みどりの野原

野原の便り

3月31日 奈良 史跡めぐり 怨霊飛び交う・・

2015年03月31日 | Weblog
怖い言い伝えが残る奈良町周辺の史跡を案内してくださった。

 
    奈良のサクラも真っ盛り。          猿沢池
「52段」 「六道の辻」にも仏教にまつわるいわれがある。

帝の寵愛が衰えたのを嘆いて入水した采女の霊を鎮めるために建てられた「采女神社」 采女は自分が身を投げた池を見るにしのびず、一夜にして裏向きになったとか・・

率川の中州の船に乗った「率川地蔵尊」 幕末の河川工事で見つかった地蔵さま達が一堂に集められた。ここは伊勢街道の基点の場所でもある。

無実の罪で殺された道祖王(ふなどおう)の怨霊を怖れて建てられた「道祖神社(どうそじんじゃ)」
その名もあやしげな「不審ヶ辻子(ふしんがつじ)」はこの辺りで追いかけた鬼を見失ったことが町名の由来

 
「瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)」 飛鳥から平城遷都と共にこの地にうつされ、元興寺禅定院の鬼門除けの神社となった。この辺りは奈良の飛鳥。 右)南は飛鳥の方角 ここに立って詠んだのか、坂上郎女の「故郷の明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を見らくしよしも」の歌碑が建っている。

頭塔(ずとう)
方形の7段の土頭 ピラミッドのような珍しい形。44基の石仏が設置されている。
  
南半分は発掘前の現状保存で木が繁った状態。  北半分は復元して保存


土塔から頭塔になったらしいが、奈良時代の僧「玄の首塚」との伝説がある。
玄は奈良時代の高僧で、遣唐使として唐に渡り、帰国後も聖武天皇に寵愛されたが、横暴が過ぎて反発を買い、左遷させられて任地で急死。恨みの籠った体が奈良に帰り、首が落ちたところがここ。腕(かいな)は肘の塚、胴塚 眉目塚、とご丁寧に体の各部が落ちた所が地名として残る。


玄を討とうとした藤原広嗣も捕えられ斬られ、その怨霊を鎮めるために神として祀った「鏡神社」


淡い色のモクレン 怨霊の世界からちょっと放してくれた。

女人守護の神を祀る赤穂神社 

 
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)をお祭りしてある「春日山不空院」も女人救済の寺。 縁結びと縁切り、どちらの願いもかなえてくださるという。


奥に吉備塚古墳 横の木に触ると祟りがあるとの言い伝えがある。

崇道天皇社

崇道天皇とは光仁天皇の子 早良王(さわらおう)の追号 兄に無実の罪を着せられ無念の死を遂げた早良王の怨霊のたたりが兄 桓武天皇や父光仁天皇を苦しめたらしい。

跡目争いや勢力争いで陰謀が渦巻いていた時代、天変地異や疫病や不吉なこと。これらは怨霊の祟りと考えられ、それを鎮めるために建てた神社も多い。
言われてみれば奈良町周辺は鬼だの怨霊だのが渦巻く怖いところだった。
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3月28日 長居公園 植物園 花爛漫 サクラ見ごろ 

2015年03月28日 | Weblog
サクラも見ごろ・春爛漫の長居公園・植物園

公園では

 
     ソメイヨシノ 満開近い          ベニスモモ満開

 
ハルニレは花が終わって果実 見やすい所にある。  枝に翼ができていた。  


     イスノキ まだつぼみ

 
「咲いてますよ」と知り合いの方に教えてもらったロードレイア(マンサク科)
朝、近くを通っているのにちょっと奥にあるだけでちっとも気がつかなかった。
濃い花色 雄しべがたくさん見える。 初めて見た花 
帰ってネットで見たら「5個の花が集まって1個の花に見える」「花弁のように見えるのは総苞片」と書いてあったが・・撮ってきた写真ではよくわからない。シャクナゲモドキの和名があるらしい。

植物園では


ツバキ 花は第一芽鱗の中から出ることを知った。
「低出葉」という言葉も初めて知った。

 
カンサイタンポポ  シロバナタンポポ セイヨウタンポポ(雑種?)が全部あったのは驚いた。

 
 カツラがちょうど花時 雄花(終わりがけ)と 雌花が見れた。 

 
 
 
上から スモモ ナシ アンズ アーモンド オオカンザクラ ヨウコウザクラ のつもりだが、帰って写真を整理しようとしたらわからなくなったので間違っているかも。
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3月27日 風に立つライオン 懐かしいケニア 五島も

2015年03月27日 | Weblog
映画ついでに・・
前に行ったケニアが舞台の「風に立つライオン」もぜひ見たいと思っていて、早くいかないと終わりそうと思って見てきた。

ケニアの医療に命をかけた青年医師と戦争によって受けた体の傷とともに、心にも深い傷を負ったケニアの子どもたちの物語は心に重く響いた。

ケニアに行ったのはh25年7月 
たくさんの動物を見ることができたマサイマラ国立公園 マサイ族の村
100万羽のフラミンゴはお出かけ中で残念だったナクル湖・・いろんな体験ができたアフリカケニア。
もう一度とはいかないケニアをこの映画で見れた。サファリとはまた違った重苦しい現実と共に。

そして、青年医師の恋人の故郷が五島の小島。またここでも五島とご縁があったのだった。
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3月26日 くちびるに歌を 遅まきながら鑑賞 五島を思い出しながら

2015年03月26日 | Weblog
まだ五島の記事が途中ですが・・

五島列島に行って来た縁で? 五島が舞台の映画「くちびるに歌を」を見てきた。

五島から帰った夜に調べたら、もう上映終了直前 後2日で終わり! しかも上映時間は夜1回だけ。
それで、あわてて帰った翌日行って来た。間に合ってよかった。
  
新しく赴任してきた傷心で心閉ざした元ピアニスト教師といろんな家庭事情がありながらもまっすぐに生きている中学生のコーラス部員との出会いからの物語。

旅行で行った砂浜と青い海がきれいだった「高崎海岸」
映画でも重要な場面で出てきた「水の浦教会」は内部も見学した。
激しい弾圧を経て建てられ、昭和13年に建て替えられた白い教会は 鉄川与助設計施工になる名作。
コーラス部の子どもたちが歌の練習をした「鬼岳」 中腹まで登ったなあ・・・
映画の爽やかな後味とともに、懐かしい景色が見れてもう一度五島列島に行った気分を味わえた。
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3月25日 五島列島ツアー③ 大曽市場せり見学 鯛之浦教会 頭ヶ島天主堂

2015年03月25日 | Weblog
3日目 ツアー最終日の朝 今日もお天気がいい。
「朝は霜が降りていました」とガイドさん。

 「大曽市場」 でセリを見学。仲卸専門の市場だそうだ。
7:30 邪魔にならないようにと注意を受けて外から見学。

 
 
 
 

獲れたての魚の箱が並ぶ。10人ぐらいの人はどれが仲買さんで誰が市場関係者?
合図でセリが始まる。1段高い所にいる人が発声「○▽■△◎・・」何を言ってるのか聞き取れない。
見ていると、買う人は声を発している人の手元に何か札?を投げ入れている。
それで売買が決まるらしい。
何が何やらわからないままにどんどん売れてゆき、30分ほどの間にトロ箱は運び出されてしまった。
生きている魚は右側の生簀に入れられたりもするよう。
そして鮮度を保つために「神経抜き」という作業をしている人も。
横に置かれた箱を見ると、サザエ・ホタテ?オオギガイ?・イカ・サバ・ブリかハマチか? キビナゴ これらを持って売り歩く行商の人もいるらしい。

魚市場見学後、近くで漁協婦人部がやっている「海鮮処」へ朝食を食べに行く。

  
 「海鮮処」はビニールハウス   バスの運転手さんも魚焼きを担当?応援?

タイ・ヒラメのお造りや、ヒラマサの焼き物 身がたっぷり入ったアラ汁など・・ 
アワビは火にあぶられて逃げ出そうとフタにへばりつく。 残酷!と言いながらぺロり。         右)私たちに身を食べられ骨になった特大のタイ・ヒラメ 
おいしいタイを食べた後、バスで30分ほどの「鯛之浦教会」へ。

新聖堂 旧聖堂が老朽化で、昭和54年そばに建設され、礼拝に使用されている。

 
明治36年に建て替えられた旧聖堂。木造瓦葺きの建物
右)煉瓦造りの鐘楼は昭和54年に増設。一部に被爆した浦上天主堂の煉瓦も使われている。
旧聖堂は今は資料室になっており、子供の日曜学校にも利用されている。
教会機能はないので内部の写真撮影もできる。うれしい。欲求不満が少し解消?
 
コウモリ天井といわれる、昨日見た水の浦教会・青砂ヶ浦教会と同じ構造の天井
                       アーチ窓のステンドグラス
美しさに見とれて展示資料を見なかった。失敗。
敷地内にはルルド(フランスの聖母出現の地を模した洞窟)や鯛の浦教会に関係した神父像や殉教の碑などが並んでいた。     

 
オオイタビは五島の各地で見たが、ここには果嚢がたくさんできていた。
これは雌だと思う。地元では雄ばかり見るので雌の果嚢は珍しかった。
オニアザミも咲いていた。

 

昔はハマグリがいっぱい獲れたという蛤浜。大きい貝殻はハマグリと言われたが、いつも見るのとはちょっと感じが違った。  ハマダイコンの群生・海・浜は美しい。

シロナガスクジラのあごの骨が門のような海童神社を車窓から見て・・頭ヶ島大橋を渡り、頭ヶ島へ。

頭ヶ島天主堂
 
重厚な石造りの建物 石造りは全国的にも珍しいそうだ。国の重文
鉄川与助の設計施工。大正6年(1917)に完成(10年の歳月がかかったという) 
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)の登録を目指しているが、その暫定リストにもこの教会が入っている。 

2000人の信者がいたという頭ヶ島。明治、開国したにもかかわらず禁教が解かれず「五島崩れ」といわれる大規模摘発がなされ、一時、キリシタンが途絶えたといわれた。
後、島に戻ってきた信者たちが島内の石を切り出し船で運び組み立てた。

内部 天井はこれまで見たものと違い船底のような天井。2重持ち送りハンマービーム加工というそうだ。
ステンドグラスの色にも、ツバキの4枚の花弁にも、ユリやハマユウの花にもみんな意味があるそうだ。

聖堂・教会堂・道行き・・キリスト教の知識がないので初めて聞く言葉も多かったし、教会内の祭壇の見方も、意味もよくわからないものがあったが、キリスト教を心のよりどころとし、想像もできないような弾圧も切り抜けた信仰心の強さには感心する。


坂本竜馬像 グラバーから買った練習船の遭難を聞き、寺田屋事件の傷の療養をしていた鹿児島から駆け付け、慰霊碑の建立を依頼した。 祈りの竜馬像はここだけとか。

いよいよ五島列島にお別れ。

有川港から高速船 シ―クイーンに乗る。1時間半で佐世保港

お天気に恵まれ、忙しかったが初めての五島列島を楽しめた。
五島の海はきれいだった。

後で3月25日のところに戻します。
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3月24日 五島列島ツアー②-2 福江島~上五島 中通島へ キリシタン洞窟 青砂ヶ浦教会 神楽

2015年03月24日 | Weblog
福江島から水上タクシーでキリシタン洞窟などを巡るクルージング。

 
水上タクシーに乗り込む。波は穏やか。

五島にはキリシタン弾圧の歴史がある。
秀吉や江戸幕府による禁教令による迫害の歴史がある。
キリスト教徒は改宗させられたり、寺に帰属して隠れキリシタンとなるなどひっそりと生きたが、見つかれば捕えられ命を落とした信者も多くいた。
クルーズでそんなキリシタン迫害の歴史の一端を想像した。

 
洞窟のマリア像 ごつごつの岩に降りたちマリア像の近くまで行く。マリア様は奥まった岩の中に隠されるように祀ってあった。ここへ来るには船しかない。危険を冒して祈りに来たのだろうか?   右)岩の穴は「ハリノメンド」信仰の深い人にはマリア様に見えるとか。
ハリノメンドは「針のメド=針の穴」のことかもしれないと思った。


若松島と上五島をつなぐ若松大橋の下をくぐる。

上五島町中通島 郷の首港に到着
またバスに乗る。


車窓より「洋上石油備蓄基地」を見る。
「石油備蓄基地」とは石油の供給が途絶えるような事態に備えて、原油を備蓄しておく施設。
全国で10か所あるという(12か所と書かれたものも)
地上、地下、そしてここのように海の上に造られたものがあるそうだ。
波の穏やかなここは洋上備蓄基地の適地なのだろう。
5隻の貯蔵船を繋留 タンカーからの原油を移され保管される。
貯蔵船はエンジンはないが、定期検査が必要で、定期的にドックまで曳航してメンテナンスが行われるという。 初めて見聞きするものだった。

「矢堅目(やがため)の塩本舗」見学。
 
海水を炊いて蒸発させ塩分濃度を上げる。かまどの火が赤々と燃えていた。
                   右)横に積んだ薪は1日分とか。


長い日程をかけて「五島の海水のみでつくった」塩はできる。
お土産に物産館で何個か買った。

青砂ヶ浦教会
 
レンガ造りの天主堂 多くの教会建築を残した鉄川与助の設計施工 
明治43年に建てられた3代目の建物だそうだ。
見学にあたっていろいろと注意を受け、内部を見学
ステンドグラスが美しい。天井はコウモリ天井といわれる構造 
写真を撮れないのが残念。

明治政府により禁教令が解かれると、信者たちはこぞって教会を建てた。
貧しい中、力を合わせレンガを背負って運ぶなど労力も提供して3年間もかかって完成したという。信仰の力はすごい。

ホテルで夕食を食べた後、「上五島神楽」を見に行く。
バスがついたのは政彦神社
宮司さんから説明の後、神楽が舞われた。

   
 
 
神楽は全部で30番あるらしい。そのうちの6番?の舞いを鑑賞した。
天岩戸を象徴する扇を持った舞い。五穀豊穣を祈るもの。東西南北中央を意識した舞。獅子舞や翁媼が登場するもの・・おもしろい仕草のものやきりっとした舞・・変化に富んだ神楽だった。
2日目も終わった。   後に続く。 
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3月24日 五島列島ツアー②-1 大瀬崎灯台 高浜海水浴場 水の浦教会

2015年03月24日 | Weblog
コンカナ王国の庭
 
庭の大木はタブノキだった。五島にはタブノキが多い。
             オオタニワタリ 植栽 ウグイスが盛んに鳴いていた。

次の目的地に行く車中、ガイドさんの説明を聞く。(聞き違い御容赦)
「福江島は小さい島と思っていませんでしたか?」
全国の6852個の島の内9番目に大きいのだとか。海を知らない人もいたという。
茶畑や牛舎も見えた。昔は桑畑がひろがっていたが高齢化で桑畑はなくなり、今はブロッコリーが栽培されている。
島だから漁業が多いと思われるが、平地の多い所は農業が盛ん。
風力発電で島の電気を半分ぐらい?まかなっている。

山地にはイノシシが出て、駆除のために尻尾を持って行けば5000円で引き取ってくれる制度があったこと。そして福江島にいたイノシシが上五島へ渡り、そこでは尻尾と耳で10000円もらえた。
サル・タヌキ・キツネはいない。 五島の秋は紅葉がない。
平家ゆかりや江戸とのつながりから言葉も京都の言葉・江戸の言葉が混じっている。
五島列島の西端から中国大陸まで6000キロ 済州島までは200キロの近さ・・他にもいろいろ。
山内盆地といわれる平地には延長3キロの直線道路が伸びていた。

大瀬崎灯台近くに到着。
 
東シナ海につき出す断崖の上に建つ大瀬崎灯台 「日本の灯台50選」「日本の夕日100選」に入る名所らしい。
見学を予定していた井持浦教会が都合で見学不可となったため時間に余裕が出て、この辺でちょっとゆっくりできた。 
展望広場に登る。
 
        ホウロクイチゴ         これは何かな?
この大瀬崎は西海国立公園に属する。そしてここは猛禽「ハチクマ」の渡りで有名なところらしい。ハチクマはハチを餌にする猛禽で『主に本州で繁殖し、秋に越冬のために中国大陸に向かう時(9月中旬~10月上旬)、ここを通過するそうで、10000羽を越えるハチクマが観察され、1日1500羽を越える日もある』とのことで、バーダーの垂涎の地なのだろうな。

次に立ち寄ったのが、高浜海水浴場
 
白い砂 青い水 サンゴ礁のようだが、砂は貝殻が砕けたものらしい。 砂浜も広い。
こんなところで泳いだら気持ちよさそう。

次に三井楽の「五島列島酒造」を見学
 
    焼酎の原料のサツマイモ   麦焼酎も造られている。説明と試飲
遣唐使ふるさと館で昼食 五島うどんが出た。細めで食べやすい。    

「水の浦教会」が見学できることになった。
 
木造の教会で、教会を多く手がけた日本の大工 鉄川与助の設計施工
  内部は撮影禁止 コウモリ天井といわれる梁?やステンドグラスが美しい。

 
洞窟の聖母マリア これも「ルルド」って言うのかな? 
                   右)教会への登り道にキケマンが咲いていた。
五島の信者や教会も厳しい迫害を受けたキリシタン弾圧の時代があった。


右)福江港に戻った。建物に描かれているのは「玉の浦ツバキ」玉の浦で発見された、縁に白い斑の入る品種。
ユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑もあった。「風が止んだら~・・・」  歌えるよ。

次につづく。  少しずつ まとまり次第、アップして行きます。
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3月23日 五島列島ツアー① -2 五島列島 福江島 

2015年03月23日 | Weblog
長崎からいよいよ五島列島へ。

     長崎港を後に西へ100キロ      途中は島影もない。  


福江港に到着 長崎港から約1時間20分ぐらい。

初めての五島列島。
フェニックスが植えられ「南の島へ来た感」があるが気温はあまり奈良と変わらない。
後で調べたら、緯度はたいして変わらない。福江島N32°41′ 橿原市N34°30′

バスに乗り込む。
福江城(江戸末期、日本唯一の海城として、黒船来航に備えて築城されたが、間もなく明治維新になり築城9年にして解体された)や武家屋敷は車窓から。

いざという時に武器として使用するために、塀の上に積んだという武家屋敷の「こぼれ石」も車窓からで写真を撮る暇もなく通り過ぎた。
武家屋敷あたりはゆっくり歩きたかった。、

メインと思われた鐙瀬溶岩海岸は車から降りて下を覗くだけ。

今は引潮とのことでごつごつした黒い溶岩が見えた。
駐車場あたりにはフェニックスやツバキ・ハマヒサカキもきつい匂いを漂わせている。
赤島 黄島(おうしま) 黒島 などの小島が見えた。
ガイドさんによると、それらの島は電気は海底ケーブルで送っているが、水は海水を淡水化していたり、雨水を飲料としていたり、今は無人島になっている島もあるという。
これらも福江火山群に連なる火山島らしい(ネット)

船からも見えた鬼岳の麓へ。

五島のシンボル鬼岳 活動度は低いが火山だそうだ。  中腹まで登る。
下から見ると浅いお椀を伏せたような形に見えたが、中腹に来ると起伏がある。
一面の芝生 山焼きもされるようだ。
頂上への遊歩道が続いていたが、時間不足で眺めるだけ。頂上まで行って火口も見たかった。

 天文台や向うにはゴルフ場も。      下方に福江港が見えた。

そこからすぐ近く、今夜の宿「コンカナ王国」
温泉のあるリゾートホテル 宿泊棟やコテージがいくつもある。 
コンカナとは五島の方言で「来ませんか?」「おいでください」といった意味らしい。

分宿となったが、私たちの部屋は温泉に近い部屋でラッキー

    お部屋もきれい。


夕食は地元のお魚 五島牛 など 写真の他にも数々
    右)郷土料理で「かっとっぽ」といわれるハコフグの味噌焼きが珍しかった。
ハコフグは可愛かったが持ち帰るには生臭いのでやめた。 五島ワインを飲んだ。

鬼岳温泉

露天ぶろは天然温泉 褐色の湯の鉄泉 
2人先客があったが、しばらくすると後は貸し切りでゆっくり入った。
ツアーのみなさんはいつ入ったの?

1日目 期待していなかった長崎がよかったし、鬼岳温泉もゆっくり入って、明日に備えて早目に就寝 

次につづく。  少しずつ まとまり次第、アップして行きます。             
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3月23日 五島列島ツアー① -1 長崎 眼鏡橋・江崎べっ甲店~五島列島 福江島へ

2015年03月23日 | Weblog
行きたかった五島列島。
本当は個人旅が希望だったけれど、今回は2泊のツアーに参加。

博多駅からバスで長崎市へ。
途中でべっ甲店などに立ち寄るという。

そして川のそばへ。
ここから見てくださいと添乗員さんに促されて見てみると、わっきれい!
 
その形から眼鏡橋という。1634年に黙子如定(もくすにょじょう)によって架設された石橋。修復されているが国の重文に指定されている。
この川は中島川といい、他にもたくさんの橋が架かっていたそうだが、水害で流されたりしたが、我が国初の鉄橋といわれる「くろがねばし」(架け替えられている)などもあるらしい。
ああゆっくり歩きた~い!

そして、近くのべっ甲店へ。
お土産は要らないのだけど、来る前、たまたまべっ甲細工のテレビを見て(どこだったか不明)その手間ひまのかかる作業に興味をもったので、博物館的に見ればいいんじゃないのと思った。


江崎べっ甲店 屋根に「帝国宮内省御用達 江崎鼈甲美術品製作所」の右書き看板があった。
創業300年というこの店舗の建物も国の有形文化財になっているという。

 
店内にはべっ甲の原料や歴史などの写真や展示 作業場もガラス越しに見えた。
それによると『宝永6年(1790年)から続くこの店は、世襲8代の伝統を持ち、6代栄造氏はべっ甲業界でただ一人無形文化財に指定された』とのこと。
べっ甲の貼り合わせには接着剤を使わず熱で処理するという伝統の方法を今も守られているとか。
昔のべっ甲製品や細かい工芸品はすばらしかった。
原料の手に入らなかった終戦直後は牛角や馬の爪なども利用したらしい。
正倉院御物にもあるべっ甲細工 外国との貿易が続いた長崎ならではの産業だ。

今は輸入できないべっ甲の原料となるタイマイは倉庫に保管されているとのこと。
いずれそれがなくなればべっ甲細工は途絶えてしまうのかな?
べっ甲細工のブローチもなかなか可愛かったけど、誰もプレゼントはしてくれない。

そこからバスで、長崎港はすぐ近くだった。

 
長崎港からジェットフォイルでいよいよ五島列島に向かう。

次につづく。  少しずつ まとまり次第、アップして行きます。
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3月23日 鶴見緑地 ハルニレ アカシデ 

2015年03月23日 | Weblog
 
ユキヤナギが満開 芳香が漂う。       カワズザクラも満開
ソメイヨシノも今にも咲きそうだった。


    モクレンの仲間も満開

  
           アカシデ 赤い雄果序が目立つ。  

 
ハルニレ 花は高い所に。この時期、雄しべの数(ハルニレ雄しべ4本)
           オヒョウ(雄しべ5.6本)と区別ができるそうだ。

ラクウショウやメタセコイアの落ちている球果を観察
 
    ラクウショウ          球果 果鱗の中にヤニのついた種子

 
     メタセコイアの種子にもヤニ袋があるらしいが、確認できなかった。
風に吹き寄せられた葉の中にメタセコイアの種子がいっぱい混じっていた。
当然だけどそこまで見た事はなかった。

何種類かのマツの仲間も観察した。
 
   ストローブマツ 鱗片についた白いものはヤニが乾いたもの
      フランスカイガンショウの名札があった。大きい球果 種子も大きい。
 

何年分もの古い球果も枝につけたままのマツの仲間 種名は不明

冬芽も動き始めた。 
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