久しぶりの談山神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/63/e9a5acf6f76ac63ded5b3dfce5ff9c05.jpg)
十三重の塔(重文)
藤原鎌足の霊を弔うために、子の定慧(じょうえ)が678年に
創建したもので、木造の十三重の塔は世界でここだけとのこと。
修理を終え、彩色も色鮮やかだ。
拝殿で神職さんの説明を受けた。
中央天井は香木伽羅で作られているのは初めて知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f7/54ef0d416af4aead504b44a363f458df.jpg)
伽羅の天井 本殿は少し色褪せているが重文
徳川家康が亡くなった時、ここを模して日光東照宮が作られたそうだ。
それでここは「西の日光」と言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/bc/2e2428eca3d9716d65e7cdbc478f947f.jpg)
境内の隅に「菴羅樹(あんらじゅ)」の立札の立った木があった。
「鎌足公の長男定慧和尚が唐の国から持ち帰られた霊木」と書い
てある。
だいぶ前だがここでカリンの実を拾ったことがあるので(その頃
は立札はなかった)「カリンじゃないんですか?」とボランティ
アガイドさんに尋ねたら「カリンに似ているが違います」とのこ
と。??
帰ってネットで調べてみた。
「カリンの別名」と書いてあるものもある。
「菴羅樹あんらじゅの花は多くさけども菓みになるは少なし、人も
又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る
者は少し・・」などの記述もある。
また
「菴羅」は仏典で美味の代表とされるマンゴーのこと。
「菴羅園(あんらおん)」はインドガンジス川流域のマンゴー樹園
で、釈迦はここで維摩経を説いた。とある。
よくわからんけど、仏教と関係があるらしいが、ここにあるのはマ
ンゴーでないのは確かなので、私はやっぱりカリンの別名説に納得。
境内から裏山に登る
ボランティアガイドさんのお話を聞く。
ここが中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が、
蘇我氏打倒を相談したという談山(かたらいやま)(566m)
相談所と彫った石碑があるのみ。
「相談所」ってなんか悩み相談にのってくれるところみたい。
さらに登っていくと、藤原家の墓所がある御破裂山(618m)
この山の上に藤原鎌足の墓があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b5/6db6ffc0036edf711b43a515f81a7c8c.jpg)
右手に箸墓・大阪湾が見えると言っていた人もいた。 耳成山
今にも降りそうな天気だったが、展望は意外とよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ea/3c46777b1b1f65791e99b60b00a41ab7.jpg)
ここから北山の方へ今井谷を寺川に沿って下りに下り聖林寺へ
妙楽寺(談山神社の前身)の別院としてここも定慧の創建らしい。
国宝の11面観音は美しいらしい。また次の機会に拝ませてもらおう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/f0/d5d74f440aa7a4900db37ca32dca67ef.jpg)
下っていくと談山神社の一の鳥居があった。
火事で欠けたとのことだが、大きい立派な石の鳥居だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d1/e4967724e8ee47e8993d40b222096b97.jpg)
ここから談山神社まで100m毎に町石が昔は52個あったそうだ。
今は少なくなってはいるが、いくつか残っていた。
大きい鳥居・町石・道の両側には店が立ち並んでいたことだろう。
昔の談山神社の繁栄ぶりがうかがわれる。
30分ぐらい下って桜井駅に到着した。
雨覚悟で来たが、ほとんど降らず、ラッキーだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/63/e9a5acf6f76ac63ded5b3dfce5ff9c05.jpg)
十三重の塔(重文)
藤原鎌足の霊を弔うために、子の定慧(じょうえ)が678年に
創建したもので、木造の十三重の塔は世界でここだけとのこと。
修理を終え、彩色も色鮮やかだ。
拝殿で神職さんの説明を受けた。
中央天井は香木伽羅で作られているのは初めて知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7b/1bc17df3d3ea91442cb10d94b0f1a37c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f7/54ef0d416af4aead504b44a363f458df.jpg)
伽羅の天井 本殿は少し色褪せているが重文
徳川家康が亡くなった時、ここを模して日光東照宮が作られたそうだ。
それでここは「西の日光」と言われている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/bc/2e2428eca3d9716d65e7cdbc478f947f.jpg)
境内の隅に「菴羅樹(あんらじゅ)」の立札の立った木があった。
「鎌足公の長男定慧和尚が唐の国から持ち帰られた霊木」と書い
てある。
だいぶ前だがここでカリンの実を拾ったことがあるので(その頃
は立札はなかった)「カリンじゃないんですか?」とボランティ
アガイドさんに尋ねたら「カリンに似ているが違います」とのこ
と。??
帰ってネットで調べてみた。
「カリンの別名」と書いてあるものもある。
「菴羅樹あんらじゅの花は多くさけども菓みになるは少なし、人も
又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る
者は少し・・」などの記述もある。
また
「菴羅」は仏典で美味の代表とされるマンゴーのこと。
「菴羅園(あんらおん)」はインドガンジス川流域のマンゴー樹園
で、釈迦はここで維摩経を説いた。とある。
よくわからんけど、仏教と関係があるらしいが、ここにあるのはマ
ンゴーでないのは確かなので、私はやっぱりカリンの別名説に納得。
境内から裏山に登る
ボランティアガイドさんのお話を聞く。
ここが中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が、
蘇我氏打倒を相談したという談山(かたらいやま)(566m)
相談所と彫った石碑があるのみ。
「相談所」ってなんか悩み相談にのってくれるところみたい。
さらに登っていくと、藤原家の墓所がある御破裂山(618m)
この山の上に藤原鎌足の墓があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/24/d76e77e3cccd33b42f97de23cec2c0c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b5/6db6ffc0036edf711b43a515f81a7c8c.jpg)
右手に箸墓・大阪湾が見えると言っていた人もいた。 耳成山
今にも降りそうな天気だったが、展望は意外とよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ea/3c46777b1b1f65791e99b60b00a41ab7.jpg)
ここから北山の方へ今井谷を寺川に沿って下りに下り聖林寺へ
妙楽寺(談山神社の前身)の別院としてここも定慧の創建らしい。
国宝の11面観音は美しいらしい。また次の機会に拝ませてもらおう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b5/6db6ffc0036edf711b43a515f81a7c8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/f0/d5d74f440aa7a4900db37ca32dca67ef.jpg)
下っていくと談山神社の一の鳥居があった。
火事で欠けたとのことだが、大きい立派な石の鳥居だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d1/e4967724e8ee47e8993d40b222096b97.jpg)
ここから談山神社まで100m毎に町石が昔は52個あったそうだ。
今は少なくなってはいるが、いくつか残っていた。
大きい鳥居・町石・道の両側には店が立ち並んでいたことだろう。
昔の談山神社の繁栄ぶりがうかがわれる。
30分ぐらい下って桜井駅に到着した。
雨覚悟で来たが、ほとんど降らず、ラッキーだった。