竜田川駅を出発
烏戸塚古墳
古墳時代後期の前方後円墳 前兆60.5m 平群谷最大の古墳だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/dd/d7b552bb979e0058e552661e1edc7c96.jpg)
釣池のそばの階段を上ると烏戸塚古墳の後円部の墳頂に出る。墳頂の周囲には円筒埴輪が並んでいたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/11/4fb8ddc895bac1591ca92eb7de890cf8.jpg)
説明を聞いた後、南へ階段を下ると石室の前に出た。
入口の格子越しに石室内を覗く。両袖式の横穴古墳 蓋のない石棺が見えた。
西宮古墳
終末期の方墳 1辺約36m 巨石を用い石舞台古墳に次ぐ規模だとか。
岩屋山式といわれるきれいな切り石が用いられている。石棺は竜山石製の繰り抜き式家形石棺 蓋はなし。
石棺の縁にある穴は杯状穴というそうで、民間信仰で彫られたもの。
鎌倉時代に(流行った?)人が自由に出入りできたことがわかる。
式内・平群神社
平群神社は初めて来た。祭神は大山祇神
この地は弥生時代の集落跡があった丘陵地で、平群の中心となる場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a5/fbaaccd401859e00015ddeee55d6a653.jpg)
平群氏の祖、竹ノ内宿祢画人ぐ皇后と共に朝鮮出兵する際、戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わる。
高い石垣の上に拝殿・本殿がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/0e/bae87bdddf375382ad70f5dd73b58962.jpg)
拝殿前の狛犬 文化10年の記名があったそうだが未確認 小型で可愛い。
「平群」東に松尾山、西を生駒山に挟まれた地形 真ん中を龍田川が流れる。
「平群」の地名の由来は、剥ぐ(へぐ)から・・辺郡(へぐに)から・・辺国から・・など・・いろんな説がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/30/53123a6e9cdba419fe279f3eb36c22a2.jpg)
竜田川・清滝街道に沿った竹藪の中に藤原京の瓦を焼いたという「安養寺瓦窯跡」があるらしい。(見えない)
お昼は道の駅・「くまがしステーション」で。
午後
三里古墳
平群駅を過ぎたあたりを東の山てへ登ると三里古墳。
前方後円墳らしいが、形をとどめていない。珍しい「板石の棚」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c5/72b8d47504851e7e9f312e200cf8cb8c.jpg)
羨道かと思われる石の間を進むと石室の奥壁のような石がある。その壁の下の方に板石の棚がある。
棚がある古墳は紀の川流域にはあるが、奈良県では3か所のみらしい。(大淀町・槇が峯古墳と下市町・岡峯古墳)
副葬品は多数出土しているらしい。
長屋王墓 吉備内親王の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c8/f8f83ec9ee86473ccfb70826cb3d3855.jpg)
謀反の罪を着せられて自害させられた悲劇の王「長屋王」の墓 長屋王の妃「吉備内親王」墓
今は静かな山里で眠っておられる。
平群駅で解散。
烏戸塚古墳
古墳時代後期の前方後円墳 前兆60.5m 平群谷最大の古墳だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/3f/759986253b36b2ddbb248cbec22bb125.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/dd/d7b552bb979e0058e552661e1edc7c96.jpg)
釣池のそばの階段を上ると烏戸塚古墳の後円部の墳頂に出る。墳頂の周囲には円筒埴輪が並んでいたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4e/d366f1b99467983d2776b98fe0653abb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/11/4fb8ddc895bac1591ca92eb7de890cf8.jpg)
説明を聞いた後、南へ階段を下ると石室の前に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/72/42d6b0726f721ae263c62100c80c4dda.jpg)
入口の格子越しに石室内を覗く。両袖式の横穴古墳 蓋のない石棺が見えた。
西宮古墳
終末期の方墳 1辺約36m 巨石を用い石舞台古墳に次ぐ規模だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/6c/ae64fc94a9662bb21dce84440435c354.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/95/1add78ae16de7aa4cd3bc252d6415ae8.jpg)
岩屋山式といわれるきれいな切り石が用いられている。石棺は竜山石製の繰り抜き式家形石棺 蓋はなし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/31/05c95c42e857852ac0538c49d1f107c3.jpg)
石棺の縁にある穴は杯状穴というそうで、民間信仰で彫られたもの。
鎌倉時代に(流行った?)人が自由に出入りできたことがわかる。
式内・平群神社
平群神社は初めて来た。祭神は大山祇神
この地は弥生時代の集落跡があった丘陵地で、平群の中心となる場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/a2/b5ac711f5d39ac834a17512953ef5418.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a5/fbaaccd401859e00015ddeee55d6a653.jpg)
平群氏の祖、竹ノ内宿祢画人ぐ皇后と共に朝鮮出兵する際、戦勝祈願として大山祇神をこの地に祀ったと伝わる。
高い石垣の上に拝殿・本殿がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/1d/c561a1c876faef73ec8daa8f420a6c57.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/0e/bae87bdddf375382ad70f5dd73b58962.jpg)
拝殿前の狛犬 文化10年の記名があったそうだが未確認 小型で可愛い。
「平群」東に松尾山、西を生駒山に挟まれた地形 真ん中を龍田川が流れる。
「平群」の地名の由来は、剥ぐ(へぐ)から・・辺郡(へぐに)から・・辺国から・・など・・いろんな説がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/30/53123a6e9cdba419fe279f3eb36c22a2.jpg)
竜田川・清滝街道に沿った竹藪の中に藤原京の瓦を焼いたという「安養寺瓦窯跡」があるらしい。(見えない)
お昼は道の駅・「くまがしステーション」で。
午後
三里古墳
平群駅を過ぎたあたりを東の山てへ登ると三里古墳。
前方後円墳らしいが、形をとどめていない。珍しい「板石の棚」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/79/672321ddb182f167b209d657c357f737.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c5/72b8d47504851e7e9f312e200cf8cb8c.jpg)
羨道かと思われる石の間を進むと石室の奥壁のような石がある。その壁の下の方に板石の棚がある。
棚がある古墳は紀の川流域にはあるが、奈良県では3か所のみらしい。(大淀町・槇が峯古墳と下市町・岡峯古墳)
副葬品は多数出土しているらしい。
長屋王墓 吉備内親王の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/41/f398abfb3253a581eecc0dc1299e98d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c8/f8f83ec9ee86473ccfb70826cb3d3855.jpg)
謀反の罪を着せられて自害させられた悲劇の王「長屋王」の墓 長屋王の妃「吉備内親王」墓
今は静かな山里で眠っておられる。
平群駅で解散。