みどりの野原

野原の便り

1月13日 炭焼窯作り5日目 

2007年01月13日 | Weblog
いよいよ今日、炭焼き釜に火が入る。
今日は他の用事をパスして、点火の瞬間を見ようといつもの3人で
やってきた。

点火を見たら帰って家の用事をしよう。

9時半到着。釜の上はまだくすぶっている。

聞けば、予定では籾殻がすっかり燃えているはずが、まだ燃え残っ
ており、予定通りの作業が出来ないとのこと。
せっかく来たのになあ・・

昨日皮をむいていたヒノキの丸太を釜のドームの4隅に立てている。
丸太の太さに穴を掘る時に面白い道具を使っていた。
2本のスコップをハサミのようにしたもの。土に突き立てて掘り、
はさんで土を取り出す便利物。
はじめて見た。
   
    電柱スコップというらしい
建てた柱の一方の上部は、横の梁?(これも皮むきヒノキ)の丸太
を載せるために面白い切込みが入る。
もう一方の柱の上部はまた違って、切り口をチェーンソーで丸みを
つけるように削られる。おもしろ~い!

その上に太いヒノキの梁が乗せられた。そして柱と梁の固定方法が
またユニーク。
割った青竹を火であぶり、梁の丸みに合わせて曲げ、柱に針金で
くくる。

 
こんなやり方があるのか!昔の人はえらい!それが伝わって使われ
るのもすごい!
だから見に来ずにはいれないんだよね。毎日。

でも、もう帰らねば。家の用事も溜まってるし・・・
11時 またまた心を残して帰るのであった。
明日からはそうそう見にこれないなあ。
「もし見に来たら写真撮っといてや」「教えてや」2人に頼んでおいた。

やっとブログ追いついた。

コメント (2)
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1月12日 炭焼き釜作り4日目

2007年01月13日 | Weblog
今日は朝から夕方まで参加。
「勝手にマドンナ3人組」の私たちは火入れ式の時のぜんざいの準備を頼まれている。
コンロや鍋もすでに用意されている。

シートが外されると、釜の上は土の山になって、針金が何本も出ているのが見え、
入口のレンガはごっつい丸太で支えられている。
土の下はどうなってるの?この針金は何?


昨日午後の作業内容(聞き書き)
釜に詰められた太い生木の上に藁と小枝を乗せた(ここまで昨日)上に①ドーム状に
くくった柴 ②ムシロ③金属の桟?(名前がわからない)それに針金がつけてある
③一番上に土の順番で山になっている。針金は梁を渡して取り付け、天井を吊ると
いう安全策だそうだ。
入口のレンガのきわにL字鋼を立てて補強し、さらに丸太も補強に使用。
強度や安全策に気を使われている。この辺の土はあまりよくないそうだ。

「来てや~」と声がかかり、ドームの土を踏み固めるよう言われる。
体重でお手伝いができるなら任せて! 
ふるいにかけた山土は踏むとフワフワして気持ちよい。だんだん締まってくる。

天井が落ちたら大変。時々厚みをチェックしながらカケヤで叩いてしっかり土を固める。
大事な作業だ。最初は厚み15センチぐらいのあった土が10センチぐらいになる。


その上に葉付きの枝がどっさり積み上げられた。
さらに束を解いた稲の藁が並べられドームを覆って出来上がり。
2:30いよいよ火入れの式が行われる。
いつの間にか釜の前には野菜や果物がそなえられている。
藁にお神酒が注がれ、公園館長の挨拶に続き、炭焼きの成功、作業の安全を祈願する
祝詞があげられ、昆布茶で乾杯。朝から準備していたぜんざいも振舞われた。
   
まもなく釜の上の藁に点火。先日来の好天気でいきおいよく燃え上がった。
小枝を燃やして、かぶせた土(釜の天井)を焼き固めているとのことだ。

周りの山への飛び火を警戒して、男の人たちが山側に待機して見守っている。

燃えさかる火に時々藁がかけられる。燃えた藁灰が沈んで火を抑える目的があるそうだ。
不思議な気がする。昔からの知恵なのだろう。

もう少し火がおさまったら、上に籾殻がかけられる。さらに土が強くなるとのこと。

今日の作業はこれで終り4時過ぎ解散となる。
今晩は何人かが火の番をしてくれるそうだ。ご苦労様。

明日はいよいよ炭窯に火が入る予定だ。







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1月11日午後 栢森 雌綱掛け替え

2007年01月13日 | Weblog
午後1時すぎ栢森へ着く。もう見物客も何人か来ていて、作業場はすぐわかった。
作業場の倉庫にはお綱掛保存会の法被を着た当番の村の人も9人ぐらい来ておられ、藁の準備が始まって
いて藁クズや藁束が積まれていた。
 
まもなく川に掛け渡す太い綱を編む用意が始まった。倉庫の柱に立てかけたハシゴに出来た綱を掛けて
いくらしい。3人が編み始めた。編み方は男綱と同じようだ。1回1回藁を継ぎ足しながら編まれる。70メートル
あまり編まれるそうだ。


もう一方では藁束を使ってシンボル作りが始まる。
藁束の根元をしっかりくくり、根元を上にし均等に藁先を広げ、そこに藁クズを乗せて丸く形作っていく。
言えば簡単だが、なかなかむつかしそうで何回もやり直されている。
    
年配の方2人で苦労しておられるのをそばで見ていた私たちは思わず「手伝いましょうか?」と手を添えた。
それからは私たちも一緒にああやこうやいいながらやり始めた。「これは女の神さんやから女の人の方がうまく
いくわ」とか言われて・・・やっとなんとか形作り、紐で仮止めし、その上に縄を掛けた。藁の先は細い竹ヒゴで
押さえた。
尖った先は紐を巻きつけて細くされ、下の中心に竹串に挿したハッサクを突き刺して女性シンボルは出来上がり。


あとは両側に垂らす細い縄。奥で長老のような方が1人でなっておられた。聞けば細縄は3本いるという。
これも手伝うことになって、「うまいもんやがな」とかおだてられ、3メートルぐらいの縄をTさんと私と1本ずつ編んだ。
年末にしめ縄作りで教わった縄づくりがこんな所で役立とうとは。

途中一息入れてお酒が振舞われ、すすめられたが、残念ながら車で来ているので辞退。
お酒は少し入ったが、淡々と作業が続き、さすがは昔からの神聖な行事だなと思う。

見物客は稲渕よりも多いようだ。
太い綱も出来た。私たちがつくった細縄も取り付けられた。
太い綱は稲渕の雄綱と違って継ぎ足した藁の根元を切らないらしく、綱がぎざぎざと龍のようだ。
サカキと御幣も付けてぐるぐる巻きにされ準備完了。


青竹の先を4つわりにして元をくくり、竹ヒゴにミカンを4つ突き刺し、それを4つにまとめたものを割った青竹を
広げた竹の節のところで止めたミカンの飾りもできた。

4時過ぎ、竜福寺のお坊さんも来られいよいよ綱が運ばれる。
先頭にお坊さん次に長老のMさん 後ろにぐるぐる巻きの綱に棒を通して担がれ、シンボル・ミカン飾りと、
今日雌綱作りにかかわった村人達や観光客が続く。少し下流の福石の所で綱掛神事が行われる。
Mさんの編まれた縄は福石に掛けられる。
綱にお神酒が掛けられ、神事が始まった。お経が唱えらる。
稲渕の雄綱は神式、雌綱は仏式で掛け替え神事が行われる。作業の時に聞くと「昔は稲渕もここも同じ日
やったが、飛鳥には神官が1人しかないから、仏式でするようになった」とのこと。
初めて聞いた。
 
それから古い綱を山の上からはずし川向こうの山の方で引っ張る。古い綱の端に今年の綱を結びつけ川を渡す。そして川岸でシンボルと御幣がつけられる。
こちら側は山の上から垂らした紐に今年の綱のこちら側の端を結び、引っ張り上げる。
両方を引っ張ってシンボルがうまく川の中心におさまるのだが、川岸の木の枝に引っかかったりして、「ミカンが
落ちるー」ハラハラ。
だいぶあちこち引っかかってシンボルの藁が乱れたが無事綱が掛け替えられ拍手がおこった。もう5時だ。

私たちが手伝ったシンボルが揺れている。私たちが編んだ縄が川の上に垂れている。
感動的な風景だ。 ハイキングで歩いた時見てねー。

手先が凍るように冷たい。
5時過ぎ、思い出深い体験が出来たことを感謝しつつ、だいぶ冷え込んできた栢森を後にした。







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