みどりの野原

野原の便り

12月31日 今年最後~新年はじめ  年越

2021年12月31日 | Weblog

「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」高浜虚子
大晦日にはこの句が思い出される。
何も変わったことがないのに年をまたいで新年になる。
不思議な気持ち。でも新たな気持ちになる。

例年のように近くの氏神様に詣でる。


太鼓の音と共に新年を迎える。


先ずは感謝と今年の安泰をお願いする。

今年はいつもと比べて年越しの時間に参拝者が少ない。
例年の焚火(お焚火 小焚き上げ)もなく寂しい境内。
でも、1家に1膳「長寿箸」をいただいて帰った。

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12月29日 うちの庭 縁起植物(オモト キチジョウソウ センリョウ ナンテン) オキナワスズメウリ

2021年12月29日 | Weblog

うちの庭の縁起植物


オモト(万年青) 今年は実付きがよい。
年によって実付きの悪い年もある。


キチジョウソウ
吉祥草 名前からしてめでたい。
「花がなかなか咲かず、吉事があると花が咲く」というらしい。
でも、毎年咲く。(めでたい家)
例年、花はもう少し早く咲き、もう少しでお正月なのに・・と思うのだが、今年は花の時期が遅れたのか、まだ花が見れている。


紅白ナンテン 奥にシロナンテン 今年はよく実がついた。
「難を転じる」 鳥が運ぶのか何本か生えている。 ご利益よろしく。


センリョウ(千両)ほどほどにお金もよろしく。

マンリョウ(万両)も毎年実を付けていたのに、消えてしまった?
カラタチバナ(百両)もあったのに・・いつの間にかいなくなった。
ヤブコウジ(十両)他の植物に押されて数少なく、今年は実も付いていない。
その分、センリョウ(千両)に頑張ってもらおう。



斑入りハラン 転々と白い斑が入る。
吉祥植物とは言わないが、家ではお正月のおせち料理の飾りによく使う。
普通のハランより小ぶりで、花活けにもできる。




オキナワスズメウリ
20個ぐらいは果実がなっているが、まだ色づかない。
寒くなったからか?
「部屋の中へ入れたら色づいてきた」とのネット記事があるので試してみようかな。

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12月25日 ボランティアガイド

2021年12月25日 | Weblog

コロナで行事が中止になったり、体調不良や感染拡大で休んだりで・・
今日は2年ぶりの大阪市内。2重マスクで出かけた。
電車は座れてラッキ~。

今日は、若いけれどベテランのメンバーがメインなので、ゆっくりついてまわろう。
・・と思っていたら、電車に乗った頃、急にお休みメール。あら~。

今日のテーマは「縁起木」
始まる前にぐるっとひと回り下見。

参加は20人余り。
準備してくれてあった配布資料(大助かり)と事務所の方の応援で開始。

資料の「縁起木」クロガネモチ ユズリハ カリン モッコク ヒイラギ ナンテンを中心に季節の木々を観察していく。

園内の木々は葉を落としたもの、枯れ葉をつけたままのもの。
先ずはそのあたりから・・


クヌギの枯れ葉は引っ張っても取れないぐらいしっかりと付いていた。
離層ができにくいことなど説明。


クマザサの白い部分は模様ですか?と質問あり。
葉を触ってみると白くなった縁と緑色の部分とでは明らかに手触りが違う。
冬、気温が低くなると縁が枯れ込む性質があるようだ。


ユズリハ


ヒメユズリハ しめ飾り用に準備されたもの。
こうやって並べると一目瞭然だが、別々に見ると、迷う時もある。
世代交代がスムーズに行われ家系が絶えない、とされる縁起木


縁起木 クロガネモチの説明後、参加者の男性が、昔「鳥もち」を作ってメジロなどを捕っていた。と言われ、鳥もちの作り方を皆さんに披露していただいた。
昔は野鳥を捕ることができたんや。と懐かしい話。
私も知りたかったのでうれしい。

もう一つ、資料に「ヒイラギの葉はどれでしょう」というのがあって、わいわい言った後、実際のヒイラギの木を見てもらう。
あ、ギザギザのない葉っぱもあるわ。ギザが少ないのもある。・・それぞれ見つけて納得。


ヒイラギ
昔は節分にはヒイラギの枝に鰯の頭をつけて門口に刺しましたね。
そんな節分飾りしている方いますか?との問いに、お1人手があがり、びっくり。
ヒイラギは魔除けとして鬼門に植えられる。


モッコク 縁起木 庭木の王様といわれる。 
「3大庭木」「江戸5木」の1つといわれ、それも紹介。
モッコクの根元にセンリョウやマンリョウを植え「千両万両持ち込む」と縁起を担ぐらしい。
なぜ「持ち込む」なのかな?

ナンテンも「難を転じる」とされる縁起木。
実や葉にはアルカロイドを含むが、微量なので、実は咳止め・のど飴に。
葉も殺菌防腐作用があると、赤飯の上に乗せたりする。
1枚の葉はどれ?に、いろいろな答えがあり盛り上がる。
長寿箸として「南天の箸」が売っていたり、いただいたりすることがある。
ただ、ナンテンはまっすぐな太い材にはならないので、マイ箸を作る程度ならともかく、売るほどのものは出来ないそうで、イイギリや外材だと聞いたことがある。

今日の工作は「しめ縄」


たくさんの材料を準備してくださっていた。
人数が多く後で場所移動した。


見本のしめ縄(輪飾り)
皆さん、世界に1つだけのしめ縄を嬉しそうに持ち帰られた。

私も藁で縄編みをやってみた。前にしめ縄を編んだのは10数年前。


乾いた手で綯いにくかったが、できた。


材料をもらって帰って家で作った「マイしめ縄」

久しぶりだったが楽しかった。


公園の葉ボタン お正月は近い。

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12月24日 日本書紀

2021年12月24日 | Weblog

今年最後の講座でした。
2月7日に天皇は越智にいでまして、後岡本天皇(斉明・皇極天皇)陵を参拝された。

越智というのは高市郡高取町越智。
高取町車木にある「車木ケンノウ塚古墳」のことらしい。
日本書紀 天智天皇の項に、間人皇女と小市(おち)岡に合葬した・・・との記述がある。

現在では、2010年の発掘調査により、牽牛子塚古墳こそが天皇陵である可能性が高まっているとのこと。

「おち」は越智 小市 御路とも書かれるが、漢字にはこだわらなくていいとのこと。
「あすか」も飛鳥 明日香 安宿 などの表記もある。

地名のことで話が発展。
「車木(くるまき)」は曽我川の曲流地で渦巻く所・反転するの意味の「クルベキ」から転化したものとの説があるらしい。他にも「三重」「熊本」などの地名の由来の話。

「芋峠」や「細峠」は「いも=疱瘡」「細=疱瘡」など・・
疱瘡が入ってこないようにと地蔵を祀ったり・・・
いかに恐れられていたかがわかる。

3月、貧しき僧尼に、絁(ふとぎぬ)・綿・布を施された。
絁(ふとぎぬ)とは「粗く織った絹」のことで、ち密に織った絹と区別した言い方。

5月5日 皇后(後の持統天皇)と共に吉野宮にいでまし、6皇子を集めて詔される。
吉野への道はいくつもあり(①芋峠 ②壷坂 ③車坂 ④芦原 ⑤竜在峠)
古代は吉野川をさかのぼるルートもあった?
地域により使いやすい道を利用した。
飛鳥あたりからは芋峠越えになる。

もうお1人の先生からは、福岡県の古墳や関ケ原あたりのお話や、地名の話なども聞かせていただいた。

なかなか「理解できた」とはいかないけれど、毎回楽しく拝聴している。

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12月19日 石川の石 パンジー

2021年12月19日 | Weblog

寒風吹きすさぶ河原・・と寒さ対策ばっちりで行ったので、たいして寒くは感じなかった。
石川は大和川水系の1級河川


冬の石川の河原 殺風景な景色だ。


このあたりの水深は浅いが、案外流れは速い。小石の島ができている。


あるのは石ころのみ。上流の山地などから運ばれてきた。

参加者がそれぞれ石拾い。
シートの上に、先に講師の方が乗せてくれているものと似たものを置く。
・・って言っても、素人目にわかる色や形や表面の様子など適当に・・。

30分程石拾いをした後、講師が整理してくださった。


火成岩 マグマが冷えて固まってできた岩石 
・花崗岩が一番多い。地下の深いところでゆっくりと冷えて固まったもの。
 上流の金剛山や葛城山を構成している岩
・流紋岩 マグマが地表付近で急に冷えて固まったもの。
・安山岩 ケイ酸分を多く含むマグマが、地表付近で急に冷えて固まったものなど。
     サヌカイトも安山岩の1種らしい。


堆積岩  左上は人工物
堆積岩は、礫や砂や火山砕屑物などが堆積してできたもの。
・チャート ケイ酸質の放散虫などの遺骸が海底に運ばれて堆積。1億年以上経っているらしい。
 緻密で硬い。昔は火打石などにしたとか。色は様々。
・砂岩・礫岩は粒の大きさで分ける。2ミリ以上は礫岩 和泉層群を構成する。
・凝灰岩 火山から噴出した火山灰などが、地上や水中に堆積してできた岩石。

花崗岩かな? 砂岩かな?・・その程度しかわからないが、面白かった。
岩石のようで、岩石ではない摩耗したコンクリート片やレンガなどの人工物も紛らわしい。


いつの間にか魚を捕られていて、ヌマエビやカワムツの稚魚を見せていただいた。


川の中の石の裏にヒルを見つけた方もいた。

植物講師からは、オッタチカタバミやコセンダングサの説明や道中のウバメガシの説明、駅そばのパンジーのお話もあった。


小学生が植えたパンジー 花が終わって果実やはじけた姿。
花を次々咲かせるためには、花が済めば花柄は摘み取ってしまうので、パンジーの果実を見ることはないので、興味深かった。
花が終わって果実になると上を向く。
弾けた種にはアリへのお土産がついていて、アリに運んでもらう作戦だ。


果実が弾けたもの。種子がしっかり付いていた。


帰ってから種子のエライオソームを見てみた。


今日のお土産は・・チャート 茶色いのと黒いのと2個持ち帰り。


部屋の引き出しには石のコレクション?が・・開けるのも重い。
お土産に拾ってきてしまったもの。また増えた。
断捨離が必要なのに、どうするの?

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12月14日 耳成駅~香久山周辺 日本書紀ウォーク 天香山神社 畝尾都多本神社

2021年12月14日 | Weblog

半日の日本書紀ウォーク 最終

細い道 横の水路は「中の川」
南へと南浦町 法然寺まで続くと分かった。
これが今日の一番の収穫。

このあたりの藤原京の道路側溝より「穂積親王宮」と書かれた木簡がでたそうで、
どこかはわからないが、このあたりに穂積皇子の宮があったのかも。とのこと。
今はあたりは田んぼばかり。

高市皇子の宮にいた但馬皇女が、穂積皇子を思って作った歌。
その関係がばれて、又歌を・・奔放な感じのする皇女だ。
そして、但馬皇女が亡くなった時に高市皇子が悲しんで歌を詠む。
今より自由な恋模様?

膳夫町
膳夫は宮中に仕え調理を司る料理人 
膳夫氏の一族がこのあたりに住んでいたという。

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)

「天香山神社」
祭神は、櫛真命(くしまのみこと)神意を伺う占いの神


境内の「波波迦の木」(ウワミズザクラ)
天香山神社の 波波迦の木を占いに使った起原は、天照大御神の岩戸隠れの時に遡る。
神代の神事が現在まで継承されているのはすごい。

昔は 鹿の骨 を使ったが、現在では 亀の甲羅 を使って「亀卜(きぼく)」が行われる。
令和の御代替わりの時の大嘗祭に用いられる特別な稲を育てる田を決める「斎田の儀」
その時の占いにも、天香山神社の 波波迦の木が献上されたという。

 波波迦の木の枝を焼いて、薄く切ったアオウミガメの甲羅に押し付け、ヒビの入り方で占って斎田を決められたそうだ。

神武天皇東征の時、天の香久山の白埴で作った土器を作って祀るようにとの天神のお告げにより、敵が降伏したことから「白埴聖地」ともいわれる。


「ひさかたの 天の香久山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」柿本人麻呂

畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)

「畝尾都多本神社」 またの名を 「泣沢女の神の杜」 という。
祭神は、哭澤女神
イザナミの命が火の神を産んで亡くなられた時、イザナギの命が悲しみ泣いた涙から生まれた神だそうだ。
空井戸がご神体となっている。


藤原宮跡資料室をちょっとだけ見学。
ここでも天武天皇の頃のお話を聞いて、1次解散となる。

私は藤原宮跡から八木駅まで歩く。


高所寺池の堤防に上がってみたが、いたのはカワウだけ。


藤原宮跡


エノキの枝は大きく伐採されて、ヤドリギはなくなった。


醍醐池の桜の木にはヤドリギがあった。


醍醐池 時間帯が悪かったのか、ハシビロガモとマガモが数羽いただけだった。

横大路を通り・・


古道 横大路と、古道 下ツ道 が交わる「八木札ノ辻」を通って・・八木駅へ。

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12月13日 橿原神宮周辺 冬越しの昆虫 カブトムシ幼虫 タマムシ幼虫 マイマイカブリ オサムシ

2021年12月13日 | Weblog

腐葉土の中、朽木の中・・冬越しする虫を探す。
今日は近場での観察でラッキー。


最初に見つかったのはオサムシの1種 後ろ翅は退化してなく、飛べないそうだ。

コクワガタ 雄 成虫で越冬するものもいるそうだ。


マイマイカブリも見つかった。
昔はよく見かけたように思うが、少なくなっているらしく、昆虫好きのメンバーは「見るのは2年ぶり」という。
これも、左右の前翅は融合してしまい開くことができない。
さらに後翅も糸状に退化しているため飛ぶことができない。
地べたを這いまわって生活する。


マイマイカブリ 胸から頭部が細く、カタツムリを食べるのに適した形。


オオゴキブリ これは幼虫 成虫もいた。
すぐ腐葉土にもぐりこんでしまうので撮りにくい。


アカシマサシガメ 
写真ではよく見えないが、前胸背に縦と横に溝が刻まれている。


トゲナナフシも木のすき間で寒さをしのいでいた。


アオモンツノカメムシ (メモ帳の罫線は7ミリ)
小さくて肉眼では模様は見にくいが、よく見るととってもきれい。
成虫で越冬するらしい。


キノコムシの仲間 これも肉眼では黒い点にしか見えない小さい虫。
キノコを食べる甲虫。


ナガニジゴミムシダマシ 名のように光が当たると虹色に光る。


ツツジグンバイ 薄いレース模様の翅を持つ。 軍配の形


コメツキムシの幼虫らしい・・


カブトムシ!と叫び声 その後同じ場所で3匹も見つかった。

カブトムシの幼虫が見つかった同じような条件の、立ち木が腐って皮がぼこぼこに剥がれ、株元も腐葉土になっているようなところを探していると・・いた!
自分でも大きいカブトムシの幼虫を見つけることができた。
幼虫の周りには糞がたくさんあった。
観察した跡、そっと土や木の皮をかぶせておく。


これは何の幼虫? たくさん見つかる。


この頭でっかちの幼虫は?・・・タマムシの幼虫だ。
これがあのきれいなタマムシになるとは想像できないが。


朽木や腐葉土の中にはこんなキセルガイのような陸生貝やカタツムリもいた。
クモも脚を縮めて動かず。ミミズやヤスデもたくさんいた。
他にもたくさんの昆虫が見つかった。報告書が楽しみだ。


キノコの下にひろがる菌糸 枯れた木が徐々に分解されて土に戻る。


フユイチゴ プチプチとするが甘酸っぱい。


深田池 ほとんどヒドリガモ それにオオバン 他の水鳥は見なかった。

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12月12日② うちの庭 紅葉 黄葉 サザンカ

2021年12月12日 | Weblog

うちの庭


ハマボウ 紅葉


ライラック 黄葉


サザンカ

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12月12日① 万葉講座 かしは 雪 新年の歌

2021年12月12日 | Weblog

今年最後の万葉講座

*12月の歌は「かしは」(柏)
「印南野のあから柏は時はあれど 君を我が思う 時はさねなし」
(印南野(播州)のあから柏は赤くなる時期は限られるが、大君を思う心は全く限りはありません。)
作者:播磨国主 安宿王(あすかべのおう)奈良時代の皇族 
天平勝宝6年の新年の儀式の後の酒宴で、天皇を思う心を奏上した。

父 長屋王が謀反の疑いで自刃した時、母が藤原不比等の娘ということで安宿王は死罪を免れたそうだ。

*前後についた説明文で、わかりやすく面白い?気持ちのわかる歌もあった。
婚礼の後、幾日もたたずに遠いことろへ転勤になった旦那さん。ショックで寝込んでしまった若奥さん。
何年か経ち、旦那さんが帰ってみると、若奥さんのやつれよう。驚き、涙して詠んだ歌。
それに応えて詠んだ奥さんの歌。 
昔も今も、気持ちは同じ。淋しかったよねえ奥さん。一緒について行くことはできなかったの?

*正月の雪に因む歌。
雪は美しく縁起の良い吉祥とされた。
雪に寄せて天皇をたたえ、徳をたたえる歌が詠まれる。

正月に大雪が降り、左大臣 橘諸兄が諸王諸臣たちを引き連れて、元正太上天皇の御座所に参上し雪掻き奉仕をした。
その後、太上天皇がねぎらいに開いた宴席 肆宴(とよのあかり)で「雪をテーマに歌を作れ」と仰せられて詠んだ。
出席した諸侯諸臣たちみな歌を詠んだはずなのに、記録を忘れたとかで、5首しか残ってないそうだ。
・・そんなこともあるのか・・
また、中には和歌が不得手な人もいて、同席者から「和歌が苦手なら麝香でも(献上して?)贖え」と言われたり。
ふふふ・・
 
記録された5首の歌の中の1首
・「新しき(あらたしき)年の初めに豊の稔(とし)しるすとならし 雪の降れるは」
作者:葛井連諸会(ふじゐのむらじもりあひ)
(新年早々、今年の豊作の前兆ということらしい。こんなに雪が降り積もったのは。)
他、4人の歌が残る。

新年の雪の歌
・「新しき(あらたしき)年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
」 
作者:大伴家持 因幡の国主であった時、宴を催した時に詠んだ歌。
(新しい年の初めに降る雪のように良いことよ積もれ。)
この歌は、万葉集編者の一人であった家持が詠み、自ら収録した万葉集の最後の歌。
年代のはっきりした(天平宝字3年)一番新しい歌。家持がこの世に残した最後の歌 だという。

この2首は年賀状でもいただいたことがある、おめでたい初春の歌である。

もう12月も半ば、もうすぐお正月だ。

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12月11日 竜田川から法隆寺 「藤ノ木・業平 つれづれの道」ヨシガモ

2021年12月11日 | Weblog

竜田川駅から法隆寺へ案内していただく。


竜田川 対岸の黄葉 紅葉
川にはオオバン ヒドリガモがいた。

龍田川にかかる念仏橋を渡る。


山の黄葉


「藤ノ木・業平 つれづれの道」の石標


在原業平が河内の姫のもとに通った道だという。
天理から・・斑鳩町を通り・・河内の高安まで。
昔の男は何とマメだったんだろう。


草の道を通り・・


この土手の斜面を登るという。
草につかまりながら登る。


わお~。 紅葉が写りこんだ溜池。水鳥がたくさんいた。


最初に見つけたのが・・うれしいことに大好きな ヨシガモ


他に、ホシハジロ キンクロハジロ オオバン カルガモ


ため池を出て山道へ。


上を見ればタカノツメの薄黄色の葉


墓地に出た。 六体石仏があった。


クヌギの紅葉 風が吹いて葉っぱの吹雪 すご~い。
写真に撮れそうで撮れない。

戻って歩きやすい道に出る。


池の周りの道 いい感じの遊歩道。


ぐるっと回ると休憩スペースに出た。ポケットパークというそうだ。
手前にもテーブルとイス。人数もちょうどいい。ここでお弁当。


これで、池に水があり水鳥がいれば最高だけどねえ。残念。


ここは少し高いところにあり、見晴らしがよいところ。
・・が、残念ながら今日は遠くは霞んでいた。

ここから少し下ると、前に「藤ノ木古墳」今日は立ち寄らず。


西里の集落を抜ける。
法隆寺を支える大工集団の本拠地だったそうだ。
名前を聞いたことがある「中井大和守正清」の出身地と言われている。
静かな家並みだった。


「ウォーナー塔」と書かれた石碑と五輪塔
右は「鐸嶺塔」の石碑と五輪塔
ウォーナーとは、太平洋戦争の時、奈良や京都を戦火から守った恩人と聞いたことがあるが、真実ではないらしい。

右に「鐸嶺塔」 「平子鐸嶺」という名は知らなかった。
「法隆寺は天智天皇の時にすべて焼失したが、現在の建物はその後に再建された」との説に対し、「飛鳥時代の高麗尺が適合することから、再建されたものではなく、古くからの建物で、日本書記の記述が誤っている」と、異を唱えた人が「平子鐸嶺」なんだそうだ。

来たことがなかった 法隆寺「西円堂」



八角円堂造りの西円堂(国宝)
国宝の薬師如来 千手観音 不動明王 などを覗いた。


中門 五重塔

今日も穏やかな天気で歩きやすかった。

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