みどりの野原

野原の便り

4月29日 カラマツ 若い球果 オオミノガの蓑 

2023年04月29日 | Weblog

去年は見に行かず、2年ぶりにカラマツを見に行った。


カラマツ 元気そう。


近づいたら・・あらっ?
これはミノムシの蓑 うわっいっぱいついている。


蓑を1つ持ち帰り切ってみたら・・蛹だった。
カラマツ被害がなければいいが。

そして、カラマツは・・

もうこれは若い球果というべきか?
ベロのように見えるのは苞鱗かな?


球果は短枝に付く。球果の基部には葉が束生状についている。
長枝につく葉は螺旋状に互生している。

花の時期を見たいがなかなかタイミングが合わない。


古い球果はいつまでも枝に付いている。

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4月28日 日本書記講座  瑞祥・養老儀制令 僧尼令

2023年04月28日 | Weblog

ずいぶん整理が遅れています。

久しぶりの日本書記講座
天武天皇11年の終わり

天武天皇12年
1月に賀正の礼を行った。
  丹比真人嶋等が「三つ足のある雀」(瑞祥)を貢る。

「宴(とよのあかり)」が行われ、官人たちに「三つ足のある雀」も披露された。
「宴(とよのあかり)」の、「とよ」は「豊」 もともとは響む(とよむ=鳴り響くのような意味)
「あかり」は「赤」 豊かで潤沢で祝い酒で顔が赤らむ。
おめでたい節会・うたげ のことのよう。

「瑞祥」とは・・吉祥。めでたい前兆のこと。
天皇が徳のある政治をした時に現れるとされる。

資料でいただいた続日本紀にも『天子に考心がある時は「天の竜」が下り、「地の竜」が出る。 王者が偏らず・・徳の恵みが行き渡っている時は「霊亀」が現れる。等の記述がある。

その「瑞祥」にも「大瑞」「中瑞」「下瑞」のランクがあったそうだ。
そして「養老儀制令」に瑞祥の取り扱いを定めている。

「大瑞」は、麟・鳳・亀・竜は、瑞祥の中でも最もめでたいもの。
    これは現れたら直ちに報告せよ。
「その他の瑞祥」は、次の年の正月に報告しなさい。・・と。

上記の「三つ足のある雀」はその他の瑞祥にあたるので(発見は前年11年の8月だったらしいが)正月に報告したということらしい。

1月18日 天武天皇は「自分が皇位についてから数々の瑞祥が現れているのは、自分の政道が天道にかなっているからだろう。共に喜んでもらいたい」
「位のあるものすべてに禄物を与えよう。死罪以下のものはみな放免する。百姓の課役はすべて免除する」といわれた。
品物は位に応じたもので、中には「鍬」などもあったらしい。 実用的!

考えるに・・亀はいるにしても、鳳凰や麒麟や竜が現れることはあるのか?
見つけた時の取り扱いも決められていたらしい。
必ずしも現物を持ってこなくてもいい?

2月1日、大津皇子が初めて朝の政務を行われた。
3月2日、僧正・僧都・律師を任命された。

「僧尼令」には、僧綱(僧正・僧都・律師)の行うべき役割などが規定されている。それによると、僧綱の役割は、僧尼統制の最高機関として、僧尼を統率し、諸寺を管理する。とされる。
そして、やってはいけないことの規定もあるそうだ。
僧正は、星の観察や酒など禁じられていたらしい。

それぞれの寺院には、上座・寺主・都維那(ついな)という僧職が定められている。

細かい所にもちゃんと定めがあり、役割分担がされていたよう。

4月15日「今後は銅銭を使い、銀銭を用いることはやめよ」と仰せ。
ただ、銀銭は貨幣としては使用を禁じたが、銀の地金として用いるのは許した。  (ちょっとよくわかっていない)次回にも触れられるかな?

他にも聞いたが、この辺で。いつものごとく、聞き間違いはごめん。

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4月27日 山背古道 木津川周辺 安福寺(平重衡 供養塔)・大智寺 ・泉橋寺(石造地蔵菩薩坐像)・茶問屋街・上狛環濠集落と大井戸・椿井大塚古墳・山城図書館(大塚古墳出土 銅鏡レプリカ)・涌出の宮

2023年04月27日 | Weblog

木津川周辺の史跡めぐりハイキングに参加。

JR木津駅に集合時間ぎりぎりで滑り込みセーフ。

・・と、いきなり「今日はテレビ取材が来ているのでインタビュー受けてください」
ええ~っ。苦手です~。

都合のつく時に参加している今日の会「健やか交流塾」が「奈良のお薬師さん大賞」を受賞されたらしい。
生きがいづくり・健康づくり・仲間づくりの活動を企画されているボランティア団体です。

「ダメだったらカットされるから」・・ええ~っ・・

今日は「ふるさと案内かも」のボランティアさんが案内してくださるらしい。

安福寺
「このあたりは平家物語の舞台です」
清盛の命により平重衡(しげひら)は園城寺を焼き払い、南都奈良に攻め入り興福寺や東大寺の堂塔伽藍一宇残さず焼き尽くし、大仏も焼け落ち・・
・・その後、平氏は一ノ谷で敗れ、重衡は捕らえられて・・最後は木津川の河原で斬首されたそうな。

妻の輔子はその遺骸を引き取り、首ももらい受けて荼毘にふし、日野に墓を建てたそうだ。

重衡を哀れに思った村人は、小さいお堂を建てて供養した。それが安福寺の始まり。


安福寺 山門  本堂は「哀れ堂」「あわんどう」と言われる。


境内にある「平重衡之墓」 十三重石塔が建つ。
殺し・殺され・・それが戦

大智寺


大智寺 木津川 泉大橋のそばにある。
木津川には鎌倉時代に行基が架けたという「泉橋」があったそうだ。
泉橋の橋柱で作ったといわれる「文殊菩薩坐像」が本尊で、重文指定を受けている。
「みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」
百人一首に歌われる「泉川」はこの木津川のことだったのね。

行基の架けた橋は流されてなくなり・・今は立派な橋が架かっている。


泉大橋 全長383,6m いい橋だなあ。


木津川 川幅は広く、ゆったりと流れている。

写真を撮りながら歩いていると、奈良放送のインタビュアーの女性が話かけてこられた。
写真のことなど尋ねられ‥何か喋ったが・・多分ボツになるのだろう。
マスク外してもらってもいいですか?と言われたが、マスク美人なので~と、おことわり。

泉橋寺
奈良時代の高僧行基によって架けられた「泉橋」を守護・管理するために建立された寺院だそうだ。


「石造地蔵菩薩坐像」デカさにびっくり!
高さ約5m。日本一の石地蔵。 鎌倉時代にできたらしい。
応仁の乱で地蔵堂もろとも焼けて、露座となり、頭部と両腕は後に補われたものだそうだ。
とんだトバッチリでお気の毒。

泉橋寺の山門 江戸時代に興福寺の塔頭 知足坊の門を移したもの。


地蔵堂の礎石が残っている。

茶問屋街


茶の産地 山城。ここは茶問屋や製造所が並ぶ「山城茶問屋ストリート」
宇治香園・宇治園・森徳本店・杉本製茶場・香楽園製茶・などの建物が並ぶ。


福寿園 福井家 樋は銅製で茶壷のデザイン。

「山城茶業の碑」が建つ。
室町時代に山城各地で栽培され近江や大和・伊賀・伊勢へと伝わって行ったこと。江戸時代には木津川を通じて神戸港から外国に輸出されたこと。茶業組合を作り茶の品質を保ったことなどが記されていた。

上狛環濠集落 


環濠が残る。防衛のため、また農業用などにも利用された。
環濠の内側は土塁や竹薮などに守られ「郷」「垣内」と呼ばれる集落があり、狛氏の居城を中心に共同生活を営んでいたという。


「狛どんの井戸」といわれる大井戸 

環濠集落の中を歩いて見たかったなあ。


小林家住宅 築357年という茅葺屋根の古民家 (重文)


山城中学校のそばに「椿井大塚山古墳の天井石」があった。

車道の側道を歩いていると、あっ。タケノコ積んでる!


タケノコを山盛り積んだドラック。慌てて撮影。間に合った!
その後、もう1台タケノコトラックが通った。
さすが、タケノコの産地。


JR奈良線の下、煉瓦造りのいい雰囲気のトンネルをくぐって、椿井大塚山古墳へ。


古墳へと向かう。ここは堀?
タケノコの生える竹薮から階段を登り、坂を登り・・


椿井大塚山古墳の墳丘の上に出た。すぐ下にJR奈良線が見える。
前方後円墳で、今いる所は古墳の後円部らしい。
そして、前方部は・・下に見える住宅の建つところ。わお。

発見は昭和28年、すぐ下を走るJR奈良線の法面拡幅工事の時。
偶然に竪穴式石室が見つかったのだとか。
古墳時代前期(3世紀後半)の中でも最古の古墳らしい。

その後の発掘で何と三角縁神獣鏡など40面近い銅鏡や多くの副葬品が見つかり全国的に注目を集めたとか。
びっくりですね。

竹薮を下り・・


堤防の道。


木津川周辺は天井川が多いらしい。
「28(昭和28年)災の悪夢を忘れない」天井川の災害を守る会の幡。

予定時間はオーバー気味だったが「ぜひ見てください」とボランティアガイドさんのお勧めがあり、アスピア山城内、木津川市立 山城図書館へ。


入口近くに銅鏡のオブジェ。


中には、椿井大塚山古墳から出土した銅鏡のレプリカが並び、説明文の展示もあった。
こんなにたくさん出土したってすごいな。


図書館入口にツバメ。

ここで解散になった。
棚倉駅はすぐそこ。
電車の発車時刻まで余裕があるので、駅前の涌出宮を覗くことにした。


涌出宮 祭神は天夫岐売命 他。祈雨の神らしい。
奈良時代に祭神を伊勢より勧請した際「一夜で森が湧き出た」との伝説があり、それが涌出宮の名の由来らしい。他説もあり。


イチイガシなど照葉樹の茂る参道を進み、二の鳥居を抜け、山門をくぐる。


この建物は「いごもり堂」
重要無形民俗文化財に指定されている「いごもり祭」はここで行われるのか・・珍しいお祭りらしい。


手前に拝殿 奥が本殿
「本殿前の角灯籠は南北朝時代のものですよ」ちょうど来合わせた村人が教えてくださった。
珍しい狛犬もあるらしいが、時間も足りない。
ここは説明付きで回りたいところだった。
 
電車の時間に合わせて駅に戻る。

初めてのところで知らないところを回れてよかった。

ところで・・インタビューは・・没にならずに放送になったんですよ~。
我が姿を見るって変な感じでした。

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4月23日 斑鳩の里めぐり 小泉神社 斑鳩3塔 藤ノ木古墳

2023年04月23日 | Weblog

「鎮守の森を観に行こう会」が最終回となった。

社叢学会の調査地域の1つとして桜井市が指定され、市民ボランティアが調査に協力したのがきっかけで、翌年H15年(2003)4月に「森とふれあう市民の会」が発足。その活動の1つとして生まれたのがこの会。
年4回ぐらいのペースで開催されていた。

歴史や植生、他、大先生が講師。アットホームな雰囲気。
遠く関東から来られる方もおられるぐらい大人気だった。
発足から20年。コロナで間があいて‥ついに今回最終回となる。

私の初参加はH16 年4月から都合のついた時に参加してきた。
楽しい会でした。お世話になりました。

今日はJR小泉駅で集合して「斑鳩の里」を巡る。
講師の先生方も勢ぞろい。

富雄川を渡って「小泉神社」


鳥居をくぐって階段を登る。
布や幡のようなものや提灯などが・・両脇に広げられている。
お祭りの準備? 片付け? それとも虫干し? 
 

表門は小泉城の裏門を移築されたもの。
小泉城は陣屋と言われる平城。小泉氏の後片桐氏が入り片桐城とも言われる。
今は石碑が残るだけらしい。


本殿(国宝)
複雑で装飾性のある組み物・軒下を支える枓栱(ときょう)
蟇股のところにもバラや花の彫り物。
元は朱色だったのでしょうか?極彩色だったのでしょうか?

川沿いから野道を歩く。


イチジクの産地 切り詰められたイチジクの枝
おいしいイチジクが食べた~い。


広がるレンゲ畑  こんな所を歩くと幸せな気分になる。


遠くに見えてきたのは「法起寺の三重の塔」(斑鳩3塔の1つ)
コスモスの小さい苗は秋には塔をや斑鳩の景色を引き立てることだろう。

平城京には11ぐらいの塔があり、斑鳩には5塔があったそうだ。
斑鳩寺の三重の塔?は670年消失。(元の)中宮寺の三重塔?もなくなり・・

今残るのは、法起寺(三重塔・国宝)・法輪寺(三重塔・再建)・法隆寺(五重塔・国宝)の3塔のみで、「斑鳩三塔」といわれる。

飛鳥にあった塔は全部なくなった。

法起寺の読み方は「ほうきじ」と読むそうだ。(お寺さん)
今日は寺内には入らない。


途中の溜池にはハシビロガモ 近くの池にはオオバンもいた。


国史跡「三井瓦窯跡」
横の格子から覗くと階段状の登り窯の内部が見えた。
傾斜地は瓦窯に都合のよい立地。
谷地では粘土や水、山地では燃料の薪が得られる。
保護のために屋根がかけられている。

お寺の瓦を焼いていた瓦窯。
今は偶然見つかったこの1基だけだが、もっとたくさんあるはずだという。


「史跡 三井」 聖徳太子が掘ったとの言い伝えがある。


井戸は明治時代には埋まっていたが、1932年に発掘調査された。
深さ2.24m 途中は少し膨れた筒状だったそうだ。

聖徳太子が飛鳥から3つの井戸をこの地に移したことからこの地を三井と言うようになったとも。
井戸を移す?どうやって??

「法輪寺」別名三井寺
創建ははっきりしないが、7世紀中ごろ(飛鳥時代)には存在していたという。聖徳太子ゆかりの寺。

S19年(1944)7月、落雷で塔は焼失してしまった。
太平洋戦争中の金属類供出で、避雷針が無くなっていたのだそう。ああ・・もう!なんてこと!
S50年(1975)悲願がかなって、消失前と同じ場所に同じ姿で再建された。


再建された法輪寺の三重塔(斑鳩3塔の1つ)
塔の位置は法起寺とは逆で、門から入って左にある。(法隆寺式伽藍)
焼失時に救出された仏舎利や釈迦如来坐像、四天王像も戻された。

元通りとはいえ再建のため、消失前の国宝の指定は解除された。

「中宮寺跡史跡公園」に移動。お弁当。


中宮寺跡史跡公園 


塔跡と金堂跡の2つの基壇が復元されている。
ここは中宮寺が創建された場所。(現中宮寺は400mほど離れた場所にある)

中宮寺の創建は古く、法隆寺若草伽藍と同時期の建立といわれ、法隆寺と同じ型の瓦が出土しているらしい。

現中宮寺は16世紀前半に今の場所に移転したと伝わる。
大和3門跡寺院の1つ。

境内は法隆寺に隣接しているらしく・・

中宮寺・・と思っている間に、ここは「法隆寺」の東院らしい。


法隆寺 東院鐘楼(国宝)
中の梵鐘には「中宮寺」と刻まれているとか。
元は中宮寺にあったものなのか??

法隆寺と中宮寺は僧寺と尼寺として深いつながりがあったようだ。

「法隆寺」
聖徳太子の斑鳩の宮・斑鳩寺に由来する寺。世界最古の木造建造物
広い境内に東伽藍・西伽藍 門や建造物が立ち並び、建物や仏像など国宝が目白押し。
「法隆寺地域の仏教建造物」として法起寺の建造物と共に、1993年に日本初のユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。


伝法堂 二重虹梁という妻飾りを見る。
虹梁とはの上部を横に渡す材、柱の頭部をつなぐ役目の梁のこと。
構造上も重要なのでしょうが、美しいですね。


中門(飛鳥時代 国宝)の奥に五重塔(飛鳥時代 国宝)(斑鳩三塔の1つ)が見えた。
飛鳥時代に建てられた世界最古の木造の五重塔だ。

たくさんある建物の中で、好きなのは西円堂。


階段を登っていくあたりも雰囲気がいい。


上にある八角形のお堂が 西円堂(八角円堂)(鎌倉時代 国宝)
中に薬師如来像(奈良時代 国宝)が見えた。

この後、藤ノ木古墳へ。

「藤ノ木古墳」 6世紀後半の円墳 国の史跡
2度の発掘で、未盗掘の横穴式石室ということがわかり、水銀朱を塗った家型石棺や豪華な副葬品、男性2人が埋葬されていることもわかり、世間を驚かせた。
未盗掘の古墳は珍しいが、盗掘を免れたのは、江戸時代まで古墳を守っていたという近くにあった尼寺の存在も関係あったのかも。

羨道を進み、格子戸越しに家型石棺を見る。

近くにある「斑鳩文化センター」


建物前に藤ノ木古墳の家型石棺の複製品がどっかりと。
二上山に産する凝灰岩製のくり抜き型家型石棺 
蓋の部分に縄掛突起 棺の内外面は水銀朱を塗られていたそうだ。
展示の複製石棺の色は鮮やかすぎるように思うが、貫禄十分
この中に2人の人物と副葬品が収まっていたのかと想像する。

先に石棺を納めた後に石室を造ったのではとも聞いた。

館内で、藤ノ木古墳の副葬品のレプリカの常設展示などを見る。

金銅製の冠  
履(くつ)も細かい飾りがこれでもかと言うぐらいついている。
展示が始まった頃に見に来たことがある。


通路の奥に進むと石棺がある。通路は古墳の羨道のようだった。

スケジュールいっぱいの一日。バスに乗るみなさんと分かれ、JR法隆寺駅まで歩く。
滑り込みセーフ。

道のわからない私たちのために道案内もしていただき、最後までお世話になりました。

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4月21日 石舞台から甘樫丘

2023年04月21日 | Weblog

明日香石舞台から甘樫丘 本番の日 お天気がよくてホッ。
遠くから集まってくれました。

簡単に。主なものだけ。

石舞台周辺で草地の草花を見た後、イスノキの虫こぶ・イヌビワを観察。


イヌビワ 今年できた小さい果実 去年の果実も残っている。
イヌビワは雌雄異株と言われているが、果(果のう)は同形で、外見ではどちらかわからない。

普通、雌の果のうは夏に熟し、鳥に食べられたりしてなくなる。
冬を越してこの時期まで果嚢が残っているのは雄株と思われる。
イヌビワはイヌビワコバチと共生するという。
雄の果のうでコバチが育つ。
コバチが見えるか? 果のうを切ってみたがよくわからなかった。

イヌビワはイヌビワコバチを育て、代わりに花粉を運んでもらう。
複雑な仕組みが成り立っている。

アオキの虫えい果(虫こぶになった果実)もいっぱいついていた。



ハナイカダ 雌雄異株で、雄花 雌花もあった。

ウグイスカグラ 花が終わって小さい果実があった。


果実のつく部分に綿毛のようなものがついているものがいくつかあった。
何かな?

ヒイラギの果実あり。
下見で満開だったナツグミは花が終わっていた。

ゼニゴケ
無性生殖をするが条件がよければ有性生殖をする。
ここでは雄器と雌器が接して生えていた。

コウヤマキ
イヌマキと葉の付き方を比べる。
葉は2つ合わさった針葉。
束生状に見えるが、茎を見ると葉が螺旋状に付いているのがわかる。


枝先の葉の中心には今から伸びる芽がある。


山沿いではちょうど食べごろのものがあって、齧った方もいたが、ここでは伸びて葉がたくさんついていた。
葉柄の基部には花外蜜腺がある。


ホウチャクソウの群生にも出会う。

ムラサキケマンはもうほとんど果実。
熟すとちょっとした刺激でパチンと弾けて種を飛ばす。
遠足シーズンで、通りかかった小学生にムラサキケマンを持たせるとパチパチ弾け、予想通りビックリしてくれた。
次に、マイマイガの幼虫の背中に、寄生していたコマユバチの蛹の抜け殻をつけて歩いているのを見て「きゃあ」っと声をあげて逃げて行った。
やっぱりダメか。

ハコベの尖った種子はルーペや、スタッフ仲間が持って来てくれた実体顕微鏡で観察。

遠くにキジを見つけてくれたり、教えてもらうことも多い。


オオタネツケバナと思っていたのが、ニシノオオタネツケバナと教えてもらった。

ヒラドツツジの白い花
白くみえるのは花弁の中に小さな空気の泡があるためで、それを押しつぶすと花弁は透明になる。というのは初めて知った。

メンバーには鳥・虫・雑学・・いろんな達人がいるのでうれしい。
バスの時間に合わせて解散

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4月20日 新沢千塚周辺 スミレ(パンジー・ツボスミレ・ニオイスミレ) ハリギリヒメコウゾ ヤマグワ アオハダ 

2023年04月20日 | Weblog

ブログ、ずいぶん遅れています。

今日は、新沢千塚周辺で観察。


集合場所の駅前で、パンジーの若い果実の中に透き通った種子がたくさん。
エライオソームも見えた。


観察地で見た ツボスミレ 群生していた。


ニオイスミレ 濃い花色に中央が白 いい香りがする。


アオスゲ 
カヤツリグサ科やイネ科はわかりづらい。写真を撮っても見えにくい。


アマドコロ 葉腋に筒型の花がぶら下がる。
筒の先の分かれた部分は薄緑色。茎に稜がある。


アオハダ 何本か見た。短枝が目立つ。
つぼみがついていたが、雌の木?雄の木?


ヒメコウゾ たくさんあった。
ちょうど雌花と雄花が見れた。雄花は枝の基部にある。
雌花は柱頭が目立つ。


ヒメコウゾ 
葉は切れ込みのあるものないものいろんな形がある。
側脈は葉縁でつながって葉を縁取っている。


ヤマグワ 葉はヒメコウゾに似るが、側脈は鋸歯に達する。


ヒメウツギと思う植栽


ヤマモモ 小さい果実が付いていた。


山裾にカマツカ 花

コバノガマズミも花あり。


ノヂシャ 若い葉をサラダにするとか。
埃のかかりそうな道端で見るので、食べる気はしない。
茎は2又に分岐する。


ハルジオンの花で吸蜜中のダイミョウセセリ。


「ハリギリ」の声に薮の中を見る。
モミジカラスウリかと思ったが、ハリギリの幼木のようだった。
こんな切れ込んだ葉は見たことがなかった。

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4月17日 鹿児島 薩摩半島の旅 4日目

2023年04月17日 | Weblog

4月17日 鹿児島 薩摩半島の旅 4日目
いよいよ最後の日になった。

8:45ホテル出発。
指宿市から鹿児島市へ。


喜入町あたり。 並ぶタンクは石油基地らしい。

指宿で、開聞岳はよく見たが、桜島は1日目と2日目が天気が良くなかったので、全く見えなかった。

帰りの途中、城山公園に行くことになる。


1泊目のホテルのそばを通って白山へ。
お天気さえよければ、ホテルから目の前に桜島が望めたのに、まったく見えなかったのだ。
挽回すべく城山公園へ。


車を停めて天童台まで歩く。

展望台には大勢の人。


桜島 初めて目の前に姿を見せた。やった~!
黄砂?少しもやっているが、しっかり見えたので満足。

一路空港へ。


車窓からの山の新緑が美しい。

レンタカーを返却して予定通り空港に到着。


空港でラーメンのお昼

スムーズに関空へ。
バスと電車で、17:24無事帰宅。

楽しかった旅。また行けますように。

先ずは誘ってくれた娘たちにありがとうを言おう。
そして、家で留守を守ってくれた家族にもありがとうを言おう。

ブログもなんとか書き上げた。
書きながら2度目の旅を楽しんだ。

明日からは、い~っぱい溜まっていることをボチボチ片付けていくことにする。

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4月16日 鹿児島 薩摩半島の旅 3日目-3 長崎鼻・奇岩「竹山」・山川製塩工場跡・山川駅・ホテル連泊目

2023年04月16日 | Weblog

鹿児島薩摩半島 3日目続き。指宿市

➆長崎鼻
薩摩半島最南端に突き出た岬
先に長崎鼻灯台がある。


長崎鼻灯台への途中に、竜宮神社 竜宮伝説のある地なのだ。
トイレの女性は「乙姫様」・男性は「浦島太郎」の絵だった。


「鹿児島県のソテツの自生地」
他の数か所と共に、国の特別天然記念物に指定されている。
熱帯、亜熱帯に多いソテツ科の内「日本における自生の北限地」となっている。


長崎鼻灯台 高さ10,7m 
明治30年4月初点灯。大戦の空爆で大破して、これは昭和52年の再建。

灯台から岩場を下る。


火山岩の岩場が続く。かなり先の方まで行った。

タイドプールがある。何かいないかな?

長崎鼻の岩場から開聞岳を望む。

⑧奇岩「竹山」

車の中から。変な山が見えてきた。何やあの山は!


たまてばこ温泉という所に車を停めた。
変な山は温泉のすぐ後ろにある。
天狗伝説があるという「日本奇岩100景」の1つなのだった。
火山活動でできた貫入岩体だとか。よくわからないが・・
その形から「スヌーピー山」とも言われているとか。

たまてばこ温泉は絶景露天風呂が売りで、男女日替わりで「大海原と開聞岳」「奇岩竹山」を見ながら露天風呂を楽しめるらしい。

この辺りは伏見海岸。
道の駅に立ち寄ったついでにその辺を散策。


これは キキョウラン だったか。沖縄で見たな。


海に近い荒地にあった大型のセリ科植物はアシタバか?


民家のブロック塀に這わせてあったこの花は何でしょう?

⑨山川製塩工場跡


戦時中、塩の不足する中、政府が簡単な手続きで塩が作れる制度を打ち出し、
昭和18年から昭和39年まで、ここで「温泉熱を利用した製塩」が行われていたそうで、その跡が残っている。

塩田跡と泉源が現存する産業遺跡。
どんなふうに塩を作っていたのか。もうもうと立ち上がる噴気。
風向きによっては噴出する蒸気に追いかけられる。地獄を想像。

「温泉熱を利用した製塩」は全国各地で行われていたが、竿後まで操業したのは指宿だそうだ。

⑩JR 山川駅
駅が見えて立ち寄る。


JR九州 指宿枕崎線 山川駅 
(駅舎のある駅の中で)「日本最南端の有人駅」
無人になった時もあるらしいが、今は委託駅となっているようだ。

*駅舎のないJR最南端の駅は2つ隣の「西大山駅」景色がよいらしい。
残念ながら行けなかった。


快速列車「キハ200形 なのはな」が停まっていた。
鮮やかな菜の花色。山川駅と鹿児島中央駅間を走る。
にわか鉄ちゃん バチバチ写真を撮る。

ホテルに戻る。
山川駅の時刻表では、まもなくホテルの下の高架を列車が通過する。
車を置いて、下へ走る。


間に合った! 鹿児島中央方面行き。


写真が撮れてラッキー。

夕食の後、楽しみにしていた「砂蒸し風呂」へ。
屋内にあり、熱い砂をかけてくれる。
久しぶりの砂蒸し。・・重い。じわじわと熱くなる。
15分が限度。
その後大浴場でさっぱりした。

2泊目 鹿児島最後の夜だ。名残惜しいなあ。

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4月16日 鹿児島 薩摩半島の旅 3日目-2 湧水の郷 唐船峡 そうめん流し・枚聞神社・開聞岳・ 開聞山麓香料園

2023年04月16日 | Weblog

3日目続き。指宿市

③湧水の郷 唐船峡
駐車場に着いてビックリ。なんだこの車の数。
今までのところとは大違い。

こんなに大勢の人が「湧水」を見に来ているのか。
そんなに有名なのか~。


どこにも「湧水」の字は見えない。
「唐船峡 市営そうめんながし」のゲートをくぐって下ってみよう。


「唐船峡京田湧水」
この湧水は九州最大のカルデラ湖・池田湖からの伏流水で、水量豊富。
地域の生活用水・灌漑用水として利用されているそうだ。
昔から、水質保全に努められていたよう。


澄みわたった湧き水の池の中に 水の神「川上大明神」
(後で行く)枚聞神社の境外摂社で、朝夕お供えする水源地。


湧水の池。澄んだ水が流れ込んでいる。



「チョウザメの泳ぐ池」
他の魚と一緒にチョウザメが泳いでいる。料理用の交配種だとか。

湧水のそばに「市営 そうめん流し」 ちょっと違和感があるが・・
ちょうどお昼時。何か食べようか。


広い屋根の下にテーブルが い~っぱい並ぶ。

そーめん定食と1品料理を頼み、テーブルへ。
大勢の人はここへ吸い込まれていたのだ。


丸テーブルにはそうめん流し器が据え付けられている。


鯉のあらい・マスのたたき・マスの唐揚げ・いなりずしと鯉こく・・
最初はひんしゅく顔で見ていたのに・・しっかり商戦に乗ってしまったのだった。
市営で、湧水の保全にもかかわっておられるそうなので・・

④枚聞神社(ひらききじんじゃ)
さっき通った神社が気になって寄ってもらった。

枚聞神社は開聞岳を神体山とする。
『薩摩一之宮で本殿は県指定文化財 主祭神は天照大神 創建は定かでないが、社伝では和銅元年となっている古社』
宝物殿には国の重文もあるらしい。


朱塗りの鳥居


拝殿と思った唐破風の建物は勅使殿だそうだ。


朱と彩色が鮮やかな勅使殿の飾り組もの。


拝殿 この奥に幣殿と本殿があるらしい。千木が少し見える。


天智天皇の御巡幸伝説のある馬像


鳥居のそばのクスノキ 樹齢約800年

オオタニワタリ 新芽が出ていた。

⑤開聞岳
別名 薩摩富士 標高924m 日本百名山の1つ。


開聞岳を近くで見たいと麓の「かいもん山麓ふれあい公園」へ。
ログハウスやキャンプ場もあるらしい。人はごく少ない。
カートで公園を1周できるらしい。

でも、近すぎると全景が見えない!


開聞岳がすぐ近くに見えるところまで来た。きれいな三角形。


登山道入り口まであと660mの看板。すぐ登れそうな雰囲気。
登ってみたいなあ。
(帰って調べたら鎖に梯子・・きつそう。やっぱり無理ね・・)


公園で。ヤマグワが色づいていた。完熟はもう少し先だ。

⑥開聞山麓香料園
すぐ近くに香料園があることがわかり立ち寄る。


芳樟(ホウショウ)


芳樟(ホウショウ)は匂いクスと言われるクスノキ。

長居植物園にもホウショウと思われる木がある。
去年、学芸員さんがその枝を持って行って確認されたのが、この香料園。
そして、長居植物園にあるクスノキは「香りは弱めだが芳樟で間違いない」ことがわかったのだった。
偶然にも通りかかって立ち寄れてよかった。

芳樟の葉を1枚取ろうと飛びついていたのを、店の中から見ておられたようで・・


「花と香りの店」に入ったら「その辺に植わっているのはみんな芳樟ですよ」と・・
飛びつかなくてもよかったのね。
芳樟は、見た目はクスノキとほとんど変わらないが、樟脳のようなきつい香りはしない。さっぱりした香り。
天然香料リナロールを含む。
お店の奥に香料を抽出する施設があるとのこと。


お店にはいろんな香料が並ぶ。

娘が3ml1000円のエッセンスを買ってくれた。
うまく使えないし・・と思っていたが、ハンカチに垂らしてもよい。
消臭作用がある。ストレス解消する癒し効果もあるというので、使ってみよう。
お店を出て、ハーブ園を見学。

フェンネル・コリアンダー・ローズマリー・レモングラスぐらいしかわからない。

2日目ー③に続く。

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4月16日 鹿児島 薩摩半島の旅 3日目-1 ホテルの庭・鰻集落 スメ ・鰻池 ・池田湖

2023年04月16日 | Weblog

3日目朝
やっと晴れました~。 さわやかな朝。


錦江湾 手前はホテルの庭です。
海の生け簀はカンパチを養殖しているらしい。


朝食 ビュッフェ さつま揚げや鶏飯をチョイス。
ごちそうさま。

①庭(敷地内)を散歩


窓から見えたヤシ。高いワシントンヤシモドキが目立つ。
手前の低いヤシはワシントンヤシ。
ホテルの名のフェニックス(カナリーヤシ)はどこ?
奥の方にあるようです。


これがフェニックス(カナリーヤシ)


玄関前にある 樹齢約200年のアコウの大木。
ホテルより大大先輩ですね。


アコウの別名 ワリンギン は初めて聞いた。

道は山の方に続いている。


高い所まで登ると見晴らしがいい。ヒラドツツジ満開。
天気がいいのはほんとに気持ちがいい。


温室は、ブーゲンビリアとマンゴーの花(上の写真)が咲いていた。
数か月遅ければ果実がなっていたかも。


下り道でスイカズラの花 今頃は地元でも咲いているかな?
ボタンボウフウらしいものやアメリカデイゴらしい木もあったが花の季節ではない。

朝の散歩も済んで、出発。運転手交代 私は今日も乗客。

鰻池のそばの駐車場に車を停めて・・

②鰻(うなぎ)集落 を歩く。(指宿市)
鹿児島は一帯が温泉地だが・・
ここ鰻地区は噴き出す高温の噴気を利用した「スメ」と呼ばれる「天然の蒸しかまど」が有名。


スメ広場 鰻区民用の共同のスメ。
観光客も利用できるらしい。


右は使用中だ。
注意書き(高温)や利用の仕方が書いてあった。
「利用できる食材は、いも類・野菜・卵 ザルや網に入れて使用」
「肉・魚類・タケノコは、利用できません」
タケノコは時間がかかるからかな?


竈の縁に陶片が張り付けてある。可愛い!

集落の中を歩く。


民家のスメ  個人でスメを持つお宅も多いらしい。
ちょうど、食材を入れに来られた。

近くに共同のスメ、個人宅にもスメがあり・・光熱費がだいぶ助かるなあ。


区営の鰻温泉 入ったらよかったなあ。


西郷南洲(隆盛)像が建つ。
西郷さんは鰻温泉を愛し幕末から明治にかけて、幾度も湯治に訪れたとか。
そして、征韓論に敗れ政府を離れ、鹿児島に隠棲した時、お供2人と猟犬13匹を連れて鰻温泉に滞在。

犬好きとは聞いているが13匹も連れていたとは!
昼は犬を連れて猟に出かけ、夜は読書の生活だったとか。
西郷さんに因んで、鰻集落のあちこちに「愛犬の像」が作られている。


鰻温泉の前に「ツン」 
上野の西郷さんと一緒にいる犬だそうだ。


鰻温泉のそばにあった「ツマ」の像。

他にも、テツ・ゴン・ハヤ・クロ・サワ・シロ・ユキ・ブチ・カヤ・・

娘は13匹の内12匹見つけ、後の1匹が見つからないと残念がっていた。
それにしても、西郷さんは13匹の名を覚え、見分けていたのだろうか?

集落内には、上の娘が以前に宿泊した民宿もあった。
泊まった時は雪景色だったそうだ。

集落を下った所が「鰻池」

約7500年前に噴火した火口が陥没してできた。
周囲約4km、最大水深60mの小さい火口湖。
大ウナギが捕れたことから「鰻池」の名がついた。


鰻池 水辺に行けた。


水辺のそばにタチアワユキセンダングサの花が咲いていた。
きれいな花だが、センダングサの仲間なので果実はくっつき虫だ。

鰻地区を出発。池田湖へ。


開聞岳に近づいてきた。(車窓から)

③池田湖


池田湖 九州最大のカルデラ湖 周囲15km、最大水深233m
向こうに開聞岳。


少し歩いて池田湖の水に触る。
この湖の中に体長2m・胴回り50cmの大ウナギがいるらしい・・

鰻池も池田湖も誰もいなくて、貸し切り状態だった。
 
3日目のー2に続く。

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