みどりの野原

野原の便り

12月31日 大晦日 年越しは宗我都比古神社で

2011年12月31日 | Weblog
夜、近くの曽我神社へ。
氏神様で普段は曽我神社と言っているが、正式には「宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)」というありがたい名前の由緒ある神社だ。

1998年(平成10年)奈良県各地で甚大な被害をもたらした台風7号で、鎮守の森の木々は被害を受け、うっそうと貫禄のあった境内はあっけらかんと明るくなり、そこへ今ふうの木や草花などが補植されたが、昔の景色がなつかしい私である。

神社に着いたのは23時55分ごろ。すでに拝殿の前には参拝客の列ができていた。傍らで焚かれた火の周りを取り囲んでいる人もいる。

例年は正月も明けてからのんびり来るので、この時間に来るのは初めてだ。
何で並んでるの?何で次々お参りしないの?と思っていたら、ちょうど0時新年に変わる頃拝殿の戸が開いた。あ、そうか。開帳を待っていたのか。

太鼓が鳴るわけでも音楽がかかるわけでも、拍手がおこる訳でもなく静かに年が明けた。
そのころには拝殿前から鳥居まで長い列ができていた。

「おめでとう」と言い合って今年1年の健康と世の中の平和を参拝し、お神酒と長寿箸を頂いて帰った。


         曽我神社

この後ハプニングはあったが、我が家の1年が始まった。
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12月27日 これがなければ今年はおわらない。フグ忘年会

2011年12月27日 | Weblog

冬の木 柊 ヒイラギ(雄花) 集合場所の駅前に咲いていた。
寒さは昨日よりはまし。

お昼前に集合して、注文したフグを受け取り、買い物をして友人宅で鍋の準備。


    さあ始めるよ~。
4人でフグ2匹分、テッサと鍋、皮や白子からヒレ酒まできれいにたいらげた。

今年もいい年だった。
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12月26日 庭・シイタケ

2011年12月26日 | Weblog
今日は前庭の整理をした。


   ちょっとすっきり。


裏庭を覗くとシイタケが1本出ていた。
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12月25日 ベランダ片づけ ・ 今日の収穫は・・

2011年12月25日 | Weblog
午後からベランダの西側の整理と掃除。
こんな寒い日にしなくてもいいのだが、気候のよい時は外へ出るので・・


ぐちゃぐちゃ真っ最中 ・・やりかけたら植え替えも。

植木鉢の枯れたツルを掘り出していたら、中から丸いものがいくつも出てきた。
ひょっとして・・


やっぱりヤブマメの地中の豆だ。
この時期に掘ると大きいマメが見れるんだね。


左)地上のサヤと豆。豆の直径3ミリぐらい。ほとんどははじけ飛んでこれは残り。
右上)大きい地中の豆は直径1㎝ サヤはない。
右下)本当に豆かな? 割って見た。食べてみたら生臭い豆の味。よし今夜は・・


これは今年10月13日に明日香で見たヤブマメの地中花? 分解してみたらよかったなあ。
去年の11月19日にも大きくなった地中の豆を見ている。


4時過ぎ やっと片付いてすっきり。腰が限界!


豆ご飯 おいしかったです。栽培しようかな?って
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12月23日 奈良公園 巨樹

2011年12月24日 | Weblog
K大オプションで奈良公園の観察会
女子学生さん4人が参加。修学旅行で来て以来という学生さんも。


      クロマツ 堂々とした姿 奈良公園にはたくさん植えられている。

 
エノキの巨樹 測定の結果 幹周3.9m     ヤドリギがいっぱい

 
 青い空にセンダンの実   幹が空洞になったツバキの巨樹 
                  これで200年ぐらい経っているとか 

 
大仏池に真横に突き出したエノキ ぐっとこらえている姿に見ているだけでも力が入る。                 右)イチイガシ 4人手をつないだ太さ 

 
シカに大喜びだったが・・せんべいをあげようとして詰め寄られ悲鳴をあげる学生さん。                      右)午後はシカもひと休み


ハクモクレン 暖かい毛皮のコートを着たツボミ。
この冬一番の寒さ。私はダウン2枚を重ね着。それでも手がかじかむ。


南国を思わせるクスノキの大板根

 
コナラでは奈良公園一の木だとか。まだ色づいた葉をだいぶ枝に残していたが、その落葉の量のすごさ。範囲の広さ。今日で一番感動した木だ。       


  モミの巨樹 遠くからでも目立つ


東大寺大仏殿 大仏様にもずいぶんお会いしてないなあ。 

観察会終了後、なぜか会員でもない会の忘年会に参加。
知り合いが何人かおられたが、話題の豊富なメンバーの方々の話に引き込まれ、時間を忘れる楽しいひと時を過ごさせてもらった。
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12月20日 モミジバフウの種

2011年12月20日 | Weblog
前に(12月6日K大)拾ってきたモミジバフウの球果 


穴が開いて中からたくさんの細かい種が出てきた。


今回、その中に細長いものがあるのに気付いた。ゴミかといくつか取り除いたが、よく見ると羽根が付いている・・もしかして・・これが種子だった。  

いつも「いったい何個の種があるんやろう」で終わっていたが、なんか大発見したような気持ち。(知らなかっただけ)

ではたくさんの粒粒は何?
『種子が簡単に飛び出さぬための詰め物のようなもので、種子に湿度があるうちには球果の隙間にびっしりと詰まっているが、空気が乾燥すると風に揺られてサラサラとこぼれ落ちる。 そして詰め物が抜け落ちると球果の裂け目が大きくなり、種子がそこを通って周囲に撒き散らされることになる。』
『種子は風に乗って遠くへと撒き散らされる。そのため、乾燥した風のある日に種子が球果より飛び出るように工夫されているのだろう。』 以上ネットによる。

すばらしい!

捨ててしまったが、播いて育てた人もいるらしい。
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12月19日 馬見丘陵公園 

2011年12月19日 | Weblog
今年最後の馬見丘陵公園


   池の周りの紅葉がきれい


   ソヨゴ  他にサンシュユ・クロガネモチ・ナナミノキ 冬の定番の赤い実 


イヌビワ 割って見ると白い種 まだ未熟か?


黄葉したソシンロウバイ「もうそろそろ咲くね」と見たら 花が咲いていた。
黄色い葉にまぎれて目立たない。

池の鳥 
コガモ・ハシビロガモ・カイツブリ・カルガモ・ヒドリガモ・ホシハジロ・オナガガモ・アオサギ
他では
カワラヒワぐらいしか見なかった。

この後、忘年お食事会でおしゃべり。
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12月18日 伊丹緑地 いろいろの実 

2011年12月18日 | Weblog
集合場所の阪急伊丹駅 私は初めて来たが、阪神大震災で甚大な被害を受けたところだ。駅前周辺には建物が立ち並び震災の爪後は全く感じない。


猪名野神社を通って続く緑道を歩く。 途中に白洲次郎の実家の屋敷跡の看板があった。4万坪の屋敷内には美術館まであったらしい。

クロガネモチ・カナメモチ・サカキ・モチノキ・ユズリハ・ネズミモチ・イヌビワ・ロウバイ・トウネズミモチ・アオキ・ナンテン・クチナシ・タラヨウ・カクレミノ・ムクノキ  など実がたくさん見れた。


       タラヨウの実

赤い実・黒い実・・といつも外側の色を見ているが、種を見たのが面白かった。

 
ナンテンの実は中に2つの白っぽい種が合わさっている。
ロウバイのミノ虫型の実を割って見ると4個の茶色い種が出てきた。本には5~20個と書いてあった。
アオキの赤い実の中からは透明の種が1個でてきた。

 
    ケテイカカズラ    葉の裏に毛がある。よく見ないとわからない。

午前中で終わったので、もう少し先まで行ってみた。


旧西国街道 伊丹坂 この辺は伊丹段丘とのこと

この先に国道171号線が通っている。 友達によると、これも西国街道といわれていたらしい。イナイチともいわれる。イナイチ=171のことだとか・・なるほど・・

伊丹駅まで戻り食事をしてから娘の出品しているATCの「OSAKAアート&てづくりバザール」 を覗いて帰った。
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12月17日 久しぶりに歴史の講座 斉明天皇・牽牛子塚古墳

2011年12月17日 | Weblog
遊んでばかりの私、久しぶりに歴史フォローアップ講座に参加
講師は和田 萃先生 
聞こえが悪いので厚かましくも最前列の席へ。 
以下、自分の整理のために書いたが、間違いがあるかもしれません。
なるほどなるほどと聞いていたこともいざ書こうとするとわからないことだらけです。
なんせ付け焼き刃ですので・・・間違っていたら教えてくださいね。

先ず今日現地説明会がある磐余池について
先日橿原市東池尻の発掘調査で堤や建物跡が発掘され、磐余池の存在が判明したところは、和田先生が40年前から説を唱えられていたという。やっと実証。
(昨日見に行ってきた。写真は昨日のブログにあり)

古墳時代には前期・中期・後期・終末期などに分けられるが、飛鳥時代は終末期にあたる。
飛鳥には岩屋古墳・真弓鑵子塚古墳・マルコ山古墳 など終末期古墳が点在している。
牽牛子塚古墳もその一つ。明日香の真弓丘と呼ばれる丘陵の一画にある。

大正3年・昭和52年に続きh22年の調査で八角墳だということが明らかになった。
牽牛子塚古墳の2基の石棺は「斉明天皇と娘の間人皇女」との説があり、さらに範囲確定調査中に隣接地に孫の太田皇女の墓とみられる越塚御門古墳が見つかり、「日本書紀の記述と合致」することから牽牛子塚が「真の斉明陵」と判明したとのこと。(斉明天皇=皇極天皇)

牽牛子塚古墳についてはだいぶわかってきたが、まだ謎の部分があるとのこと。
それは「石槨の役を起こさしめず」(民衆の負担を思い)大規模な石槨を作らないで、との斉明天皇の遺言があったこと。それなのに遠く二上山の凝灰岩の巨石を運びなぜこんな大きい古墳を造ったのか?
また、孫の建皇子と合葬してほしいとの遺言も守られていないのはなぜ?
牽牛子塚古墳が建造されたのは7世紀後半と言われるがはっきりしていないらしい。
まだまだわからないことがあるという。

天皇や同等の高貴な人の墓といわれる八角墳。なぜ八角墳なのか?
仏教建築との関係・中国の儒教の影響や「八州国(日本は8つの島から成るという考え)また、八隅治之(やすみしし・国土の四方八方を治める)などの言葉があることから、国土統治のシンボルとして「八」を重んじたのではないかとのこと。

八角墳
牽牛子塚古墳(斉明天皇と判明)(宮内庁では高取町大字車木にある車木ケンノウ古墳を指定)の他に舒明天皇の忍坂段々塚古墳(押坂だんだん塚)・天智天皇の京都山科陵・天武・持統天皇の檜隈大内陵・草壁皇子の束明神古墳(宮内庁では岡宮天皇陵を指定)や中尾山古墳(真の文武天皇陵と確定・宮内庁では檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)を指定)などがある。

真相がだいぶ解明されてきたようです。
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12月16日 畝傍山~磐余池跡~桜井・泥掛地蔵~藤原宮跡~畝傍

2011年12月16日 | Weblog
思いつきで歩きに行くことになった。

先ずは畝傍山へ。「登山道にタマミズキがある」って中途半端に聞いた情報を思い出して、目立つ赤い実を探して登ったが不明。今年は実が付かなかったのか?コースが違ったのか?

 
登山道の常緑樹の間から見える紅葉  頂上のツガ 老木だがたくさん球果をつけていた。 

 
頂上からの景色 南西?に金剛葛城 北西?には矢田丘陵生駒山 北?は若草山・遠くに比叡山 北東には耳成山~三輪桜井  

急道で麓に降りて次は天の香具山を目指す。

 
       藤原京朱雀大路跡           天の香具山 


香具山の麓の天岩戸神社

香具山の東側を回り込んで車道を横切り通ったことのない村の道へ。
次に目指すは新聞でニュースになっている「磐余池」の発掘現場。大体の方向はわかっていたが、行き止まりになって戻ったりしながらなるべく知らない道を歩く。
オレンジの工事フェンスが前方に見えた。あれに違いない。

 
             フェンスの外から覗く。

それからこれも急な思いつきで、ここまで来たので、前に行った泥掛地蔵も遠くないはずと、行ってみることに。橿原市から桜井市へ。「山の西麓を歩いた」という記憶で歩いたら・・


見覚えのあるお堂があった。ここから集落を過ぎて山道へ。

 
風にクルクルと回る飾りはビールの空き缶を加工したもの。 右)近くの畑で チンチ~ン きれいな音がする。金属のお皿のようなものを使った鳥威し?

 
見覚えのある山裾の道 石標のあるところから切りとおしの道を入る。落葉の吹き寄せた池、雰囲気のいい道


泥掛地蔵尊 あまり人の来なさそうなところだがお供えの花も新しく、大事にお祭りされているようだ。この辺りは「青木廃寺址」の説明板がある。今は想像もしにくいが・・
前はその山を登って見たのだが、今回は道を先へ進んでみる。


気持ちの良い山道はさっき来た道へと繋がっていた。

ここから香具山の北を回って帰ることにした。

 
桜井市と橿原市の境界に近い家の石垣に埋もれるようにあった「かしわて峠」の表示。そういえばこの辺りは少し高くなっている。高さがわかるように撮るには? 教えてもらって撮った。

平城京からまっすぐ耳成山まで続いていたという中津道。この辺を通っていたのでは?などと想像しながら藤原宮跡へ。

 
ちょうど日の入り。金剛山と葛城山の間に沈んだ。手前は畝傍山  東の空模様

風が強く寒い一日だったが、日が沈んでいっそう冷えてきた。 
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