みどりの野原

野原の便り

1月31日 ひと駅 散歩 請堤の庚申供養塔 松塚地蔵尊 市杵嶋神社 環濠集落

2022年01月31日 | Weblog

午後2時ごろからちょっとだけ散歩。
ひと駅隣の周辺をひと回りすることにした。

橿原市と大和高田市を区切る曽我川を越える。
堤防を南へ。近鉄線の下をくぐり松塚駅前へ。


松塚駅の東南 この高まりは「請堤」と思う。

その上にちらりと見えた「石」。何かな?

細い階段があったので登ってみた。


庚申供養塔があった。 すぐそばに近鉄の線路 
広くない頂部にはマツの木やムクノキなどある。


庚申供養塔は請堤の北端にあり、そこから南を見る。
高まりは岬のように突き出している。

少し東に曽我川がある。
請堤は今は少ししか残っていないが、川から溢れた水を受け止めるために造られたのかな?
さて、庚申供養塔のすぐそばに線路があるので、電車が通らないか少し待つ。
チンチンチン 電車の音


にわか「鉄っちゃん」になって庚申供養塔と近鉄急行をパチリ。 
あ~。庚申供養塔が暗い。
もう一度チャンスを待ったが・・
根気がなくあきらめて請堤から降りた。
「鉄ちゃん」にはなり切れない。

近鉄線をくぐると松塚駅

駅前の 松塚地蔵尊 鍵がしっかりかけられている。


濠の向こうは神社だが入口は西の方か?ぐるりと回りこむ。


鳥居の向こうにクスノキが1本 その向こうに社殿がある。


市杵嶋神社 境内は木が多い。ナギもあった。


市杵嶋神社 拝殿


拝殿の中に大きい絵馬 何の物語だろうか?
絵馬の上に昭和51年12月5日と書いた棟札がある。


本殿

 
弘化2年・・の銘のある狛犬   灯籠には「御寶前」と彫られている。
「御寶前(ごほうぜん)」とは「神や仏の御前」の意味らしい。
「御寶前」の言葉は知らなかった。
今まで気づかなかったが、よくあるものなのかな?気をつけて見てみよう。



市杵嶋神社の濠のようなものは環濠のようだ。
集落の中に長く続いていた。

2時間ほどの散歩だったが、初めてのものも見れた。

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1月30日 シイタケ栽培キット

2022年01月30日 | Weblog

1月26日「娘が面白いよ」と送ってくれた、シイタケ栽培キット


1月26日、説明書通りに付属のビニール袋にセット。
この菌床に毎日1~2回霧吹きするだけでシイタケが採れるそうだ。
・・・期待・・・


これは1月30日 むくむくとシイタケの芽?が出てきた。すごい!

いっぱい採れそうで楽しみ~。

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1月29日 明日香 鬼の雪隠 埋蔵文化財展示室 水落遺跡 飛鳥坐神社 飛鳥寺 飛鳥京跡苑池 飛鳥宮跡 犬養万葉記念館

2022年01月29日 | Weblog

途中にある万葉歌碑を巡りながらのハイキング
飛鳥駅出発~下平田休憩所~鬼の雪隠・鬼の俎~天武持統陵~甘樫丘~埋蔵文化財展示室~水落遺跡~飛鳥坐神社~飛鳥寺~飛鳥京跡苑池休憩所~飛鳥宮跡~犬養万葉記念館へ。万葉歌碑を見ながら歩く。

欽明天皇陵近くの万葉歌碑(下平田休憩園地)(写真撮らず)
「さ檜隈 檜隈川の瀬を速み 君が手取らば言寄せむかも」作者不詳

鬼の俎

久しぶりに階段を登って「鬼の俎」 のそばへ。
「俎」は石棺の底石 鬼が捕まえた人をこの俎の上で調理したとか・・

今では想像つかないが、このあたりは、昔は霧ヶ峰と言われ、鬼が住んでいたと言われるところだったそうだ。

下の道のそばには、対になる「鬼の雪隠」(石棺の蓋石)がある。

天武持統陵を下って、甘樫丘に向かう。


ヒトツバタゴ 熟した果実がたくさん付いていた。
今年は花は見なかった。
写真を2枚撮っている間にみんなと遅れた。追いつこう。

甘樫丘

甘樫展望台から西 畝傍山

甘樫展望台を下って途中の万葉歌碑を見る。


「釆女の風吹き返す明日香風 都を遠みいたづらに吹く」志貴皇子
「京都」と書いて「みやこ」と読ませる。
この万葉歌碑は犬飼先生の明日香村の第1号歌碑だ。

豊浦休憩所で昼食後、明日香村埋蔵文化財展示室へ立ち寄る。


「小墾田宮」と書かれた墨書土器


雷の丘東方遺跡の井戸枠 
井戸枠は昭和62年に発掘され「小墾田宮」と墨書された土器が多数出土。
これによって奈良時代の「小墾田宮」の場所が確定した。
井戸枠材(ヒノキ)の年輪年代測定法によって、伐採年代がわかったという。

整備も済んで3月から?公開になるという牽牛子塚の復元模型や「雷丘東方遺跡」「石神遺跡」「水落遺跡」などの展示など、大きい施設ではないが展示物は見やすい。

飛鳥水落遺跡
斉明天皇の皇子 中大兄皇子が中国に倣って作った日本最初の水時計(漏刻)の跡。1981年に見つかった。


これを見てもよくわからないが・・


説明板の絵を見るとよくわかる。
これで、社会生活が規律正しく行われるようになったのは画期的だったわけだが・・
一方、人々は時間に縛られて生きるようになったのか~。

飛鳥坐神社



飛鳥坐神社 拝殿


万葉歌碑「大君は神にしませば 赤駒の腹這う田井を都となしつ」
大伴御幸 作 犬飼孝 揮毫

「斎串立て神酒すえ奉る神主部がうずの玉蔭見ればともしも」作者不詳
「みもろは神の守る山・・」・・など、万葉歌碑がいくつかあった。
境内にある山口神社を見たいところだったが、また次回。

飛鳥寺
蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的寺院


江戸時代に建てられたという立派な標石 
台石は飛鳥寺創建時(588年)の礎石を用いているのだそうだ。


飛鳥寺 現在の本堂
今は境内もこじんまりしているが、昔の飛鳥寺の寺域は広く、一塔三金堂を配する飛鳥では大官大寺と共に最大規模の寺院だったそうだ。


山部赤人の歌碑
長歌と反歌が書かれているそうだが、わかりにくい。


西門を出た西に「入鹿の首塚」と言われる五輪塔が建つ。
中臣鎌足・中大兄皇子らによって、板葺宮で殺され、その首がここまで飛んできたと伝わる。
他にも首が飛んできた・落ちた、と言われる場所がある。
権勢を誇っていた入鹿は死んでからも恐れられたのか・・
入鹿の魂を鎮めるために五輪塔を建てて魂を鎮めようとしたのか。

橿原市曽我町にも「首が落ちた」と言われるところがあるそうだが、はっきりした場所は知らない。

飛鳥寺西門を出たあたりから西には「槻の樹広場」があったと言われる。

田んぼ道から見えたのは飛鳥京跡苑池の発掘現場らしい。

「飛鳥京跡苑池」は1916(大正5年)2つの石造物の発見から始まり、今も発掘調査が進んでいる。


飛鳥京跡苑池の休憩所からは「苑池」の一部が見渡せる。
でも、見ただけではどうなっているのかわからない。


飛鳥京跡苑池   (休憩所の展示写真を切り取った)
 『中国などの影響を受けて斉明女帝が宮殿に隣接して造った饗宴の空間と考えられている』
北池と南池があり、南の池には中島も作られていたらしい。

飛鳥宮跡

「飛鳥宮跡」平成28年10月3日 名称が変更された。 
以前は「史跡 伝板葺宮跡」とされていたが『日本書紀などには推古天皇から持統天皇に至る7世紀の100年間、歴代の天皇の宮が次々飛鳥の地に造営され・・・』(説明板)
それらの宮跡をまとめて「飛鳥宮跡」とされたようだ。
「乙巳の変」の舞台ともなったあたり。

最後は、犬飼万葉記念館
日本最古の歌集『万葉集』の研究者で、文化功労者、明日香村名誉村民だった犬養孝の業績を顕彰する記念館


犬飼孝先生の人形がお出迎え。


今日最後の万葉歌碑は記念館の庭にある。
「山吹の立ちよそいたる山清水 汲みに行かめど道の知らなく」
高市皇子が、恋人と言われる十市皇女を思って詠んだ挽歌。

館内の展示を見たりビデオを見たりした後 解散。
橿原神宮まで歩くという健脚組と分かれて、近くのバス停からバスに乗る。

なじみのあるコースとはいえ、あまり立ち寄っていないところも多々あった。
(いつも同じようなところを歩いている・・)

飛鳥の宮跡は、重なり合って複雑。
飛鳥京跡 飛鳥宮跡 などの使い分けもややこしい。

まだ知らないことがいっぱいだ~。

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1月28日 日本書紀 吉野宮 益田池

2022年01月28日 | Weblog

「日本書紀」の続きの他、「吉野宮」についての話と「益田池」の話も聞いた。
なかなか理解には至らないけど、こんなことだったかなあぐらいのつもりで書いてみた。 あてにはなりません。

「吉野宮」会員のお1人からのお話
吉野は古来より、神泉境、不老不死の神仙の住む理想的な場所とされ、豊かな自然に恵まれたところであった。
「吉野宮」が日本書紀に初出するのは応神天皇の行幸。
雄略天皇の行幸の記載もあるそうだが・・

離宮として確かに存在したと言えるのは「斉明天皇の2年、吉野に作られた離宮」の記事以降らしい。
斉明天皇以後、天智 天武 持統 文武 元正 聖武天皇がしばしば行幸された「吉野宮」。
天智天皇がなくなった後、大海人皇子は妃の鵜野皇女・子の草壁皇子とともに隠棲した「吉野宮」。
壬申の乱で勝利して天武天皇となり、6人の皇子たちと「吉野の盟約」をかわした「吉野宮」。
天武天皇亡き後、鵜野皇女が持統天皇となった後、30回以上も行幸した「吉野宮」
吉野には何か特別な力?があったのか?

「吉野宮」の正確な所在地や範囲ははっきりしないが、長年の発掘調査の結果、飛鳥時代~奈良時代の掘立柱建物や石敷・苑池遺構が見つかった宮滝遺跡が「吉野宮」ではないかと言われている。
縄文・弥生時代の遺跡も見つかっているそうだ。

吉野宮(宮滝)へのルートは、芋峠越え・細峠越え・壷坂峠・芦原峠・車坂峠の5つの峠越えの道が良く知られている。
飛鳥時代、奈良時代によってもよく使われるルートは変わってくるのかな?

「日本書紀」いつもの講師会員からのお話
ちょうど、天武天皇と6人の皇子達との「吉野の盟約」の場面
将来皇位継承で争いを起こさないようにと皇子たちと吉野の地で誓約させた。
6人の皇子の内、4人は天武天皇の子。母はみな違う。
2人は天武の兄、天智天皇の子。複雑な親子関係・・
王子達も「灼然(いやちこ)なり」と誓う。皇后も同様に誓いをたてる。
(灼然とは、はっきりしている。あきらかなどの意味 初めて聞いた言葉だ)
「それぞれ違う母から生まれているが、同じ母から生まれた如くに慈しもう」と6皇子を胸に抱いた。ちょっとドラマチックな場面だ。
天皇・皇后、皇子たちも都へ戻る。  今日はここで終わり。

「益田池」もう一人の講師からのお話。
橿原市にかつてあったという益田池。
平安時代の初期に高取川をせき止めて作られた灌漑用の溜池。
「益田池」の名の由来は「旱魃といえども田を益すの功ありし」より。

すっかり消滅して、跡地に橿原ニュータウンができた。
今は堤跡が少し残っているだけだ。
いつ頃まで池があったのかも不明だそうだ。(1説に織田信長・・・)
古代でもないのに、記録がないのは不思議に思う。

川底改修工事で、木製の樋管が2個出土したそうだ。
(橿原考古学博物館で保存展示されているという)

益田池の跡地に橿原ニュータウンができたというから、どんなに大きい池だったかがわかる。

出来た当時、空海が揮毫した碑文「大和州(やまとしゅう)益田池碑銘并(ならびに)序 」があったそうだ。
碑文の文字は「破体書」という変わった書体で書かれているらしい。
破体書・・初めて聞いた。

例を見せてくださったが、絵のような模様のような・・想像できる字もあるが、全く想像もできないようなくねくねの字体だ。

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1月27日 馬見丘陵公園 バン 

2022年01月27日 | Weblog

今日は、大阪の友達グループで計画していた馬見丘陵公園の探鳥会の日。
残念ながらコロナで中止になった。

鳥の達人ぞろいなので、教えてもらうつもりだったのだが・・
1人では無理かな~と思いながら、久しぶりの馬見公園へ行ってみた。
バスは行きも帰りも貸し切りだ~。




池や木立 遊歩道もある。ぐるっとまわってみる。


アオサギ 水に映る自分の姿にうっとり・・ではないよね。
獲物を捕まえるかとしばらく待ってみたが・・アオサギの根気に負けた~。
ゲットしたかなあ。


シジュウカラ?


シジュウカラ


ジョウビタキ


高い木の上にツグミ 群れだった。
地上を歩いている印象が強いが、餌のある間は木の上にいるらしい。
木の上の餌がなくなれば降りてくるのだそうだ。

今日一番のめっけものは、バン 
去年、山の方の池で遠目に見たが、久しぶりだ。しかも近くではっきりと。


バン 赤い嘴 先が黄色 脚も黄色。


草の上のバン 水かきはない。


1羽だけだと大きさがわからないが・・
右のカルガモ 左のオオバンと比べて、バンは小さい。かわいいね。

期待のヒクイナやベニマシコは見つけられなかった。
望遠鏡を持った人が集まっているかと淡い期待するも・・今日は人が少ない。

カルガモ マガモ キンクロハジロ バン カイツブリ ホシハジロ

アオサギ ダイサギ メジロ ジョウビタキ コゲラ シジュウカラ 
ツグミ キジバト ちらっとルリビタキ

探鳥万年1年生にしては上出来だ。 

いつも来ている人は、いつもいるよというかもしれないが・・
私としてはバンを見つけたのは大出来だ。


プリムラ パンジーの他は、花壇は春に向けて養生中


ベニバナトチノキ 冬芽 トチノキの冬芽と違い、べたつかない。


このぐるぐる巻きは・・ウンナンチユウキンレンの冬越しの姿。


このクレマチスはもうすぐ咲きそう。

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1月26日 セイタカシギ 脚も見えた。

2022年01月26日 | Weblog

卓球終了後、池をのぞく。
今日はダイサギやカルガモはいなくて、カワウが1羽泳いでいた。


岸近くに立っていたので、セイタカシギの赤い長い脚が良く見えた。


セイタカシギの足元にハクセキレイ 


1本脚で休む。(右のセイタカシギ)
近くで見れるのがうれしい。
夕方にどこかに飛んでいき『朝6時頃にはここにおる』らしい。

大きいカメラを持ったおじさん達と話す。
「前は鳥など来ていなかったのに。魚もいないだろうし、虫を食べてるのかなあ」
『知り合いが小魚入れた』「へえ~」
『ここで鳥を見るようになったのはボタンインコからやなあ』
「えっ?ボタンインコって篭脱け鳥じゃないの?」
カワセミやクサシギもいたらしい。
クサシギも見たことない・・

馬見丘陵公園で撮ったというベニマシコやヒクイナ クロツグミなどの写真も見せてもらう。
「ヒクイナってなかなか出てこないんでしょ?」
『よう見るで』 
「へえ~。ヒクイナ見たい! ベニマシコもずいぶん見てない」

毎日あちこちに出かけておられるようだ。

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1月25日 石舞台~甘樫丘 黒の駒地蔵 板葺神社 ウスタビガの繭 イラガの繭 セグロセキレイ 自転車道

2022年01月26日 | Weblog

石舞台から甘樫丘までウォーキング
好きな道です。


ウスタビガの繭 ウメの高い枝に。空繭かもしれない。


カキの枝に、イラガの仲間の繭 触ってみたら硬かった。
蓋が開く部分に筋がついている。


ソシンロウバイ 早春の花


ウメ だいぶ咲いていた。


「黒の駒」の地蔵。
橘寺の裏手、仏光山への登り口 右へ階段を登った所にある。
よく見ると地蔵の右下に「黒馬」が見える。
知らなかったが、去年教えてもらって改めて見に行ったのだった。


去年の4月の写真 聖徳太子の愛馬だった「黒の駒」が浮き彫りに。
そばに「古みやこのたちばな寺の 今にのこりし くろのこま」の石碑もある。

 
板葺き神社         拝殿
この階段に恐れをなして、いつも素通りしていたが、今日は登ってみる。
拝殿前の灯籠には「八幡宮」と刻まれていた。


説明板によると「川原寺 寺域北限施設」の跡。訂正しました。
掘立柱建物 瓦窯 鋳造遺構 寺院工房などがあったらしい。


甘樫橋西詰 
聖徳皇太子ご誕生所 橘寺・下八釣地蔵尊を示す角柱の道標
橘寺・岡寺を示す石の道標がある。

甘樫橋を渡って・・気になっていた道へ。


飛鳥川の右岸の道が整備されていた。
自転車道だった。初めて通る。
途中に小さい屋根付き休憩所もある。
川原に降りる道があった。


セグロセキレイが2羽、餌を啄みながら移動していた。


「庚申」「役行者」が祀られていた。

雷橋を渡って豊浦バス停へ。

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1月22日 セイタカシギ 初めて見た。

2022年01月22日 | Weblog

「セイタカシギ ダイサギ カモもいるよ。カメラマンいっぱい」
14:40 友達からのライン。
家でのんびりしていたので、慌てて用意して自転車で出かける。

飛んでいかずに待ってて~。

いた!間に合った。
ダイサギとカルガモがいたけど、そっちのけ。

初めは遠かったけど、少し近づいた。






初めて見た セイタカシギ 
時に頭を水に突っこんで・・餌をとっているのかな?
仲良しの2羽は夫婦なのか?お友達なのか?
ネットでは 「雌雄ほぼ同色」と書いてある。


写真追加 これを見ると色がよくわかる。黒いのが雄 茶色が雌かな?

写真を撮れてうれしいが、どこが「セイタカ・・」やの?
足はちょうど水の中で動いた時に赤い色が見えたぐらい。

ネットの写真を部分拝借。
なるほど・・セイタカ・・やな。竹馬に乗っているみたい。

朝、氷の上に立っている写真を見せてもらったら、足もしっかり全部写っていた。


4時前、2羽ともどこかへ飛んで行った。

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1月21日 飛鳥を散歩 木の実草の実 冬芽 小泊瀬稚雀神社 

2022年01月21日 | Weblog

飛鳥をうろうろ。あっちへ行ったり、横道入ったり。気ままな散歩


キンカン たくさんの果実 収穫されないのでしょうか?


お庭の立派なクロガネモチの大木。
果実は赤くアピールしている割には鳥には不人気のようですね。


ピラカンサ 鈴なりの果実 先にガク片が残り、偽果とわかる。


マンリョウ 
葉縁の鋸歯に棲む 葉粒菌と共生しているとか。


ユズリハ 雌雄異株


ジャノヒゲ(リュウノヒゲ)
葉を持ち上げたら青い種子がたくさん付いていた。
果皮は早くに取れて種子がむき出しで成長する。


青い種皮を取り除いたら半透明の胚珠が出てくる。
スーパーボールのようによく弾む。


ハマナス 果実はすっかり萎れている。


鋭い棘の間に赤い新芽 これ以上の守りはない。


こんなトゲにもひるまない イセリアカイガラムシ
雌の体のほとんどは卵嚢だ。


タラ 冬芽と葉痕


ニワウルシ 冬芽と葉痕


この大きい冬芽はナラガシワだと思うのだけど・・


池には薄氷。アオサギとカルガモの姿だけ。


下の道を歩いていたら、石碑の並ぶ中に「小泊・」(矢印)が見えた。
階段を上がってみた。


小泊瀬稚雀神社(おはつせのわかさざきじんじゃ) 
祭神は武烈天皇だそうだ。
こんなところにこんな神社があったとは知らなかった。
ウロウロしてみるものだ。

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1月20日 曽我川緑地 散歩 ボケ セイヨウヒイラギナンテン ユズリハ

2022年01月20日 | Weblog

午後、郵便局や買い物ついでに曽我川緑地を1周

途中のお家の外庭


ボケの花 しゃっきりと咲いてます。


セイヨウヒイラギナンテン 寒い時期に咲く。花序は上向き。


毎年よく実を付けるユズリハ 近くに雄木もある。


ユズリハの冬芽 頂芽を包んでいるのは葉柄が変化した芽鱗らしい。
丸いのは花芽

花壇はスイセン以外は冬休み。
今日も冷たい一日だったが、歩くと暖かくなった。
今日は大寒でした。

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