                林道から山道へ
このコースは頂仙岳から弥山への登山道になっているらしい。

急な登りがあったり、平坦になったり、ごろごろ石のところ狭いところ
・植林 変化に富んだ山道だ。多いのは自然林

 
もう落葉している木が多い。ブナ・トチ・ホウ・ミズナラ・ハウチワ
カエデ・イタヤカエデ・・クマノミズキのサンゴのような果柄など
色とりどりの落葉がきれい・・拾いたくなる・・  
                          右)栃尾辻の避難小屋

 
林床にところどころ群生するミヤマシキミ  ツボミと残った実

  
昼食場所 ここも一面ブナの黄葉に囲まれるはずだったが、今年は
黄葉が1週間早かったらしい。ほとんど落葉していた。
日に輝くブナ林の黄葉はどんなだろう。
   右)途中に如来池という広場があった。昔はここに池があったのか。
     見渡せば、一跨ぎできそうな水溜りが1つあった。
                   
ここからさらに急な登りになり、頂仙岳の登り口辺りまで行って引き返す。
ここで標高1,600mぐらいらしい。

 
がっしりと地面をつかむ手(根)       右)恐竜の骨?

 
 森に生まれ森に還る  
右)森の主のようなブナそれに取り付くツル 人間なんてちっぽけなもの   

帰りは一分コースを変えて「地元の人が”天女の舞”という」という場所


  
 
天女が舞い降りる場所と言われても納得の広々した見晴らしのいい笹原
幸いにも晴れてきた。遠くに大日岳・稲村が岳が見える。
周りは山・山・山・・・ここで紅葉・黄葉を堪能する。
          右)写真を始めたというMさん 傑作が撮れたかな?

元のルートに合流し、バスを降りたところより少し下ったところへ下りた。

朝、バスを降りた林道出会いで標高1150mぐらい。
今紅葉がきれいなのは1000mぐらいの所だ。

 
バスに乗って下る途中、景色のいいところで2回降ろしてくださり、また
また 紅葉の山を見て溜息・・

みずはの湯という温泉に入りさっぱりして帰途に着く。
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10月25日 リコーダーコンサート

2009年10月25日 | Weblog
「私はまだ下手やけど上手な人のを聞いたらいいよ~」というので
応援も兼ねてリコーダーの発表会でもあるコンサートを見に(聞きに)
行った。


音楽っていいなあ。緊張するだろうなあ。

楽器のことは知らなかったが、小さいソプラノやアルトやバスや・・・
もっと大きいのまで種類がたくさんある。
何本かを曲ごとに持ち替えて演奏するのは大変そう。

でもさすがベテランの演奏はきれい。
大勢で合わせると1つの楽器とは思えない音色になる。

妹の出番では子供の発表会に来た父兄のようにちょっと緊張した。
でも素人に分かる失敗はないように思ったので、まあうまく行ったの
かな?
なじみのある曲も多かったので楽しめた。
誰もいっぺんにうまくはなれないんだから頑張って。
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10月24日 川上村 筏場

2009年10月24日 | Weblog
何年か前にも行った筏場。たっちゃんクラブのハイキング。
筏場の駐車場まで小型バスで送ってくださった。
車はここまでしか入れない。

 
      筏場の紅葉   真上の崖に一抱えもありそうなスズメバチの巣 

集合場所でビニール袋入りの薪とサツマイモを1個ずつ預かり、先ずは
五色湯跡目指して出発。 

 
紅葉も始まって心地よい道。五色湯跡までは平坦な道だ。
本沢川沿いのこの道は、大台ケ原への登山道になっているらしい。
筏場から少し入ったところに「大台ケ原へ12キロ」の道標があった。 


トガサワラ サワラには似てないが・・と思ったら、材がサワラに似てい
るらしい。ツガを少し大きくしたような葉だった。
紀伊半島や高知県の限られた地域にしか分布しないという珍しい木。
奈良県のレッドデータを見たら希少種となっていた。
この近くの三之公川にあるトガサワラの原始林は天然記念物になっている
という。道沿いにはモミやツガの幼木はたくさんあった。

   
   切り立つ岩の道          屏風滝 

大岩小岩 澄み切った水。大きく聞こえる滝の音。小さく聞こえるせせ
らぎの音 途切れることのない音楽のよう。

 
キッコウハグマ 花つきがよい      こわーいキノコ ツキヨタケ
                         ブナの枯れ木についていた
イワタバコの葉もたくさんある。


五色湯跡のある川原に降りる。今日一番の急坂 木のハシゴや鎖もつけ
てくれてある。 
立派な階段や坂道にしてしまわないのがうれしい。
自然がいい。手を加えすぎないで。
  
 
川原で持ってきた木切れを積み、サツマイモをアルミ箔に包んで焼き
イモの準備を手伝った後、お弁当。
       右)澄んだ流れを見ながら岩の川原でのお弁当は最高 

川向こうには江戸時代の湯治場の跡と言われる五色湯跡がある。
自然に岩の間から沸き出す温泉 渡る川の水がつめたそうで今回はパス。

 
川を渡って 冷たそう・・          岩を登って・・


やっと足湯 25度ぐらいのぬるい湯。

前に私も行ったことがあるが、沸き出す辺りにはぬるぬるの湯の花が
揺れていた。素朴そのもの。ヘビが傷を治しに来ていた・・という話も。

説明によると、この辺の岩はチャートという非常に硬い岩で、それは
太平洋の底に溜まった生物の死骸が積み重なってできているという。
長年かけて積り、それが押し上げられてここにあるとのことだった。
気の遠くなるような不思議な出来事。

その後、希望者だけもう少し奥まで連れて行ってくれるという。

 
ヒスイ色の水が岩の間を走る      シラキの紅葉(と思う) 
タカノツメやコシアブラは黄葉して落葉しているものも。

 
どれぐらいの種類があるのだろう。ここは苔の宝庫
                   右)コウヤノマンネングサ(苔)
こんなところで苔を一つかみ剥ぎとっている人がいた。
スタッフでもないけど、思わず「採らないで」と言ってしまった。
きっと植物が好きな人に違いないが、困ったものだ。


崖にかけられた鉄梯子の道(2か所あった)はスリル満点。
岩に張った鎖につかまって怖々渡る。高所恐怖症の人は無理そう。

釜の公という吊り橋まで行って引き返した。
大台ケ原への登山道も今はここから先は通行禁止となっていた。
ここから大台ケ原ビジターセンターへはまだ7.1キロあるらしい。
この先どんな険しい道なのだろう。

川原へ戻ったら焼き芋が出来ていた。
スタッフの皆さんが焼いてくださったもの。
ホカホカ ホクホク・・おいしかった。ジャガイモや小芋もあった。

帰りは上市駅まで送ってもらった。   
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10月23日 藤原京のコスモス

2009年10月23日 | Weblog
テレビで満開を伝えていた藤原京のコスモス
通りがかりにちょっと立ち寄ってきた。

 
      後ろは藤原宮跡           香具山とコスモス
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10月22日 奥飛鳥 探検・・

2009年10月22日 | Weblog
いい天気。奥飛鳥へ行く? 奥飛鳥のどこへ行く? 入谷へ行こうか。

車でぐんぐん高度を上げ、入谷集落のバス停のあった広場に駐車。

コニュニティバスは3年ぐらい前、下の栢森が終点となりここまで来
なくなった。「小学生がいなくなったらバスも来なくなる」と聞いた。

畑仕事のおじさんに聞いたら今は入谷にはは19軒が住んでいるという。
かつてあった入谷分校はずっと前、昭和44年に廃校になっている。

 
集落から登ったところに大仁保神社がある。入谷集落 下が栢森集落

ネットで見るとご祭神の仁徳天皇は稲渕の宇須多岐比命神社に合祀
されているらしい。わきに神武天皇・明治天皇が祀られていた。
神社は集落では一番高い場所にあり、見晴らしも良い。
涼しい風に吹かれて休憩。集落内の標高差は100mもあるらしい。

 
     オニルリソウの残り花       シロダモの実と花   

さて、神社を抜けて出発したが、道が谷で行き止まりになっており、
神社まで戻って下の道を行く。
この道は大海皇子が吉野へ逃れた時に通ったという説もある竜在峠
への道だ。

途中に入谷水源地の道標があり、降りてみるが、谷を渡る丸木5本ぐ
らい並べた苔蒸した橋の向こうは道が崩れてなくなっており、また
引き返す。

  
左)この道も土が流れ小石がむき出しの谷底のような道になっている
が登るのには差し支えない。 右)ツリバナ

ツリバナやニシキギ・トキリマメ・マタタビの黄色くなった実などを
見ながらぐんぐん高度を上げる。

そして空が明るくなったと思ったら、広い草原になった尾根に出た。
もう12時半もとっくに過ぎていて、格好のお弁当の場所だ。
あ~お腹がすいた。

 
それにしてもなんと気持ちのいいところだろう。
山の雑木も紅葉が始まり、ススキが風になびき、青い空。
どこか遠くの高原へ来たみたい。

ここから左へ行けば竜在峠へ出るという。その途中に北の谷の作業道
への入り口があるはずとのNさんの言葉に、行ってみることに。


なるほど少し下ったところに道標があった。
中の谷は何度か通ったことがある。
ここから竜在峠まではかなり登るらしい。
道標を確認して広場へ引き返す。
 
広場から右へは行けそう? 道はある?
ススキを分け入ってみる。シカ?の通り道らしく、糞が続いていた。
その先はやっぱり道になっていた。ここを降りてみることになった。

 
きれいな秋の山 ツタの紅葉 わあきれい。よかったねここへ来て。 

草花をみながら順調な下り。
ところが30分ほど下ったところで道が崩れてなくなっていた。
台風の爪痕。
どうする? 行ける? 戻る? エエ~ッあの道もう一度登るの?
向こうに道はあるからここさえ通過すればなんとかなりそう・・という
ことで・・・


こわ~い。持つとこない。つかまる枝を探して、ぎゃあぎゃあいい
ながら難儀している先頭の私を後ろの二人がゲラゲラ笑う。
木の枝に引っかかりそうになりながらやっと向こうへ渡った。
笑ってた後ろの2人も自分が渡るときには顔が引きつっていた。
とにかく3人揃ってホッ!
  
その後倒木もあったが乗り越えて下っていくと、山の中に石垣があった。
古いものだが、藁を束ねた?ようなものもあり、人工物が出てきたから
にはもうすぐ人里に出るに違いないと希望をもつ。

それにしてもこの立派な石垣は何だろう。ひょっとしてここは高取城
の近く? 自分たちがどこを歩いているのかわからない。

又山になった。その林道が今度は谷の所でプッツンと途切れた。
その先は崩れていたり倒木があったりはするが、乗り越えてもその先に
道はない。
左は谷。谷を渡れば道は? なさそう。

どうする? 谷へ下りて向こうへ渡り山を登ってみる?
それとも引き返す? あの崩れたところをもう1回渡るの?

ちょっと待って、少し前に左へ入る細い道があったような気がする。
少し戻ってみると思った通り細いけれど「道」だ。
やれやれ遭難は免れた? だいぶ下ったのでもうそろそろどこかへ
出てもいいはず。ちょっと前が明るいともうそこだと喜んでいると、
また山の中に入る。

おにぎり残しといたらよかったわ。ほんまや。飴ならあるよ。お茶もまだ
ある。お菓子もちょっと残ってるわ。もう1枚上着もってきたらよかった
なあ。
もし上市へ出たらどうする?車置いてあるし。お金かき集めてタクシーか。
私は栢森あたりに来てると思う。高取あたりちゃう?

こんなところで遭難したら「おばちゃんの3人組は無茶して・・」なん
て言われそうやね。

言いながらさっきからずっと笑いっぱなしなのは面白いのか?自棄笑いな
のか。

また前が明るくなった。木の間から屋根?らしいものがちらりと見えた。
やったあ! もうすぐや。
喜んだものの道はまた上に登って竹やぶの中へ。

あかん離れていくやん。これは違うで。
左は谷。谷に降りよう。滑り降りるように降りて、谷を渡り、よじ登ると
また石垣があった。その縁を歩いて行くと、前方に畑が見えた。
そこにおじさんとおばさんの姿が・・・

 
「わあ人間や~」「畑や~」これで助かった。
ここはどこやろう。見当がつかない。

イノシシ避けの柵のために畑まで行くのは容易ではなかったがやっと
その畑に着いた。
「ここはどこですか?」「明日香村や」「明日香村のどこですか?」
「入谷や」  「あんたらどこから来たん?」「入谷です」なんて
やり取りが・・・山の上で賑やかな声が聞こえていたらしい。
「よかったよかった。4時になったらこの辺は日が暮れるんや」と
おじさん。

山をぐるりと(だいぶ遠くまで)回ってきたらしい。
さっき見た石垣は?「あれは城跡やのうて家の跡や」昔の集落跡らしい。
そうだったのか。高取はあっちや。まったく方向違いの方を指さされた。

「ところで私たちが車を止めたところはどこですか?」という変な質問
に、おじさんは「あの道のあの電柱の向こうにあ墓があってそこを・・」
と丁寧に教えてくださった。

駐車場所まで道を歩きながらまだ笑い続けている。今度は安心の笑いだ。
一時は冷や汗だった。

でもまあ日暮になる前に、しかも駐車場所にほど近い入谷へ降りて来た
なんて、なんてラッキーな私たち。

「面白かったね」無事に降りてきたから言える。
さすがに又行こうねとは今は言えなかった。あかんあかん冒険し過ぎは。
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10月21日 畑の草

2009年10月21日 | Weblog
午前中は操健美クラブ今日で5回目 全8回の中間で 
グループに分かれ、前半が過ぎてどうだったか。計画は実行できたか
を話し合う。

最初にたてた目標の見直し。
順番に発表。「習ったテラバンドを使った運動を1日5分やる」という
控えめな目標も全くこなせなかった私。

でもまあみんな同じようなことで立てた目標は違っても「わかっちゃ
いるけど出来そうでできない」というのが大半の方。
ホッとして・・ちゃいけないんだけど、安心したりして・・

でも1日1万歩をずっと続けている人もいて、やっぱり刺激を受ける。
後半もごく控えめな目標にして少しでもやろうと思う。

昼に終わって、取って返して急いでお昼を食べ、午後から会議
その後、畑へゴミ捨てに行く。

途中のクヌギにいつもいるスズメバチ。
今頃クヌギの汁も出ているようになく、木をかじりとって巣材にする
のか?それもわからない。

写真を撮って帰って種類を調べようと思うが思うようには撮れない。
手を伸ばして写していると「ブ~ン」おっと危ない。この辺で切り上げ。

 
案の定ピンボケで同定できるほどよくは撮れなかった。
オオスズメバチは複眼の後方が膨らんでいるらしいがはっきりせず。 
                      (右)喧嘩をして噛みあう。

は妹がだいぶ草刈りをしてくれている。

残り花いろいろ 他にも細かいものいろいろ・・
 
   イヌコウジュ              ウリクサ

 
     イヌタデ                クワクサ

 
        ヤブマメ              ヨシノアザミ


ヤマラッキョウ? だったらいいのにね。畑続きの山なのでラッキョウかも。
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10月18日 信貴山~高安山

2009年10月18日 | Weblog
家の近くの神社でも秋祭りの提灯が出ていたが、集合場所の信貴山下駅
のあたりでも秋祭りらしい。
祭り太鼓がドンドンと鳴り、子供の掛け声と共に山車が近づいてくる
ようだ。

音が大きくなってきたが、あいにくと山車の姿は駅ホームの目隠しの壁
の下の隙間から見えるだけ。残念だなあ。

駅からは広い坂道をまっすぐに登る。昔のケーブルの線路跡らしい。

山道へ入る。落葉の匂いが漂う山の道。ドングリや小枝がたくさん落ち
ていた。

 
        カラスウリ           コウヤボウキ 

ちょっと開けたところでは、カラスウリやアオツヅラフジ・ノブドウなど
が巻きつき、ノイバラの赤い実・コウヤボウキもひそやかに風に揺れる。
上を見ればゴンズイも真っ赤。

信貴生駒スカイラインを横切って朝護孫子寺へ

 
          大寅                子寅
毘沙門天王が出現されたのが、寅年、寅日、寅の刻であったとかで、
信貴山と寅は縁が深い。


うっすらと色づき始めたモミジ。

 
    千手のイチョウ樹齢500年    ご神木カヤノキ樹齢1500年
ギンナンは小粒になり、昔は何斗と採れていたカヤノキもだんだん実が
少なくなっていると寺の関係者?のご婦人が話されていた。

空鉢堂から高安山への道


ウラジロノキの実が落ちていた。
「食べられますよ」とのこと。えっ本当?早速口の中へ。
さっぱりとした酸味。食べられるとは知らなかった。

オオウラジロノキの実はもっと大きいらしい。
山奥で採ってきたという人が「今日持ってきたらよかったね」
ほんと。見たかった。食べてみたかった。残念。

「キノコがないね」と話しながらあるいていたが、いくつかあった。

 
左)おちょぼ口が可愛いクチベニタケは押すとふわっと胞子が出た。
                      右)名前不明のキノコ
「途中でマツタケの匂いがする」と言う人がいた。もし当たっていれば・・
そのうち「匂いがしなくなった」と言われた。ほんとにあったのかも。

高安山への途中にはアオモジがところどころで見られた。
道端には子苗が・少し中にはツボミの付いた木が見えた。
ボチボチと侵入しているらしい。

高安山からはケーブルで降りた。   
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10月17日 三輪山周辺

2009年10月17日 | Weblog
朝倉駅から出発して玉列神社(たまつらじんじゃ)へ。
大神神社の摂社という。境内にはツバキがたくさん植えられていた。
三輪周辺はツバキと関わりが深いという。


社境内にある阿弥陀堂の大ケヤキ 樹齢800年 

この近くから朝倉小学校辺りまでは脇本・朝倉遺跡がある。
朝倉小学校の改築時の調査で15世紀の石の溝が発見されたことがきっか
けで、以後の発掘によって雄略天皇の泊瀬朝倉宮であったことがわかっ
たという。

石積みの溝は今も体育館の下に保存されているそうだ。

いよいよ山超え。ボチボチ歩いて1時間と言われた。
山道は先の台風で木が倒れたりしたところもあったらしいのを、今日
のために木をのけたりしてくださったらしい。ありがたいことだ。

尾根まではちょうど1時間。ボチボチ歩きどころか必死でしんどかった。

アカガシ・ウリハダカエデ・ハリギリなどを見て細い道をくだると、
もうそこは奥不動寺だった。
そこで弁当を食べるうち天気予報どおり雨が降り出した。

出発の頃には止んで、山道を少し登れば白山(しろやま)
 
突然現れた白い岩山 白山は「はくさん」ではなく「しろやま」と読む
ことは初めて知った。

一見どんづる峯と似ているが、どんづる峯は火山が関係する凝灰岩だが、
ここは、隆起した花崗岩が風化してこのような姿になったらしい。

ここへは数十年前、新聞の小さな囲み記事をたよりに、子供と自転車で
探しに来たものだ(ここまで自転車で・・ずいぶん体力があったもんだ)
不安になりながら奥不動寺への山道を来たことを思い出す。
反対ルートで巻向から来たわけだ。久しぶりで感慨深い。
子供に聞くと「覚えてるよ」と言っていた。

下ったところには奥の不動に対して「口の不動」という石仏があること
も今回知った。

 
ミカン畑の横を通り桧原神社へ          ヤマハッカ

そこからくだった井寺池のそばには万葉歌碑があった。
「桜井の万葉歌碑は書いた人が特にすばらしい」と誇っておられたが、
ここには、日本武尊の望郷の歌「大和は国のまほろば・・」という歌碑、
これは川端康成氏の字だ。
「記紀の歌を」と、書く歌も決め、場所も決めておられたのに、亡くな
ってしまい、夫人と相談の末、ノーベル賞の記念講演の原稿の中から
文字を集めて碑を作られたという。そんないきさつも聞いた。

すぐ近くには川端先生と関係の深かった東山魁夷氏の「香具山は畝火をを
しと・・」の歌碑があった。池の周りには他にも歌碑があるらしい。 

バラ園に立ち寄った後、茅原・大墓古墳へ。


茅原・大墓古墳 5世紀の帆立貝形古墳

次に狐塚古墳へ
「あれが狐塚古墳」と言われてもどれ?
田んぼを隔てて見れば、ちょっと盛り上がった果樹園?畑?
あぜ道を歩いて古墳を1周した。

 
近くに行ってみれば、大きい石室。
石舞台古墳よりやや小さいぐらいの規模だという。
石室内は水がたまっていた。
低いはずで盛り土は削られて天井石が見えていた。
後ろから覘くと石棺が見えた。


べっ甲細工の工房を見て三輪駅へ向かう途中、大鳥居に「天使の梯子」
がかかっていた。ここでは天使ではなく「神様の梯子」かな?
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