みどりの野原

野原の便り

1月31日 醍醐池

2008年01月31日 | Weblog
用事のついでに醍醐池へ寄った。


           醍醐池 
北に耳成山を望む。 南の道路を隔てて藤原宮址がある。

ここはいつも水鳥がたくさん来る。

今日もたくさんいる。

車がビュンビュン通る車道のそばなのに、慣れているのか道路のすぐ下
の茂みでマガモが休んでいたらしい。
私が近づいたので脅かしてしまったようだ。
いっせいに池の中央へ泳ぎだした。

中央部では、ハシビロガモが集団で水面にクチバシを突っ込んで、グ
ルグルとまわりお食事中。
時に2つに分かれたり、又ひとかたまりになったり、ずっと廻り続け
ていた。


   集団で水面採餌するハシビロガモ

池の東側にホシハジロ、北側にコガモとカルガモが見える。
キンクロハジロはいないようだ。
帰ろうとしたらオオバンが1羽どこからか出てきた。

鳥たちは対になってるのもいるが、まだ青春を謳歌して(Orあぶれて)
いるのもいるみたい。
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1月30日 京都府立植物園&宝ヶ池

2008年01月30日 | Weblog
久しぶりの京都府立植物園
冬に来るのは初めてだ。
植物園のN先生より植物園について、また樹木の冬の姿や冬芽などの
お話を伺う。

それに先立って
「どれがサザンカの冬芽ですか?」「どれがツバキの冬芽ですか」と
それぞれ4つの絵を見せられた。
う~ん。どれか迷う。

実物を見ればわかると思うが、結局はしっかりと観察出来てないと
いうことが露呈したわけだ。

京都府立植物園
大正15年に開園。今年で85年になる。

戦時中は米軍に撤収され、連合軍の住宅地や施設に使われたそうで、
その時、園内の樹木はだいぶ伐採された。
昭和30年に返還された後、樹木も増やされ、現在は55,000本の樹木
があるということだ。

この植物園も戦争をかいくぐってきたのだ。

園内の樹木は剪定せず、自然樹形が見られる。
日本に最初に持ち込まれたヒマラヤスギや樹齢110年のカイヅカイブ
キもあるそうだ。
生態園には1000種の植物が植えられている。

樹形や冬芽のお話を聞いた後、イチョウ・トチノキ・オオカメノキ
などの冬の姿を見ながら1時間ほど園内を廻った。

寒い冬をそれぞれの工夫で耐え、春に備えている木々も姿は力強い。


  トチノキの冬芽
              
                              トチノキの葉痕

 コブシの冬芽

                
                        クスノキの並木
                 川端康成の小説「古都」にでてくるらしい


          ザゼンソウ

宝ヶ池
その後、下見の時の情報で、有志で国際会議場の近くの宝ヶ池へ
オシドリを見に行った。


           オシドリ

人に慣れてるわけでもないようだが、肉眼でもよく見えた。
どうしてこんなカラフルになったんだろう。
オシドリ夫婦になっているものがたくさんいた。


 宝ヶ池 比叡山が見えた。少し雪が見えた。

他にはマガモ・コガモ他。
白いガチョウが2羽いた。おばさんが餌をやりに来ていた。
いつも来られてるのかマガモがいっせいに餌のほうへ泳いで行った。

「野鳥にえさをやったために、太って渡りが出来なくなった」という
話を同行の方が話されていた。
どちらにしても、野生のものにはあまり人間が関わらない方がよいの
ではと思う。

マガモの群れの中に頭はマガモに似ているのに体は黒っぽいちょっと
変な鳥が混じっていた。
このごろは雑種も時々見られるという。
原因は何だろう?
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1月29日 母べえ

2008年01月29日 | Weblog
映画「母べえ」見てきた。
テレビで、山田洋次監督や吉永小百合さんの、この映画に対する思い
を聞いていたので、ぜひ見たいと思っていた。

最初のあたりは、昔の普通の家族の普通の生活がやさしく描かれてい
た。

だんだんと戦時色が強まっていく中、善良な市民が、こぞって「政府
の方針」に従う怖さを実感した。
みんなそれが「正しい」と信じて、必死に戦争に協力した。
「正しい」とか「正しくない」というのはそんなにあいまいなものな
のか。

戦争の残酷な場面はなかったけど、それだけに怖かった。

吉永小百合さん扮する「母べえ」が必死で家族を守る姿が痛ましかっ
た。

私は広島にいたけれど、戦争の記憶はない。
でも父や母は、特に父は、日本を家族を守るために戦争に進んで参加
して、潜水艦に載っていた。
一番楽しいはずの青春の思い出は戦争オンリーだった。

戦争で日本を・家族を守れるだろうか?
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1月28日 貝塚市 近木川

2008年01月28日 | Weblog
「遠くから来ましたね」と又言われてしまった。

貝塚市は、昔は紡績業で栄えた所。
和泉葛城山・近木川などの川・二色浜など、多様な自然環境を持つ。

貝塚自然遊学館

後でパンフを見ると建物はアンモナイトの形になっていたらしい。

二色浜の近くにあり、貝塚市の川や海、山の生き物など豊富な展示物
がある。
カマキリの第一人者のI先生より説明を受け、館内をまわる。


カニの標本は種類が多くて驚く。

近木川の魚は水槽が上流・下流に分かれているのでわかりやすい。
1995年頃から見られるようになったというハクセンシオマネキも飼育
されていたが、姿を現してくれなかった。

今は二色の浜に揚がったスナメリの標本作りの真っ最中で、頭の骨を
見ながら標本作りのお話も聞かせてくださった。
肉の付いた死体を骨格標本にするには相当時間と技術がいるようだ。
3月には特別展示されるそうだ。


          スナメリ頭部

館内をゆっくり見ようと思えばだいぶ時間がかかりそう。

二色の浜
午後からは二色の浜付近で鳥を観察。
浜というのでもっと広いところを想像していたが、狭いものだった。
もっとも、大阪にはもう自然の浜はほとんどないので貴重な砂浜だ。


          二色の浜

先ず、砂浜のカワウの集団が目に付いた。そこに白い鳥が混じる。
よく見れば海に浮かんでいるのもいる。


      イソシギ

浜ではカワウ・イソシギ・シロチドリ・ユリカモメ・ウミネコ
海ではヒドリガモ・コガモ・ウミアイサなど

シロチドリは砂とまぎれて見つけにくい。
盛んに動いているのをやっと見つけた頃には、他の人はもうだいぶ
先へ移動している。

はじめて見たウミアイサもなかなか見つけられなかったが、最後に
♂♀2羽確認できてよかった。

近木川(こぎがわ)

           近木川

和泉葛城山を源に貝塚市の中央部から大阪湾へと注ぐ。
平成5.6年ごろは2級河川で汚染ワースト1だったそうだ。
工場も人口島に移り、今は水質はだいぶ改善しているそうだが、
河口付近はあまりきれいには見えない。

コンクリート護岸を乗り越えて(身の重さ実感)川辺へ。


干潟状になった泥には穴がいっぱいあいていた。
カニの穴らしい。鳥や動物の足跡もある。

スルメでカニつり・・・残念ながら寒いからか期待にこたえてはく
れなかった。

コサギ・ダイサギがいた。カワセミが位置を次々変えてしっかり
見せてくれた。



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1月27日 七福神で長谷寺へ

2008年01月27日 | Weblog
朝倉駅から長谷寺へのハイキング

長谷街道の旧道と国道になっている道を歩いた。

玉列神社(たまつらじんじゃ)
先ず大木が目に付いた。


    樹齢800年のケヤキ(保護樹木)
向こう側でしっかり支えられている。

境内には椿がたくさんあった。
ご祭神の又の名を玉椿大明神という。それにちなんだもの。
献木受付中。

阿弥陀堂では、ニンジンと大根がしっぽを上に向けて、立てて供えてあった。

 
 民家のクスノキの大木

「7福神やね」と私たちを見て通りがかりの人が言った。

毎日6キロのウォーキングを日課にしているHさん。
家の階段を上り下り何十回もして足を鍛えているMさんはじめ、元気な
7福神だ。

春日神社

        変わった形のしめ縄

ワラとマツの葉で作ってある。
中央の半紙の御幣の様なのは鳥の形?羽は切らずに破って作られている。

このあたりは三輪そうめんの産地。春雨を乾かしている所もあった。


長谷川(大和川) 流れもあり水も汚れてない。

白山神社
雄略天皇の泊瀬朝倉宮伝承地らしい。歌碑があった。


  これはひょっとして出雲人形の釜跡?

流れ地蔵 
粟原流れ(昔に起こった土石流)でどこからか流れてきたお地蔵様なの
かな?

十二柱神社
出雲村の村社 昔は社殿がなく、三輪山の東の嶺の上のダンノダイラと
いう集落の磐座を拝んだそうだ。
明治はじめまでは年に1回全村民がダンノダイラに登り先祖を祀ったという。

相撲の開祖の野見宿禰は出雲に住んでいたらしい。
古墳時代に殉死をやめ埴輪を発案したのがこの人だそうだ。


     狛犬を支えている力士像

ここで弁当を食べた。じっとしていると寒い。
「冬のハイキングははじめて」というSさん。風邪引かなかったかな?

 
        出雲人形              製作途中の日干し

長谷寺

西国33箇所観音霊場の第8番札所
平安時代観音信仰が盛んになり長谷詣でが流行したらしい。

焼き草もちの試食とお茶をいただいて帰る途中吹雪いてきた。
 

      吹雪

さて我らが帰る橿原は雪が降ってるかどうか?
降ってない。ヒラヒラ程度。 降ってる。いろんな答えが返ってきた。
Sさんはご主人に電話「布施でも降ってるらしい」
さあ結果はどうでしょう。

コーヒーを飲みたいTさんの希望もむなしく、喫茶店はみんなお休み。

15000歩7キロの楽々ハイキングだったが、最後に長谷寺駅への登りが
運動になった。

吹雪の長谷寺駅を出発して、次の駅の頃にはもう雪は降っていなかった。




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1月26日 但馬駅~自宅までハイキング

2008年01月26日 | Weblog
但馬駅~百済寺~竹取公園~自宅まで
三宅町~田原本町~広陵町~川合町~広陵町~高田市~橿原市 
行ったり来たりしたので、さあ15キロぐらいかな?

飛鳥川・曽我川・葛城川・土庫川   
どれも汚くてショック。
大和の平野部は傾斜がないために流れがあまりない。
水量も多くない。
工場がいっぱいあるわけでもないので、やはり家庭排水が原因だろうな。


     これで水がきれいであれば・・・

細かいところを見なければ、川と水田の広々とした景色だけど、
あまりきれいだとは感じなかった。

但馬駅(三宅町)を出発

田原本町大網
数件の古い民家の前を通った。
立派なお家だったので写真を撮ろうとしたら、娘に借りてきたデジカメ
が再生になったまま動かない。
基本的な操作は見てきたつもりだったが、こんなこともあろうかとマニュ
アル本を持参してたので見てみるが、わからない。

誰かに聞いたほうが早いわ。
通りかかったおじさんを呼びとめたが、「デジカメわかりません」

次に若い3人組の男性に頼んだ。
どこかのキーの位置が動いていたらしい。写せるようになった。
ありがとう。
 

        民家(田原本町大網)

百済寺(広陵町)
 
立派な三重の塔は重文      エノキの板根

この周辺から飛鳥時代の遺跡や瓦が出ないことから、巨大な寺院跡から
基壇が出土した桜井の吉備寺廃寺を百済寺とする説が有力だと前に聞い
たが、ここも古いお寺には違いない。
境内にはエノキやイチョウの大木があった。
          
櫛玉比女命神社(広陵町)
延喜式内社。ここは全体が古墳だそうで本殿は後円部に建つ。
社の後ろの鎮守の森は古墳だとか。


         櫛玉比女命神社

前は第3セクターの施設だったところが「元気村」に変わっていた。

 
        元気村の「かぐや姫」

佐味田 狐塚古墳(川合町)
気の毒に車道に真っ二つに分断されているが、空堀のある帆立貝形の前方
後円墳だったらしい。

     佐味田 狐塚古墳

竹取公園(広陵町)

広陵町と竹取物語
竹取物語に出てくる5人の男は壬申の乱の功労者だったこと。
竹取の翁の名は讃岐造(さぬきのみやつこ)で、近くに讃岐神社がある。
そんなことで広陵町は「かぐやひめの里」として売り出して?いる。

           かぐや姫

    マンホール

ここからはコースを外れて東南へと歩く。

讃岐神社(広陵町)

          讃岐神社 

川や田んぼが多いのに、鳥は少ない。
ヒバリ・ムクドリ・スズメ・ハシブトガラス・ハクセキレイ・キジバト・
コサギを見たぐらい。

赤い欄干の磐余橋から東は橿原市だ。もう30分もすれば自宅だ。

      磐余橋(橿原市?高田市?) 
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1月25日 風船のご縁 

2008年01月25日 | Weblog
「15年前、小学生が風船につけて飛ばした手紙が、魚網にかかった
カレイと共に引き上げられて、無事、大学生となっている女性に手
渡された」というニュースがテレビで流されていた。
千葉県の銚子漁港でのことだ。

うちにも同じような出来事があった。

父の記によると、昭和49年の7月20日のことだそうだ。
兼業農家の父が田んぼで草刈をしていて、紙切れの付いた、破れた
風船を見つけた。
それには東大阪市の小学4年生の男の子J君の手紙が付いていた。
創立記念日に飛ばしたようだ。

父が返事を書き、後日J君からは、先生がでみんなの前で「よいおじ
さんに拾われてよかったね」と言ってもらった。お手紙をもらったの
は自分だけだったという手紙が届く。

J君のお父さんからも「たかが子供の風船に目をとめて、やさしい励
ましの手紙をくださりありがとうございました。私もあなたのような
やさしい父親になろうと思います」とお返事がきた。

それ以来、年賀状のやり取りをしていたらしい。

風船を拾って20年後、平成5年、元気そのものの父が突然の小腸破裂
で入院・手術で生死をさまよった。
1年あまりで奇跡的にも回復に向かっていた頃、社会人になっていた
J君が彼女を連れて病院にお見舞いに来てくれたのである。

それからぐんぐん元気を取り戻し、亡くなる平成15年まで手紙のご縁
が続いた。

我が親ながらいい話だなあと思う。
そんな律儀なやさしい父であり、また素直なJ君にも感心する。

今日のニュースで思い出した話である。

15年を経て届けられた手紙はどんなドラマを生むのだろうか?


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1月24日 冬の飛鳥歩き 稲渕~石舞台~八釣の里

2008年01月24日 | Weblog
里山クラブの野外サークル初めての例会

朝、ミゾレが降って、どうしようかと迷ったが、12人が公園館に
集まった。
「雪が降ればいいのにね」という私たちの声が聞こえたのか、

中尾山古墳を過ぎたあたりから雪が舞ってきた。


          冬の林

朝風峠への途中はミカン畑が多い。
もうすっかり摘み取られたもの。まだいっぱい実をつけているもの。
摘み取った木の下にいっぱい落ちてあるのは捨てられてるの?


道のそばの山の中に捨てられていたミカンの山

1つ拾って食べてみたらすごく甘い。なんで捨てるの?
もったいないわあ。

案山子ロードを少し入ったあたりから、ちょっと登り、小さな水路
の横の小道に入る。
水路は今はそんなに水量もないけど、棚田に水を供給しているの
だそうだ。
草を踏みながら一列で歩く。

ハプニング! 景色を撮ろうとしたけど、デジカメが変! 
景色がぼや~っとしか見えない。
寒いから? 暖めてみたけど、シャッターも落ちなくなってしま
った。えらいこっちゃ~。

「貸してあげましょうか」サークル長さんの親切なお言葉に甘え
て、デジカメをしばらくお借りすることになった。

この近くには、今日参加しておられるサークル員Tさんがオーナー
になっている畑があるそうだ。
Tさんは大阪にお住まい。「畑のシーズンには毎週来ますね」との事。

大阪からここまで野菜作りに来るなんて。すごーい。


案山子ロードのシンボルの大案山子の背中

               
               傍らには満開のロウバイの畑。ああいい香り。


しばらくして山道を下ると、もうそこは「棚田憩いの館」

               
飛鳥川に掛かる勧請縄「雄綱」はまだ14日に架け替えたばかり。

今年は来れなかったが、去年は、ワラを渡したり綱のヒゲを切っ
たり、雄綱を作るお手伝いをした。

上流のカヤの森に架かる雌綱は、女性のシンボルを表し、仏式で
架け替え神事が行われる。
綱のヒゲ(ワラの端)は切らずそのままに。
ここ稲渕の雄綱は男性のシンボルを形作り、神式で神事が行われる。
綱のヒゲは切りとる。

この2本の勧請縄が、いにしえより悪いものから村を守っているの
だ。

「雄綱のシンボルに巻かれた縄は例年は12本だけど、今年はうるう
年で13本だそうだよ」
歴史ボランティアもされているTさんに教えていただいた。

勧請橋の売店はこんな寒い日も開いていた。
こんな冬にお客さん来るのかしら。といいながらお客さんになった。

吹雪が一段と強くなってきた。

 
        向こうは吹雪            ここも吹雪 なんだけど

雪で霞んだ棚田はなんとも幻想的。
これがこのまま写真に写せたらいいのにね。

飛鳥の冬を満喫しながら石舞台へ。

今日は夢市茶屋でお昼ごはん。
それぞれに「飛鳥鍋ご膳」や「淡雪鍋ご膳」を注文する。
あったかい鍋付きで体も温まりおいしかった。

 
        飛鳥鍋御膳                 淡雪鍋

食事が済んだ後、昔、通学路だった道や同級生の実家の前などを
通る。
ちょっと前のことだったような、ずいぶん昔のような。

実家の隣のおじさんに出会った。お元気そう。
「あんたのおじいさんほど腕のいい植木屋は飛鳥橿原でももうい
ないやろうな。ええ腕やった」
「お父さんは正義感の強い人やったな。今はみなだらしなくて歯
がゆいわ」もう92歳だというおじさんがそんな話をしてくださり、
いなくなってからもそんな風に思ってくださる人がいてうれしい。

みんなに追いついて、その後はそれぞれの方向に別れ、私たち4人
は今盛りのソシンロウバイの花をめでながら、飛鳥寺近く~八釣
~橿原神宮駅まで歩いた。

吹雪の棚田よかったなあ。
寒いといっても歩くときりっとして気持ちがよかった。



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1月23日 体から湯気が・・

2008年01月23日 | Weblog
昨日・おとといは写真の整理
昨日・おとといと2日は家に閉じこもって、ほとんど写真の整理に
費やした。

今年が始まって、去年の写真はDドライブに移した。
それをCDに落としていく。

Dドライブに移すときに、ちょっとヘマしたことがあったのと、
前のパソコンで2種類のソフトで保存したのが、1方のがビスタで
は読み取りが不可で、それをフォーマットしながらやったので、
すご~く時間がかかってしまった。

で、やっと、去年一年間の写真をCDに落とした。
1年間分で9GB余 CDが15枚分  撮り過ぎや~。

まだ他に整理することが残っているが、なかなかはかどらない。


今日は久しぶりの卓球
思いっきりやった。体から頭から湯気が出そう・・

Sさん「○○さん(私のこと)久しぶりやのに、どこかで練習し
    てんの?」
私  「毎日素振り100回よ」もちろん冗談。
Sさん「私なんかいつも来てるのに、おしゃべりが多くて・・」
私  「だから口が上達してるやん」??

そんな楽しい人達。

今日の参加者は20人(内男性6人)。みんなすごくうまい。
大先輩のSさん(さっきの人とは違う)は、このクラブで1番(市
の大会優勝経験者)の男性Mさん相手にバシバシと打ち込んで、
スゴ~イ。

前は水曜日は卓球のためにとってあったのに、なんやかやと手を
広げ過ぎ、月1回ぐらいしか行けない私。

でも「出来るものがするから」と、役ものけてくれ、「又来てね」
と言ってくれるのがありがたい。

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1月21日 初めての積雪

2008年01月21日 | Weblog
目覚めたら・・初雪が積もってた。

夜中はもっとふわふわしてたそうだ。私は夢の中。


ベランダからの雪景色

玄関先のベチョベチョになった雪だけのけて、積もっているところで
小さい雪だるまを作った。

この手の冷たさ!痛い。なつかしい冷たさ。

今はこんな冷たさを体験することはあんまりなくなった。


水分の多い雪で夕方までには溶けてしまった。
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