みどりの野原

野原の便り

11月30日 大福~桜井 大津皇子の悲劇  吉備 春日神社 磐余池推定地 みずし観音妙楽寺 石寸山口神社 戒重 春日神社 

2021年11月30日 | Weblog

大津皇子の悲劇の地などを訪ねてウォーク。

神武天皇ゆかりの地に建てられた、神武天皇 磐余邑 聖跡顕彰碑を見る。
神武天皇東征に至る聖跡とされる「磐余邑」の地に、紀元2600年奉祝事業として建てられたらしい。


吉備 春日神社 


境内に建つ 大津皇子の辞世の歌碑
「金烏臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向」

他の皇子と共に天武天皇を支えていた大津皇子。
皇位継承をめぐり、謀反の疑いがかかり、「磐余」にあったと言われる「訳語田(おさだ)」の自邸で死を賜る。
歌には無念の気持ちがにじみ出ている。

奥に大津皇子の磐座があったらしいが見なかった。
初めから失敗。


そばにある吉備池 磐余の池とは時代も違う江戸時代に作られた農業溜池。
池の東?の方では百済大寺の可能性もあるという巨大寺院の跡が出土した。

吉備池の堤には、大津皇子の辞世の歌碑 皇子の死を悲しんだ大伯(来)皇女の歌碑が建つ。 


大津皇子の歌碑
「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ」


大伯(来)皇女の歌碑 遠くに二上山を望む。
「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟背とわが見む」
大伯(来)皇女は同母(太田皇女)で姉


説明板があるところから見た「池之内遺跡(磐余池推定地)」
発掘で人工の堤跡やそばに建物跡なども見つかっているとか。
このあたりには「池尻」「池之内」といった池に関係する地名が残る。
広い平地を見ているとここがその磐余池であったのかと思えるが「桜井市谷 若桜神社西側」の説もあるそうだ。

用明天皇の皇居 「池辺双槻宮」も池之内付近にあったとの説がある。

「みずし観音 妙楽寺」へ。
ここからも広い平地が見え、入江泰吉氏揮毫の万葉歌碑「ももづたふ・・」が建つ。


みずし観音 紅葉


社務所前のソテツ


吉備真備が、遣唐使として出発する際、ご加護を祈って出発
無事に帰還できたことを喜んで観音堂を創建させたのが始まりという。

本尊十一面観音菩薩は1願成就の観世音と言われる。
ぼけ除け地蔵もあってもちろんお願い。

桜井方面へ。


坂を登って、「石寸(いわれ)山口神社」
先に行った「池之内付近」とともに、ここも「用明天皇 磐余双槻宮」の跡地の説がある。
関連する 厩戸皇子の宮 などとの位置関係で、説が異なるらしい。

下って・・


桜井市仁王堂 小西橋東詰め 
ここから西へは、日本最古の官道 横大路 が始まり、東へは初瀬・伊勢への街道が続く。


春日神社(桜井市戒重)
ここが大津皇子が24歳で死を賜った「訳語田(おさだ)幸玉宮」の推定値。
妃 山辺皇女は、大津の賜死を聞き、素足で髪振り乱して駆けつけ殉死したという。

 
   イヌマキ大木       ムクノキ大木
この大木もまだここにない頃の悲劇である。

「磐余池」「用明天皇 磐余池双槻宮」大津皇子の邸宅となっていた「訳語田双槻宮」・・・
わからないことが多い。

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11月29日 天理市長柄周辺 大和神社 咳乃地蔵尊 白提神社 狛犬は逆立ち子犬連れ 

2021年11月29日 | Weblog

大和神社(おおやまとじんじゃ)から長柄周辺を歩いた。


通りかかった公園のトウカエデの紅葉

大和神社(おおやまとじんじゃ)
日本大国玉大神を祀る。
参道に、檜皮を剥いだヒノキの赤い木肌が目立った。


ムクロジの黄葉 


好去好来の碑 
「好去」とは別れの挨拶 さようなら。「好来」とはご無事でご帰還を。の意味だという。

そばに、山上憶良の長歌・反歌の万葉歌碑があった。
遣唐使として旅立つ人たちもここで道中の船旅の安全祈願をされたとか。
戦中は戦艦大和の守護神とされた。


素戔嗚神社のイチョウ 雌株


向こうの木立が気になって、草紅葉の中を行ってみた。


太いイヌマキ 他に何もなかったが、昔は何かあったところかも。


咳乃地蔵尊 子供の咳にご利益があるそうな。
昔は泥団子を供えて祈願し、満願の時には飴を供えたそうだ。


中央の大きい石がお地蔵さまかと覗いてみたが・・
「南無阿弥陀仏」と彫られている。
昔は、旧奈良・初瀬街道にあり旅人の守り地蔵として「六字(南無阿弥陀仏)の名号さん」として信仰されていたという説もある。
昭和5年に現在地に移転。(説明板による)


長柄新池公園で池を見ながらお昼。
ここでたくさん水鳥が見えたら最高だけど・・
カイツブリが5羽とダイサギ 岸でミシシッピアカミミガメが甲羅干し。

近くに1段低い池があったが水を抜いてあった。


向こう岸の高い木の上のダイサギとアオサギ 見晴らしよさそう。

ちょっと遠くのこんもり繁った森を目指して歩く。


白堤神社(「しろつつみじんじゃ」 とも 「しろとりじんじゃ」とも)
祭神は「日本武尊」もしくは「大熊命」とする説、「天櫛玉命」とするものもある。


白堤神社 参道 


拝殿前の狛犬 吽形は子連れ
よく見ると、子犬は逆立ちしている。珍しい。初めて見た。


向かって右のあ形の狛犬は、毬を抑えた普通のもの。

もともとの鎮座地は、現在地の南西約300mほどのところで。
後に、ここへ遷座したものらしい。
旧地には碑が建っているらしいが、知らなかったので見ていない。

通りかかった老田池 細かくネットが張られて、水鳥の姿はない。


まわりこんだところで池の中を見ると、赤いものが・・
金魚?コイの稚魚? あちこち群れをなして泳いでいた。
稚魚が集まって輪になっているところがあった。ぐるぐるぐる・・
輪が乱れたと思ったら、そばの小さい群れと合流して、また輪になったり。
見てても飽きない。
ハシビロガモのように群れで餌をとりやすくしているのかな?

行き当たりばったりの長柄周辺ウォーキング


今日のお土産は・・ボンネットに鳥の糞 ポタポタポタと大中小。あらら・・

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11月27日 曽我川周辺 散歩 クコの実 シャクチリソバの実 太玉命神社 トベラの果実

2021年11月27日 | Weblog

曽我川沿いに南へ。


ヒラタアブの仲間 似たようなのがあり種名はわかりません。


クコの赤い実がついていた。
川のそばにクコはたくさんあるのだが、ある程度木が大きくならないと果実はできないようだ。
これは、他の木にもたれかかって背丈ほどあった。


私の散歩コースも京奈和自動車道の工事でどう変わるのやら。


アレチウリ 果実は長い棘で武装。
本来の生育地ではこんなにして身を守る必要があったのかな?


花は終わったシャクチリソバ 三角形の果実ができていた。


豊津橋 西詰 太玉社の石碑と庚申の石碑
太玉社は帰りに行ってみよう。


国道のイチョウ並木 枝にギンナンが残ったイチョウ


すごく切れ込みの深いイチョウの葉がたくさん落ちていた。
これほど切れ込みが深いのはあまり見たことがない。


向こう側のイチョウは伸び伸びと枝を伸ばしている。
切れ込み葉が落ちていた手前側の木は枝を伐られていた。そのせいかも。
黄葉した木もまだ青い木も、伐られた木は深い切れ込みの葉を付けていた。


天太玉命神社 主祭神は天太玉命 
古代氏族の忌部氏の祖神を祀っているらしい(ネット)


境内は大木に覆われている。


ムクロジの大木


板根の発達したムクノキ

他にもクスノキ エノキなどの大木もあった。


帰り道 天高市神社の周りを歩いた。
今日は参拝なし。次回はお参りしよう。


トベラ 果実が割れて、赤い種子が出ているのもあった。

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11月26日 日本書紀講座

2021年11月26日 | Weblog

天武天皇7年(678年)
4月 天皇が斎宮に出発する行列が動き始めようとした時、十市皇女が突然の病で宮中で亡くなり、行幸は中止となる。
赤穂の地(諸説)に葬られた。 
天皇は声をあげて泣かれたそうだ。
私がドキドキしたのは、十市皇女の死に何か事件性があったのか、それについて何か記述があるのかと思ったのだが、詳しくは書かれていなかった。

9月 忍海造能摩呂が、「瑞稲」(珍しい稲)を献上し、これにより罪人に恩赦があった。

10月 綿のようなもの(長さ5・6尺 広さ7.8寸)が難波に降って、松原や葦原にも翻った。
時の人は「甘露だ」と言ったとか。 何だろうか?
「甘露」は天子の徳が高く、天地が調和すると天から降るめでたいものと言われる。 

珍しくめでたいものとして「瑞稲」の前にも「白鵄」「瑞鶏」「赤鳥」などが今までに出てきた。
そういう「吉祥のしるし」を見た時には報告して、認められれば、褒賞もあるという。

「5瑞」白鹿 甘露 木連理 黄龍? 喜千(稲?)は 吉祥のしるし(瑞相)とされた。

また、官人の勤務評定をして、昇進や降格を審議せよと詔があった。
重病や親の喪でもないのに公事を欠席したら「階を進めない」など・・細かい。

地震や嵐の記述も。
「地震の地すべりで家が壊れないまま下方に滑りおち、家の人が朝、起きてびっくり」なんて、うっそ~、と思うようなことも記されている。

天武天皇8年(679年)
正月 拝賀の礼は高位の人だけ。身分の低い人は拝賀できない。

亡くなった人の身分によって「薨(親王級 三位以上)」「卒(5位以上皇親)」「死(6位以下 庶人」など言葉の使い分けもされる。
死にさえ身分制度が付いてくるのか~。

知らないことが多く、へ~と面白く思うことがある。ちょっとわからないままのこともある。😢

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11月25日 戒長寺 龍王ヶ淵 オオマリコケムシ (休芽の写真入れ替えました) 葛神社 濡れ地蔵 

2021年11月25日 | Weblog

榛原方面。

①戒長寺

 
戒長寺へ。石段登る。


境内は黄色の絨毯を敷き詰めたよう。


戒長寺 本堂 
住職さんが、イチョウの落ち葉の上に落ちたスギの葉を1つ1つ拾って除けておられた。
落ち葉の景色も大切にされている。やたら踏み荒らさないようにしましょう。


県の天然記念物の「お葉つきイチョウ」 幹周り約4m、高さ約30mの巨木。
一面の金色、きれいだった。

お葉つきイチョウは見つけられなかったが、縁がちょっといびつに膨らんだオハツキイチョウになりかけのような葉が落ちていた。


同じ境内の戒場神社のそばにある「ホオノキの巨樹」
これも奈良県の天然記念物。樹齢は300年以上。
古木の根元はごっつい。
先は傷んで伐られていが、株から出た2世に期待。

下りは坂道で下りる。


ウメモドキ


クロモジ 黄葉

②龍王ヶ淵へ。


龍王ヶ淵そばにある堀越神社 豊玉姫命を祀っているそうだ。 

龍王ヶ淵

山に囲まれた自然の池。数回来ている。
少し前にテレビで放映されたので、人が多いかなと思っていたが、車が1台あるだけで人は見えず。静か。

 


水に映り込んだ山の紅葉


ヨシの繁る散策路を1周


遠くに水鳥 後で少し近くで見て ハシビロガモと判明
1羽だけでぐるぐると回って採餌中だった。
鳥はこのハシビロガモとカイツブリらしいのが1羽いただけ。


サンショウモがあった。在来種か外来種かは不明。

今回も「オオマリコケムシ」を見つけた。

オオマリコケムシとは
『外肛動物 オオマリコケムシ科の一種 池や沼などの淡水に棲み、寒天質を分泌して巨大な群体を形成する。
北米原産の外来種』(ネットなどから)
在来種のコケムシもいるらしいが、ここのは外来種ではないかと思っているが・・。

オオマリコケムシを見るのは4回目です。
1 だいぶ昔、京都の深泥池で初めてオオマリコケムシを見た。大分昔のことだが、インパクトは大きかった。
2 2017年8月 龍王ヶ淵で、ボール状で寒天状の塊を発見。
3 2018年7月、くろんど池にもあった。
4 今回 龍王ヶ淵で見るのは2度目。


水の中のオオマリコケムシの群体 ボール状のもの


ドーナツ状のが何個かあった。直径30㎝ほどあった。

岸辺に寄せて、帰ってからよく見ようと一部を採取。


今回持って帰ったもの。
夏に見たような全体の模様(下に写真あり)は見えず、寒天の中に細かい粒が少しある程度。緑色は藻
『冬季には低温によって表面の個虫が死滅し、ただの寒天質の塊になってしまう』というので、季節的なものかも?

 
容器の中にあった粒々(休芽)  別の休芽の画像を切り取り。周りに触手が見えた。 
「休芽」はこの状態で越冬するという。


2017年8月5日 初めて龍王ヶ淵で見たオオマリコケムシ
表面の模様から「群体」という感じがわかる。


2017年8月5日 接写で拡大した”群体の模様” この模様の1つ1つが個虫なのか?
所々に見える丸い粒は休芽のよう。


2017年8月5日 水中の枝に付いたのもあった。


2018年7月2日 くろんど池で見たオオマリコケムシ。
これも模様がよくわかる。

今回は11月という季節もあり、夏に見たのとはかなり見かけが違った。
気温が低くなって子虫は死滅した? 群体の模様もなく、ただの寒天のようだった。
休芽のような粒はたくさんあった。

写真を送った娘たちは「気持ちわりー」との感想。
「何なの?」と尋ねられても簡単に説明できない。
私もよく理解できてない・・変なもの。それがまた面白い。

③葛神社

葛神社 鳥居の内側にカヤノキ


葉や種子が落ちていた。


神社は上の方にある。


葛神社の前 みやはし 紅葉と橋の苔の緑

④濡れ地蔵


濡れ地蔵に続く参道もダムの水量の多い時には半分水中に没する。


濡れ地蔵は参道からコンクリートの飛び石を渡った所にある。


濡れ地蔵 旧伊勢街道に面して立つ。
ダム湖に沈む時期があることから「濡れ地蔵」と言われるようになったものらしい。・・と書いたのは間違いで、
「古くは、背後の山から水を引いてこの地蔵菩薩に注いでいたから」というのが正しいです。
ダムは近年です。失礼しました。

これで今日の予定終了

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11月24日 曽我川を磐余~曽根寺橋~堤防下 ウォーキング

2021年11月24日 | Weblog

歯医者のついでにウォーキング


磐余橋から曽我川下流を見る。


堤防にはクコが多い。後は荒地の枯れ野


西に金剛・葛城・二上山

遮るものなく、風がむちゃくちゃ強い。
堤防の風上側を歩かないと飛ばされそうなほど。


オギの枯れ穂


遠くに見える曽根寺橋(広陵町百済)までもう少し。
堤防の道はまだ本格的に開通してないので、めったに人に合わないのだが、今日は後ろからウォーキングの女性が・・
こんにちは~。と声をかけてずんずん先へ。早い!
私も速足で歩いているつもりなのにぐんぐん差が開いて行く。
コンパスの長さの違いだ。

曽根寺橋からは反対側の堤防を少し歩き、堤防下の道へ。


風当たりはだいぶ違う。


池があったが、水鳥の姿がないなあと思ったら・・


しっかりと防鳥ネット。


でも、負けずに池の端に水鳥が見えた。
風が強くてうまく撮れない。

水路を覗きながら歩いたが、今日はスッポンはいなかった。

よく歩いたつもりが、1時間半ぐらい。買い物をして昼前には帰宅。
風は冷たかったが、汗ばむぐらいだった。

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11月21日 万葉講座 

2021年11月21日 | Weblog

7月以来の講座参加

*天平8年(736年)、新羅に派遣された公式の使節「遣新羅使」

万葉集、巻15には「遣新羅使人」の歌が納められている。
6月、難波津を出発。瀬戸内の港へ寄港・停泊しながらの船旅。 

今回は周防の国「麻里布の浦」に到着したあたりから。
伊波比島(祝島)~大島の鳴門~熊毛の浦へと進む。

家で待つ妻が恋しい。無事を祈りながら待っているだろうなあ。
この景色を見せてやりたいなあ。・・

佐婆(周防)の海で嵐に遭い漂流。なすすべもなく漂う。
1晩経ってやっと順風が吹き、分間の浦(豊前)に到着。しばらく滞留。
心配しているだろう妻の夢を見る。

志賀浦(筑前)~韓亭(からとまり)で3泊

半年後には帰国予定だったが、大幅に遅れている。

夜空を見上げては、月であったなら家にいる妻のもとに行けるのに。
波が立たない日があっても妻を思わない日はない。

望郷の念・妻恋しさが募る。家で待つ奥さんも無事を祈るしかないのだ。

いつになったら新羅に到着するのやら・・いつになったら帰れるのか・・

*11月の歌は巻9の高橋虫麻呂の歌。
その中で「橿の実の ひとりか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく」

「樫」は殻斗の中に実が一つ。そこから「一人」に係る枕詞となっているそうだ。
樫に対し、「栗」は実が3つあるので「みつぐりの」・・と、複数を表わされるという。

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1月19日 ② 部分月食(ほぼ皆既) 昨日に続く天体ショー

2021年11月19日 | Weblog

昨日は「きぼう 国際宇宙ステーション(ISS)がみえるよー」とのラインで、空を見上げた。
午後5時54分頃、南の方から木星の横を通り、月の横を通ってスーッと動いて行く姿が良く見えた。
肉眼で見えるぐらいだから、ずいぶん大きいものらしい。

続いて、今日は「ほぼ皆既月食」が見られるという。
2日続きの夜の空・・

午後6時15分頃  東の空に・・見えた。
「デジカメで撮れるで」と息子が言うのでデジカメを預ける。






3枚目は超望遠で撮った。 露出の加減かやや明るく写っている。

暗い夜空で暗い月。
撮れるかなあ?と思ったがきれいに撮れてびっくり。
私のデジカメが良かったのか? 撮影者の腕が良かったのか?

夜遅くに見たらまん丸満月が光っていた。

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11月19日 ① 飛鳥駅~朝風峠~石舞台 ヒヨドリジョウゴ ソクズ ヒガンバナの葉 紅葉 ジャンボ案山子は大谷選手

2021年11月19日 | Weblog

飛鳥駅から、しばらく行ってない朝風峠へ行こうと思った。
いつもの道を外れて、歩いたことのない道へ曲がってしばらく行ったが、行き止まりで戻り・・
懲りずにまた三叉路で反対側に行ってみたり・・うまく抜けられた・・
・・と、朝風峠手前までは、ミニ探検

稲渕から帰りはまっすぐに石舞台へ。
バス停で、そばに座っていた方からおミカン1個いただいた。


フユイチゴ もっとありそうなのに、ここだけしかなかった。


平田あたりはミカンの産地。鈴なりのミカンの木


ここを行けばどこにでるのかな?

しばらく坂を登ると・・知った所に出た。


ノアザミ この頃は年中咲いてます。


イヌマキの繁みを覗いたら、胎生種子(樹上で発芽)発見。


八坂神社
下の道はよくとおっていたが、境内に上ってくるのは初めてだ。

朝風峠への道で・・


高いところに色づいたカラスウリがたくさんぶら下がっていた。


ヤツデ 両性花が咲き始め。雄期の花や雌期の花
花の少ないこの時期、ヤツデは昆虫たちにモテモテ。


ソクズ 果実と思ったのは腺体だ。果実はもう落ちてしまったようだ。


ヒノキ林を登ってしばらくすると朝風峠 向こうは稲渕
本当の峠はもう少し山の中にあると聞いた。

峠を出たところでお弁当


モミジとトウカエデの紅葉を独り占め。モミジはまだ散ってない。


トウカエデ 枝の上も、落葉もきれいだった。


この斜面には、白いヒガンバナ 黄色いヒガンバナが咲いていたような・・
ヒガンバナとは思えない大きい葉が広がっている。


これは、案山子ロードにある普通のヒガンバナの葉


葉を比べてみる。
普通のヒガンバナの葉は、幅0.8㎝ぐらい。
白?黄?のヒガンバナの葉は幅2.5~2.7㎝もある。
3倍以上の幅がある。


アカタテハ


棚田に稲藁が干してある。この辺では「ススキ」というが、語源は何?
全国各地ではそれぞれの稲藁の干し方があり、名前もいろいろあることだろう。
見てみたいな。

棚田は年々獣除け対策が厳重になっている。
トタン板を並べたのが目立った。


案山子ロードのジャンボ案山子 メジャ-リーグの二刀流 大谷翔平選手 
右手にボール 左手にバットを持つ。
折しも、アメリカン・リーグ MVPに満票で選出されたというニュース。
元気をもらうなあ。


シシウドの花


シシウドの若い果実はこんなにきれいだったんだ。感動。


ヒヨドリジョウゴ 赤い実 うれしいなあ。


近くの山も色づいてきた。


祝戸の山


石舞台公園のメタセコイアの紅葉


今日のお土産は・・ジュズダマ どうしようかな??

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11月18日 子部神社 2社 タコノアシ   国際宇宙ステーション(ISS)はっきり見えたよ。

2021年11月18日 | Weblog

久しぶりに子部神社まで、遠回りでウォーキング

子部神社は2社ある。どちらも祭神は「小子部命(ちいさこべのみこと)」


「蜾贏(スガル)神社」 簡素な拝殿 
「子部神社」とも「軒の宮」とも言われる。


コンパクトな本殿
説明板によると『雄略天皇に蚕を集めるように命じられ、「蚕(コとも読む)」を間違えて「子」を集めてきたスガル。
天皇に「その子供らを自分で養え」と言われ育てたという。
これにより「少子部連」の姓を賜った』
この神社はスガルに育てられた人がお祀りしたと言われ、今もスガルの子孫である氏子9家の人々のみによって祭祀が行われているという。

だいぶ前、一番最初に来た時は、探し回ってうろうろ歩き回った。
ちょっとわかりにくい場所にある。


拝殿は新しそうだが、前にある大きい切株で神社の年代が古いことがわかる。


クスノキの2代目が育っている。
この古株の大きさになるには何年かかるのか。

すぐ近くにあるもう一つの「子部神社」へ。


子部神社 ここは道のそばにありわかりやすい。
ここも祭神は「小子部命」

ここの狛犬は可愛くて好き。

 
口は閉じているが口角が上がった吽像  阿像は大笑い。 楽しい~。


すぐ隣に 重文 瑞花院本堂(瑞花院 吉楽寺(きちらくじ))の大屋根がある。
前側の瓦の古色が貫禄


そばの公園から見た本堂の屋根。 公園からが一番見やすい。
1443年(嘉吉3)の棟木(むなぎ)銘があり、建立年代が明らか。
修理の際、「どんぐりの大きさのヒョウが降った」などの落書き刻銘瓦が多数見つかっている。

今日は回らなかったが、正面に入る角に刻銘瓦の文字が書かれた石柱がある。

もう実っているはずのタコノアシ。


草むらの端にあった。右の草地は広く草が刈られている。
草刈りが続くとタコノアシは消える。
(埋土種子になって環境が整えば又復活すると思うが)

よく枯れて、ゆすると果実からは粉のような細かい種子がでた。

この向かい側にたくさんあったタコノアシは道のそばで、草刈りされて、その奥の枯れたコセンダングサの群落の中にわずかに1本あっただけ。

他の所も行ってみたが、全く無くなってしまった所も。


ここもあぜ道沿いは草刈りされている。
小さいのはかなりあるが、何年か草刈りが続くと消えてしまうだろうな。

帰り道


シロバナタンポポ


車道沿いにナルトサワギク


ヤシの仲間 果実ができていた。


近くの神社 きれいに色づいたイチョウとモミジ


エノキの古木も黄葉 落ち葉に混じってオレンジ色の果実も落ちていた。

13000歩ほど歩いた。

夜、きぼう 国際宇宙ステーション(ISS)はっきり見えた。
写真は撮らなかったが。
大阪 南東とのとこだったが、17:54頃、真南の方から 木星の横を通り、月の横を通り、東?東北の方へ。

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