みどりの野原

野原の便り

7月30日 青山高原 西青山~東青山へ 大雨に遭った

2015年07月30日 | Weblog
毎月1回 3人であちこち歩いている。

先月は予備日も雨で流れて久しぶりのハイキング。
西青山から東青山へ。
20何年前?東青山~西青山へ歩いた時もかなりきつかった覚えがある。
長い階段を覚えている。歩けるかな?


西青山駅から線路と平行した廃線跡の道へ。楽々。
乗馬クラブが近くにあり、お馬さんの落とし物もたまにある。

国道を横切っていよいよ東海自然歩道の林道歩き。

 
        マタタビの果実             ヤマアカガエル

 
シロモジの多い所だ。実がなっているものも   サルナシも実がなっていたが残念ながらまだ若い。

 
        ノリウツギ 咲き始め           リョウブ満開
なかなかいい道だ。

そして、「三角点展望台へ1.1キロ」の標識があったところからは階段が始まり・階段・階段・・

 
マップによると515段あるそうだ。
登って登って・・これを登ると頂上かと思えばまた階段が続き・・下って登って・・

やっと頂上らしい広場に出た。公園だった。車道も通じている。


ずいぶん登ってきた。重なった山々が見えた。

頂上三角点はもう少し登ったところ。

二等三角点 756m地点 ここは髻山(もんどりやま)頂上 
風力発電のプロペラがたくさん見えた。心地よい風が吹いているのに全く回っていないのはなぜ?

13時過ぎ、やっとお弁当にありついた。 高原の風は涼しい。

ちょうどお弁当を食べ終わった頃、大粒の雨が降ってきた。
公園のレストランの軒先で雨宿り。

2.30分して雨があがったので下り始める。
東青山駅へ、距離が短いコースを下ることにした。
マップではこのコースには「丸太橋が10か所ぐらいある」と書いてあって、少し心配だが下り始める。

 
さっきの雨で川になった山道を下る。          谷沿いの道

 
丸太橋が10か所・・と書いてあったが、幸いにも金属製の橋に変っておりひと安心。

ところが、途中でまた大雨が降りだして・・雨宿りする場所もなくひたすら歩き続ける。

やっと谷道が終わって林道に出た。
途中に布引の滝への分岐があったが、そんな気分ではなく、駅を目指して歩く。

東青山駅へついた時にはホッとした。
着かえて電車に乗ったが、汗と雨で体は冷え切っていて、冷房止めて~と言いたい気分。

電車から降りて暖かい車外へ出た時は生き返った気分だった。道路は濡れてもいない。
山歩きでこんな本格的な雨に遭ったのは初めてだった。
幸い風もひかず、足も痛くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月28日 コンニャクづくり ハンゲショウ

2015年07月28日 | Weblog
お世話をしてくれる人があり、御杖村(みつえむら)へコンニャク作りに行った。

 
廃校となった御杖村 菅野小学校の旧校舎 今は「みつえ体験交流館」となっている。
    直線校舎の廊下は101m ピカピカ光って滑りそう。
私の母校の中学校にも長い校舎があって、ぬか袋でピカピカにしたのを思い出した。

人口は1900人ぐらい。交流館は過疎化が進む村の村おこしの場所「グリーンツーリズムの拠点」として利用されている。
交流館ではコンニャクづくりの他にも竹細工・コーヒー焙煎 陶芸・・なども体験できるらしい。   

さて、さっそくコンニャクづくり。(1,000円)


コンニャク芋 田舎のほうでは時々植えてあるのを見かけることがある。
毎年冬に掘り起こして春に植え直して、何年もかけて大きくなったイモを利用するという。

 
皮を剥いたコンニャク芋をミキサーにかけたものを1人ずつボールに入れてくれてある。
半分はそのままに、半分はヨモギ入りにと2つ作れる。
    右)木灰から採った灰汁をくわえてコネコネ・・・なめらかになるまでよく練る。

 
ひとつずつお椀に入れて形を整える。
     右)裏返して参加者の番号を指で書いてくださる。これで茹でても他の人と紛れない。


沸騰した湯のなかへ入れて40分ぐらい?茹でると出来上がり。

茹でるのはお任せして、散策に行く。
 
  曹洞宗 安能寺  上部が鐘楼を兼ねた茅葺き山門は、県の文化財に指定されている。

 
     御杖村は伊勢本街道に面し、宿場町の面影も残っている。
伊勢参りが盛んなころは年間200万人の人が通る宿場町として賑わっていたという。
その頃はトンネルもなく山越えで、荒縄を腰に巻いて歩いたという。
縄は藁草履の補修用でもあったとお世話役さんから聞いた。 
私も3年前友達と伊勢本街道をてくてく歩いて、この辺りも通っている。

 
四社神社 伊勢神宮を創建したという倭姫命ゆかりの神社  右)倭姫宮

今日の目的のもう一つ、ハンゲショウ園へは車で。駐車場も完備されていた。

 
谷間に広がる棚田一面がハンゲショウ園になっていた。  花はやや満開を過ぎていた。

交流館に戻ると、コンニャクは出来上がり、ビニール袋に納まっていた。まだ熱い。
冬なら抱きかかえて持って帰るところだが・・今は少しでも体から離して・・・

帰りに御杖神社に立ち寄る。

 
『天照大神をお祀りする場所を探して旅をしていた倭姫(やまとひめ)が、候補地のしるしとして杖(御杖)を残したという伝承の地。村名の「御杖」はこの伝承に由来している』御杖村ホームページより。 

拝殿横の2本のご神木は「上津江杉」と呼ばれ、樹齢600年 室町3代将軍足利義満公の頃に植えられたという。

帰ってさっそく私が作った(こねた)コンニャクを刺身で食べた。もちろんおいしかった。ヨモギの香りもいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月27日 能勢の昆虫 いち押しはトックリバチ  ニガキやヤブデマリの実

2015年07月27日 | Weblog
能勢へ昆虫を見に。

 
集合前、トイレで誰かが拾って来たツノトンボ(死骸) 初めて見た。
アンテナのような長い触覚。(翅は本当は背中側にある)    右)コクワガタ

 
キドクガの幼虫 見るからに毒々しい。        ダンダラテントウ

 
 ミヤマカラスアゲハ 華麗な夜のパーティードレス     
              右)マイマイガ よく見る毛虫の親になった姿 ブラシ状の触覚


       ラミーカミキリ

今日のいち押しはトックリバチ
 
トックリバチの泥の巣 口はまだ閉じていた。 割ってみると・・アオムシが5匹入っていた。
この壷の中に卵を産み、麻酔をかけたアオムシを入れて、幼虫のえさにするという。
麻酔が弱かったのか、動き出したアオムシもいた。アオムシはシャクガの幼虫らしい。
産み付けられていたはずの卵は割れた時にどこかへまぎれてしまった。

 
     初めて見たイワヨモギ         オオキツネノカミソリが所々にあった。花は盛り過ぎ。

 
         ニガキの果実      ヤブデマリ 赤い実と熟して黒くなった実 2色効果?
ニガキは見分けのニガテな木。果実は初めて見た。分果になっているのか~。
花を見れば一目瞭然のヤブデマリ。花のない時期には見分けが難しい。実を見れてうれしい。

虫も植物も楽しめ、遠くまで来た甲斐があった。    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月26日 「たまごとたね」 珍しい”たね” 見たい”たね” ”たまご”いろいろ 不思議

2015年07月26日 | Weblog
大坂自然史博物館で開催中の特別展「たまごとたね」を見に行って来た。

ここでの「タネ」というのは「種子に限らず、種子の外側に果肉や果皮がついた散布体も含む(簡単に書いた)」とのことで、種子や果実も含めて「タネ」としてあると理解した。

変化に富んだ「タネ」や「殻」おもしろいので。つい拾ってきたりする。
この特別展に並んだものの中にも見たことがあるものがたくさんあった。

 
はじめにドーンとフタゴヤシ これは見たことがない。 右)大好きなドリアンもこのように標本になるんだ~。

名前がわからないままに持っているもの。
 
   ひょっとしてハスノミカズラかも?      ピンカドかも?

 ピンポンノキ かも・・  というものがあった。
調べてもわからなかったものが、こんなところでわかる時もある。    

ただ、珍しものを並べてあるだけでなく、身近にある植物も。
展示の方法は大人も子供も楽しめる工夫がされている。
散布の仕方で、水に浮いて運ばれたり、タネを飛ばすものがあったり、靴にくっついて運ばれるもの、他・・

  
タネを飛ばす シキミ 前に自分でも目にしたことがある(h26.10.13ブログに記載) 
                        右)弾丸のように飛び出るという テッポウウリ 
テッポウウリは前に、薬草園で、そろそろはじけるかもというのでしばらく見ていたことがあったが、そうそう都合よくは行かなかった。こういう仕組みで飛ぶのか~。図を見てわかった。その時に遭遇したら感激だろうなあ。

ミャンマーで拾って来た(上記の)ピンカドのサヤ このごつい鞘がはじけるのも見ものだろうな。

見慣れたタンポポの綿毛なども展示されたものを見ると芸術品のように見える。きれい・・

見てみたいタネ。
 
   チャンチンのタネ       タビビトノキ(オウギバショウ)のタネ


おもしろかったのは「タネの寿命を調べる」の展示で、長生きの種のナンバーワンはビロードモウズイカ 120年経った種が発芽したという。次はメマツヨイグサ 80年 次はナガバギシギシ これも80年御にも発がしたという。へええ~~~。
研究者が次代に引き継ぎながら調べた結果だという。

「標本の種」も休眠状態で生きているものがあるという。 へ~~。あのカラッカラッの標本が?
うまくいけば絶滅種もよみがえるかも?

「たまご」と「たね」はきっちり分けて展示してあるわけではない。
単純には、見る機会のない鳥や虫の「たまご」を見れるだけでもおもしろい。     今日は「タネ」について書いた。
まあ実際に行ってみてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月25日 長居公園 植物園

2015年07月25日 | Weblog
公園は夏まっさかり。

 
       ヒシバデイゴが咲き始め           サルスベリは満開  


グレビリアロブスター 実がいっぱいついていた。

植物園では
 
アオギリの実が鈴なり。1つの子房が5つに分かれた果実 割れて種が見えているものもある。
                       右)中心部にハチが来ていた。蜜腺があるらしい。

 
       ホルトノキが花盛り        花弁は先が細く裂け黒い葯 黄色い腺体がある。


先日見逃した ツマミタケ こんなところで見られるとは。うれしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月24日 天王寺公園周辺 茶臼山 一心寺 

2015年07月24日 | Weblog
天王寺公園周辺


慶沢園 町の真ん中とは思えない静寂さは庭園周囲の繁った木々のせい。 

 
枝にコブのある木 幹や根もとにキノコがたくさん付いた木

今日の講師は創業130年の造園業を営み、樹木医でもある先生
木のいろんな症状を見ていく。
キノコは落ち葉や朽木を分解してくれるが、幹や根もとに着くと木は弱り枯れる原因になることや、自然の姿を見せるために「透かし剪定」をするとよいこと。ウメの輪紋病や桜のこぶ病のお話も聞いた。
木の植え方では「ルートカラー」を見せて植える。枝を伐る時、枝の途中で伐る「伐り止め」や付け根から伐ることはいけない。
「ブランチカラー」や「パークリッチ」を残して伐れば、早く巻き込んで傷を修復することなど、専門用語も教わった。

その後、茶臼山へ。標高は26m 
大坂冬の陣では徳川家康の本陣が、夏の陣では真田幸村の本陣がおかれていた、激戦地だったらしい。


和気橋  この池は、和気清麻呂が掘ろうとした運河の跡だそうだ。

 
      ハンゲショウやミズカンナはほぼ終わっていた。


お弁当タイム ヒロヘリアオイラガが歩いてきた。ヒグラシの声 

午後は樹木診断 
枝葉の付き具合 枯れ枝はないか バランス 切った跡があるか、 胴吹きやひこばえがあるか 根を切られていないか 根もとを踏み固められていないか 日当たりは・・などシートの項目ごとに各自チェック

専門家の診断は危険であるかどうかを先ず調べる。

 
金属の棒や木ヅチで音を聞いて中の腐り具合を見る。 試してみた。

 
堀越神社『聖徳太子が叔父の台32代天皇の徳を偲んで、四天王寺建立と同時に創建』
                         右)樹齢550年のご神木 クスノキ 
『谷町線の拡張工事・地下鉄谷町線の開通工事に伴い、現在の場所に移転した』と説明板に書いてあった。
樹齢550年の古木でも移植できるの? 驚き。 狭い場所でちょっと窮屈そう。

一心寺

インドボダイジュが1本植わっていた。

 
花の時期には遅いジャカランダ 一枝だけ花が咲いていた。まるで私たちのために残ってくれていたよう。
                    右)落ちていた果実 中には翼の付いた種が入っていた。

安居神社
真田幸村が大坂夏の陣で戦死した場所で像が建っていた。
 
安居神社 境内に入って、前にも来たことを思い出した。
                        右)茅の輪が造ってあった。
「茅の輪くぐり」は夏越の祓えに使用される。
輪をくぐることによって、正月からの半年間の罪穢れを払い、残り半年間の無病息災を祈願するという。
説明の通り、右足から入って左へ回り、右足から入って右へ回り、最後に左足から輪をくぐり・・無病息災を祈った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月23日 ユウスゲ ヤマユリ ノカンゾウ

2015年07月23日 | Weblog
ずいぶん書くのか遅れましたが・・少しずつ書いていきます。 その頃にはまた引き離され・・その繰り返しです。

小雨降る中、薬草園へ行ったが、ほとんど花はなく・・
お知り合いの畑を覗く。

 
ブルーベリーはまだ未熟 平地よりだいぶ遅い。   これはアマランサスとのこと。

笠荒神へ。
あたりの様子は前来た時とはずいぶん変っていた。前に来たのはそんなに前になるか・・


笠荒神と言っているが正式には「笠山荒神社」というらしい。
昔は家にも「かまどの神様」をお祭りしていたが、今は縁がなくなってしまった。

名物笠そばを食べた後、今日の目的の山野草園へ。

 
      山裾のヤマユリに歓声        少し遅めだったが、ユウスゲもまだ咲いていた。
「ヤマユリも植えたんと違うで」連れて行ってくれた人が言う。 ほんとに見事なヤマユリを堪能した。

 
前にいつ見たか? 久しぶりのノカンゾウ           チダケサシ

 
山の方に回ると、咲き始めのウバユリの若々しい姿    
                    右) ツチアケビも所々に見られた。

NPOが管理しておられ、今日も雨の中作業にきておられ頭が下がる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月21日 甘樫丘

2015年07月21日 | Weblog
樹木調べを始めている。
難しい樹木はないのに、特徴がはっきり出ていないものなど迷ったりするものもある。
前からあったものか?植えたものか?鳥が運んだものか?木を見ていくのはおもしろい。

 
           オミナエシ              オトギリソウ

 
           ナツフジ           ガマズミ(ミヤマガマズミっぽい)


クヌギの葉に着いた虫こぶ クヌギハマルタマフシ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月20日 復元氷室 3トンの氷、残った氷は何キロ? 古代氷室跡 都祁氷室神社 

2015年07月20日 | Weblog
「復元氷室 氷出し」の天理のイベントに参加

「氷室」とは、氷が年中作られるようになる以前、冬の厳寒期にできた氷を夏まで保存する施設。
今は何時でもある氷を真夏に使おうとした先人の知恵が詰まっている。

「復元氷室」は道路から少し登ったところに作られていた。茅葺き屋根


私たちが到着した時にはちょうど復元氷室の前で神事がとり行われていた。
神事終了後、氷室の中を見学。

 
      階段を登り・・狭い入口から潜り込むように中へ。    

 
        穴の中に光る氷が見えた。

 
                 反対側の出口から出る。

 
全員見学後、地元小学生たちによって氷の運び出し。


それを荷車に積み込んで・・氷室神社へ?


氷をさわらせてもらった。 冷たさはどの氷も同じはずだけど、春夏と頑張って残った氷だと思うといとおしい。
「よう頑張ったね~」

「2月11日、氷を復元氷室に納め、海の日に取り出す」この行事は今年で17年目だそうだ。
「今年2月に納めた3トンの氷(48時間かけて凍らせた氷)は、どれだけ残っているか?」 これはクイズになっていた。
去年の残氷量は109キロ これを参考にやや少なめの量で投票した。

さて、今年の残氷量は?  正解は「36.8キロ」と発表があった。
元の1%ぐらいに溶けてしまった氷。ちょっとさみしい。
  
掲示されていた17年間の残氷量の記録を見ると、
第1回の1999年(H11)・第2回 ・第3回 の残量率は 62.5% 70% 70%あったものが・・
その後は30%台がつづき・・・ここ5年間では1%が今年含め3回。

復元氷室は道路近くの山裾に作られていて、地形的に水がしみこみやすいとの説明もあったが、温暖化の影響もあるのかなとちょっと不安になる。

「氷まつり」の行われている福住小学校へ。
 
途中の山裾にはたくさんのヤマユリが咲いていた。 
昔は普通の光景だっただと懐かしく思った。
イノシシが食い荒すそうで、ヤマユリを維持するのも大変そうだ。


「氷まつり」会場の都祁小学校 模擬店も出て賑やか。午後のコンサートも準備されていた。
サービスのかき氷をいただいて、模擬店で買った焼きそばを食べる。
残量の予想が近かった数人の人には賞品があった。 私は大幅に外れ。

午後からは「氷室跡」見学

 
山道を登った尾根筋に氷室跡はあった。    大きいすり鉢状の穴が2つ 

説明によると、復元氷室には立派な茅葺き屋根が作ってあったが、古代の氷室はもう少し簡単なものだったそうだ。
氷室跡に立っていると風が涼しい。福住は海抜480m前後の高地にあり、平地とは5度程度気温が低い。
その尾根筋は涼しい上に水はけもよく、氷室作りには適していた。
それに、当時はもっと気温も低く、浅い池に水を張っては凍らせ、また水を撒いて凍らせして、この辺で氷も作れたという。

長屋王の屋敷跡からは「都祁の氷室」「氷室の造り方」等を書いた出簡が出土し、また日本書紀にも、ここで作られた氷が奈良の都の天皇に献上された記録があるという。

平城京まで19キロぐらいといえど、人の足で氷をとかさずに運ぶのは大変なことだったろう。
まして天皇献上品となると、責任重大だ。
さらに平安京にも福住の氷を運んだ記録もあるというから驚き。
都では「氷を管理する役所」もあって、人が亡くなった時に(今のドライアイス代わりに)使われたりもしたそうだ。

古代氷室跡を見た後、「氷の神」を祀る都祁(つげ)氷室神社へ

ここでもボランティアさんの説明付き。
 
氷室神社 といえば、奈良の氷室神社を思い浮かべるが、ここの氷室神社から祭神を勧請したもので、ここが総本社にあたるという。
バスで天理駅まで送ってもらい解散。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月19日 家の花 オニユリ メハジキ オグルマ

2015年07月19日 | Weblog
アツサニモマケズ

 
         オニユリ              ムクゲ         

 
田起こしで掘り出されていたもの  やっぱりオグルマだった。
                       右)メハジキ


           ヤブミョウガ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする