みどりの野原

野原の便り

3月31日 お雛さま また来年

2020年03月31日 | Weblog

コロナ騒ぎで湿りがちな雰囲気を和ませてくれた雛飾り。


 また来年、会いましょうね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月30日 談山神社周辺 桜 ミヤマシキミ カテンソウ トウゴクサバノオ

2020年03月30日 | Weblog

4月の観察会はたぶん中止になるだとうなと思いつつ、一緒に担当してくださる方と下見のつもりで歩いた。

高い所だけにまだまだ植物も小さかったり、芽吹きであったりでわからないものも多かった。
おまけに午後からは小雨になって傘のお世話になった。
上着を重ね着でもちょうどよいぐらいの気温だった。

 
平地は満開の桜もこのあたりでは場所によって3分~5分咲き。 カンヒザクラは満開

 
植栽のアミガサユリ シャイに俯いているのを少し顔を上げてもらった。


 ワサビ 水のそばにあった。

 
ミヤマシキミ ここで果実は見たことがないのだが、近くに雌株らしいものがあった。
     右)コショウノキ 2015年に見つけて以来不明だった。今回は違う所で発見。

 
ジャゴケ 胞子体 今まで気づいていなかっただけのようだ。
                   右)ヤマルリソウ まだ咲き始め。

 
トウゴクサバノオ 山道にあると砂と紛れてしまいそう。 
          右)雨で花は下向き。正面から見ると黄色い蜜腺が目立つ。
花弁のように見えるのはガク片で、黄色い蜜腺は花弁が変化したものらしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月30日 「馬見丘陵」 アケビ トゲミノキツネノボタン

2020年03月30日 | Weblog

「馬見丘陵」と言えば、今は「馬見丘陵公園」と「ベッドタウン 大住宅地」のイメージですが、昔は起伏のある丘陵地でした。
・・・と言っても、その頃のことは知らない私ですが・・・

午後から、馬見丘陵公園に車を停めて、昔の丘陵を想像しながら河合町・上牧町あたりを歩いた。

 
    色とりどりの形さまざまのチューリップが主体の花壇

 
  鮮やかな色彩のチューリップ  ブルーのムスカリと紫のホトケノザのコラボ?
ホトケノザもムスカリに負けず主役級でした。

 
           桜も満開 お花見もできた。
人を避けて、公園を最短距離で抜けて西に出た。

周辺は以前からの集落や田畑。

 
アケビのつるが繁って花盛り。感動する美しさですが、見に来る人はない。
                 右)小さい公園の桜。お花見の人はいない。

地蔵堂や集落の家並を抜けて、河合町から上牧町へ。静かでのどかなところだ。

 
春日神社に行ってみる。 長い石段を上る。      拝殿 
拝殿には奉納された絵馬。新しいものもある。地元の氏神さまなのだろう。

神社の周囲は崖。集落は随分下にある。神社だけが丘の上に建っているのだ。 
ひょっとしたら、元古墳だったのかもしれないね。

 
ここから坂道を上っていく。山あり谷ありの丘陵地形。
                       右)道は陸橋に続いていた。
 
陸橋の柵から奥に見える丘は以前はこちらの丘と続いた丘陵地だったらしい。
陸橋の下の車道は開発以前にできていたそうだが、陸橋を渡るとすぐに丘陵地に行けたのだとか。
               右)今はこの陸橋も途中で切断されている。
下はズドンと落ち込んだ平地で、まさしく、切り取られた「別世界」商業施設や住宅が広がっていた。
陸橋を下る。


雌岳は後ろに隠れて「ひとこぶ」の二上山 

 
    丘陵の雰囲気の残るのどかな道へ。所々に古いため池も残る。

 
元はため池だったかと思われる縁に石垣の残る畑もあった。  右)小さいため池。

 
    コオニタビラコ           トゲミノキツネノボタン

 
スズメノヤリ 雄しべがよく見える。      マメカミツレ

 
    レンギョウ 長花柱花         レンギョウ 短花柱花
河合町のほのぼの公園から馬見丘陵公園に戻る。
途中の野道では人にはまったく遇わなかった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月29日 うちの庭 ムサシアブミ シラユキゲシ ジロボウエンゴサク 

2020年03月29日 | Weblog


角のような芽が出てきたなあと思っていたら、もうむくむくと黒っぽい仏炎苞が押し合うように出ていた。
前に比べたら、仏炎苞の数が減っているのは「食糧不足」なのかもしれない。
それでも毎年出てきてくれるのはうれしい。

ウラシマソウは葉だけで、まだ仏炎苞は伸びていない。

 
シラユキゲシが咲きだした。いくつかまとめて撮りたいところパラパラでまとまらない。
 右)ニリンソウも同じ。咲き続けているが、離れ離れでさみしい。

 
ジロボウエンゴサク 娘の華やかな花壇に押しやられそうになりながら、居場所を見つけている。
         右)シャガが咲いているのにはびっくり。えっ!もうそんな季節?


斑入りアオキは男の子です。きれいな赤い実はできません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月25日 室生周辺 コショウノキ アサギマダラ幼虫 ハシリドコロ フサザクラ

2020年03月25日 | Weblog

3人で、室生古道から室生寺周辺を歩く。

 
  室生古道入口を川沿いに歩く。         荒れた山道

 
    石だらけの山道         橋を11回も渡るのだ~。(数えた)

 
山の中で薄暗い所も。元々は石畳の古道で、石畳が残っているところもある。
雨の後は滑るので注意。今日はその心配なし。

何回も来ているが、今日はコショウノキを見る目的で歩く。

 
花をつけていない木も多い。   花はジンチョウゲに似て、良い香りがある。

 
 背丈を超すものもあったが花はなかった。 これは大株

ゆっくり見たので、今迄よりたくさんのコショウノキを見ることができた。

 
     ジャゴケ         ジャゴケの胞子体のようだ。
初めて見た。ガラス細工のような繊細さ。
ジャゴケは見かけはゼニゴケと似ているのに、こんな胞子体が付くんだ。発見した気分。
(ゼニゴケ科とジャゴケ科で科が違うけれど)


キジョランがあった。葉に穴が開いていたので「アサギマダラの幼虫の食草だよ」と言って、葉をめくってみたら・・

 
アサギマダラの幼虫がいた! 小さいけど、体の前後に角状の突起が出ているので、すでに2齢ぐらいか?
               右)体長2㎝ぐらい。モザイクタイルのような模様 
これがアサギマダラ(チョウ)になるなんて信じられない。(他のチョウもそうだろうけど・・)
幼虫の上の方には小さいカタツムリも付いている。

キジョランはアルカロイドの毒を持つ。アサギマダラの幼虫はその毒を体に入れることで、鳥などから捕食されないようにしているらしい。

 
ちょっと丸まったキジョランの葉を開いたら、甲虫がでてきた。
クビアカツヤカミキリに似ているが、赤い部分に刺状のコブがないように見えるので違うかな?
カミキリムシの仲間としておこう。わかれば名前を入れます。
                  右)クワゴマダラヒトリの幼虫か? 

毒のあるキジョランにアサギマダラだけではなく、甲虫やガの仲間やカタツムリまでついているってどういうこと?
「食べないよ。止まっているだけよ」と言うかなあ。

もう1つ発見は・・

 
ヨウシュヤマゴボウかな?と近づくと・・ハシリドコロだ!まだ花が咲き始め。
これも毒草 ここで初めて見た。

キジョラン・ハシリドコロ・イズセンリョウ・・・ シカが好まないものが残っているのか。

  
フサザクラ? 赤いのは雄しべ  
    右)ピラピラ揺れているのは花粉を飛ばした後の雄しべかな?可愛い!

うれしい発見があった上に、通りかかった家のおじさんが「菜花摘んでいき」と声を掛けてくださって・・
思いがけないお土産ができた。 何ていい日なんでしょう。

ノロノロ歩きでちょっと迷惑かけたけど、最高の一日だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月24日 葛城王都の跡 遺跡を巡る。

2020年03月24日 | Weblog

古墳時代、天皇家と婚姻関係を結び、繁栄した葛城氏。
中心人物は武内宿禰の子、葛城襲津彦 
日本書紀にも関係する「葛城王都の跡」を案内していただいた。場所は葛城山、金剛山の麓。

「遺跡と言っても田んぼ巡りのようなものです」と講師先生がおっしゃる通り、目に見える形で残ったもののない「遺跡巡り」だった。

南郷 安田遺跡
 
圃場整備で発掘した時に大型掘立柱建物や柱穴など遺構が見つかり、柱も残存していたとか。
今は埋め戻されて田んぼになっている。
生活用土器などは出土していないので、生活の場ではなく「王の祭殿」であったと考えられている。
こう説明だけ聞いても、遺跡名もなじみがなく、想像もしにくい。
       右)遺物からの復元図 これを見せてもらって、こういうものかとやっとわかる。

大東遺跡
ここも生活痕はなく、導水施設を中心とする祭祀遺跡だったらしい。

極楽寺ヒビキ遺跡


圃場整備の際の発掘調査で濠と掘っ立て柱の塀に囲まれた「大型掘立柱建物」等の遺構が確認された。
左)下が復元図 このような建物を「高殿」という。
この遺跡の特徴は、建物の柱が板状(四角い柱)であること。出土遺物が少ないこと。
「祭儀や政務を行った公的施設」と考えられるこのこと。
そして、この「高殿」と、室宮山古墳(葛城襲津彦の墓ともいわれる)から出土した「家形埴輪」が同じ構造を持つという。(上の写真)

吐田 極楽寺でお昼。
平安時代、一和僧都が開山 標高285.54m

 
    極楽寺 本堂             葺き替えた古い瓦

 
  モミの木と思う。            鐘楼門


       景色   

南郷角田(かどた)遺跡
工房跡だったらしいが、よくわからなかった。    

名柄遺跡

 
「名柄 銅鐸・銅鏡埋納地」の碑 大正7年に池の造成時に出土した銅鐸と銅鏡
銅鐸は、片面に流れ紋、もう片面に横帯紋を持つ珍しいもの。
銅鐸と銅鏡が並んで出土するのも珍しいそうだ。
どちらも重要文化財に指定され、東京の国立博物館に納められているらしい。 
 右)すこし下った名柄小学校の校庭からは古墳時代中期の「竪穴式住居跡」などの遺構が確認されている。
 農具や武器など出土して「居館の跡」と考えられているそうだ。

遺跡などには「名柄」 下った神社は「長柄神社」の標記になっている。

多田桧木本遺跡(おいたひのきもといせき)


   首長の屋敷跡?

 
檻にイノシシ 暴れまわったらしく鼻が擦り剝けて傷になっていた。この子の運命は?
                    右)シデコブシ 満開 白とピンクがあった。

 
ソメイヨシノ 高所ではまだポツポツ咲きかけ。 下ではだいぶ咲いている木もあった。

登ったり下ったりとよく歩いた。
目印も表示もない遺跡の案内、むつかしそう。
遺跡はほとんど田んぼであったが、どこを歩いてものどかなコースだった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月22日 宇陀松山城跡

2020年03月22日 | Weblog

近場に出かける予定が、成り行き?で・・私が行ったことのない宇陀松山城跡へ行くことになった。
大宇陀は何回も来ているのに、城跡へ行く機会がなかったのだった。
歩き始めは早、午後2時を過ぎていた。

 
重要伝統的建造物群保存地区に指定されている大宇陀の街並みを素通りして・・

 
松山城への登り口になっている春日神社へ。神社もスルーして・・(今度ゆっくり来よう)


 シロハラ 幼鳥だったらしい。

 
             春日神社の脇を抜けて山道へ。

 
             ぐんぐん登っていく。

 
  開けたところに出た。  
   右)石積みが残る。斜面の上部に「雀門」ともいわれる南西虎口門があったらしい。

松山城
 
    説明板の本丸      説明板の天守閣 多重の建造物が存在していたらしいとの説明文


 
    回り込むように上へ行くと・・広場に出た。城跡だ。

 
          一段高くなっている所が本丸跡

 
   もう1段高い所が天守跡


          城跡からは素晴らしい展望 


四方向を示す文字「拾生」 「石清水」 「春日」の文字 いつ頃のものなのか? 

   
      クスノキやケヤキの大木がある。


 クヌギの雄花序が伸びかけていた

下りは車道を歩いた。

町づくりセンター 千軒舎の横へ出てきた。

どこへも寄らずに松山城跡のみのウォーキングだった。
初めて行ったが、思っていたより大きい城跡だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月21日 宝山寺~旧鶴林寺~生駒山上 ヤマルリソウ

2020年03月21日 | Weblog

宝山寺からケーブル沿いに登る。

 
   駐車場から下界を見る。         宝山寺 鳥居

 
道標があった。 ケーブル沿いに階段道を登る。

 
   ケーブル山上線 梅屋敷駅   ケーブルの線路 誘導滑車がロープを挟んでいる。
ケーブルカーは滑車によって2台がつながっていて巻き上げ機で動かしている。
ケーブルカーの位置によって、ロープは1本又は2本になる。ロープは油でべとべとだった。

宝山寺から生駒山上までは山上線 生駒山上遊園地開設に合わせ1929(昭和4年)に開業
(鳥居前駅から宝山寺駅までは宝山寺線 1918年(大正7年 日本初のケーブルカーとして開業)
歩行者用踏切を渡って「霞ヶ丘駅」 駅舎はなく段々のプラットホームだけ。


プラットホームの階段に座っておにぎりを食べた。40分毎なのでケーブルが来る心配はない。

 
   出発して、山道に入る。           五辻

 
 ナラ枯れ調査のラベルを貼った木が所々にあった。
                     右)旧鶴林寺 鳥居を下る。
旧鶴林寺
苔むした由緒書きがあるが・・よくわからない。
707年 天武朝の頃、役の行者によって開基された。
日本最古の霊場で、修験道の行場であったらしい。

今は山を下ったところに移転した。?

 
     行場 薬師の滝           旧鶴林寺

 
        旧鶴林寺 人気のない山の中 堂跡らしい広場

 
        ヤマルリソウがたくさん咲いていた。

ここから戻り、もうひと登り、生駒山山頂へ。

 
生駒山上遊園地はコロナウィルスの関係で臨時休業中だった。
   右)懐かしい飛行塔の写真 「日本最古の遊具として昭和4年3月に開設された」

 
ケーブル山上駅に到着したケーブルカー「ドレミ」
  右)「ドレミ」が出発後、下の方を見ていると、すれ違う「ドレミ」と「スイート」が見れた。

私たちは歩いて宝山寺まで下った。

 
     途中の丁石          宝山寺 石仏の並んだ階段

 
  岩壁に般若窟

 
  「聖天堂」の重なった屋根 上から見るとすごい。(観音堂は間違いでした)


     宝山寺本堂
聖天堂と本堂にお参りして駐車場へ戻った。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月20日うちの庭 トウダイグサ ハヤトウリ植える

2020年03月20日 | Weblog

今満開なのはトウダイグサ。

 
満開・・といっても地味。パッと見、花のようなのは葉や苞葉。
よく見ると苞葉の中に丸い子房(先に雌しべ花柱3)と蜜腺(4)と黄色い雄しべ が見える。


紙包みの中で芽を出していたハヤトウリを土に植えた。
大丈夫かな?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月19日 橿原神宮から甘樫丘周辺 ナルトサワギク カワラヨモギ コスミレ カワゲラの仲間 ルリシジミ 

2020年03月19日 | Weblog

暇なので散歩に出かけよう。
橿原神宮から甘樫丘へ。違う道を歩いてみよう。
そう思って、丈六交差点から南にしばらく歩いて東に入る。

住宅地を時に曲がったり、気の向くままに・・。

東の丘に寺が見えたので行ってみようと小規模宅地造成地の中を曲がったが、突き当りで行けずに戻る。

 
整地された宅地の中に、ナルトサワギクの大株が目についた。
あらあらこんなところに・・広がらないうちに抜こうと引っ張ってみたがしっかり根を張って手に負えない。
そして全体を見てみると、あっちにもこっちにも・・
                 右)近くにはカワラヨモギまで生えていた。


どこか川の土が運ばれたのか。ナルトサワギクもカワラヨモギも点々と生えていた。

ナルトサワギクはこの辺でも時々目にするようになったが、カワラヨモギは見かけない。
淀川河川敷にはたくさんある。吉野では見たことがある。
こんな風にしてだんだんいろんなものが入ってくるんだなあ。

面白い道もなく、孝元天皇陵の近くに出た。

 
孝元天皇剣池嶋上陵 幾重かに折れた階段を登る。 
  右)途中に落ちていたオガタマノキの花弁 上を見ても枝が重なってどれだかわからない。
ヒサカキの高木もあった。花が咲いていた。


御陵は特段変わったところもないが、前の庭にはきれいな箒目が付けられていた。

下る途中、吹き飛ばし掃除機で階段を掃除しておられた。
たいした枯れ葉もゴミもないのに、ご苦労さんなことだ。
手入れが行き届いているが、人件費がだいぶかかってるなあ。

山すそから甘樫丘へ。
階段を下って芝生広場。親子やグループが遊んでいた。

 
          ちょうどアマナが開花中。


ネコヤナギにトビケラの仲間

 
花壇には色鮮やかなポピーと菜の花 カメラを構えている人も何人もいる。

公園から離れて飛鳥川沿いを南へ。

 
山に変なコブの木が見えた。見に行くために斜面をよいしょとよじ登ったら・・
     右)目の前のアラカシの葉にルリシジミの雌 きれい! うれしい偶然の出会い。
結局、大きいコブは石ではなかったが、どうなっているのかよくわからなかった。 


「川原寺の寺域 北限施設」のあった所。
発掘調査で川原寺の北面の大垣 や掘立柱の建物群 瓦窯跡 鋳造遺構 寺院工房など・・
川原寺の創建当時から平安時代頃まで、ここで川原寺の創建や営繕に必要な資材や仏具等等が。造られていたらしい。

さて、このまま川原寺の方に歩こうか・・と思ったが、右に登る道があったので行ってみる。
 
       少し上って、切通道を下ったら果樹園 


コスミレが咲いていた。なお下ると甘樫丘の前の道路に下りた。
ここにつながっていたのかあ。歩いたことのない道だったので、これはこれで収穫あり。

飛鳥川に沿って歩き、甘樫丘展望台へ。

 
  展望台から景色        桜は蕾の先にピンクが見え始めていた。もうすぐ咲きそう。


セントウソウ 小さくてかわいい花

下って、ちょうど来たバスに乗った。暑いぐらいの日だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする