みどりの野原

野原の便り

12月31日曽我神社(宗我坐宗我都比古神社)

2007年12月31日 | Weblog
深夜、曽我神社(式内大社 宗我坐宗我都比古神社(そがにいます
そがつひこじんじゃ))に初詣
風があって寒い。


式内大社 宗我坐宗我都比古神社(撮影は別の日)

ご近所なので普段はなにげなく前をとおっているが、蘇我馬子が
先祖を祀るために創建したといわれる。氏神様でもある。
古い由緒の神社で、周りは鬱蒼とした鎮守の森だったが、10年ぐ
らい前の台風19号で神社の森は壊滅してかんからかんのスケスケ
になってしまって、ちょっと貫禄がなくなったように感じる。

本殿には被害はなく、鳥居やエノキの古木も残った。


エノキ(撮影は別の日)

参詣の近所の人々が三々五々焚火の回りに集まってくる。
正月は普段とは違った神社の雰囲気がある。

お神酒もよばれ、長寿箸をいただいて帰り道、空を見上げると、
オリオン座や北斗七星が瞬いていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月30日 悲しい「ネズミ」

2007年12月30日 | Weblog
やっと大掃除も済んだぞ~。

各部屋と台所の換気扇全部とコンロとブラインドは子供が昨日済
ませた。
風呂とトイレは今日夫が済ませた。
私は他のこまごまとした所と全体。
庭と前の溝も今日終わった。あーしんど~。

正月飾りも全部出した。

正月飾りは少しずつ増えるので飾りきれないぐらいある。

その中で来年の干支の「ネズミの飾り」あったかな?
出してみると12年間眠っていたネズミ飾りは3つあった。
他の干支飾りはもっとあるのでネズミは少ない。

その1つ
それは12年前に送られてきた。
小さなダンボール箱の蓋には「そっと開けてね」と書いてあった。


開けると紙パッキングが入っていた。

 
そっと開けると「ネズミ」 「かわいい~」

一年間飾った。12年前のネズミ年のこと。

送ってくれた人は池田市の私よりは少し年上の女性で、池田市緑の
センターであったボタニカルアートの2回の講習で知り合った人だ。

スミレの花を入れたケーキや果実酒を作ったり、アイデアあふれる
自然素材のクラフトも作っておられる方で、親しくなって五月山を
案内してもらったり、その後も数回会って、その頃にプレゼントさ
れたものだ。

その後は年賀状だけの付き合いとなっていたが、その人は毎年キノ
コのペン画(ペンの点描画)と家族のこと等を書いてこられた。

いつそれが途絶えたか?ちょっと覚えていないが(4,5年ぐらい前?)
どちらかが喪中か何かだったんだろうか?

そして、去年、市民大学で池田に何回か通った時、ふとどうして
おられるかな?と思い出した。

電話番号もわかる。前、お母様の看病があると言っておられたので、
忙しいかも知れないけど、もし都合がつけば会いたいなと思った。

そして電話をかけた。
本人さんの声。写真は一緒にとってないけど、私はお顔も覚えている。

「○○です」と名乗った。が、ピンと来ない様子。
しばらくご無沙汰しているもんな。と共通の話題を出した。
それでも思い出してもらえない。
そして「ネズミ」のクラフトをもらったことも言ってみたが、
「ちょっとわかりません」という返事。

どうしたんだろう?あんなことこんなこといろいろ思い出すのに、
反応なし。

仕方ない。ついにあきらめて電話を切った。

一緒に五月山の公園のあたりを歩いて、真っ赤に色づいたサンシュ
ユの前で果実酒にするときれいな色になることなどを教えてもらい、
1つ実をちぎって持ち帰り庭に播いた。

それも忘れていたが、何年か後、見慣れない木が出ているのに気づ
いた。
それから又何年か後、葉をよく見るとサンシュユだった。
あの時の・・・

そして場所を移され、やっと花が2つ3つ咲いた。
が、場所が悪いのか木は年々太くなっていくのに花が一向に増えず、
葉ばかり繁る。

狭い庭で邪魔になってきた。
直径7センチぐらいはあったと思う、根も広がっていて難儀してシャ
ベルで抜き取ったのだった。

1粒の種から育った木。私の都合で捨ててしまった木。
今回その人が思い出してくれなかったのはそれと関係あるかな?と
ちょっと悲しくなった。

またネズミ年が来る。送ってもらった姿そのままで今年も我が家を飾
ってくれている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月29日 墓参りついでに 小綱池

2007年12月29日 | Weblog
「墓参り」の帰り「スーパーへ買い物」の前に、ちょっと寄り道。

長谷街道から「大日如来 普賢寺」 と書かれた古い石碑のと
ころを入る。ここを通るのははじめて。

  
大日如来 普賢寺の石碑    昔なつかしい風景

5分ほど歩くと池のところへ出た。

「小綱池」この池がそういう名前だとは帰ってから地図を見て
はじめて知った。
ここは小綱町(しょうこちょう)

いつも通る帰り道、今井町の端を抜けて長谷街道へ出る途中に
一瞬水面が見える。
後ろに車がない時は徐行すると水鳥がいるのも見えるが、車を
止める場所がないのでいつも通り過ぎる。
でも前に1回歩いて行った時、ちょうどカワセミが枝から水面へ
何度もダイブして魚を捕まえるのを見た。

今日はどうかな?
先ず池の角の道じゃないところを登った。
今は草も枯れているのでなんとか登れる。


いるいる。マガモ・コガモ・カイツブリ


枯れ草の中で青々とした木 
何の木かと思えばオオブタクサ 木のように太い

この池は鳥にとっては住みやすいはず。
池の縁の水の中にも木(ヤナギの仲間?)など生え、
土手にはセイタカヨシ・オオブタクサ・カナムグラ・セイタカ
アワダチソウなどが繁っていて怖い人間が近づかない。

土手への道は1本細いのがあるだけ。そこを登って土手へ出た。

バタバタバタ・・・「あっごめん!」土手の下で休んでいた鳥を
脅かしてしまった。
私も怖い人間の一人だということを忘れていた。

前にカワセミがいた枝あたりを見たが、柳の下にドジョウはいな
かった。

種類はさっきの3種類だけだったが、35羽ぐらいいた。

おっと、買い物買い物
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月28日 ついでに大阪城公園 散歩

2007年12月28日 | Weblog
ここ数日、主婦していてちょっと運動不足なので、森ノ宮に
用があって出かけたついでに1つ向こうの大阪城公園駅から
森ノ宮まで1駅分歩いた。

葉を落とした木の足元は茶色いマットを敷いたよう。
アキニレやナンキンハゼは実がわずかに残っていた。
森ノ宮への近道のグラウンドを通り抜け、お堀端へ出た。


     天守閣

今にも降りそうな どんより空、水鳥はいるかな?
石垣沿いに姿が見えた。

マガモ(晴れた日のあの輝きはない)・カルガモ・コガモ
(黄色い三角と緑の羽が見えた)・カワウ・カイツブリ・
キンクロハジロが1羽   あわせて10数羽。


メタセコイア越しに 西の丸? 


       イブキが黒々と
イブキの影にはブルーシートの小屋がいくつもあった。
この寒空に・・・あたりはひっそりと静まっていた。

1駅はあっという間 ゆっくり歩いたのに30分ほどで着いて
しまった。

散歩にもならない距離だった。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月23日 ミニ門松作り イベント

2007年12月23日 | Weblog
年末イベント第2弾

午前午後あわせて80人ほどの方が参加された。

「細い竹は皆さんに切っていただきます」と説明があった時
「エエ~ッ」と声が上がった。
材料みんな揃えてくれてると思ったかな?

出来ることはしたほうがいいよね。

私は他の用と重なって準備会には来れなかったけど、スタッフ6人で
100本以上の太い竹(鉢にする竹)をノコギリで切って準備したそうだ。
腕がパンパンになったと言ってた。

みなさんもがんばりました。


3本の細い竹を切る。斜めに切るのがむつかしい。
お天気が良くなってよかった。

 


お父さんと・お母さんと子供たち いい風景ですね。

後は、竹筒に3本の竹と土を入れ、紅白の葉牡丹を植え、松・熊笹・梅
の枝や南天の葉と実を挿し、竹筒に縄を結んで飾る。
シールを貼るとぐっと引き立つ。


 竹筒に組み合わせて植える

竹や棒にもシールをはさんで飾ると   出来上がり


      完成

昨日今日に続いて明日も参加で「正月準備は飛鳥のイベントで」と言っ
ておられた方もおられた。

明日の鏡餅つくりの準備のために、明日のスタッフがもち米を洗いに来
ておられた。
もち米をつけたバケツがたくさん並んでいた。

私は明日からは家の用事に励み?ます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月22日 しめ縄つくりイベント

2007年12月22日 | Weblog
年末恒例のイベントしめ縄つくり

事前研修は都合が悪くて参加できなかったが、去年のイベントも手伝ったし、
栢森の伝統行事「雌綱の架け替え」の時にシンボルの両脇に垂らす縄を私と
Tさんとで1本ずつ手伝ったし、覚えていると思う。

参加者は40名 セミナールームの中は満員だ。


      先ず半紙で御幣つくりから

次はワラ打ち。軒下でトントンと小槌でワラをたたいてワラしべを取り、ワラを
しなやかにし、シベを掃除してワラの準備完了
 
         ワラ打ち


親子・ご夫婦・友達同士 遠いところから来られた方も 

午前中は細いしめ縄を作る。

小さい1つのワラ束を3等分して、先ずそのうちの2つで縄をなう。
縒りをかけながら2つを組み合わす。
初めての人はこれがなかなか出来ない。

私も去年はそうだった。何回も聞いてやり直してやっと覚えたものだ。
小学生ぐらいの女の子は「竹とんぼみたいにするのよ」と教えてあげると、器用に
縄をなえたので私のほうがびっくり。全部自分で細いしめ縄を完成させた。
私はじめての時こんなにスムーズにはできなかったわ。

細い縄に垂れを3つ付けて、御幣・ウラジロ・葉付きミカンを取り付けて完成。


    リースのような輪飾り(飾りは自前)


遅れて来た人も何人かあったがまあお昼過ぎにはみんな完成した。

午後は太いしめ縄に挑戦
中に入れるアンコ(芯)作り。ワラの中に入れて太さをだすためのものだ。

1束のワラを3つに分け、1つのワラの中アンコを包み「藁苞納豆」のような形に
する。
それをねじって、もう1つの「藁苞」もねじりながら2つをねじ合わせ、先を止め
ておく。
残ったもう1つにもアンコを入れてねじりながら2本のところに巻きつけていくと
出来上がり。


          親子で

          夫婦で

太いしめ縄は立派だが、アンコが大きすぎるとはみ出してしまってうまくいかな
い。
スタッフはアドバイスしたり、ちょっとやって見せたり大忙し。


         完成間近

難しいけど「自分で作った」というのは最高の値打ち。
みんな帰るときには満足気に「ありがとう」と笑顔で帰っていかれた。
皆さんいいお正月を迎えられることでしょう。


        いいのが出来ました

「去年も来た」という人、「明日も来ます」という人もおられた。

今日はしめ縄つくり・明日はミニ門松つくり・明後日は鏡餅つくり
と続き、飛鳥でお正月準備は全部できます。
後は大掃除のみですね。(こればかりはイベントではやれません)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月19日 パソコン教室 &18日の記事追加お知らせ

2007年12月19日 | Weblog
18日の飛鳥の記事 最後のあたり追加しました。(コメントに反応して)

さて、パソコン教室2日目
全体仕上げ。 とはいうもののもたもた・・

なんとか出来たけど、結局はセンス・センス・・センス不足を感じるなあ。
でも知らなかった機能をいくつか習得できたのは収穫だった。

それで帰ってからもう1回やろうとしたら、同じツールがない?というのもあった。

それにワードアートも好きなところに好きな大きさで入れるのが難しい。
結局は何回もやってみないと仕方ないのかな?
慣れてる人教えてください。

終わってから、又娘と落ち合ってお茶と食事
「渋いとこ」と連れて行ってもらったのは、同じ第2ビルの中の喫茶店
前はラウンジかなにかだったような雰囲気のお店
広い店内は段差があり、中央にはテーブルとイスが丸く配置され、ちょっと変わっ
ているが落ち着いた感じ。飲み物のお値段も安かった。紅茶250円?(数字に弱い)

食事は通りがかった同じビルの韓国料理の店に入った。
おいしかった。 壁に「魔法のレストラン」だった? の「水野まき」「中尾彬」
さん他名前を聞いたことにある芸能人の色紙が飾ってあった。
(私、芸能関係も音痴です)

でもどこ歩いたかわかりません。(方向も音痴)
JR大阪駅まで送ってもらった。

なんか音痴だらけの私。まだあと2つ3つ・・いや5つ6つあるかなあ。
なんか落ち込んできたあ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月18日 飛鳥歴史サークル

2007年12月18日 | Weblog
「こんなところ初めて」「こんな道通ったことないわ」
飛鳥に住んだこともあるのに、今日の大半は知らないところ。
歴史サークルのベテラン部員さんにはいつも感心する。

狂心の渠(たぶれごころのみぞ)
飛鳥座神社のそばの水路、これは斉明天皇が作らせた大溝の跡で、
幅10m・深さ1.3m 香具山の麓から天理まで総延長1km
何万人もの人夫を使って運河をつくり、舟2百隻に石上山(天理)
の石を積み流れに沿って引かせ何万人もの人夫と時間を費やして宮
の東の山(酒舟石あたり)に石垣を作らせた。
人々はそれを非難して「狂心の渠」といったという。

今日のコースの何箇所かにこの渠の名残があった。
目の前の狭い水路からは想像しにくいが、かつての渠の大きさと
その様子を想像すると、なんと壮大なものだったことだろう。

高低差があるため上流へは運河のように堰を作ってだんだんに舟を
上げていったらしい。

  
     狂心の渠 名残1・2・3  これでは想像しにくいが
・・・

大伴夫人の墓
天武天皇の夫人(ぶにん) 夫人とはたんなる妻の意味ではないと
いうことを教えてもらった。
後宮の地位の順番を表す。位の高い方から皇后(きさき)・妃(みめ)
・夫人(ぶにん又はおおとじ)・嬪(みか)・采女(うねめ)・宮人
(みやびと)とあるそうだ。

主人が謀反を起こしたりした時、その地位によって責任の度合い?が
違ってくるとも聞いた。

竹田遺跡
去年発掘作業が行われていた何枚もの田んぼは見事に元の田んぼに
なり、収穫後の冬田になっていた。
今発掘している田んぼで技師の方にお話を聞くことができた。

今までには10棟ぐらいの建物跡が出土。去年は1辺1m近い柱穴が
見つかり皇族か高位高官の邸宅跡かと考えられている。
新田部皇子の邸宅?
墨書土器なども出土しているらしいので、整理が進めばもう少し
はっきりしてくるだろう。

八釣(やつり)マキト古墳 
八釣の村を登っていくと数基の古墳の石組みが復元されていた。
石が数個の直径1メートルにも満たないような子供の石室?もあった。
こんな小さい古墳ははじめて見た。
八釣マキト古墳は6・7世紀の古墳で尾根筋に年代順に作られていた。
馬具や耳飾なども出土したらしい。発掘当時には天上石はすでになく、
そのままの形で移築されたもの。


      八釣マキト1号墳
こんなところにこんな古墳があるのは全く知らなかった。

弘計皇子神社
ここもはじめて行った。
雄略天皇に父を殺害された弘計(をけ)皇子(弟)・億計(おけ)
皇太子(兄)の兄弟は逃げていたところから見つけだされ、それぞれ
後に23代顕宗天皇・24代仁賢天皇になる人だが、皇位争いで
親兄弟も殺し合いだまし合いの世にあって、この二人は仲良し兄弟
だったらしい。
先に兄が天皇になるところを譲り合って、弟が先に天皇になり、亡く
なった後、兄が天皇になっている。
皇位を譲り合っている間、叔母さんがしばらく代行したという。
めずらしくほのぼのとした話を聞けた。

山田寺跡
ずーっと前に来たときは狭い場所だったのに、今は広~い公園に
なっていた。
吹きさらしの公園で石碑を風よけにして弁当を食べた。


         山田寺跡の公園

山田寺は石川麻呂の発願で643年に金堂が完成したが、皇太子
暗殺の罪を着せられ、追われて逃げ込んだ山田寺の拝殿石の上で
妻子ら8人とともに自害したそうだ。(ひどい!)
その後冤罪が晴れて造営が続けられ、44年の歳月をかけて寺は
完成。

その後、興福寺金堂が消失した時、僧兵が山田寺の本尊を強奪
(なんてことを!)
復興した興福寺金堂に安置したが、再度の火災で本尊は頭部だけ
を残し焼けてしまった。
放置されていたものが発見され、波乱万丈のご本尊は「山田寺仏頭」
(白鳳期の国宝)として興福寺国宝館に安置されているという。
(やっと落ち着かれました)

壮大な規模の寺だったらしいが、土石流によって崩壊したそうだ。
今、東の山手を見ても土石流など起こりそうもないが、地形も今とは
違っていたのだろう。

昭和12年東回廊のエンタシスの柱や連子格子などが横倒しのまま
で、ほぼ完全な形で発掘され、飛鳥資料館で復元されている。
寺の規模を彷彿させるような立派なものだ。

大官大寺跡
飛鳥の大寺院だったという。文武天皇の時には9重の塔や金堂が
完成した。
特に九重の塔は高さ68m 法隆寺の塔の倍の高さと聞いて驚く。

残っていた金堂・塔の礎石は明治22年の橿原神宮の造営に使わ
れたらしい。
平城遷都で寺は大安寺へ移され、旧寺も大火で消失し今は土壇し
か残っていない。

このあたりに田んぼを持つ同期のUさんの話
このあたりは一面田んぼで昔の風景とはほとんど変わっていない。
田んぼの下には遺跡遺構が広く埋まっており、このあたりの田んぼ
では耕運機のロータリーを深くして耕すと石にあたり刃が欠けるので、
浅くして使うという。

小字(あざ)にはいわれのある名がたくさんある。
大安寺・阿弥陀堂・堂の西・塔ノ井・阿弥陀堂・金焼トノキタ・講堂
などなど・・
きっと地中にはいろんなものが埋まっていることだろう。

塚などや昔の遺物らしいものは、「さわるとタタル」と手をつけない
らしい。
それで字(あざ)の名なども合わせ、発掘のきっかけになったりする
こともあるという。

 
        昔と変わらない風景

その他
・奥山久米寺跡(はじめて)・湯笹福井大明神の四方竹・日向寺
(にっこうじ)(はじめて)・天岩戸神社 畝尾都多本神社・
奈良文化財研究所など盛りだくさんの遺跡を回り中身の濃い一日
だった。

飛鳥には目に見えない歴史がいっぱい埋まっている。
知って想像しないと何も見えない。

追加 コメントをいただいたAさんは今日のコースが子供の頃の遊び場だったそう。奥山久米寺でもよく遊んだとのこと。
 
奥山久米寺
飛鳥期の瓦が多数出ているが調査が進んでいないそうだ。

  
久米寺13重の石塔         塔の基壇部分のすり鉢上の穴は何?

歴史的な意味があるのかと思ったら、子供が遊びで草をつぶしたりして遊んだ穴だそうだ。
歴史の達人Nさんは「子供の時によくやったなあ」となつかしそうに教えてくださった。ひょっとしてAさんもこの遊びに加わっていたのでは?
飛鳥の子供は知らず知らず飛鳥時代とふれあっているのね。と感慨を持った。










コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月17日 天満宮周辺

2007年12月17日 | Weblog
朝から保全協会で打ち合わせがあり、引っ越したばかりの新事務所
へ行った。

地図があったにもかかわらず、方向音痴の私は間違えて大川の向こ
うまで行ってしまった。
交番で聞いて戻っても間に合ったからよかったが。

             
               保全協会新事務所 
緑の旗がひらめいている2階が事務所。
引っ越してきたばかりなので、まだ内部は雑然としていた。

役員さんは午後からも会議で、忘年会はその後にあるので、待ち
時間が長いので帰ろうと思ったが、Oさんのサービスと誘惑に負
けて? 2時間ほど一人で時間をつぶして忘年会も参加することに
なった。(まあ熱心なこと)

すぐ近くに天満宮がある。
初めてなので境内へ入ってみた。思っていたより広くない。
ガラス業発祥地の石碑や神様のお使いの石で作った神牛もあった。

青竹が運び込まれていて、もう正月準備が始まっていた。

 
        登竜門(西の唐門)           燈篭
西と東にある唐門の前の燈篭は金で出来ていたが、戦時に金属供出
でなくなったものを再現したものだそうだ。
竜と鯉の図柄で、なかなか登れない川を上った鯉が竜になれるとの
中国故事からこの唐門を登竜門というらしい。
学業の神様である天神さんには願いの詰まったおふだがいっぱい掛
けられていた。


         天満天神繁盛亭 
天満宮のすぐ前にある。上方落語の拠点で昨年の秋にオープンした。

この後どうしようかと思っていたら、大阪に住んでいる娘がでてき
てくれた。
お陰で退屈しないで思わぬ見所を知ったりして有意義に時間を過ご
せた。


      大川近くの喫茶店 
雰囲気のよいいい感じの店だった。娘はこういうところを探すのは
うまい。

       
近代建築のふじはらビルディング    入り口
事務所近くをちょっと入ったところにあるレトロビル。ギャラリー
になっている。
娘は古い建築や町並みに感心をもっていて、前に一回来たそうだ。
自分のブログにもよく建物を登場させている。


     事務所のお向かいの民家

 
        軒下の飾り             うだつ 

周りはみんなビルで1件だけ残った民家だ。
間口も奥行きも広い立派な民家で、軒の下には間口いっぱいに材木
1本を使った装飾がある。
こんなのは他では見たことがない。うだつや柱も凝ったつくりだ。

なのに、この建物は近々マンションに建て替えられるらしく、建設
会社の看板が建っていた。

持ち主さんは価値に気がついてないのかなあ。壊されていくのは
もったいないなあ。

夕方からは東梅田近くまで移動して(30人ぐらい?)ひと時を過ご
し、2次会は2手に分かれて、同期の数人とおしゃべりをして帰った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月16日 合唱

2007年12月16日 | Weblog
やまと郡山城ホールで奈良県合唱連盟の創設45周年記念演奏会が
あった。

友達を誘って行ってきた。

コーラスを聴くのは久~しぶり。

天理のピエーナ少年少女合唱団や中学校5校の合同の合唱団は
なつかしい曲目で、若々しい歌声。
高校4校の合同混声合唱団は無伴奏の曲であんなに難しそうな曲
を歌うにはどんなに大変だったろうと想像する。

陽声たまゆら会や女声合唱もまああんなに声が出ること。

休憩を挟んで奈良女子大音楽部・エコーかたしお・鹿ノ台アザレ
アコーラスなど名前の知っている合唱団が続く。

エコーかたしおは指揮者もピアニスも合唱団員も全員がネコの扮装
で「11匹のネコ」からとった何曲かを歌われ、とっても楽しませ
てくれた。

 
     エコーかたしお          クールシェンヌ

クールシェンヌという混声合唱団は全日本合唱コンクールで金賞受
賞の実力のある合唱団だそうだ。受賞したときの曲も歌ってくださ
った。

最後に県下18団体プラス個人参加も含め150人の混声合唱団
合同練習を8回もされたそう。
妹も1員として参加していたので客席から応援した。


          混声合唱団
(写真 撮ってはいけなかったらしい。知らずに撮っちゃった。
 ハズカシー)

みなさん練習も大変だったろうが、何よりも歌うことを楽しんで
おられるのだろう。

あれだけ声をだせばストレスも吹っ飛ぶと思う。

声が出れば聞くよりも歌いたいけどなあ。と思いながら、すばらし
いハーモニーと響き渡る声の中で半日うっとりと聞き入っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする