里山歴史クラブの今年はじめての活動として、飛鳥めぐり。
横道、裏道をよく知っておられるのにはいつも感心する。
もちろん歴史の説明を聞くのは楽しいが、ちっとも頭に入らないのが悩みの種で、
大きい声ではいえないが、歴史クラブの私の一番の楽しみは歩いたことのない道
を歩くこと。
ただ、これもちっとも覚えられない。
今日もどこかの家の横をひょいと曲がったり、細い田んぼ道を入っていったりし
ながら、横王路跡~飛鳥京跡苑池~飛鳥東垣内遺跡~竹田遺跡~飛鳥寺の講堂の
礎石などをまわった。
飛鳥は普通に見ていても、残っているものは少ない。お寺も火事で焼けたりして、
もとのまま残っているものはほとんどない。
しかし、いたるところに遺跡として残っている。
稲刈りの終った冬場は発掘シーズン。調査が済めばまたもとの田んぼに埋め戻される。
この間も見に行った飛鳥時代の高級官僚の屋敷跡と言われている竹田遺跡も、
今日はすっかり埋め戻されていた。
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の前は一見何もないけれど、説明を聞いて
見ると、少し細い田んぼがあり、そこは土木工事が好きな?斉明天皇が7万人?もの
人々を動員して作らせた渠(みぞ)の跡で、人々が皮肉って「狂心渠(たぶれごころ
のみぞ)」と言ったという昔の運河の跡で、天理の砂岩を香久山辺りまでは川で、
そこからはこの運河を使って酒舟石遺跡のあたりまで運んだという。
そんな痕跡が田んぼの形として残っているのを見つけると面白い。
飛鳥はそんな遺跡がわんさか出てくる村だ。
田んぼ道の横に湧き水があることも教えてもらった。鉄分の多い水らしく、
赤茶色のどろどろが積もっていた。
横道、裏道をよく知っておられるのにはいつも感心する。
もちろん歴史の説明を聞くのは楽しいが、ちっとも頭に入らないのが悩みの種で、
大きい声ではいえないが、歴史クラブの私の一番の楽しみは歩いたことのない道
を歩くこと。
ただ、これもちっとも覚えられない。
今日もどこかの家の横をひょいと曲がったり、細い田んぼ道を入っていったりし
ながら、横王路跡~飛鳥京跡苑池~飛鳥東垣内遺跡~竹田遺跡~飛鳥寺の講堂の
礎石などをまわった。
飛鳥は普通に見ていても、残っているものは少ない。お寺も火事で焼けたりして、
もとのまま残っているものはほとんどない。
しかし、いたるところに遺跡として残っている。
稲刈りの終った冬場は発掘シーズン。調査が済めばまたもとの田んぼに埋め戻される。
この間も見に行った飛鳥時代の高級官僚の屋敷跡と言われている竹田遺跡も、
今日はすっかり埋め戻されていた。
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の前は一見何もないけれど、説明を聞いて
見ると、少し細い田んぼがあり、そこは土木工事が好きな?斉明天皇が7万人?もの
人々を動員して作らせた渠(みぞ)の跡で、人々が皮肉って「狂心渠(たぶれごころ
のみぞ)」と言ったという昔の運河の跡で、天理の砂岩を香久山辺りまでは川で、
そこからはこの運河を使って酒舟石遺跡のあたりまで運んだという。
そんな痕跡が田んぼの形として残っているのを見つけると面白い。
飛鳥はそんな遺跡がわんさか出てくる村だ。
田んぼ道の横に湧き水があることも教えてもらった。鉄分の多い水らしく、
赤茶色のどろどろが積もっていた。