市尾駅~壺阪山駅へ古墳や瓦窯跡など・・巡る。
先ずは先日の「薬狩りの里巡り」5月5日 では、遠くに見て通り過ぎた市尾墓山古墳へ。
市尾墓山古墳 6世紀初めごろの築造 2段築成 内部は頭大の石が積まれて持ち送りになっている。細かい石積みが印象的だった。
元は前後に入口が開いていたらしい。奥壁は石で塞がれている。
石室内には二上山の凝灰岩のくりぬき石棺があった。縄掛突起は形式的なものになっているそうで、実際に縄はかからない?
被葬者は、巨勢氏の一族で6世紀初頭に活躍した巨勢大臣男人と考えられているらしい。
小山を登り始めたところに市尾瓦窯跡(高台瓦窯と言われていたところ)
覆いがしてあって様子がわからない。昨年12月に西側斜面に窯跡が見つかった。
初めての瓦葺きの宮殿 藤原宮で使用された瓦を焼いた窯跡とのこと。
傾斜の緩い斜面を利用したいくつかの窯があったらしい。
藤原宮内の多くの建物などに使うためには、200万枚もの瓦が必要で、窯は近くの峯寺瓦窯はじめ、県内・大坂・淡路島・香川・滋賀など15~6か所にも及ぶというが、その中でも市尾瓦窯はメインだったらしい。大極殿に使用された軒丸瓦なども出土し、窯の構造もわかる状態で残っているとのこと。
ここで焼かれた瓦は紀路を通る陸路で、また、曽我川など水路を利用して藤原宮に運ばれたのでは、という。
瓦窯の丘陵を登ったあたり、天満神社の境内に市尾宮塚古墳があった。
ここに来るのは初めて。
先ほどの市尾墓山古墳よりは後、6世紀中頃にできた。
両袖の石室内部壁面は赤色顔料が塗られていたらしく奥の壁に赤い色が残っていた。
赤い色は水銀ではなくベンガラとのこと。
赤は道教では最上の色とされ、魔よけなどの意味があるという。
ここの被葬者も巨勢氏関連の豪族らしい。
寸足らずな丸型ポスト
ここから市尾駅近くのガラス工房へ。
吹きガラスの制作工程を見学した。
外にあった色ガラスの棒 工房内 ガラスを溶かす炉 温度は1000度を超える高温
しかも、扇風機の風はガラスにとってよくないらしい。
ひとつの作品のはじめから終りまで見学
溶けたガラスを棒(吹き竿)の先に取り、素早く濡れた新聞?で形を整えつつ又炉で棒を回しながら熱し、また成型を何度か繰り返して・・ガラスは冷えると固まるので、素早く素早く・・
、息を吹いてガラスを膨らませ、又炉へ。何度も繰り返し、底になるのかと思っていた先に穴があき、広げ、熱しつつ形を整え、色ガラスを縁に絡ませて整えると、お椀型の容器になった。
底を整えて完成。パチパチパチ・・拍手
温度をかけながらゆっくりと冷ますために横の炉?に入れ、徐々に冷ましてゆく。
時間を見ていなかったが30分ぐらいかかった?
素早さと集中力と根気のいる仕事だ。真夏の炉のそばはどんなんだろう。
体験もできるらしいが、難しそ~。
ここからはずっと歩いて高取の町中へ。
小島神社では、絵馬収蔵庫を開けてくださり、普段は見ることのできないナモデ踊りの絵馬を見せていただいた。
ナモデ踊りは雨乞いなどの満願の時に踊る太鼓踊り。 右)アラカシ古木
各地にあったナモデ踊りも大柳生の太鼓踊りや国栖の太鼓踊りなど残されているのはわずか。小島神社に残る3枚の絵馬の内、2枚は絵柄もはっきりしていて、踊っている大勢の人や見物している人の動きもよく表現されている。
出たところにあったソテツ
幹に葉は全くないが先端には大胞子葉に赤い種子が見えた。根元にはひこばえらしい若い葉が出ていた。 右)燈籠の字の窪みにすっぽりとはまりこんで燈籠になったつもりか色柄まで石そっくり。
上村家の長屋門を過ぎて坂を登る。 右)オレンジに色づいたビワ
坂を上がったところが俳人阿波野青畝(あわのせいほ)の生家
庭に「虫の灯に 読み昂ぶりぬ 耳しひ児」 阿波野氏は幼いころより難聴だったらしい。
庭のドクダミがしっとりと静かな庭であった。 座敷もそのままにしてある。
その後、土佐町懐古館・青畝文学館 夢創館で高取城のCGを見、薬資料館~街の駅~小島寺(小島曼荼羅)~光永寺(人面石)と・・ちょっと疲れた。
小島寺のボダイジュ 果実ができていた。
先ずは先日の「薬狩りの里巡り」5月5日 では、遠くに見て通り過ぎた市尾墓山古墳へ。
市尾墓山古墳 6世紀初めごろの築造 2段築成 内部は頭大の石が積まれて持ち送りになっている。細かい石積みが印象的だった。
元は前後に入口が開いていたらしい。奥壁は石で塞がれている。
石室内には二上山の凝灰岩のくりぬき石棺があった。縄掛突起は形式的なものになっているそうで、実際に縄はかからない?
被葬者は、巨勢氏の一族で6世紀初頭に活躍した巨勢大臣男人と考えられているらしい。
小山を登り始めたところに市尾瓦窯跡(高台瓦窯と言われていたところ)
覆いがしてあって様子がわからない。昨年12月に西側斜面に窯跡が見つかった。
初めての瓦葺きの宮殿 藤原宮で使用された瓦を焼いた窯跡とのこと。
傾斜の緩い斜面を利用したいくつかの窯があったらしい。
藤原宮内の多くの建物などに使うためには、200万枚もの瓦が必要で、窯は近くの峯寺瓦窯はじめ、県内・大坂・淡路島・香川・滋賀など15~6か所にも及ぶというが、その中でも市尾瓦窯はメインだったらしい。大極殿に使用された軒丸瓦なども出土し、窯の構造もわかる状態で残っているとのこと。
ここで焼かれた瓦は紀路を通る陸路で、また、曽我川など水路を利用して藤原宮に運ばれたのでは、という。
瓦窯の丘陵を登ったあたり、天満神社の境内に市尾宮塚古墳があった。
ここに来るのは初めて。
先ほどの市尾墓山古墳よりは後、6世紀中頃にできた。
両袖の石室内部壁面は赤色顔料が塗られていたらしく奥の壁に赤い色が残っていた。
赤い色は水銀ではなくベンガラとのこと。
赤は道教では最上の色とされ、魔よけなどの意味があるという。
ここの被葬者も巨勢氏関連の豪族らしい。
寸足らずな丸型ポスト
ここから市尾駅近くのガラス工房へ。
吹きガラスの制作工程を見学した。
外にあった色ガラスの棒 工房内 ガラスを溶かす炉 温度は1000度を超える高温
しかも、扇風機の風はガラスにとってよくないらしい。
ひとつの作品のはじめから終りまで見学
溶けたガラスを棒(吹き竿)の先に取り、素早く濡れた新聞?で形を整えつつ又炉で棒を回しながら熱し、また成型を何度か繰り返して・・ガラスは冷えると固まるので、素早く素早く・・
、息を吹いてガラスを膨らませ、又炉へ。何度も繰り返し、底になるのかと思っていた先に穴があき、広げ、熱しつつ形を整え、色ガラスを縁に絡ませて整えると、お椀型の容器になった。
底を整えて完成。パチパチパチ・・拍手
温度をかけながらゆっくりと冷ますために横の炉?に入れ、徐々に冷ましてゆく。
時間を見ていなかったが30分ぐらいかかった?
素早さと集中力と根気のいる仕事だ。真夏の炉のそばはどんなんだろう。
体験もできるらしいが、難しそ~。
ここからはずっと歩いて高取の町中へ。
小島神社では、絵馬収蔵庫を開けてくださり、普段は見ることのできないナモデ踊りの絵馬を見せていただいた。
ナモデ踊りは雨乞いなどの満願の時に踊る太鼓踊り。 右)アラカシ古木
各地にあったナモデ踊りも大柳生の太鼓踊りや国栖の太鼓踊りなど残されているのはわずか。小島神社に残る3枚の絵馬の内、2枚は絵柄もはっきりしていて、踊っている大勢の人や見物している人の動きもよく表現されている。
出たところにあったソテツ
幹に葉は全くないが先端には大胞子葉に赤い種子が見えた。根元にはひこばえらしい若い葉が出ていた。 右)燈籠の字の窪みにすっぽりとはまりこんで燈籠になったつもりか色柄まで石そっくり。
上村家の長屋門を過ぎて坂を登る。 右)オレンジに色づいたビワ
坂を上がったところが俳人阿波野青畝(あわのせいほ)の生家
庭に「虫の灯に 読み昂ぶりぬ 耳しひ児」 阿波野氏は幼いころより難聴だったらしい。
庭のドクダミがしっとりと静かな庭であった。 座敷もそのままにしてある。
その後、土佐町懐古館・青畝文学館 夢創館で高取城のCGを見、薬資料館~街の駅~小島寺(小島曼荼羅)~光永寺(人面石)と・・ちょっと疲れた。
小島寺のボダイジュ 果実ができていた。