出遅れて・・途中で合流。
持って行った地図ではよくわからず、途中で道を尋ねた郵便局の方が親切に途中まで案内してくださった。
無事合流して・・
歴史クラブ員の説明を聞きながら歩く。
三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
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「円墳で(次の)新木山古墳の倍塚」と思われていたらしいが、町営墓地建設に伴う発掘調査の結果 帆立貝式古墳とわかり、埴輪の年代から新木山古墳とは年代が違う(5世紀後半)ことがわかった。(新木山古墳は5世紀前半)
墳丘の葺き石や埴輪の列も復元 円筒埴輪6個に1個アサガオ型埴輪が混じる。
墳頂は今は何もないが、蓋(きぬがさ)・短甲・家形などの埴輪が置かれていたらしい。
新木山古墳(にきやまこふん)
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三吉石塚古墳から新木山古墳(にきやまこふん)を見る。
5世紀前半築造 全長200mの前方後円墳
陵墓参考地になっているため一般立ち入りはできない。
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濠の横を歩いた。周濠は完全に田んぼや畑に利用されているように見えたが、回り込むと水をたたえた部分もあった。
讃岐神社へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/95/3a5d8a124c9699ed1a38bf3ddb4c07e1.jpg)
竹取物語の舞台がこの周辺とされ、広陵町は「かぐや姫の町」と売り出している。
鳥居から社殿へ。参道は長い。 右) 拝殿前の狛犬 右の狛犬は股間に男性のシンボルが付いていた。
シンボル付きは他のところで1ヵ所見つけているので、ここで2ヶ所目だ。
(一般的には右は獅子で阿形 雌で角ナシ・・とされるが、時代によっても違うらしい)
次に行った馬見公園で「かぐやひめ」の紙芝居をしてくださった。
懐かしい昔話に浸ったが・・
かぐや姫のでてくる「竹取物語」はただの昔話ではなく歴史を反映し、それぞれにモデルが存在するとのこと。
かぐや姫に求婚した5人の公達のモデルは壬申の乱で功績のあった実在の人物。
かぐや姫の出した難題に応えられずに求婚は失敗する。
竹取の翁は讃岐造(さぬきのみやつこ)という、讃岐から大和朝廷に仕えるためにこの地に移り住んだ人物。
かぐや姫のモデルは迦具夜比命という垂仁天皇の妃だそうだ。
竹取物語は最後には富士山の話にまで及ぶ壮大な物語なのだった。
・・富士山の話までは知らなかった。・・
この物語ができたのは平安時代初期までらしい。
「政治的な意図」も感じるというこの物語の作者は誰だろうか?
何人か候補があがっていた。
馬見丘陵公園に入る。
周辺は馬見古墳群といわれる古墳の密集地で、これらを保全活用するために奈良県が造った広域公園で、広陵町 河合町にまたがっている。
計画面積65.3ヘクタール(甲子園球場の17倍)の広さを持つ。
古墳のひとつ、
特別史跡 巣山古墳
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濠の手前から見た巣山古墳 全長204m 馬見古墳群でも最大規模の古墳 水をたたえた壕がめぐっている。 くびれ部には方形の「造り出し」 前方部西側には浚渫工事中に見つかった「出島状遺跡」。水鳥や蓋・家型などの形象埴輪が出土
墳丘への連絡用らしい「渡り土手」というのも初めて知った。
右)今立っている濠の外堤のような?所から見つかった4世紀末の「円筒棺」大きさが石で示されていた。
長さ1.5mの円筒に両側に蓋付き。粘土紐が巻きついたような模様 内部には副葬品が納まっていたという。
それにしてもこの大きさでは小柄な人でないと入れない。それに筒の中へは納めにくそう。
舟形埴輪の断片も出土し、復元した写真があったが直弧紋の描かれた舟形埴輪はかなりめずらしいらしい。
ナガレ山古墳
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5世紀前半の前方後円墳 全長105m 発掘では円筒埴輪1800本出土したという。
また、前方部墳頂に埋葬施設(箱型木棺を粘土で覆った粘土槨)が見つかった。
後円部と合わせて埋葬されていたのは夫婦の可能性があるとのこと。
10年間かかった復元工事で、東側半分は葺き石や埴輪列で復元され1600年前の姿が見られる。675本の埴輪(強化プラスチックや手づくり)が復元古墳に立ち並ぶ様子は壮観だ。
公園内に見える小山はみんな古墳だ。
そのひとつ、倉塚古墳(スベリ山古墳)にも登る。
馬見丘陵公園から出て
牧野古墳(ばくやこふん)へ。
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大型円墳 開口部から中へ。 巨石が使用され、奥に2基あったという石棺の一部が残っていた。盗掘されていたが、副葬品も多く出たらしい。
最後に案内してもらったのは
御坊第1~3号墳 鈴山城跡
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遊歩道から山に入り、切りとおしを抜けると・・空堀と濠(跡)を備えた鈴山城跡
今は木や竹がまばらに生えているだけ。 周辺氏族の出城か砦だったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a8/5a721c065aeca841f10acbd069a7720e.jpg)
空濠 濠の跡
城跡の小山は御坊第1~3号墳 3基の小さい古墳らしい。
あまり知られていないらしく私もふくめ初めて知った人もいたようだ。
たくさんの古墳を案内してもらった。