みどりの野原

野原の便り

1月30日② 恵比須神社・白髭大神・正福寺 

2023年01月30日 | Weblog

八木町めぐり解散後、一人で歩いていたら、宝形造の屋根が見えて立ち寄った。
ここも前にも来たことはある。

恵比須神社 鳥居・狛犬 拝殿


拝殿をのぞいたら三十六歌仙の額が見えた。


隣には白髭大神 鳥居と狛狐


同じ境内に建つ宝形造のお堂。ここは何?


露盤に「正福寺」と書かれているのを発見。
調べると正福寺は廃寺になっている。これは薬師堂らしい。


入ってきた反対側には門がある。

正福寺(廃寺)と 恵比須神社 白髭大神 が同じ境内地にある、神仏習合の姿のようだ。

神社でよく見る三十六歌仙の額、神社に多いが、寺にもあるそうだ。
神社でよく見る狛犬も、まれには寺院にもある。  
前に、寺に鈴の緒があってあれッと思ったが、それもあり。
違うものも鷹揚に受け入れるのが日本のいいところなのかな?

宝形造の正福寺薬師堂の縁側でまったり日向ぼっこの猫ちゃん。
この平和な風景がいつまでも続きますように・・

八木の町、まだまだ奥が深い。

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1月30日① ボランティアさんと「八木町 めぐり」 横大路・太神宮灯籠・大和国分寺 ・JR畝傍駅 ・八木札ノ辻 ・センタイバ跡

2023年01月30日 | Weblog

ボランティアさんの案内で半日の八木町めぐり。
「八木町」は、横大路・下ツ道を中心として生まれ発達した町。

自分でも歩いたことはあるが、知らない話が聞けるかな?

「ミグランス」
2018年内膳池の跡地にできた橿原市役所分庁舎とホテルが入った複合施設。
建物の愛称「ミグランス」は市章にもなっている「トビ」の学名「ミルブス ミグランス」から。
トビは神武天皇東征の時、神武天皇を勝利に導いたという神話がある。

10階の展望フロアへ。
東・西・南を展望できる。


東の展望 耳成山 母校も見える。


西 二上山 

展望フロアの北側は壁。
その向こうはカンデオホテルの露天風呂だそうだ。
近くて遠い・・


大きい太神宮灯籠
この灯籠は横大路の少し東に今も残る「せんたいば跡」(センタイバ 接待場)から移設されたようだ。(センタイバは後で行く)

「横大路」は飛鳥時代、推古天皇の頃にできた日本最古の国道
葛城市の長尾神社から桜井市小西橋あたりまでの大和盆地を東西に走る古道。
東は伊勢へ、西は竹内街道へ続く。
江戸時代には初瀬詣でや伊勢参りが盛んになり「伊勢街道・初瀬街道」と呼ばれるようになった。

今では車のすれ違いもしにくいほどの道幅の狭い道だが・・
1992年の発掘調査で藤原京の横大路の南の側溝(幅2.6m 深さ50㎝)が見つかり、北の側溝跡も発掘されており、藤原京の横大路の道幅は30~40mあったことがわかっているそうだ。

そんな広い道路があったとは想像できない。

江戸時代盛んになった伊勢参詣(お蔭参り)の道しるべとして街道沿いに設置されたのが「太神宮灯籠」(おかげ灯籠)
今も各所に残っている。

「太神宮灯籠」と彫ってあるものと、「大神宮灯籠」と彫ってあるものを見かけるので違いが気になっていたが、意味に違いはないらしい。


「大和国分寺」 
次々起こる災難(地震・凶作・伝染病・貴族の反乱・・)
聖武天皇は仏教により乱れた国を安定させようと、全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じた。
国分寺の総本山として東大寺を建立した。

大和国分寺 本堂 2003年焼失、後に再建


宝物館には十一面観音立像(国の重文)非公開
ネットによると、十一面観音立像は宝物館に収蔵されていたために消失を免れたそうだ。


境内のウメの木の枝のあちこちに何やら白い塊が見えた。
ネットに入っているのは貝殻のようだった。貝殻の種類はいろいろ。

何だこれは! こういうのに俄然興味が湧く。
帰って調べたところ「カイガラムシ駆除」のためらしい。
ナニコレ珍百景でも取り上げた光景のようだ。
本当に効果があるものなのか??

「JR畝傍駅」

JR畝傍駅 
『明治26年(1893)明治天皇の神武天皇陵参拝のために誕生。
現在の駅舎は昭和15年(1940年)の起源2600年祭の式典に合わせて造られ、橿原神宮と同じ総白木造が特徴。
皇室の休憩用の「貴賓室」も設けられている。
昭和34年(1959)成婚間もない皇太子夫妻(現上皇・上皇后美智子さま)が畝傍御陵を参拝された際にも貴賓室を使用されたとか。
パレードは見に行ったな~。

上の写真の右側の三角屋根のところが貴賓室(非公開)
2015年に公開された時、貴賓室の中を見学した。昔の映像も見せてもらった。

私もブログに書いたが、一緒に見学した 娘のブログ 参照 の方がきれいなので紹介する。


ホームへの階段


ホームの傾斜 以前SLが走っていた頃との関係らしいが・・よく聞けなかった。

この畝傍駅が老朽化で存続の危機にある。
貴重な木造駅舎や貴賓室、なんとか残してほしい・・

「井戸の辻」から北へ。
この道は 「下ツ道」 といい、上ツ道・中ツ道と並んで古代大和盆地を南北に縦貫するようにつくられた幹線道路の一つ。
江戸時代には中街道と言った。奈良市から橿原市を経て五條市に至る街道


町家が連なる下ツ道(中街道) 




懐かしい「たばこやさん」を見つけた。 ウィンドウは板で覆われていた。
入口上部に「墨絵具特約店 増井鐵筆堂」が読める。

今工事中の「谷三山の生家」の前も通る。

谷三山は幼い頃に聴力を失いながらも財力もあり理解もあった家族の元で、書を読み勉学に励み、「私塾 興譲館」を開き、多くの門下生を輩出した幕末の儒学者。
吉田松陰も師と仰いだそうだ。対談は筆記によったという。
高取藩に認められ、士籍を与えられた。
「高取に過ぎたるものが2つあり、山のお城と谷の昌平(三山の通称)」と言われた。

以前、谷三山に関する講演会に参加したことがある。参照
今井町の「花甍」の前に大きい顕彰碑が建っているのは知っているが、晩成小学校には谷三山の座像があることを今日知った。
また見に行ってみよう。

「札の辻」
南北に通る下ツ道(中街道)と東西に通る横大路の交差する場所。
江戸末期の「西国三十三所名所図会」には高札場があり旅籠や旅人で賑わう様子が描かれている。

「八木札の辻交流館」は、元「東の平田屋」と言われた旅籠だったところ。


かつての旅籠「東の平田屋」 改修されて八木札の辻交流館となっている。
今日は月曜で休館日。


道路を挟んで西側には「西の平田屋」ここも旧旅籠
今も居住しておられる。


札の辻の南東角には魚市場があったそうだ。
左側に六角井戸の名残も見える。(電柱の左)


札の辻から北の道幅が広くなっている所には市場があったそうだ。
昔の喧騒が想像できない静かな街並み。

登録有形文化財に指定された町家が並ぶ。


立派な棟瓦に気がついて写真を撮って帰った。
はて、これは何と読むか?
時間をかけて調べてみたがわからなかった。


結局は息子が調べてくれて「河合」ではないかと言うことに落ち着いた。

札の辻から少し西へ。


伊勢参りの旅人を接待するための「接待場(せんたいば センタイバ)跡」
先日来た時はここに車が止まっていて、全体が見えなかったのだが、ここは個人の所有地だとか。
じゃあ仕方なかったな。

西に移築したという太神宮灯籠はどこに建っていたかというと・・


金毘羅大権現灯籠の東側 空き地になっているところに建っていたらしい。
ここで、旅人たちをもてなしたんだな。

ここから八木駅前に戻って解散となる。
ボランティアさんの説明でわかったこともあったし、自分の発見もあった。

この後、写真を撮らなかった魚市場跡などを一人で回った。
恵比須神社に立ち寄った。 ②に続く。

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1月28日 京都府立植物園 雪 温室 &「熱帯雨林」の話

2023年01月28日 | Weblog


最寄り駅への途中西に見える葛城山を見てびっくり。雪国の山みたい。
近くに写ってますが、望遠で撮ってます。
こんなに真っ白になったのは見たことがありません。

でも家のあたりは全く雪はない。

そして、京都北山駅を上がって植物園前。


わ~っ。積もってる。測ってみると5㎝はあった。
これで少し溶けたと言われた。
後で聞くと、この前はもっと積もったという。

早めに来て、予定の時間まで植物園を歩いて、温室も見るつもりだったが・・温室に直行することにした。


雪の植物園内 上から木の枝の雪が解けてボタボタ落ちてくる。


枝に残った雪が花のよう。


雪の花

温室前の池も薄氷。

ジャングル室と熱帯有用植物室を回る。


ロウソクノキ 若い果実


ヒメショウジョウヤシ


ホウガンノキ 大きい砲丸のような果実 

ヤエヤマアオキ・パパイア(果実)・コーヒーノキ(アカネ科)・カカオ(果実)・ナンバンアカアズキ・・
台湾でたくさん見たケガキも(実はなし)。
食べれると知っていたら食べてみたのに惜しいことをした。

熱帯植物はたくさん思い出がある。

 
ビンロウジュ(ヤシ科)  ビンロウジュの実を薄切りにしたもの。
ビンロウジュは「噛みタバコ」の材料にする。

ミャンマーへ行った時、街角や路地で見た噛みタバコを作って売る屋台。
どんなものやろ。
物好きな私と友達の2人が「噛みタバコ」体験。


ミャンマーの街角の屋台で「噛みタバコ」作製中。
下の葉はキンマ(コショウ科)、前のボールの白い液体は水で溶いた石灰。
葉の上に石灰を塗り、ビンロウジュの薄切りを乗せて包む。


「噛みタバコ」完成。
噛みタバコ初心者用に、少しスッとする香辛料を入れてくれた。

発がん性があるとか、習慣性があるとか言われているが、冒険心の方が勝る。
さて、お味は?
味と言うより、ぐしゃぐしゃして口の中が気持ち悪くて長くは噛んでいられない。
吐いたツバは赤かった。
まもなく、道の端に吐き出した。香辛料のせいか口の中はスッキリ。
・・というわけで習慣性に至らずにすんだ。面白い経験だった。

温室のオヒルギ(赤いガク)・サキシマスオウノキ(板根)・ウナズキヒメフヨウ(花)
仏教3霊樹のインドボダイジュやサラノキ。ナツメヤシなど。 


カンテンイタビ 壁に這っているのを見つけた。 
果嚢が出来るのかなあ。
台湾土産でカンテンイタビから愛玉子というお菓子を作ったことがある。

半分回ったところで今日は温室見学終わり。


ハリモミ 球果がついていた。


イナゴマメが3本 最近植えられたのかな?
雌雄異株で雄株と雌株もあった。


ソテツ 薦で防寒

午後の講演の演題は「熱帯雨林」
「熱帯」とは、緯度で言うと「北回帰線から南回帰線に挟まれた帯状の地域」
熱帯というと「暑くて雨が多い」印象があるが、多雨の地域・雨季と乾季がある地域・乾燥地もあるなど多様な環境があるという話から始まる。

熱帯地方に見られる植物や、その特性などのお話で、見たことのある植物がたくさん出てきてなつかしかった。
フタバガキ・ニッパヤシ・マングローブの話・ボルネオテツボクの大きい種子・幹生果・ガジュマルやベンガルボダイジュ・板根・つる植物。種子散布を動物に頼って匂いの強いものがある。株立ちの竹バンブー。
興味深い話を聞けた。

初めて聞いた「竹の実」スライドの写真ではピン球のような丸い形。
アボカドぐらいの大きさになることもあるとか。
牧野植物園で48年ぶりに開花結実したとか。
イネ科らしからぬ実・・不思議。

その名前は・・聞き逃したか? 言われなかったか?
帰って調べたらメロカンナという竹の仲間に丸い実ができるというネット記事を見つけた。
見たいなあ。

熱帯・亜熱帯 大好き。

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1月27日 日本書記講座 隼人 阿多

2023年01月27日 | Weblog

11月の講座は都合で欠席した。12月は休講だった。
久しぶりの講座で・・頭もついて行きにくい。

今回は欠席の11月(天武天皇11年(682))の回に出てきた隼人・阿多を深読み?
「文月の壬辰の朔日甲午(7月3日)隼人が大勢来て国の産物を献上した。
この日に大隅の隼人と阿多の隼人が相撲をとり、大隅の隼人が勝った」

「阿多」とはどこ?
「阿多」が出てくるのは、(古事記に)神武天皇が日向に坐しし時(東征出発前)、阿多の小椅 の君の妹の 阿比良比売を妃に迎える。くだりがある。(神武東征前)

阿多は薩摩半島の西のあたり?が広く阿多(吾田)と呼ばれたそうだ。

神武天皇は東征に出発・・即位後、ヒメタタライスズヒメの命と結婚した。

阿比良比売を祀る神社「阿陀比良比米神社」が五條市にあるという。
自分と言う妻がいながらヒメタタライスズヒメと結婚したことに嫉妬した阿比良比売

嫉妬を恐れて地元の人の婚礼荷物が神社の前を通る時は、婚礼の荷を白布で覆って見えないようにして通ったという話があるそうだ。
五條に、神武天皇の最初の奥さんを祀る神社があるとは知らなかった。

「隼人」
神の系図が要る。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた兄弟3人。
①火照命(ほでりのみこと・海幸彦)・②火須勢理命(ほつせりのみこと)・③火遠理命(ほおりのみこと 彦火火出見命 山幸彦)

海幸彦と山幸彦の物語はよく知られている。
兄の海幸彦から借りた釣り針をなくした弟 山幸彦。 謝っても許してもらえず困り果てていたところ、海の神に助けられ、海の神の娘豊玉姫と結婚し、霊力のある玉を貰い、兄、海幸彦を懲らしめる。
そして、弟 火遠理命(山幸彦)は、「大隅の隼人」といわれ、妻の豊玉姫との間にできた鵜葦草葦不合尊(うかやふきあえずのみこと)が玉依姫と結婚して神武天皇を産み、天皇家の系統となる。

一方、兄 火照命(海幸彦)は「隼人の始祖」とされるが、「阿多の隼人」として、宮中の儀式の際、隼人舞を演じたり、吠声(はいせい)という犬の鳴き声のような声をだしたりする、天皇家に隷属する立場、天皇側を支える立場になる。

今日の隼人や海幸彦山幸彦が出てくるお話の場面の南九州は先日行ったばかりだった。

去年12月18日、参照 鹿児島大隅半島の旅の3日目、霧島の滝など見て「全国でも珍しい特急が停まる無人駅・嘉例川駅」を見に行った時、ホームの端に「高屋山上陵 天津日高火火出見尊(山幸彦)西へ4キロ」の案内の大きい標柱が建っているのを見た。
えっ。こんなところに・・
行ってみればよかったが・・後の予定(蒲生の大楠・普賢堂湧水・志布志の大楠)もあり、夕方にはフェリーに乗ることになっていたので立ち寄らず、ちょっとかすっただけの縁だった。

神武天皇の大和入りについての日本書記と古事記のルートに違いがあるという話も聞いた。

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1月24日② 午後は大福から家まで3駅分歩いて帰る。神社や太神宮灯籠 お陰参り接待場跡 いけず石18か所

2023年01月24日 | Weblog

午後は家まで3駅分歩いて帰る。
初瀬街道~道を逸れたり戻ったり・・

ほとんどは来たことがあるが、初めてのところもある。


左の石柱には「阿弥寺延命子安地蔵堂」
右お堂には「子安子育地蔵尊 西之宮阿弥寺」と二通りの表示。
ネットで調べてもよくわからない。
住所も橿原市出垣内町になっていたり、桜井市西之宮になっていたり・・


三柱神社とは書いてあるが、横に太神宮灯籠があるだけ。
ここもよくわからない。

三輪神社
横大路(伊勢街道 初瀬街道)と、中津道の交差点にある。
三輪神社は好きなところだ。


三輪神社 御神木 大ケヤキ 
今は三木に大きい空洞があり傾いているが、説明板の西国三十三所名所図会を見ると、絵図が書かれた江戸時代にはケヤキはまっすぐ描かれている。


三輪神社 西南隅に残る礎石は古代寺院の痕跡か? 地蔵堂もある。


米川と細い川の合流点に建つ。弘法大師を祀るお堂。
弘法大師が、しゃっくりが止まらず困っていた人に、そばの米川の合流点あたりの水を掬って飲ませたところおさまったという伝説が残る。
昔はその川は清流だったのでしょうね。


米川沿いの道


山之坊山口神社 鳥居と社号標
耳成山口神社は耳成山の上にあるが、ここは平地部にある。
それには耳成山の祭祀に関して、山之坊町と木原町の争いがあったそうだ。(ネット奈良観光)


山之坊山口神社 拝殿はこじんまり。


車道の街路樹のシラカシ こぶだらけ。こぶ病
よくこぶのできた木を見るが、これほどひどいものは見たことがない。


民家の格子に何か引っかかっている。アサガオの蔓の取り忘れかな?
顔じゃないの?と言うから見たらそう見えなくもないが。??
これはアーティストの芸術らしかった・・失礼しました。
見る目がない私。むしり取らなくてよかったこと。


八木札の辻交流館 元は、東の平田屋という旅籠だった。
横大路(江戸時代には伊勢街道・初瀬街道)と下ツ道(江戸時代には中街道)の 交差点に建つ。


札の辻の丸ポストといけず石


お蔭参り 八木接待場跡 ここは初めて気がついた。
奥に見えるのは太神宮灯籠ではなく、金毘羅大権現灯籠 


灯籠の横に説明板 
『接待場は「せんたい場」と呼ばれた。
ここにあった「おかげ灯籠」は200m西の街角広場に移された』

昨日、歩き始めに見た「おかげ灯籠(太神宮灯籠)」は元はここにあったのか。


西側に石仏等並ぶ。 左の石は斜めに切れている。
脚が見えている。


ひょっとして・・隣の石仏と繋がっていたのかな?と想像。
右の石は下が埋もれているが。

左の石に刻まれた「足」から役行者?と思ったが・・
足の下の台石に猿のような形が見える。
右の石像には手が複数本(6本?)あり、右手の1本は棒のようなものを持つ。

青面金剛?(左石と右石がつながったとして・・)

後日、ガイド付きで八木の町を歩くことになっているので、その時に確認できたらいいな。


少し入った所に春日神社 ここは来たことがないように思う。


春日神社境内に変わった形の「大(太ではない)神宮」と書かれた灯籠
いつもの疑問に思っているのは「太神宮灯籠」と「大神宮灯灯籠」があること。

これもガイドさんが教えてくれるかな・・


「内膳大師この奥」の案内板を入るとこのお堂がある。
ここは前にものぞいたことがあるのだが・・
左には、大日如来 地蔵菩薩 不動明王 の貼り紙  右には、仏像の写真。
??


お堂の中を覗くと弘法大師の提灯がたくさん吊るされていた。(大ボケ写真)


お堂の横には石仏などが並んでいる。
その辺のものを寄せ集めた感じがする。
飛鳥川が近いので、川の氾濫とかによるものかもしれない。


先日も見た桜池のそばの石灯籠。
よく見れば、柱の部分と上の部分が分けられているような・・
倒れると危ないからわざと切り離してあるのかもしれない。

今日も道々いけず石が目に留まる。
今日見た「いけず石」 合計18ヵ所 八木周辺に多かった。


石柱も自然石もあるいけず石


花崗岩とわかるいけず石


念には念を入れて 寅テープ


蛇巻き 新年に綱が新しくなった。


西の空は雪雲で近づいてくる感じ。


おっ!雲の切れ目から「天使の梯子」・・と言うよりも「スポットライト」

今日は風が強かった。帰る途中もずっと向かい風が押してきた。
雪もちらついた。
寒い日だったが、歩いているとそんなに寒さを感じなかった。
16:30頃帰宅。

夜にはうっすらと雪が積もった。

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1月24日① 午前中 ミコアイサ探して池巡り。カワセミ

2023年01月24日 | Weblog

寒いが、雨も何とか大丈夫そう。

ミコアイサ探しの約束をしていたので、いつもの池を巡って探す。
車に乗せてもらって高田市~葛城市~田原本町~桜井市~天理市・・
前にミコアイサを見た池、水鳥がいそうな池、通りかかった池を巡る。




ハシビロガモの群れ




前にミコアイサを何回か見ている池2か所にもいない。
車からドライブスルーで見られるところもある。
水が抜かれた池もある。
水上ソーラーが設置されている池もある。

目的のミコアイサはいなかったが、今日もひととおりの水鳥は見れた。
(私はこの冬、水上池でミコアイサを見ている)

カルガモ ホシハジロ ハシビロガモ カイツブリ キンクロハジロ
ヒドリガモ マガモ コガモ オオバン ダイサギ コサギ アオサギ は見れた。


葛城川のそばでカワセミ 走行中に妹が見つけた。目が早い。
私は同じ車中なのに全く気付かず。
車から降りて遡った所に「あそこ!」と言われやっと見つけられた。


法貴寺あたり。ヤドリギの多い所。
中でもこの1本 ほとんどヤドリギに乗っ取られている。 


通りかかった三十八社(みそやしゃ)天理市
由緒ははっきりしないそうだが、全国でも珍しい北面の神社とのこと。

午後。長くなるのでページを変えます。②に続く。

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1月22日 飛鳥散歩 紅梅 白梅 ツバキ 冬芽 スズメの群れ 

2023年01月22日 | Weblog

天気がよさそう。
思い切って?散歩に出かける。


お~。霜で真っ白。

・・と思えば春の花も・・


紅梅が満開 




春の花 ツバキも咲き始め。


ギョリュウバイ


ヒサカキはびっしりつぼみ


イヌビワ 冬芽


カキノキ 冬芽 枝痕が見える。


センダンの冬芽

これらの冬芽が芽吹く時、本当の春がくるんですね。


ナツメ ゴツゴツしているのは枝の後のようです。
ナツメの芽吹きは遅く、夏芽が名の由来のよう。


田んぼにツグミ


植え込みに集まったスズメの群れ。

寒かったが、思い切って家を出ると歩ける。
・・が、ゆっくり歩きで運動というほどでもない。

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1月21日 八木から曽我町 いけず石を見ながら散歩 

2023年01月21日 | Weblog

大阪自然史博物館で「いけず石」を調べるという。

「いけず石」とは、家の軒先や道路の角や端に置かれた石のことで、車が軒にぶつかったり、車や自転車を駐車・駐輪させないように置かれた石のことで、俗称で「いけず石」と呼ばれている。

狭い道路に車通りも多い。「いけず」(いじわる)の名がつくが、家を守る気持ちはわかる。

でも調べるのは面白そう。
遠くまで行くのはしんどいが、近くにもあるはず。見たこともある。

今日はヒマなので、散歩がてらにひと歩きしてこよう。


歩き始めは八木駅の南側の太神宮灯籠から西へ、横大路(伊勢街道 初瀬街道)を歩く。
江戸時代にはお伊勢参り(お蔭参り)が盛んで、伊勢神宮までの道先案内としてたくさんの太神宮灯籠が建てられている。
この太神宮灯籠はここから少し東へいったところにあったというセンタイバ(接待場)にあったものを移したらしい。

飛鳥時代にできたという官道 横大路は、道路幅は23・3㍍と推定される(ネット産経ニュース)と言われるが、今は車のすれ違いがやっとというぐらい狭い所もある。

いけず石を見ながら歩く。いくつか紹介。





今日歩いた曽我町と曲川の境あたりまでに、11個ぐらいあった。
「いけず石調べ」では、石の種類も調べるのだが、詳しくないので、見るだけにする。

自然石、加工した石、表面に丸い形の付いたものもあった。
いけず石の代わりに? ブロックや木切れや三角コーンやコンクリートの成形物や伏せた植木鉢などもあり、面白い。


これはいけず石とは言わないかも。
加工した石。何だろう。帰ってから息子に尋ねてみる。
「唐臼の台じゃないの?」なるほどそういわれれば。
私の方が昔人間なのに・・


大きい太神宮灯籠(曽我町)弘化4年未年6月の刻印あり。
後ろに庚申塔もある。


街道に架かる 那可波し(なかはし)


古ゐか波(五井川)


五井川は暗渠になっている。

この後、曽我緑地公園をひと回りして帰る。

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1月19日 初めての天理図書館 見学

2023年01月19日 | Weblog

天理図書館の見学を計画して下さったので参加させてもらった。

久しぶりの天理。駅前はきれいに整備されていた。
早めに行ったので、本通りをうろうろ。
帰りに通るかわからないので小芋買っちゃった。重~い。

駅前でお昼ご飯を食べて、集合時間ギリギリ。


本通り商店街を抜けて、天理教本部。

天理参考館 
『世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示する博物館』
多数の収蔵資料の一部を一般公開されている。
前に1度だけ入ったことがある。


「卯」の花文字とウサギの絵 ハボタンでできている。 
建物の上から見た方がよく見えるだろう。


ヒマラヤスギがたくさん植えられ大木に育っている。
枝には球果がいくつか残っていた。
下にはバラバラに崩れた種鱗と、シーザーローズと言われるバラの花のような球果の先も落ちていた。


天理図書館 正式には「天理大学附属天理図書館」
初めて来た。


落ち着いたクラシック建築

今日は図書館の方が案内をしてくださる。

天理図書館は、2022年11月に文化庁の文化審議会で、有形文化財として登録されることが決まったそうだ。
後に書く、昭和5年(1930)竣工の西館と、昭和38年(1963)に増築になった東館も合わせて有形文化財に登録されたという。

重厚で入りにくいイメージがあるが、誰でも利用できる。

図書館の発足のお話を聞く。
天理教2代心柱中山正善氏が、天理教布教のため広い視野を持つ人材を育成するため、天理大学の前身天理外国語大学の創設時に図書館の設置を決められた。
天理図書館と命名して発足。以前から収集されていた図書を移された。

その後、天理外国語学校附属天理図書館となる。

現在の図書館は昭和5年(1930)に新築された。
有名な設計者による洋風の建物。

戦後、天理外国語学校は大学に昇格し、図書館の名も「天理大学付属図書館」となる。

その後、昭和38年(1963)に東館を増設。書庫棟となっている。

元の西館と東館は、同じ設計者で、東西の建物は違和感なく一体化した建物になっている。

撮影禁止等の注意の後、いよいよ館内へ。


玄関入口の外側 ここまでは撮影可。

ロビーに入る。正面に受付カウンター。
カウンターは大理石。漆喰の壁 シャンデリア 天窓の唐草模様の鉄枠。
入ったところの床は寄木造りで、端の方は雷文つなぎという違う組み方。
いいなあ。写真撮りたいなあ。・・うまく撮れはしないだろうが・・
その代わり、建物の見どころの印刷物をくださった。

誰でも利用できる図書館というが、本が並んだ棚が見えない。
書籍の多くは閉架式といって公開されていない。
それは保存を重視しているからだという。

どうしたらいいのかというと、検索機などで目的の本を探して、カウンターへ伝えると、奥の書庫より出してきてくれるシステム。

本を眺めながらどれにしようかと探す楽しみというのはないかもしれない。
出し入れしない分確かに保存性はいいだろう。

西館閲覧室 
ずらりと並んだ閲覧テーブル 時代を感じさせる重厚さ、クラシック感がある。
デスク灯はスイッチで点く。

閲覧室のお客様はお1人だけ。
静かで、読書に没頭できるかな? 静かすぎてかえって落ち着かないかも。

続く新館(東館)の閲覧室。
同じようなテーブルが並ぶが、西館と比べるとテーブルの色調も少し新しさを感じる。

2階は「特別閲覧席」がある。

天理図書館の蔵書数は150万冊(和漢書・洋書 各分野にわたる)と言われるが、まだ未整理のものも多く、データ入力も続行中で、実際の蔵書数は不明なのだと言われた。

その中でも、国宝が6点・重文87点・その他貴重な文献を数多く所蔵。
貴重書・特別文庫資料の閲覧は、あらかじめ申し込みをして許可を得る必要がある。
規則に基づいて「特別閲覧席」で閲覧することができるものもある。

そして、何人も実物(原本)を閲覧することが出来ない本もあるのだとか。
原本は書庫の中で厳重に保管されているそうだ。

原本は見れないが、図書館の出版物として発行され、そのデジタル画像をこの部屋で閲覧できるものもある。

デジタル画像は原本の文字や絵を写真に撮り、本物に近くなるように写真の色彩なども細かく調整されて、見比べてもわからないほどだという。

古事記・万葉集・延喜式神明帳・徒然草・明月記 風土記は5種が残る。

いくつか図書館のデジタル画像の出版物も見せてくださった。
昔のものは、書き手独特の筆使いや濃淡など魅力がある。

元々本は書き写しで伝わってきた。
元の本を書き写すのには時間も日にちもかかる。1つの書物に何人もの手が入ることもある。中には写し間違いも起こる。

後、文字や絵を1枚の板に彫って作った版で複製する「木版印刷」になり、同じものをたくさん複製できるようになる。

その後、外国から「活版印刷」が伝わり、鉛で作った活字を1文字ずつ並べて文章にした「活版」を作り、それに塗料を塗って転写する。
文字の組み換えもできて便利で、いろんな種類の本を作れるようになったが、日本の文学は漢字仮名混じりで、文字がつながった草書体もあり・・で、定着しなかったそうだ。

本の印刷を見て、隅に隙間ができるのが活版印刷の特徴だそうだ。
その後印刷技術はどんどん進んでいった。

丁寧な説明で、聞き間違いはあると思うが自分なりにいろんなことがわかった。

建物や閲覧室などもよかったので、建築好きの娘に「良かったよ。機会があれば行ったら」とラインをしたら「11月に家に来た帰りに行ってきた」とのこと。
登録有形文化財になると決まった時、見学会があったらしい。
さすが、耳が早い。

他には立ち寄らずに駅に向かう。

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1月16日 うちの庭 気づかずごめん。カンアヤメ キチジョウソウ ナンバンギセル

2023年01月16日 | Weblog

裏庭をのぞくと・・


カンアヤメ 見ごろを過ぎている。


キチジョウソウ 花 果実ができればいいけど、家では見たことがない。
葉陰になって昆虫も見つけられないのかも。


ヤバネススキの根元に枯れたナンバンギセル。
花の時に気づかなかった。

・・ごめん・・

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